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メネルウァの商人


 メネルウァでは表通りに近い上級の宿にひとまず1週間分の部屋を取った。

 これで手持ちの現金は当面の生活費しか無くなったが、必要な事だ。


 浴室で旅の塵を落とし、身だしなみを整えていく。


 アリーチェは、エリスとアーテルの居たテルミナリアなる施設から、寝室に用意されていた化粧水と髪油……らしき物を拝借していた。

 これらは少しの量を薄く伸ばして塗るだけで汚れや余分な脂は綺麗さっぱりとどこかへ消えてしまい、髪は自在に整えられて、手を通せば毛先までさらりと梳ける。


「どうなってるんだろ、これ……?」


 メネルウァまでの道中でも使ってはいたのだが、こうして姿見を前に手入れをしていると訳のわからないほどの効能が際立つ。

 肌はわずかな染みの一つもなく瑞々しく潤い、毛髪はふわりと柔らかく光を照り返して背中まで流れ、頭部には薄い金色が天使の輪のごとく輝いている。


 アーテル曰く、特別な材料も使っておらず一月もすれば効能は消えるので、他人に譲渡せず自分で使うだけなら持ち出しても構わないとの事だったが、人によってはこれこそ魔法のようにありえない代物と感じられるのではないだろうか。


 一晩預けた乗馬服とブーツも、仕立て上げられたばかりのように直されて戻ってきていた。

 ドレスなどはウォルトゥナの屋敷から持ち出していなかったが、おそらく問題はないだろう。むしろこの踝までのズボンに紺色の上着の、男装に近いような服装の方が今からの行動にはふさわしいように思える。


 薄く化粧を乗せて香水を振り、何度か全体を確認しなおして満足すると、必要な手荷物を持って部屋を後にする。


「これをウォルトゥナの商館に届けておいてもらえる?」


 出がけに手紙を預け、宿を出た。







 メネルウァの表通りは、すなわち交易都市の動脈だ。

 天気は朝から快晴で、陽射しが照らす中を歩道は人で溢れ、石畳を馬車ががらがらと音を立ててひっきりなしに行きかい、名の知れた商会の大店や馬車工房が立ち並び、荷運びの声があちこちで響く。


 少し歩くと広場に出た。

 ちょうど週に二回の定期市の日で、隙間を争うように露店が並び屋台が立てられ、街の外から運ばれた野菜や穀物、家禽や燻製、布地に毛皮、金物に木工細工、骨董品や絵画まで、大雑把に区分けされて売られている。


「アルパ川で運ばれてきたばかりの新鮮な果実だ、どうだい!」

「今日取れたばかりの卵に搾りたてのミルクですよ!」

「古着いらんかね!破れもないし虫一匹ついちゃいない!古着いらんかね!」

「旧帝国時代の名工による石膏像だ!芸術を愛するメネルウァ市民なら見ないといけない!」

「鍋、釜、やかん、なんでも直すよ!針も釘もこしらえるよ!刃物の研ぎ直しもやってるよ!」

 こちらに一目向けさせずに済ますものかとばかりに呼び込みの声をまくしたて、喧騒の中を制服を着た巡察官が目を光らせている。


「明日より七日間、千年に一度の奇跡の公演!広場の道化など子供だましに過ぎぬ!本物の芸術、本物の感動をお届け!名優たちが織りなす悲恋物語!涙なくして見られぬ名場面の数々!

 早い者勝ちの特別席、今なら半額!伝説の一夜を見逃すな!明日の夕刻、角笛通りの大劇場にて!」

 わずかに開けた場所では道化が芸を披露し、傍らで宣伝人がどこかの劇場の広告を朗読しながらシャンシャンシャンぷっぷくぷーと楽器を鳴らしている。



《こうして実際に来てみると、なかなかの賑わいだね》


 肩に乗せたアーテルから声が届く。


「うーん、これでもちょっと寂れてるかなあ」


《へえ、そうなの?》


「前に来た時はこんなものじゃなかったからね。何を見ても値段が高くなってるし、内海の悪魔の爪痕は深いといった所かしら。

 美術品の出物が多いようだけど、それだけ手放してお金に換えたい人が居るんでしょう。

 香辛料なんかだいぶ品薄ね。

 あ、ほら、あの屋台は舶来の果物の看板なのに野菜を置いてる」


《魚は無い?》


「魚?魚介類はここじゃなくて港の魚市場であつかってるの。多分、そっちも嵐の影響は大きいと思う。

 もしかして、食べたいの?」


《うん。僕は本当は食べる必要はないんだけど、あれば嬉しいな》


「チキンじゃなくて?」


《それはもういい……いや、鶏肉も嫌いじゃないけどさ……》


「しばらく滞在するから、いくらでも機会はあると思うよ。まあ、今日のところは夜まで待って」



 アリーチェは人ごみのなかを慣れた様子で歩き、横道に入った。

 港に近い、取引所や商館が集まる商業の街区だ。その一角にある、カフェのパネルを掲げた店に向かう。


《ここが目的地?》


「ええ、ちょっと煙たいけど我慢してね」



 店の扉を開けると、むわっとしたタバコとコーヒーの匂いが流れ出してくる。店内に居るのは多くが商人の格好をした者達で、集まって何事か相談をしたり、パイプをふかしながら難しい顔で新聞を広げている。


「コーヒーを一杯と、新聞を一部」


 若い女性1人のアリーチェに注目が集まるが、気にせず注文をする。

 カウンターの店員も、多少の疑問を感じたようだったが、すぐにコーヒーを淹れて二つ折りの新聞を渡してくれた。

 店内に籠もる煙にも負けない、色濃い香りが立ち上る。


 ここは元は船主達の溜まり場になっていた喫茶店で、次第に商人の寄り合いの場所として知られるようになったのだという。

 新聞はカフェが独自に発行したもので、船舶と商取引に関する情報が載せられている。

 今ではこれを目当てに人々はこの店に足を運び、契約や取引まで行われる事もある。



 店の奥まった場所にあるテーブルで、白髪の老人と若い男が何か話し合っている。

 アリーチェはそれが見える位置の席に座り、新聞に目を通し始めた。


 記事は芳しくない情報が多くを占めている。

 嵐の被害により全体では予定の半分ほどの船が未帰還であり、航路によっては全滅に近い状態だ。別面には商店の破綻の報告が何行も書かれ、各種の品目の値上がりも甚だしい。評価のコラムの最後には神に慈悲を乞う一文が付け加えられている。


 改めて店内を見渡せば、以前に来た時には伊達男気取りのメネルウァ商人達で活況を呈していたカフェに、沈痛な空気が漂っていた。




(よし、これならいける──)


 アリーチェは自分の帳簿を取り出して開き、必要な情報を書き写していった。



 しばらくすると、奥のテーブルから若い男の方が席を立ち、暗い表情をして店を出ていく。少し待ってから、アリーチェは帳簿を閉じて、席についたままの白髪の老人のもとへ向かった。



「こんにちは。お久しぶりね、ジャンマルコのおじさま」


「よう、カルロのとこの嬢ちゃんか。随分と綺麗になったな」


 ジャンマルコは声を掛ける前からアリーチェに気づいていたようだ。前に見たのは二年ほど前だったが、相変わらず壮健な様子だ。痩せ型だが背筋はぴんと伸びていて衰えは見えない。



「お忙しいところ、ごめんなさい。お邪魔していいかしら」


「構わんさ。儂がもう大口の貸し付けに関わってないのは知ってるだろうに、どいつもこいつもこの世の終わりみたいな顔して訪ねてきやがって、気が滅入ってた所よ」


 老人はそう言ってからからと笑う。

 かつてはメネルウァでも有数の商会を率いていたが、息子に譲って引退し、現在は個人で金貸しをしているという人物だ。


 深い皺の刻まれた顔は笑顔を作りながらも鋭い理知を湛え、声色は低くはっきりと耳に響いて、自然と人を説き伏せるような歳経た商人の年季を感じさせる。


 アリーチェは向かいの席に座った。広いテーブルの上、ジャンマルコの傍らには計算尺と算盤が置かれ、ペンと紙に黒板が用意されており、事務所さながらだ。



「プレスティ商会は危ないという話が来ているが、やはりカルロは駄目だったか?」


「そうね。一番危険な海域に出ていたみたいで、同時に出発した商会の船は一つも戻っていないはず。どうにもならないからって、私1人でウォルトゥナから逃げてきたの」


「残念な事だ。あいつが駆け出しの頃から何度も付き合いがあったが、良いティニア商人だった。彼の魂に平穏あれ」


 そう言うと、ジャンマルコは略式で聖印を切った。



「それで、儂の所に来たって事は、物入りかね」


「ええ」


「そうか。悪いが状況が状況だ、信用貸しでは多くは出せない。担保はあるか」


「まず、この時計を」


 懐中時計を取り出して渡す。

 アリーチェが成人してウォルトゥナの商人組合に加入した時に、カルロから送られた物だ。

 これはティニアの細工師に発明された魔道具で、高価な品ではあるがそれなりに広く出回っている。

 アリーチェの物は真鍮に金の鍍金で加工されていて、造りはしっかりして装飾は控えめに抑えられた実用品だった。


「ふむ、悪くないな。後で正式に鑑定させてもらうが」


 ジャンマルコは一通り見分を終えて、手元に置いた。


「それと、馬が居るわ。大人しくて力の強い良い馬よ。預けてる宿を教えるから見にいって欲しい」


「後で行かせてもらおう。他には?」


「今あるのはそれだけ」


「そうか。それでいくら必要なんだ」


「メルラン金貨で100メルランは欲しい、急ぎでね」


「ああん?」


 怪訝な声が響く。まあ当然の反応だろう。たとえ金無垢の時計であっても相場は金貨10枚といったところだろうし、訓練された軍馬でも金貨30枚はしないのだ。



「それだけの金を借りて、何に使おうっていうんだ」


「私の商売で、200メルランに増やすの。期限は二ヶ月。追加で担保が必要なら私が()で引き受ける。どうにかならない?」


 ジャンマルコは、はぁ~~~~~、と、出来の悪い生徒を前にした教師のような、聞こえよがしの大きな溜め息をついた。


「お嬢ちゃんよお、自分で言ってる意味わかってるんだろうな」


「もちろん」



 ジロジロと、隠す気もない無遠慮な観察の視線が突き刺さる。

 大丈夫だ、胸を張れ。今の自分は控えめに言っても飛び抜けた美人だ。こういうのは押し出しというものが大事なのだ。


「お嬢ちゃんは、十五歳だったな。確か魔力持ちだったか」


「ええ、その通り」


「他になにか付け足す事はあるかね」


「会計学のドミヌスを頂いているわ」


 ドミヌスとはティニアの学術連盟が発行する、一定の学問を修めた証明だ。上位にはマギステル、ドクトリクスの位が有り、ドミヌスは各地の学院で試験を受けて授かる事ができる。

 アリーチェは自分の帳簿を取り出して開き、挟んであった証書をジャンマルコに見せた。


「ほう、その歳でか。優秀で結構な事だ。こんなところで博打を打つ必要なんてないだろうに」


「内緒だけど、またとない機会なの。見逃すなんてできない」


 ジャンマルコはふんと鼻を鳴らした。


「まあいいさ、話はわかった。それがお望みなら受けてやる。

 時計は預かっておくから三日後の午後三時の鐘が鳴るまでにまた来い。明日中に指定する医師の所で儂の名前を出して診断を受けろ。一応言っておくが、他の金貸しの所には行くなよ」


「了解したわ。よろしくお願いします」





◇◇◇





 カフェの外に出ると、大きく深呼吸をする。

 ただ座って話していただけだというのに、重荷を下ろしたような心持ちだ。


《今の、何してたの?》


 ずっと大人しくしていたアーテルが声を掛けてくる。


「ジャンマルコさんは金貸し業をしていてね、返せなかったら身売りをするという約束でお金を借りる申込みをしていたの」


《あのおじいさんをだまくらかして、借りたお金をせしめようっていう事?》


「まさか、ちゃんと返済するに決まっているでしょう。あの人だって、義理堅い事で有名なんだからね」


《なるほど、まあプランがあるなら任せるよ》



 アーテルは大して興味も無いかのような口ぶりで言う。



「なんというか、あなたって意外とこういう事には疎いのね?」


《意外かな?僕は表面的な情報は閲覧できるけど当世の詳しい事情なんてさっぱりだし、商売や借金の話なんてこれまで縁がなかったな》


「別にいいけれど。上手くいけばちゃんとあなたの依頼にもつながる事だから、言ってた事には協力してよ」


《それはもちろんそうするとも。それで、次はどうする?おじいさんが言ってた三日後まで待つの?》


「これは早さが勝負だからね、まだ今日中に訪ねておきたいところがあるわ」



 そうだ。これから何回も、何十回でも欲の皮の突っ張った年上の商人どもと言葉を交わし、約束を取り付けていかなければならない。

 このくらいでいちいち休んでいたってしょうがないのだ。


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