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36・良子


 化け物以上の化け物だった。

 アメコミヒーローのように超人化した若い女性が二人。これまたアメコミの超人ハルクのような、人間の三倍以上もの体格の、鋼の筋肉の塊となった巨人を相手に、桁外れの強さを見せていた。

 逃げる子供たちを巻き込まないようにする配慮だろう。激しい猛攻で巨人を押していき、周囲にある建物や木もフェンスなどを破壊させながら、戦いの場を校舎前のグラウンドに移動させる。

 だだっ広いグラウンド。芝生の入ったサッカーコートの周辺には、陸上用の赤茶色のレーンが敷かれてある。

 生きた人間はいないが、至るところにゾンビが徘徊している。若い女性は、巨人と戦うついでのように、ゾンビたちを掃除していく。

 アッという間だ。5分もせず、立ち上がるゾンビはいなくなった。どれも、首から上が消え失せている。

 人質たちは、赤沢鏡明が逆側にある野球グラウンドに連れて行った。そろそろ、ヘリコプターで脱出している頃だろう。良子が心配するまでもない。

 気になっているのはただ一つ。

 二人の女性と戦っている巨人だ。

 篠崎黒龍の土産物から逃げのびた狼谷会の家族は十六人。

 それも、一人、また一人と失っていき、残ったのは、良子と島、二人だけになってしまった。

 そのうちの一人も、もうすぐ消えようとしている。

 体が死にたがり、別の存在になろうとしている。意識を集中させなければ、隣にいる島の脳みそを欲しがってしまう。

 まだ、ダメだ。良子にはやるべきことが残っている。

 それまでは耐えなくてはいけない。

「いくよっ、菜穂香っ!」

 青い髪をした女が声をあげた。

「おっけーっ!」

 空を飛んでいた二人の女性は、互いの肩を重ね合い、拳を後ろに下げる。赤と青のオーラがひとつになった。密着した腕を前に出し、勢いのままに、巨人を目掛けて下降した。

「フランジェルカバーニングパーンチっ!」

 激突する。

 巨人は、大絶叫をあげながら、派手に飛ばされていった。グラウンドのフェンスを破り、校舎に上がる斜面の芝にぶつかった。

 大きな凹みができて、芝の下の土が剥き出しとなる。

 まぶしい光に包まれ、次第にそれが消えていくと、人間の男の姿に戻っていった。

 狼谷敬司。

 なにも身につけてない裸の格好だ。膨張していた筋肉は元通りとなり、中年太りとなったでっぱった腹を見せている。口をぽっかりと開けたまま、大の字で空を見上げている。その目は真っ白だった。

「いっえーい」

「やったね」

 手をたたき合う。二人の女性はは、その手を交互に絡ませて、額をくっつけると、素早く唇を重ね合った。

 青い髪の女性はこっちを向いた。

 良子が、戦いを観戦していたのに気付いていたようだ。

 後は任せます、と言うようにこくんと頷いた。

 全て、お見通しだったようだ。

 最後の仕事を残してくれたことに感謝した。良子は笑みを浮かべる。人間の視力では確認できないほどの小さな笑みだったが、青髪の女性には伝わったようだ。

 急に空が陰った。二人は上を向くと、驚いた顔をする。

「いくよっ」

 手を絡ませたまま、二人は飛び立ち、校舎の向こうに行ってしまった。

 そっちで何かあったようだ。渦巻き状の怪しい雲が出来上がっていて、そこを中心にして、空が黒紫色に染まっていった。

 何が起こったのかは分からない。良子には。どうでもいいことだ。どっちみち、あの二人かなんとかするだろう。新たな事件に構っている余裕なんてなかった。

 懐からドスを取り出した。白鞘を捨てて、夫に近寄った。

「の……み、そ……」

 生きていた。それは、死んだ上の生きているだ。ぼろ雑巾のような体をしながらも、片目がこちらを向けている。瞳孔は白い。ゾンビのままだ。良子のことは見えているらしいが、この女が誰なのかは分かってなさそうだ。

「く……わせろ……の……みそ……ある……くい……てぇ……」

 敬司は笑った。口を僅かに動かしているだけだったが、良子はそのように感じた。

「もっと早くにこうしたかったよ。おまえさんが元気なうちに、こんな形でなくて」

 夫が生きているときに、この手で殺したかった。

 殺しても、殺しても、この恨みは足りないぐらいだ。

 良子は狼谷敬司の上にまたがった。

 この男との性行為を思い出した。胸くそが悪くなった。アンタがアタシで楽しんでいる間、ずっとこうしたい思っていた。その妄想が、ついに叶ったのだ。良子は、ドスを一気に振り下ろした。脳みそは硬かった。一刺しでは、頭蓋骨を軽く傷つけるだけだ。両腕をあげ、力を振るって下ろして、何度も何度も刺していった。

「かはっ!」

 敬司の顔は刺し傷だらけになっていく。口から血を吐き出した。ドロっとした血だ。

 どんどん出てくる。どす黒い血で染まりながら、「いたい」「死ぬ」「やめろ」と呻いている。

 その声は、生きた敬司そのものだ。

「あはは、あはは、あはははははは」

 いい気分だ。もっともっと、苦しむがいい。アタシの苦しみはこんなモンじゃないのだから。


「惚れた。俺の女になれ」

 悪魔の言葉だ。良子は、こいつに全てを奪われた。

 二十年前のことだ。なにも知らない田舎娘でしかなかった、バカなアタシだ。

 高校を卒業し都会の大学に上京した良子は、親の仕送りだけでは遊ぶ金が足りなすぎた。自由に使えるお金が欲しくなり、そのときの男友達から紹介されてキャバクラ嬢になった。

 そこが、狼谷会のシマであり、その組織がどんなものなのか知っていたなら、そんなバカげたことはしなかっただろう。

 店に、サングラスをかけ、白いスーツをきて、何人もの女を囲った若い男がやってきた。

 それが狼谷敬司だった。

 良子を見るなり、両側にいた女たちを突き飛ばし、接客していた男をパンチで追い払って、良子の隣にどかっと座った。肩に手を回し、もう片方の手は胸を鷲づかみする。

「いい女じゃねぇか」

 耳元で囁かれ、舌を入れられた。

 抵抗してはならない相手であるのは、周りの空気から分かった。やめてくださいとも言えず、店のボディーガードをしている島に、助けて欲しいと目線で訴える。

「惚れた。俺の女になれ」

 そう言うと、狼谷敬司はその場で、襲いかかった。悲鳴をあげたら負けだと思った。されるままなのはもっと嫌だ。犯される恐怖が全身を支配するも、冷静になれと自分にいいきかせ、テーブルにあったボトルを掴んで、それを敬司の頭にぶつけた。

 頭から血が流れる。敬司はそれを指に付けると、「最高じゃねぇか」とぺろっと舐めた。

 テーブルにあったものを床に払って、その上に良子を倒した。両手を掴んで身動きを取れなくすると、良子に体重をかけていった。

「放しなさい。あんた狂ってるよ!」

「当然だ。俺は狂犬と呼ばれている男だぜ。狂っているんだよ」

 こんなこと許されるわけがない。なのに、助けが入らない。誰もが見て見ぬ振りをしている。

 鍛えられた男の力だ。良子がどんなに暴れようとも、無抵抗に等しかった。

「島っ! 島っ!」

 島なら助けてくれると信じていた。困った客がいると、いつも追い払ってくれるし、落ち込んだときは慰めてくれる。優しくて頼りになる男だ。

 だから、彼の名前を呼び続けた。彼の事を見続けた。

 なのに島は、良子から背中を向けていた。

「助けてくれると思ったか? 残念だったな、ここは俺の店なんだ。好きなようにできるんだよ。酒も女も」

 島は狼谷会の若衆。

 敬司は、組長の一人息子だ。逆らえば、自分の命を失うことになる。

 良子が手篭めにされようとも、島は置物のように佇んでいた。

「なんだ、バージンだったのか」

 地獄が終わったとき、狼谷敬司はその証を見て大笑いをした。

「おまえ、もう働くことねぇぞ。俺の女になったんだからな。俺だけに、ここをかぱぁと開いて、気持ちよくしてればいいんだ」

 どういうわけか、良子は敬司のお気に入りとなった。

 彼は、何人もの愛人を捨てて、良子以外の女には見向きもしなくなった。ヤクザの組長の息子だ。逃げ出せばどんなことになるか、想像するまでもない。

 自分はいい。親のことがある。迷惑をかけるわけにはいかない。家族を守るためにも、言いなりになるしかなかった。

 耐えきれなくなって、殺されるのを覚悟で、反抗的な態度を取ったことがあったが、敬司は怒るどころか「もっと俺を嫌えよ」と喜んでしまう。

 感情を剥き出しにすればするほど、「俺のこと気になってきたな」と愉快そうに笑った。そういう男だ。敬司は、自分を逆らう奴を手懐けるのが好きな男だった。じゃじゃ馬を慣らすのが一種のステータスだと、良子を選んだのだろう。

 良子は諦めることにした。そして、敬司が良子のことを飽きて、捨てる日がくるのを待っていた。

 待ち続けた。

 そうするしかなかった。

 なのに、そんな日が来る前に、良子は敬司の妻になっていた。

 皮肉なことだ。何をしても、何もしなくても、良子はズルズルと狼谷会という奈落の底へと引きずり込まれてしまったのだから。

 極道の女。

 宿命というべきか、それが良子の定められた人生だったのだろう。組長が病死をし、敬司が狼谷会三代目を襲名してから、その思いはさらに強くなった。このまま、臆病という風邪を引いたままでは、この世界で生き残れない。

 すでに汚れっちまった身だ。それならば、徹底的に、汚れるところまで、汚れてやろうじゃないか。

 組長の妻として、狼谷会を、地獄の底まで背負っていく覚悟を決めた。

 狼谷敬司は狂犬と呼ばれている男だ。問題沙汰は一度や二度ではない。サツからは目を付けられ、他のヤクザ組織からは警戒されている。いわば歩く爆弾。いつ殺害されても、戦争を起こしても、おかしくない男だった。

 キャバクラ時代の経験を生かして、狼谷敬司という爆弾が爆発しないよう、ピリピリしていた組の雰囲気を明るくし、サツや他の組と積極的に交流をして、厄介ごとが起こりそうなときは事前に根回しをしたりと、もめ事が起きたならば直ぐに駆け付けて、場を収めていった。

 最初は女というだけで馬鹿にされたものだが、次第に多くのひとたちが、夫よりも良子を信用するようになった。

 じゃじゃ馬をならすつもりが、逆にじゃじゃ馬が狂犬をならしてしまった。

 敬司は、信頼が自分より良子に集まるのを、気にくわないでいたが、それを壊すほどうつけ者ではない。組の切り盛りは良子がやったほうがいいと判断し、自分は組長という肩書きなどなかったかのように、好き勝手にやるようになった。

「浮気したら、すぐにバレんぞ」

 そんなことを言っていたものだが、その理由はなんてことはない。自分が無精子症だというだけだった。

 狂犬と恐れられているが、結局はその程度の器だったのかと、呆れたものだ。

 父親がヤクザの組長で、それを武器にちやほや好き勝手やってただけのお坊ちゃんでしかなかった。

 自分の存在がいなければ、組はとっくに潰れていただろう。

 そんな自負があった。

――あんたを、愛したことなんて一度もなかったよ。

 すべては狼谷会のためだ。

 良子を第二の母として敬愛する組員たちがいた。本物の家族に近い繋がり。大切な子どもたちだ。

 だからこそ最後まで、敬司の妻としての務めを果たしたかった。

 それも、これで終わった。

 ピクリともしない死体。

 敬司の顔はだらりと横を向いている。舌を吐き出し、頭は幾度となく刺した傷によって、つぶれかけていた。

 もう二度と、死体が甦ることもない。

 達成感はなかった。

 あるのは空しさ。

 やっと家族のもとにいけるというほっとした気持ち。

「終わったよ」

 島の顔を見上げた。彼は銃を良子に向けた。

「すまないねぇ」

 良子は目を瞑る。愛してもいない夫だ。それでも、自分は狼谷敬司の妻だ。共に死ぬ運命なのだ。

 カチリとハンマーを下ろす音がした。

 風のささやきのように、島が何かを呟いた。

 聞かなかったことにした。

 それが自分のためであり、彼のためである。

 銃声。脳を貫き、意識が真っ暗となった。

 夫である敬司に横たわり、良子は死んだ。


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