1・ヤクザというのは嫌な職業だ
工事音。
静穏とした高級住宅街を響かせていく。
二メートル以上の高さの瓦のせ塀が長々と続いていた。その隣を、三途の川を渡るようにゆっくりと歩いていく。
武家屋敷の門構え。黒々とした背広にサングラスをした、がたいの良い男が突っ立っている。足が揺れていて、呆けたように口を開いていた。小声でなにかを呟いている。
格好に合わせているわけじゃないだろうが、青黒い皮膚に、黒ずんだ血管が浮き出ている。生命観を感じられない気色の悪い色だ。
「よう」
男の顔がこっちを向いた。火を放つ。銃声は、工事音でかき消えた。周囲の住民がこの音を聞いたところで、工事のなにかとしか思わないはずだ。
脳天に銃弾を浴びた男は崩れ落ちた。散々鍛え抜いた格闘家並みの体格であろうと、たった一発で人生おしまい。あっけないものだ。血はなかった。一発即死ならそんなものなのかもしれない。俺が事務所でみた死体の山の、洪水のような血の量とはえらい違いだ。
人を殺した。初めての経験だ。
スクリーンに映る映画を観ているかのように、実感が沸かなかった。その代わり、姉と妹の顔が浮かんできた。人を殺した恐怖よりも、家族が人殺しとなった申し訳なさのほうが強かった。
だが、今は感慨にひたっている場合ではない。
懺悔は殺されたときや、刑務所のなかでいくらでもできる。こいつは見張りでしかない。テレビゲームでいうステージ1をクリアしたようなものだ。
本番はこれからだ。
俺が殺すべき相手は篠崎組の組長、篠崎黒龍なのだから。
死体の裏ポケットから鍵を取り出す。瓦葺の門を解錠し、ズボンと腹部の間に挟んだ拳銃に手をつけ、いつでも取り出せる用意をしながら、そっと篠崎の屋敷へ入っていった。
日本庭園が広がっていた。
松や椿が茂り、庭石で囲まれた小さな池は小さな鯉が数匹泳いでいる。その奥には茶室があった。
静かだ。
カコンと、ししおどしの音が聞こえてくる。コンパクターなどを盗んで、近所の公園で騒音を響かせていた工事音はすでに消えている。
石畳の小路の先に武家屋敷の玄関がある。何一つ物音がしない。人が出てくる気配もない。侵入者に気付いてないのか、それとも初めから分かっていて、内部で待機しているのか。
どっちだっていい。屋敷内にどれほどの数の敵がいるのかは知らないが、何人でもかかってこい。こっちは命を捨てる覚悟はできている。
必ずや、組の仲間を殺された復讐を果たし、妹の澄佳を助けてみせる。
ヤクザというのは嫌な職業だ。
パンチ。ボディーを食らった氏坂という男は前屈みになる。俺は、そいつの髪の毛を抜く勢いで頭を引っ張った。
「氏坂さん、借りた金は返さない。返さなければ、おっかない人がやってくる。そんな常識分かっているでしょ? まさか、ドラマの中の世界でしか起こらないと思ってたとかないでしょうね?」
「け……けいさつを……」
「呼んでどうするんです? たしかに私たちはやばくなりますよ。違法に金を貸しているんだから。でも、氏坂さんだってヤバイのは同じではないですか? ヤバイことやって、金を借りたんでしょ? ヤバイ、ヤバイ」
黙る。氏坂の身体が震えている。顔はこっちを向いているが、目線を合わそうとはしなかった。感情を殺して淡々と喋っていく俺が怖いのだろう。いい気分はしない。だが相手を怖がらせるのが俺の仕事だ。優しくしたらヤクザはやってられない。奴がしょんべんをちびらないことを祈りながら、俺は言葉を続ける。
「氏坂さん。けっこう良い服着てますよね? それ、ブランド品じゃないですか? 売れば金になるでしょ。古着屋で300円、フリーマーケットで1000円ってところでしょうか。それっぽっちでも、返せるなら返したほうがいいですよ。さっさと脱げやっ!」
俺は、氏坂が着ている水色のアロハシャツを強引に脱がす。その下のランニングシャツも脱がして、上半身を裸にした。テレビと食うことしか娯楽がないことを証明するようなぶよぶよとした肥満体だった。
「もう少し待ってくれ、もう少し!」
「もう少しっていつですか? 前も同じことをいってたんですよね? それで優しく待ってあげても、ぜんぜん返そうとしないから、私のようなおっかないお兄さんがやってきたんですよ? 分かってますか?」
「分かっている。仕事がないんだ。この不景気だ。どこ探しても見つからなくて、仕事を手に入れさえすれば、すぐに払う。だから、それまで待ってくれ」
「そっちの都合は知りませんよ」ピシパシ、左右交互に奴の頬を叩いていく。「仕事失ったのは自分のせいでしょ? ギャンプルにのめり込み、会社の金に手をつけてクビになったと聞きましたよ? 逮捕されないだけラッキーと思ったほうがいいじゃないですか。運の良かった氏坂さんは、借金を払う運だって持っているでしょ? さあ払ってください」
「ないものはないんだ! それを払えだなんてどうすればいいんだ!」
「そんなの自分で考えるんだよ。私に相談するなら、返す方法は一つしかありませんよ」
「な、なんだそれは?」
「息子さんがいるじゃないですか。売ったらどうです?」
「まだ10歳だぞ!」
「そういうのを好む輩がいるのはご存じでしょう?」
氏坂の髪を持ち上げた。頭突きするように顔を近づける。
「チャラにしますよ。どうです?」
「断る」
「良かった。少しでも迷ったり、イエスと言ったなら、あんたを半殺しにするところだった」
掴んでいた髪を離す。尻餅をついた。足がガクガクして立てなくなったようだ。
「また来るわ。そのときまで金を用意しといてくださいよ」
背中を向けると、ホッとした息が聞こえてきた。金はあるのだろう。血を出すほどの暴力を振るえば出しただろう。だが、それは生活費だ。取り上げれば食うことや、子を養うことができなくなる。最悪、無理心中を図る可能性だってある。そこまで追い詰めたら、こっちのダメージだって大きい。
義理と人情とやせ我慢。
俺の好きな言葉だ。氏坂さんの子供への愛情に免じて、今回は引き上げることにした。
引き戸の玄関のドアを開くと、サッカーボールが飛んできた。顔面に当たった。ボールが地面に落ちると、小学生の子供が俺のことを睨んでいた。
ズキズキする鼻の痛みを我慢し、子供の前に向かった。
「坊主、俺が憎いか?」
何も言わない。
「子供であるおまえは、大人にとって無力な存在だ。父親がボコボコになっているのを見て、あんたどう思った? 俺を倒したくなったか? じゃあ、倒してみろ」
子供はパンチする。手の平に当たった。痛くなかった。二度目のパンチ。それも手の平。痛みなど、チクリとしたものだ。
軽く蹴りを入れた。子供の顔に当たり、あっけなく倒れていった。
「これが子供と大人の差だ。いくら挑んだところで、勝つことができない。弱い自分が悔しいか?」
子供が立ち上がる。肘がすりむいて血が出ていた。泣きべそをかいている。それでも泣きじゃくりたい感情を我慢して、俺のことを睨み付ける。
――鏡明はあたしが守る!
「いい顔だ」
似ている。小さい頃の俺に。
子供である無力さになにもできなかった。それが悔しくて、悔しくて、ならなかった。
どんな理由かは覚えてない。将来、人の道を外した職業につくほどの、強烈な過去があったはずだ。なのに記憶からすっぽり抜け落ちている。
覚えているのは、姉の背中だ。
露出の高い派手なコスチュームを着て、弱い存在である俺のことを守っていた。
守る? なぜ俺は姉に守られていた。姉はなにと戦っていたというんだ。分からない。思い出そうとすればするほど、忘却の霧が濃くなっていく。ただ、イメージとしておぼろと浮かんでくるだけだった。
「耐えろ。今のおまえは非力だ。あんな父親だろうと、養ってもらうしかないんだ。だから、どんなにクズでも守ってやれ。なにもできなくてもな。そして親父を超えろ。決して、親父のようになるな。坊主の今の悔しい感情をバネにすれば、成長したとき力となって返ってくるはずだ。それすりゃ、あんたは相当の男になっている。そのときに、挑みたければ、挑んでこい。いつでも相手してやる」
俺は歩き出す。子供の目から、二、三、涙が流れているのが確認できた。
ほんと、小さい頃の俺そっくりだ。
「だがな、どんなに強くなったところで、勝てない奴には勝てないことも知ったほうがいいぜ」
姉の背中は俺には遠すぎる。
いくら強くなっても、勝てそうにない。超えることができない大きな壁だ。
軽く笑った。一体俺は、姉のことをなんだと思っているのだろう。
自分でも分からなかった。
姉を思ったのは第六感が働いたからだろうか。
事務所に向かう途中、携帯が振動した。組の兄弟だろうと発信者を確認せずに出てみたら、懐かしい声が聞こえてきた。
「あんた澄佳をどこやったわけ!」
三年ぶりに聞くおっかない女の怒鳴り声。懐かしさに、笑みがこぼれていく。
「姉貴、久しぶりだな。元気してたか?」
「うっさい、うちにはヤクザになった弟なんかいません、べーっ!」
相変わらずだ。
三年前どころか、昔から何も変わっていない。だが、懐かしんでもいられない。絶縁中の弟に電話をかけてきたんだ。なにか非常事態が起きたのだろう。
「澄佳がどうした?」
「どこやったのよ! 返しなさい!」
「話が見えない」
澄佳は、十歳離れた妹だ。
「澄佳は、三年前に会ったっきりだ」
「嘘つくな。あんたたち、仲良かったもんね! 頻繁に会っているのは知っているのよ!」
姉との縁は切れても、澄佳は俺を捨てなかった。内緒で、月に二回ほど連絡を取り合っている。「お姉ちゃんにはバレてない」と澄佳は自信満々に言っていたが、姉は気付いていながら、黙認していたのだろう。
「澄佳、いなくなったのか?」
笑い事じゃなさそうだ。
「しらばっくれないで!」
必死なのは分かるが、きゃんきゃん叫ぶから耳が痛くなってくる。
「本当に知らない。最後に会ったのは二週間前だ」
「メールは?」
「してない」
「だから、嘘つくな」
「本当だ。手紙ならやっている」
メールだと見られる可能性があるから、手紙でやりとりしていた。澄佳が中学生となり、寮生活をするようになっても、手紙の方が味わいがあるから、変えることはしなかった。妹との文通は俺の楽しみだ。お守りのように持ち歩いているし、ボロボロになるまで読んでいる。
「最後に来たのは?」
何日だったかと、空を見上げながら考える。
「五日前だったかな? 大したことは書かれてないぞ。前に会ったお礼があって、お姉貴や友達の美桜ちゃんのこととか、ああ、好きな男についても書かれてあったな」
「ふーん、そいつのこと話してたんだ」
澄佳の好きな男がいるのは、姉も知っているようだ。
「名は知らない。気になる男がいるから、告白しようか迷っている、ぐらいしか書かれてなかった。まさか、そいつと駆け落ちしたんじゃないだろうな?」
「それはないわ。樋村は今日学校に来ていたし」確認済みのようだ。「もしそうなら、とっくにぶっ殺してるわよ」
「そのときは俺にも協力させてくれ。澄佳は、いついなくなった?」
「昨日。あんた本当に、なにも知らないわけ?」
「俺のところにいるなら、真っ先に姉貴に連絡してるさ。心配させたくないからな」
「ヤクザの癖にお優しいことで」
「家族には優しいのさ」
「あんたなんか赤の他人よ」
「姉貴、愛してるぜ」
「死ね」
俺は笑った。
「それで、澄佳がいなくなったのは?」
「夕方5時ぐらい。私が、陸上部の活動を終えてから、黒魔術研究室に行ったときね。迎えにいったら、澄佳と小麦の姿がなかったの」
「小麦? 友達も一緒なのか?」
「そうよ、小麦美桜って子なんだけどね。部室に鞄を残したまま、どこにもいなくなっちゃったの」
「誘拐?」
「分からない。でも、澄佳は黙ってどっかに行く子じゃないし」
「小麦美桜ちゃんの方は?」
少し間があった。
「黙っていく子ね。担任だけど、あの子のことは良く分からないの。私に敵意剥き出しだし、いつも挑発してくるのよね。澄佳にはべったべたなくせに」
「彼女が連れて行ったという可能性はありそうだな」
それなら、見知らぬ男にさらわれたよりかはマシだ。
「なんのため?」
「俺が分かるかよ。美桜ちゃんについては、手紙でしか知らない。澄佳がいなくなったのだって、たった今知ったんだ」
「ヤクザのくせに役立たずね」
「ヤクザは探偵じゃないんでね」
バイバイと、電話を切ろうとしたので、俺は止めた。
「俺も手伝う。断ると言っても、手伝うからな。縁が切れようが、家族であるのは代わりない。俺だって、澄佳のことが心配だ」
電話口から声が聞こえなくなった。微かに息が聞こえる。切れたわけではなかった。
「どうした?」
「鏡明」
姉が俺の名を呼んだのは久しぶりだ。
「どうした姉ちゃん?」
だから俺も、子供の頃のように姉ちゃんと呼んだ。
「元気してた?」
「さっきまではな。今は澄佳のことが心配で、元気とはいえない。でも、なんとか生きているよ」
「……あたしを心配させないで」
「ごめん」
「なんでヤクザになんかなったのよバカ」
電話が切れた。バカと言ったときの姉貴は、泣き声だった。
「ごめん」
聞こえてない送話口に向けて、もう一度謝った。
――鏡明はあたしが守る!
再び、記憶のなかの姉貴が浮かび上がってくる。
十四歳。
澄佳と同じ年のころの姉だ。炎のように真っ赤な髪に、肌の露出の多い白と黒のドレスを着て、手にはナイフのような武器を握っていた。
姉が、髪を赤く染めて、派手なコスチュームを着て、凶器を振り回すという、気の狂ったことをしたことがあっただろうか? ないはずだ。なのに姉と連想すれば、いつもその光景が浮かんでくる。
――鏡明はあたしが守る!
真っ先に浮かぶのが、姉の顔ではなく背中だった。それは俺が、姉の前でも横でもなく、いつも後ろにいて、守られた存在であったからだろう。
不思議なものだ。
いくら考えても、俺はなにから守られてたのかさっぱり分からない。
血のにおいがした。
事務所のあるビル内。三十年以上前の昭和時代に建てられた五階建てのオンボロビルだ。狭い通路を通っていき、階段を一歩踏もうとして、異臭に足を止めた。
昼間だろうと闇に覆われたコンクリートの階段。あちこちが欠けていて、中の鉄筋が見えていた。照明のスイッチを入れてみるが、反応がない。何度も繰り返しても同じだ。停電のようだ。
事務所にいるはずの兄貴分に電話を入れてみる。上からスターウォーズのテーマが聞こえてきた。アニキの着信音だ。出る気配はない。三十秒経ってもスターウォーズが鳴り続けている。
「アニキ、いるんですか?」
返事はなかった。電話を切った。音楽が止んだ。人の声も物音もしない。シーンとするなか、建物の向こうの車の走行音が別世界のように聞こえてくる。
妹が行方不明になったのと関連があるのかは分からないが、嫌な予感しかしなかった。
警戒心を強めながら階段を慎重に登っていく。上がるにつれ、臭いが強まっていった。踊り場を踏むと、ぬめっとした何かが足に付着した。
どす黒い赤。血だった。血の水たまりができていた。
その上の階段で、人が眠っていた。体中が、血でべっとりと濡れている。頭が割られ、中の脳みそが空っぽになっていて、その一部が下に落ちていた。右足がなかった。体のあちこちに、かじられた跡があった。ネズミかなんかの小動物じゃない。トラかハイエナのような猛獣に食われたかのようだ。
血と肉でミキサーされたように顔がグジャグジャになっているので、死体が誰なのか分からない。体格から男だと分かるぐらいだ。髪の毛があるので、組長でないのは確かだ。
右足を失いながらも、逃げるべく階段を駆け下りようとした最中に殺されたのだろう。片方の手が前に延びていた。その手に小指がなかった。小指を切っているのは一人しかいない。
桜井さんだ。
だが、右足と同じく、犯人がやったものかもしれない。
スプラッター映画の殺され役のようなムゴい死体だ。じっくりと調べて、桜井さんだと確認する度胸は、俺にはなかった。
耐えきれずに、胃の中に入っていたのを吐き出した。
入り口前でこれだ。事務所の中がどうなっているのか、想像したくない。先に警察を呼んだほうが良さそうだ。外に出て、新鮮な空気を吸いながら電話をかけるとしよう。
一発の銃声が響いた。
事務所からだ。生きている奴がいる。逡巡したが、階段を上がることにした。死体を踏まないようにしながら、ゆっくりと上がっていく。
二階。事務所のドアはなかった。ミサイルで飛ばされたかのように、二メートル先に落ちている。その上には観葉植物が倒れ、中の土が散乱している。
テーブル、ソファー、額縁、その他色々、ぶっ倒れてないものはないと言ってもいい。それらに、人間の肉が飛び散り、血の赤で染まっている。
地獄絵図だ。
バラバラになった死体がそこら中に落ちている。何人だ? 三人、四人。あるいはそれ以上。事務所の仲間全員なのか。散らばっていて、正確の数を確認できない。詳しく調べようとしたら、また嘔吐してしまいそうだ。
殺されたのは組の仲間、兄弟分だということは分かる。
組長のおやっさんもいるのだろうか?
ハゲ頭を探せばいいのだから、そういう意味ではあの頭は目印になってありがたい。
逆向きになった机の脚に、男の顔が刺さっていた。恐怖の表情。頭に穴ができていた。階段にいた死体と同じく、脳みそは空だ。
弟分。俺を「兄貴」と呼んでいた秀造だ。
就職難だからと、半年前にヤクザの世界に入ってきたばかりの新米。いつもヘラヘラと笑っていた。
「おまえ、俺の事を尊敬していると言いながら、内心では見下しているだろ?」
そのことを指摘したら、
「そんなことないっスよ。そういう風に見えるだけっス。オレ、人から小馬鹿にしているように見えるらしくて、それで嫌われちゃうんです。損な顔してるだけで、本当に裏なんてないんスよ」
そうは見えないヘラヘラした顔で言っていた。
「おまえみたいなやつが、裏であれこれ糸を引いて、出世するんだよ」
そう言ったものだが、死体から、
「やっぱオレ、ザコ止まりです。兄貴のようになれなかったっス」
との声が聞こえてきそうだった。
「すまなかった」
見開いたままの秀造の目を閉ざした。
最悪だ。
うちの組になにが起きた。誰が殺した。そもそも、どうやって? どうすればこのような惨劇が起きるんだ。
そして、あの銃声はどこから聞こえてきた?
耳を澄ます。吐き気が込み上げてくる異臭がするぐらいで、物音は聞こえない。コト。いや、した。何かが置かれる音だ。
事務所の奥の、組長室からだ。物が落ちただけかもしれない。兄弟分を殺した犯人が中に潜んでいるのかもしれない。
それとも生存者が……。
武器として、床に落ちていた、血で濡れたナイフを取った。
忍び足で組長室へと歩いていった。
自慢の頭が光っていた。おやっさんは、アンティークな焦げ茶の両袖デスクに、上半身を寄りかかり、両足を伸ばして床に座っている。
荒い呼吸。目が動いている。
生きていた。
俺が入るなり、猟銃をこちらに向ける。反対側の手にはリボルバーがあった。
「なんだ……おめぇか。帰ってきたなら、声かけろや」
ほっとするが、猟銃は向けたままだ。
「おやっさん」
「近寄る……んじゃねぇ」
銃口を上げ、俺の顔に狙いを定める。
「俺の前に来るな」
「怪我してるじゃないですか」
右足が血で濡れていた。
「手遅れな……んだ」
「治療をします」
「無理だ……俺に近付くんじゃねぇ、絶対に……絶対に来るな!」
叫ぶと同時に咳をする。血を吐き出した。呼吸を繰り返し、落ち着いたら、後頭部を机に寄りかかる。
「そろそろ…だな」天井をむいてそう呟くと、目がこちらを向いた。「おまえはどうだ? 怪我はしてないか?」
「いえ、俺が来たときは……」
「動いている奴は……いたか?」
「いませんでした」
「そうか……おまえだけでも無事で……良かったと言うべきか」
「いいわけありません。かたきを討ちます。誰がやったんです?」
「俺だ」
「え?」
「俺が殺したんだ」
「なにを言っているんです?」
答えずに、目をつぶる。思い出したくない光景が浮かんでくるのか、苦悶の表情をする。
「篠崎のやろう」
「篠崎? 篠崎組がやったんですか?」
「奴からの……プレゼントだ」
「プレゼント? 一体なにが?」
「隣を……見ろ」
俺の隣。おやっさんの真っ正面に、死体があった。身体のパーツはくっついていたが、頭の半分は吹き飛んでいる。俺が聞いた銃声は、奴を撃った時のものだろう。
「おやっさんが犯人をやっつけたんですね。こいつは一体?」
「よしむ……らだ」
「吉村さん?」
俺の兄貴分。たしかに、細長いアゴに無精髭は吉村さんだ。
「まさか、彼が襲ったとでもいうんですか?」
「半分正解だ」
「半分?」
「赤沢、向こうにある、し……死体を見たか?」
「ええ、食われたようにバラバラになっていて」
「その通りだ。俺の可愛い、ガキどもをな……バラバラにちぎって……食った。それを……人間がやったと思うか?」
「思えません」
「そういうことだ。人間じゃ……ねぇ」
「モンスター?」
「そうだな。友好の証として、うちの組にモンスターを……プレゼントしてきた。金と一緒にな。おかしいと思ったぜ。だが……金に……目がくらんだ。バカだった……あれは科学じゃねぇ、悪魔が作るものだ」
「吉村さんは、篠崎組がプレゼントしたモンスターに取り憑かれたのですか?」
「そうじゃねぇ……奴に噛まれた奴は、同じようになっちまうんだよ」
「同じ?」
「そうだ。モンスターになって、仲間を襲う……。俺も……なりかけている、噛まれたからな……もう、そろそろだ……俺は人間じゃなくなっちまう……」
おやっさんはリボルバーを、自分のこめかみに当てる。
「おやっさん、なにを!」
「アドバ……イスだ……奴を殺すときは、の…脳みそを……狙え。そ……そこが……奴の弱点……迷わず……撃て」
「いけない!」
駆け寄る。銃声。銃弾が俺の横をスレスレに通っていき、壁に穴をあけた。
足を止めると、おやっさんは再び自分に銃を向ける。
「篠崎黒龍の屋敷だ。そうだ……おめぇの妹をくろさ……」
「妹? 澄佳ですか? 澄佳がなんですっ!」
銃口が光った。
おやっさんはこめかみに穴を開け、ゆっくりと床に倒れていった。
「姉貴。澄佳の居所が分かった。俺のせいだ。澄佳は俺が必ず助けるから、安心しろ」
「ちょっと、あんたどういうわけ!」
「すまない」
携帯電話を切った。直ぐに電話が鳴った。俺は電源を切った。
なぜ、おやっさんは自殺したのか?
なぜ、澄佳が篠崎組の組長の家にいるのか?
なぜ、そのことをおやっさんが知っていたのか?
なぜ、篠崎組はうちの組を虐殺したのか。
それをした、モンスターとはなんなのか?
謎だらけだ。
だからと悩んだり、推理して結論を見付ける暇なぞなかった。
当たって砕けろだ。
この俺の行動が、どっかの黒幕の駒として動かされているとしてもだ。
――鏡明はあたしが守る!
あいにくだがな、姉貴。あんたの出番はないぜ。
俺はヤクザだ。守られる必要なんてない。ひとりでやりぬいてみせる。
必ずや、組の仲間を殺された復讐を果たし、妹の澄佳を助けてみせる。




