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9・長い夜になりそうだ


「三田村さん、ご苦労さま」

 煙草を付けようとした所だった。初老の男は、響歌さんに気付くと、その一本を箱の中に戻して、Yシャツの胸ポケットにしまった。

 制服や防護服を着た人が溢れる中で、ラフな格好をした場違いな男だった。着用が義務づけられているマスクもしていない。なのに現場の前線に立ち、指揮を取っている。

「ええっ! もしかして、三田村さんっ! うわっ、懐かしい!」

 姉の知り合いのようだ。意外な人物と出会って目を大きくしている。

「ほう」姉を見て、感嘆の声をあげる。「菜穂香ちゃんか。暫く見ないうちに、お美しくなられたものだ」

「あはは、性格のほうは変わってないって、よく言われるんだけどね」

「そこの君は……」

 俺のことを見る。

「ふむ」

 意味ありげに白の交じった無精髭を撫でた。穏和だが、鋭い目つき。全てを見透かそうとするかのようだ。それでいて、こちらからは表情を読み取れない。

 カタギじゃない。ヤクザに近いにおいがする。

「なんですか?」

「鏡明くん、大きくなったな」

「俺のこと、知っているんですか?」

「ああ」

 頷くだけで、それ以上はなにも言わなかった。

 よれよれのYシャツ、紺のストライプのネクタイは曲がっていて、裾上げをしていないズボンが地面に付いている。急な呼び出しがかかり、そこらにあった衣類を慌てて着たような、だらしのない格好だが、不思議と様になっていた。

「青井司令官、やっと交代してくれるのですね。私には向かない仕事で、ほどほど困りましたよ」

 口はそういうが、顔は落ち着いていた。

「いつものように、名前で呼んでください」

「それはできません。ボスは貴女なんです。なのに、私のような下っ端にやらすとは人が悪い。中にはかつての仲間がおりましてね、驚かせてしまいましたよ」

「どこの馬の骨だか知れない若い女が指揮するよりも、三田村さんのようなベテランで、貫禄のある方のほうが、現場が引き締まります」

「老いぼれよりも、美しい花のほうが、士気があがりますよ。青井司令官はリーダーの素質があります。前に立つべきです。あなたは、もっと自信をもっていい」

「ありがとう、お世辞でも嬉しいです」

「私がお世辞をいう玉でないのは、分かっているでしょうに」

「だとしてもお世辞と受け取っておきます」

 微笑を浮かべる。謙遜というより、表舞台に立つのを至極避けている様子だった。微笑の中には、それができないことへの諦めも含まれていた。

「三田村さん、ご苦労さまでした。ここからは私が指揮をとります」

「それは助かる。お役御免の私は家に帰ってあたたかいベッドで眠って、というわけにはいかないようですな」

「ええ、新しい任務が待っています」俺と美桜を見る。俺たちの護衛。それが三田村さんの新しい務めだった。「その前に、報告をお願いできますか?」

「了解。被害者の数は、大雑把にですが、少なく見て五百以上。多くても千はいってない、といった所でしょうか。ゾンビの駆除とウィルス感染の拡大を防ぐのが優先ですので、正確な被害は把握できておりません」

 予想以上の数だった。

 胸が痛む。コテンパーンを結界の外に出し、イッヤーソンを化け物にしてしまった俺の責任だ。姉のような圧倒的な力があったら、被害を出すことはなかったはずだ。無力な自分が悔しかった。

「鏡明くんの所為じゃないわ。どちらかといえば、闇世界の魔物の侵入を許した、私たちの責任よ」

 顔に出ていたようだ。響歌さんが、俺の肩に手を置いた。俺はその手に触れた。それぐらいのサービスなら許されるだろう。

 落ち込む俺を、響歌さんが良く慰めてくれたものだった。響歌さんの優しさに調子に乗って、胸の谷間に顔を埋めたりとセクハラをし、極上の幸せを堪能していたところを、姉に半殺しにされる、というパターンがお約束だった。

 響歌さんもそのときを思い出したようだ。「相変わらずね」とクスっと笑い、俺の手をマッサージしてくれる。

「さらに言えば、ザル警備にしてしまった政府の所為でしょ」と美桜は言った。「責任なんて感じる必要ないわよ」

「「あんたは感じろ」」

 俺と姉は、同時に突っ込んだ。

「この付近のゾンビは全滅したようです」三田村さんは報告を続ける。「建物内をくまなく探させていますが、今のところ発見の報告は入っておりません」

「暴力団を襲ったゾンビたちはどうですか?」

 黙っている。

「三田村さん?」

「そちらも全滅、と言いたいところですが、嫌な予感がします」

 頭を掻いている。

「大変なことでも?」

「あったなら、急いで報告していますよ。指示の通り、ゾンビは全て焼却処理しています。なんも問題のないはずなんですが……」

「刑事の勘が働いた?」

「元を付けてくれると、ありがたい」

 この人は刑事なのか。どうりでヤクザに似た空気を持っているわけだ。

「死体の数がどうも合わない。行方不明者がいるようなんです」

「ヤクザの中に?」俺は聞いた。

「そう。バラバラにされたり、原形がなかったりと、判別不可能な状態の死体が大半ですし、詳しく調べていたら、こちらもゾンビウィルスに感染する恐れがあります。現に、鑑識の者が被害にあっている。更なる伝播を防ぐためにも迅速に焼却処理をしてますので、被害者の身元はろくに確認できていません。それでも、数が合わない」

「何人、足りないの?」

「十を超えているかと」

 かなり多い。だからこそ、違和感に気付くことができた。

「なるほど、それは気になるわね」

 俺の手を離して、考える仕草をする。

「その勘は正しいかもね」美桜が言った。「イッヤーソンの目的は、優秀な部下を作ることだもの。やみくもに人間たちをゾンビにして、この世界を荒らしているわけじゃない。行方不明になったゾンビは、イッヤーソンのテストに合格した奴ら。そういう奴を、イッヤーソンはテレパシーで指示をして、ある場所へと連れて行っているでしょうね」

「その場所はどこだ?」

「教えなさい。今すぐ、たたきつぶすわ」

「そこで答えたら、私はイッヤーソンの仲間で、罠をしかけていると疑ったほうがいいわ」

「仲間なんでしょ?」と姉が皮肉った。

「あれの仲間になるぐらいなら、ヤクザの嫁入りしたほうがマシだわ」

「俺の子猫ちゃん。新婚旅行はどこがいい?」

 侮蔑たっぷりの、冷たい目線が返ってきた。

「やれやれ」三田村さんは肩をすくめる。「そちらも調べなきゃなりませんな」

「三田村さん、お願いします」

「長い夜になりそうだ」

 彼は顔を上げた。暗澹とした曇り空の下を、二機のヘリコプターが飛んでいた。


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