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【短編小説】エリザベス女王杯のお前へ

掲載日:2025/12/16

 自爆丸ボーイが死んだと聞いたのは立川のWINSを出てからだった。

 エリザベス杯は散々な結果で、おれが買った馬連流しの投票券は八つ裂きにされて散華した。

「クソが、これで今月は塩振った白メシしか食えねぇ」

 または醤油かポン酢か選べるだけ幸せかも知れない、そう考えていた時だ。


 同級生には会いたくなかったが、葬式には行くことにした。

「素敵な靴だな」

 おれのラバーソールを見た素敵マユ毛が言った。

「お前に会いに行く訳じゃないからな」

 これがおれの正装だ。

 便所サンダルじゃないだけマシだろう。

 素敵マユ毛は「そりゃそうだ」と言って頷いた。ミトコンドリアよりは知性があって助かる。


 自爆丸ボーイの葬式の帰りのことだ。

 電車で引き出物のカタログを眺めていると、革の小銭入れに目が留まった。

 直感でこれにしようと思った。

 自爆丸ボーイの形見代わりにしたいわけじゃない。

 ただ何かの時に自爆丸ボーイを思い出すのであれば、これを選んで持つ意味はあるかも知れないと考えたからだ。


 自爆丸ボーイは、葬式の晩に一度だけ夢に出た。

 おれが選んだ小銭入れについては何も言わなかった。

 そしてそれ以降、自爆丸ボーイが夢に出てくる事は無かった。

 おれたちには積み重ねたものが少な過ぎる。だから仕方ない。


 おれは自爆丸ボーイの墓がどこにあるのかも知らない。

 馬鹿でカッコつけの同級生は「月命日には花を捧げに行く」などと言っていたが、その軽薄さに反吐が出る思いをした。

 その花も言葉も自爆丸ボーイの為にあるものじゃないからだろう。

 でも社会性なんてのはそう言うものかも知れない。

 おれには適当な嘘もつけない。

 だからおれには世界や世間、女のひとりも愛せない。


 おれもそろそろ死ぬしか無いんだろうか。

 それは自爆丸ボーイとは別の理由だ。奴は自殺なんかじゃない。

 事故だ。

 そっちはどうだ?

 おれは茶色い小銭入れをポケットに入れて生きているよ。



 今さらになって、自爆丸ボーイとは些細な事で良いから何かをしておくべきだったなと思うことがある。

 本当に些細な事でよい。

 ファミレスに行くとか。

 そうやって積み重ねた日々の先でもう夢にも出なくなって久しくなったその瞬間に、ようやく自爆丸ボーイはおれの中から成仏できたと言える気がする。

 後悔先に立たず。

 覆水盆に返らず。

 酒飲んで自爆丸ボーイ生き返らず。



 結局はおれが自爆丸ボーイを忘れられない限り奴は成仏できない。


 そういう意味で言うと祖父母なんてとっくに成仏している。

 おれは祖父母に懐かないイヤな孫だった。

 盆暮れに会って孝行した日々より、祖父母が呆けた事に対して憎しみを向けた期間の方が長い気すらする。

 実際に祖父母が死んだ時、その喪失は苦痛や悲哀とは言えなかった。

 むしろ何かからの解放ですらあった。

 何から解放されたと言うのか。

 それは無意識下にあった祖母の痒みであるとか、祖父の倦怠や孤独であるとかと同じように、おれが彼らに向けた感情の全てが終わったと言うことだろうか。

 分からないが、そのままにしておいた方が良いこともある。

 墓石の下に撒かれた遺骨と同じだ。

 そのままがいい。


 

 感情が鎖であり荷物であると言うのなら、おれは死んだ友人の喪失を革の小銭入れと言う形にして引き受けて、何かの拍子に思い出すその苦痛をも日常とすると決めたのだ。




 ファンファーレが鳴ると自爆丸ボーイを思い出す時がある。

 あの日、勝ち馬投票券の上に並んだモニターにはエリザベス女王杯と表示されていた。

 11月に聞くファンファーレは毎年いつも自爆丸ボーイを思い出させる。

 それは決まったことだ。

 ゲートが開き18頭の馬が一斉に飛び出す。

 そして自爆丸ボーイに対する僅かな思い出がレースに対する興奮で押し流されていく。


 ずいぶん昔、馬券で勝った金を持って自爆丸ボーイを無理やりステーキを奢った事があった。

 大袈裟におれを褒めて、それでも酷く気を使って断っていたが、最終的には遠慮がちにハンバーグを注文していた。



 迎え火の季節でもないが、おれはここでお前の事を思い出しているぜと煙草を少し掲げる。

 見えているか。

 毎日使っていても自爆丸ボーイを思い出さないことが増えた革の小銭入れを握りしめる。

 今日はステーキでも食いに行こう。

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