第八十八話 最適な結婚相手を私に
──気持ちというのは厄介だ。
自分自身のことだというのに完璧なコントロールなどできず、想定外な行動をとってしまう。
だから、これ以上育ってしまう前に。
手遅れになってしまう前に──
「結婚したいです、お兄様!」
ノックもせずバンッと大きな音を立てて兄の執務室へと飛び込むと、ちょうど一呼吸入れようとしていたのかカップを持っていた兄が思い切り紅茶を噴き出した。
「……エヴァ、結婚するのはまだ早い。私たち兄妹はまだ誰も結婚していないだろう」
「確かにそうですが、絶対年齢順じゃないといけない決まりはありませんよね?」
完全に私を諭そうと穏やかな笑みを向けた兄にそう言われるが、手に持ったままの兄のカップが大きく上下へ揺れて中身をビチャビチャと溢していることを考えると、どうやらとんでもなく動揺しているらしい。
(書類、大丈夫かしら)
執務室の机は兄が噴き出した紅茶と、今まさに溢れている紅茶で大変なことになっているのだろう。青い顔をした兄の側近が焦っているのを見て、申し訳なく思ったものの、これは私のとっての重要事項。引き下がれもせず、ひとまずソファへと腰かけた。
そんな私に合わせて兄も立ち上がり向かいのソファへと腰かける。チラリと執務机を見ると、これ以上の紅茶被害が出ないからか、少しだけ兄の側近が安堵した表情になるが──おそらく書類は手遅れだと思うので、あとでこっそりお詫びの差し入れをすることを誓った。
メイドがすかさず私たちの前にクッキーと、私の前だけに紅茶を置いてくれる。兄の前に飲み物が置かれなかったのは、きっとまだ飲む前にすべて無駄にすることが目に見えているからだろう。
「それで、エヴァ。けッ、結婚というのは? ま、まさかその、アイツと結婚したいとかそんな話じゃないだろうな!?」
「アイツ、ですか?」
(誰のことかしら)
兄の言っている相手がだれかわからず首を傾げながら尋ねる。心当たりがあるといえば、私を幽霊姫ではなく妖精姫だと勘違いして求婚してきたミック公爵令息くらいなものだが、護衛として同行していた兄の部下たちから、私とミック公爵令息が何の進展もしていないことは報告が入っていると思うので違うだろう。
先日王族として前に出たが、それも相手はエルフと聖女の前でのみ。相変わらず貴族たちには幽霊と揶揄され遠巻きにされている私には、他に婚約できそうな身分の釣り合ったそれらしい間柄の人はいない。が。
「オスキャル・スワルドンだ」
「あーーーー」
(そこか!)
ある意味当然の流れである相手の名前を言われ、私はガクリと項垂れた。
(そりゃそうよ、あんのおバカエルフのせいで私たちの気持ちはお兄様にも筒抜けよ!)
本当にあのヤロウ、いらんことしてくれたものである。
「……違います。オスキャルではありません」
「そ、そうか!? うむうむ、てっきりアイツを護衛から外したのは伯爵家へ戻すためかと思ったが」
「そもそも伯爵位では王族の結婚相手として不足です」
私がそうキッパリ言うと、兄が一瞬キョトンとした顔をする。それはそうだ、確かに王族の結婚相手に伯爵位は劣るものの、当然なしではない。王族へ嫁いでくるならばむしろ十分だし、今回は降嫁先だから不足なだけ。しかもオスキャルはソードマスターなのだ。その部分を足すと足りないどころか十分。十分だけれど──
(でも、それだと私に都合が良すぎるわ)
いつか国の為に自分の全てを犠牲にする覚悟で、それまでは遊ぶと決めたのは私。だからこそ幽霊姫なんて不名誉なあだ名を意気揚々と活かして今日までワガママ放題やってきたのだ。
それなのに、好きな人と結婚するなんて。
(私には許されないわ)
好きになってしまったこと自体が想定外だけど、それでも、好きになってしまった。
その人からも想いを貰った。
──そんな幸せ、家族から母を奪った私にあっていいはずないのだ。
私は、王族として国の為になんでも耐えるのだと決めて今日まできたのだから。
「オスキャルを護衛から外したのは……そういう理由じゃないんです。それよりお兄様、私の! 結婚相手の話です!」
半ば強制的に話を戻すと、少し怪訝な顔をしつつも頷いてくれる。私がこれ以上オスキャルの話をしたくないと察してくれたらしい。
(気持ちが露見した以上、もう一緒にいられないもの)
傷の舐めあいをオスキャルとするなんて絶対ごめんだ。彼には、誰よりも幸せになって欲しいのだから。
「第一条件は、国の為になる相手。あとできれば……魔力の有無を気にしない方だと嬉しいのです。私が一番ではなくて構わないので」
王族なのに魔力を持っていない私はそれだけで嫌悪される可能性がある。国同士の繋がりを強める意味で拒絶されることはないだろうが、嫁いだあとは冷遇されるかもしれない。
もちろん魔力なしで生まれたのだから、それくらいは覚悟しているが、それでもやはりあわよくば魔力が無くても受け入れると言ってくれる相手がいいというのは正直な本音だった。
(別に王妃になりたいわけでも第一夫人になりたいわけでもないし)
我がリンディ国は一夫一妻制だが、そうではない国もある。第二、第三夫人あたりなら魔力がなくても許されるのでは、という淡い期待をしていた私に兄から投げられたのは、予想外の言葉だった。
「……心当たりは、なくはない。情勢も落ち着いていて、しかも相手は第一王子だ」




