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母は私とユリに対してロクなことをしてこなかった。物心ついた頃から毎日のように繰り返された暴力、暴力、ヴァイオレンス、ヴァイオレンス。私たちが何か母の気に障る事をすれば殴られるのは当たり前。機嫌が悪い時に喋りかけるとそれだけで殴られたし、それに母は自分の部屋に入られることを極度に嫌がったから、部屋にいる母を呼ぼうと思って扉を開けただけで殴り飛ばされた。私とユリにとって母は理不尽の代名詞みたいなものだった。って言うかむしろ「理不尽」が母を表す為の言葉みたいな。ヴァイオレンスとセックスと理不尽、それが母の全て。「理不尽」だけ日本語なのは英語で何て言えばいいのか分からないからとかそんなわけ無いだろバカ野郎。
私とユリがそんなサイテーでサイアクなクソババァのことを恨むのは至極当然なわけで、むしろ恨む義務があると言っても過言では無いって感じなわけで、だからユリがあまり母のことを罵ったりしないのが私は気にいらなかった。
今考えればユリは暴力や暴言なんかを好まなかったから、そんな罵詈雑言を吐いたりするわけも無かったのだけれど、私は真性のバカだからその時はそこまで頭が回らなくて、ただ単純に「ユリはあのクソババァを憎むべきだ」と憤っていた。
だから、ユリが壊れてしまう数日前も、私はユリに対してノートの切れ端を押しつけて、そこに「クソババァ死ね」と書くのを強要した。
「あいつのこと憎んでるなら書けるだろ?」
けれどあの日、私にペンとメモを押しつけられながらユリは「嫌」と拒んだ。私はユリがあのクソババァに対する呪詛を書くことを拒否する理由が分からなくて、さらに苛立った。
「何で書けないのさ。」
強い口調で問い掛けたけれど、ユリは理由も言わずにただ天井を見上げる。その態度を見ていると画面の右下辺りに表示されるイライラゲージがどんどん溜まってマックスを突破して、私は耐えきれずにユリの肩に掴んで詰め寄った。
「だから何が嫌なのか聞いてんだよ!」
「……だって、どんなに酷い人でも、お母さんはお母さんだから。」
「あんなクソババァ、お母さんでも何でもねえよ!」
叫ぶ私と対照的に、ユリは落ち着いた様子で私の目を見つめていた。その濁りの無い目にハッとする。私なんかよりもユリはいつだって綺麗だった。そしていつでも正しかった。
「キリも心の底では分かってるんでしょう。」
静かな声で諭すように呟くユリ。
「どれだけ憎んでいても、お母さんはお母さんなんだって。死ねって言ってても、きっとキリはお母さんのこと殺したりは出来無い。」
「そんなこと無い。あんなクソババァ、何回でも殺してやる。」
あんな奴、いなくなってしまえば私たちは今の数百倍幸せに生きて行けるんだから。憎しみを込めて拳を握ると、手のひらに血が滲んだ。爪、切っとけばよかった、なんて思いながらユリの方を見ると、ユリはいつの間にかメモの切れ端に呪詛を書き始めていた。
「……結局書くのかよ。」
「殺したいとは思わないけれど、実際私はあの人のことを憎んでいるから。」
そう答えるユリの声は、温和な彼女には珍しく、憎しみが滲みだすような響きだった。そして文字を書く彼女の手には酷く力が籠っていて、その憎しみの深さが窺えた。
それから間も無く彼女は純潔を失うのと同時に心を破壊されて、生ける屌となった。アニメイト・デッド。誰もが持つ生への執着をも失ったユリは、もうすでに人間では無かった。ただ生命活動を行っているだけの死体。何にも関心を持たず、何にも感動せず、何にも傷つかず。何もしようとしなかった。
そして彼女は拒食症になった。華奢とかそんな甘ったれたレベルじゃ無くてバカみたいに死にかけの身体。触っただけで折れてしまいそうな。そんな身体でユリは最後までエンコーをやっていた。と言うかやらされていた。男に抱かれ、好き勝手に身体を触られて。既に彼女の身体は性的な魅力を感じさせるようなモノでは無かったけれど、それでも彼女そのものが生まれつき備えていた溢れ出る魅力は男どもを狂わせた。
そうやって彼女が体を売って稼いだお金が彼女自身のモノになることは無かった。全て、あのクソババァが握り締めて奪って行ったのだ。でも、ユリは何も言わなかった。きっと、何も感じてすらいなかったのだ。ユリにとって、自分の身体がどうなろうと自分の稼いだお金がどうなろうと、きっと興味の無いことだったに違いない。
そんな日々が続いて、遂に今から一年程前のある日、売春行為が学校に発覚した。母親は、しらばっくれた。私は知らない、この子が勝手にやってただけ、と。そしてユリは何も言わなかった。何を聞かれても何も言わなかった。バカじゃ無いだろうか、と思った。何で母親みたいなクソババァを庇ったんだよって。今考えれば庇ったわけじゃ無くてどうでもよかっただけなんだろうけど。
そんなアパシーだらけの姉であるユリは、しかしその翌日突然死んだ。大体分かるとは思うけど、自殺だった。ナイフで頸動脈を切り裂いて、即死。全ては夜の間に終わっていた。朝私が目を覚ましたら濃厚な血の匂いが鼻の中に飛び込んできて、身体を起こすと絨毯の上に横たわるユリの姿が目に飛び込んできた。絨毯を染めるユリの血。そうして私のユリは行ってしまったのだ、あの空の向こうへ。
机の上には遺書のようなモノが置かれていて、それは私がユリに「クソババァ死ね」と書かせたノートの切れ端だった。その切れ端にはぎっしりと「クソババァ死ね」の文字列が連ねられていて、その上から赤い文字で、「こんな切れっぱしでわたしはわたしの崩壊を支えてきた」と書かれていた。何と言う本だったかは忘れたけど、前にユリが読んでいた本を覗きこんだ時に同じ文句が見えたのを覚えていて、私は「何だよユリ、引用とかカッコつけやがって」みたいなことをぼそぼそと呟きながら、心の中で「ああ私これからどうしたらいいんだろうなぁ」的なことを思っていた。私の人生はいつもユリと共にあったから。生まれた時には既にユリがこの世界にいて、私はユリのいない世界を生きたことが無かったから。って言うか何でこんな文句を引用したのか意味分かんねえ。こんな切れっぱしって、「クソババァ死ね」って書いたメモのこと?
まあとにかくユリは死んで私は生き残った。これからの人生どうなるんだろう的な心配も日々暮らしてく内にどんどん薄れて、意外と人間ってモノは色々忘れて余裕で生きていけるってことに気づいた。それでもやっぱり時々は辛くて、生きて行くのがしんどくて、そう言う時に私は血を抜く。




