第1話 プロローグ
――帝国歴342年 帝国グラムル自治領
帝国西部地域にあるグラムル自治領では、旧王族を担ぎ上げた反乱軍と鎮圧と王族の抹殺を狙った帝国軍との争いが激化していた。
しかし帝国中央陸軍から派遣された血筋だけの将校は、戦場を引っ搔き回し、現在も血が流れている七の戦場における六つの戦場で劣勢に追い込まれることに繋がっていた。
唯一帝国軍が劣勢に追い込まれていないグラムル自治領バクラム群。
ここも無能将校による指揮下に置かれ、何度も失策であろう戦略を押し付けられ、そのたびに反乱軍からの猛攻を受けていた。
しかしそれでも帝国軍が潰走せずにいられているのは、一人の英雄が戦場を駆け回っている他ならない。
「剣の錆になりたい者から、来るがいい!!」
戦地のど真ん中。
剣を掲げ、敵に吠えたのは、赤い鎧を着た一人の女性。
帝国領の中でも極めて人口の少ない田舎に生まれ、独学で帝国西部陸軍に合格。初陣で誉れ高き准剣聖章を受勲。その功績を以て、帝国貴族クレイン辺境伯の養子に入り、貴族令嬢としてグラムル自治領鎮圧作戦に参加している。
彼女の名はジャンヌ・クレイン。次期剣聖候補筆頭と呼ばれている剣豪だ。
「“戦場の薔薇”とはいえ、一人だけだ! 恐れず進めェ!!」
反乱軍の一部隊を指揮する男が、ジャンヌを前にして怖気付いている兵士たちを鼓舞し、命を散らしてでも敵を薙ぎ払うことを命令した。
無意識下で身体が震えていた兵士たちだが、隊長の鼓舞によって震えは止まり、突撃を再開した。
向かってくる数百の兵士。
そんな軍勢と相対するのは、ジャンヌ・クレインただ一人。
「戦場に花を咲かせよう!」
足並みの揃った反乱軍。
だが数が多いが故に、進む速度は極めて遅い。対するジャンヌは一人であるが故に自由度が高い。
あまりに遅い軍勢に待ちくたびれたジャンヌは、自ら一対多の戦場にその身を投じるため、駆け出した。
ジャンヌは駆けると同時に剣を構える。
彼女が持つ剣のリーチでは、到底軍勢まで届くはずがない。しかし軍勢は斬撃を浴び、地面に伏していた。
反乱軍の兵士たちは上半身と下半身が一生の別れを迎え、吹き出した血の雨は、大地に赤い花を咲かせている。
「一撃で兵士の大半が――」
後方にて指揮を執っていた指揮官は、あまりに規格外な力を前にして、絶句して動けずにいた。
その硬直は、後方に居ようと致命的な隙となる。
「ま、まっ――」
ジャンヌが指揮官の命乞いを聞き入れるはずもなく、その首は軽く刎ね飛ばされる。
指揮官の首級というのは、兵士にとって大きな功績になるのだが、彼女にとってそんな安い功績など必要ではなく、首を回収することなく陣地へと帰還した。
「大丈夫でしたか、ジャンヌ様!」
「様は止めてくれと何度言ったら分かってくれるんだ」
陣地へと帰還したジャンヌに駆け寄ってきたのは、徴兵令によって徴収された一般兵。
本来貴族令嬢で西部陸軍“中尉”のジャンヌと接触できるような立場の人間ではないが、戦場で最も位の高いジャンヌが風通し良い組織を求めたため、誰であろうとジャンヌと話すことを許可されていた。
「指揮官は斬ったから、攻勢は一時的に止まるだろうな」
「また下民と話しておられるのですか、ジャンヌ中尉」
「ハラークロ少尉、兵のことを下民というのは見過ごせません」
「失礼失礼。下民であろうと、差別は好かれないのでしたね」
ハラークロ少尉。
彼は帝国法衣貴族の家系に生まれた嫡男であり、元は帝国中央陸軍に所属していたが、とある失敗を犯したせいで帝国西部陸軍に左遷された元エリートだ。
しかし左遷されてもなお、中央での栄光を忘れることができず、貴族の生まれではないジャンヌを見下すことによって、自分の生まれを周囲に自慢し続けていた。
「そもそも市民のことを下民と呼ぶのは止めろ。これは上官である私の命令だ」
「失礼いたしました。これ以降、市民のことを下民と呼ぶのは止めましょう。ただ、私が上官になった暁には、貴女のことも下民と呼んであげましょう」
そう言い残して、ハラークロは一般兵のことを押しのけながら、父親から提供された奴隷兵の部隊へと帰って行った。
「よろしいのですか? あれは何か悪だくみをしていますよ」
「構わない。あのような小物が考えた悪だくみ程度で、戦場がひっくり返されるほど、戦場は甘くない」
「それもそうですね」
ジャンヌは驕っているわけでも、ハラークロを舐めているわけでもない。ただ自身が経験してきた戦場と、磨き上げた己の力を信頼しているだけだ。
しかし戦場は生モノ。
その場その場で適応していかなければ、呑み込まれてしまう。
「反乱軍の再侵攻が始まりました!」
「なに? 指揮官を討ったというのに、この短時間で再侵攻を仕掛けて来るのか……指揮官クラスが複数に配置されているのか……それともバラバラの軍を纏め上げられる英雄の資質を持つ者が居たのか……いや、考えている暇はないな」
ジャンヌは思考をまとめるため、ブツブツと口にしながら考えをまとめていった。
彼女の頭によぎったのは、初陣で准剣聖章を受勲する大活躍をした過去の自分の姿だ。だが関係ないと言わんばかりに頭を振り、腰に差してある剣を握る。
「私一人で出る。お前たちは、もし抜けた兵が居た際の援護だ」
「「「はっ!」」」
ジャンヌが配属されたばかりの頃は、この戦術に対して文句を垂れる兵士も多数いたが、彼女の常人離れした神業を前にしては、文句を垂れる兵士など一人も居なくなった。
再び駆け出したジャンヌは剣を抜き、向かってくる兵士に対して剣を振り抜こうとした。
「――っっっ」
しかし急に利き手である左腕から力が抜けてしまったため、剣を手放してしまう。
原因であろう肩に目をやると、そこには一本の矢が突き刺さっていた。矢じりに返しがあったため、無理矢理抜くしかなかったが、その際に違和感に気付く。
矢が刺さっていたのは背中側。
つまり自軍が居るところから放たれた矢ということだ。
「――ッ!?」
自分の立ち位置から大まかな発射地点を特定した結果、それはハラークロに率いられた奴隷部隊が布陣している小山であることが分かった。
直ぐにでも文句を言いに行きたい気分に駆られたが、彼女の置かれた状況がそれを許さない。
「敵兵を前にして、利き手を怪我した……ピンチと言えばピンチだが、この程度で私を倒せると思ったのであれば、見当違いも甚だしい」
ジャンヌの頭にはハラークロの姿が浮かぶが、直ぐに消し去る。
今の彼女には、ハラークロに対して割くリソースなど一ミリたりとも存在していない。
「一般兵未満の反乱軍には、右手で十分だ」
ジャンヌは右手で剣を拾い上げると、向かってくる反乱軍へと駆け抜けていった。
利き手ではない右手では、リーチ以上の斬撃を放つ特殊な力を使うことができないが、彼女の剣術は一級品。敵軍と肉薄したところで、己が剣術のみで切り伏せて行った。
「はぁはぁ」
戦場のど真ん中。
周囲には反乱軍たちの死体。
美しかった赤い髪も、赤い鎧も返り血によってドス黒く染まっている。
そんな姿で自陣に帰還したジャンヌ。
平時であれば恐怖される見た目だが、ここでは賛辞の対象であり、彼女を待っていたのは悲鳴ではなく、割れんばかりの拍手だ。
「……こんな姿でも褒められる世の中なのか」
「何か言われましたか?」
「……いや、何でもない」
彼女の中で何かが変わった。
このグラムル自治領攻防戦は、彼女が生きて来た17年の人生で作り上げた価値観を変える戦場だった。
彼女のことを深く知るために、時間は17年前へと巻き戻る。
戦争は勝者も敗者も失うものが大きい。




