説明会
「うわっ……」
アリーチェがあげたのは、異様な物を目にしてちょっと引いた時の声だ。
通された広い部屋は、磨かれた石造りの床に絨毯が敷かれ、中央には大きな木製の机と、椅子が一脚置かれていた。
四方の壁にはタペストリーが掛けられ、天井からはシャンデリアが吊るされている。
まったく装飾の無い寒々しい石の廊下から扉を挟んで、ティニアの有力商人の客間のような空間が広がっていた。
「現在のこの辺の文化に合わせた内装のつもりなんだけど、あまり時間が無かったからね。細かいディテールには目をつぶってくれ」
「いや、ええと、そうね」
タペストリーの織り込みはごく簡素な幾何学模様で、絵の入っていない額縁のようだ。
壁際の棚は不自然にのっぺりとした平らな板で作られていて、上には小物の一つも置かれていない。
絨毯は高品質な物に見えるが、顔料を流したように全くの無地で、踏み込んだ足元の感触には微妙な違和感がある。
見知った造りを表面だけなぞったような光景はどうにもなかなか不気味だった。だがまあ、文句をつけるようなものでもないだろう。
アーテルはひょいと机に飛び乗り、椅子の置かれた向かいの位置に陣取った。アリーチェも椅子を引いて座る。
「それで、君への依頼についてだ」
「ええ、わざわざこんな部屋を用意してまで、私を呼んだ理由を聞かせてもらえる?」
アーテルは頷いて続ける。
「僕らはある探しものをしていて、君に見つけてもらいたい。場所はここから北北西に30リーグほどの位置にあるセトランスという都市の近郊にある遺跡のどこか。期限は5年ほどだ」
セトランスはわかる。ティニア連邦北部の都市で、周辺には沢山の遺跡が発見されている。その多くは未解明の魔窟であり、危険を冒して宝物を求める探索者なども多く集まっているという。
「探索の段取りや手段については君に任せる。
依頼の完了までには僕が同行して全面的にサポートを行う。
報酬については君からの指定に依る。
また、依頼を受けてもらう場合、エリスやテルミナリアにまつわる事柄について口外しないことを条件とする。
概要は以上だ。質問受け付けるよ」
「ええと……私に冒険者の真似事をしろっていう事?」
「他に良いやり方が無ければそうなるかな」
「探しものというのは、具体的に言うと何なのかしら」
「それは言えない。そもそも実体は不明なんだ。ある程度近づけば、僕が探知して判別できるはず」
「何の為にそれを探すの?」
「それも言えない。でも、僕らの目的が、君や周辺の人々に害を成す物では無いという事は言っておくよ」
「目的が言えないのは何故?」
「その情報が今の社会に及ぼす影響を制御しきれない可能性があるから、だね」
今一つ要領を得ない。
「報酬についてだけれど。私からの指定に依るというのは、つまり何を要求しても良いっていう事?」
「まず、目標を達成するまでに、付随して得られる資産は全て君の物だ」
「シンプルでいいわね。それから?」
「僕らは当世の社会になんの基盤も持っていないし、その予定も無いんだ。金銭などを直接渡す事はできない。
だから、君からの要望に応えることを以て報酬とする事になる。もし宝探しをするというのなら協力するよ」
アリーチェにとって、遺跡探索の冒険者など縁の遠い、狩人と傭兵と山賊を足して割ったような流れ者という印象でしかなかった。そんな所に参加して、しかも報酬は実体のない後払いという。
詐欺師の話を聞いている気分だ。
市井の取り引きに当てはめても仕方のない状況かもしれないが、安易に頷く気にもならない。
「これは答えてほしいのだけれど。どうして、それはあなたが自分でやらないの。一人で探しに行けばいいんじゃない?」
「それは、僕らに課せられた制約の問題だ」
猫の体でどこか居住まいをただすような仕草をして、アーテルはまた口を開く。
「僕らがエリスの指示を受けたとき、自らの意思で動いてはいけないんだ。
問題を解決するには、その時代に生きている人間に依頼をして、その人が主体となって行う。
僕ら自身が行動するのはあくまでもその手伝いをするという形でなければならない。
この施設、テルミナリアから外に出るのも、その同意を得た人間に同行する時だけだ」
「その制約は何の為にあるの?」
「詳しくは言えない。だけどおおまかに説明すると、現地の社会の在り方に沿った、できるだけ自然な形で目的が達成されるのが望ましいから、と言える。
これは僕らにとっては軽視すべからざるポリシーなんだ」
(エリスの指示、か……)
この会話だけでは彼らの全貌は見えてこない。
だが、自らが動かず部下に任せたり、本当に肝心な事は説明しようとしないような態度はなんとなく想像がつく気がする。
「つまり……あなた達自身はできるだけ目立たず、こっそりと事を運びたくて、私に表に立って欲しいという事ね」
アーテルは意を得たりというように頷いた。
「そうだね、それはその通りだ。理解が早くて助かるよ」
「別に理解ってほどじゃないけどね……」
「いいよ、答えられない事はあるけど、他にも不明な点があれば聞いてくれ。
もっとも、言ったように、実際の仕事のやり方は君任せになる予定だけれど」
「もし私があなた達の依頼を受けたとして、期限の5年というのに間に合わなかったり、あるいは依頼を遂行する気が無くなったとしたら、どうする?」
「特に君には何も。依頼の放棄は自由だし、その時は僕らは君の前から消えて二度と姿を現さないというだけだ。失敗したら僕らは僕らで改めて解決の道を探すだろう。報酬については状況によるだろうけど、そういう場合もできるだけ意に沿うようにはするよ」
「依頼を受けたらあなたが私と一緒に来て、協力してくれるのよね。どんな手伝いをしてくれるの?」
「今の時代でありうる事で、僕に出来る事ならなんでも」
「ありうる事って?詳しく教えて」
「要は、傍から見てあまり不自然な事はできないんだ。
例えばもし君が怪我や病気をしたとしても、大抵の場合は体内の感染を防ぎ、免疫を高めて治してあげられる。でも、万が一何か事故があって体の一部が欠損したりしたら、それを元に戻す事はできない。
もし君が山賊に襲われたとして、熱線で焼き払うとかはできない。でも、襲われる前に待ち伏せしている場所を教えたり、落石や強風で気をそらして逃げる隙を作る事はできる。
有用と判断した情報を伝えたり、偶然の巡り合わせを装う形で介入する事を想定しているよ」
「その不自然かどうかというのは、あなたが判断するの?」
「そう。そしてその判断があまりに逸脱すると、エリスに止められるだろう。その時は依頼も失敗だね」
本当はもっと大きな事ができるけど手加減して地味な事しかやらないというような、やはり詐欺師みたいな言い様だ。
実際、できるのかもしれない。
だが、少し試してみようかとアリーチェは思った。そもそもこの猫は私の何を知っていて呼びつけてきたんだろう?
「あなたが私を呼んでいた時の事だけど、ここから私が見えていたのよね?」
「うん、見ていたよ。ああ、プライバシーには配慮しているから安心して」
「それじゃあ、もっと遠く。私の父、カルロがどうしているか、わかる?」
「カルロ・プレスティ氏かい?亡くなっているね」
アーテルは特に気負いも示さず答える。
「それは確かな事?」
「記録にあった固有魔力波長の信号は途切れていて……そうだな、これを見て」
アーテルが、な~~、と一声鳴くと、机の上に唐突に大きな半透明の球体が現れた。
「立体映像だよ。別の場所と時間の景色をそのまま映し出せる、水鏡のようなものさ」
白いまだらの浮いた青い球体に、ところどころの下地が緑と茶色に塗り分けられている。
球体は横向きに回転し、一部分を大きく見せるようにして止まった。
よく見ると、その模様は以前に見たある形に似ているように思える。
「これは──地図?」
「地図ではあるけど、正確には違うかな。僕らが今居る場所を、空のずっと高いところから見た様子を、そのまま映したものだ」
アリーチェは少し間を置いて、意味を察した。
「これが、地球儀の本物という事か……」
この世界は計算と観測によれば球体であると、家庭教師に教えられ、船旅をしていた時にはおぼろげに実感していた。この大地を本当に遠くから見れば、確かにこの様になるのかも知れない。
浮かんだ映像は、ティニア半島らしい位置を切り取ったように映し出され、そのままどんどん拡大していった。地面に近づいていく。
やがて緑は木々だとわかる程に細分化し、高い山から見下ろしたような景色になった。その一部に集落らしきものが見える。
「11時間ほど前、僕が声をかけた時のアリーチェだよ」
更に拡大され、集落の近くの草原に、金髪の少女が座って居るのが見えた。傍には白い馬が繋がれている。
映像が動き出した。白馬が草を食んでいる。少女は突然立ち上がり、あたりを見回した。そして集落から離れた空中に、巨大な矢印が浮かぶ。
「あの誘導サインは、固有魔力に波長を合わせて君にだけ見えるようにしたやつだね。これが実際にあった過去の光景だってわかってもらえた?」
「──ええ、そうみたいね」
「よし、それじゃカルロ氏だね。七日前からがわかりやすいかな」
映像は再び地表を遠く離れ、瞬く間にティニアとその周辺をおさめるほどになった。
今度はティニアから青い海の帯を挟んだ、西大陸の南岸の一部に合わせ拡大していく。
次に映し出されたのは港だった。海鳥が見ているのはこのような景色だろうか。帆が畳まれた帆船が並び、赤茶の屋根の煉瓦の倉庫の間を水夫や人足が忙しなく動き回っている。
そして港の一角、アリーチェの知っている船がいくつか泊められていた。あの白鳥の船首像はプレスティ商会の船だ。登り桟橋が渡され、出港の準備が進められているようだ。赤い帽子を被った金髪の商人が乗り込んでいく。
(お父様だ……)
「カルロ氏と船は確認できたかい?じゃあ次だ」
またティニア周辺が映し出される。そして、球上に浮かんだ白いまだら模様が渦巻くように移動した。特に大きな白い塊が、ティニアから西の海を覆っている。
「この白いのは雲の塊で、この下は暴風圏の中心になっていた所だ。これは五日前の映像だよ」
映像が拡大し、渦巻く白い塊──雲の層を貫いて、海上を映した。
空からでもわかる程波が高く、荒れ狂っていて、そしてその波濤の間、一隻の船が枯れ葉のように揺さぶられているのが見える。
「そこに映っているのが先程カルロ氏が乗り込んでいた船だ。雲が厚いせいで遠景しか撮れてないけど、映像は明るく補正してある。判別はつくんじゃないかな」
白鳥の船首像は半分に欠け、マストは既に途中から折れてなくなっていた。
次々と押し寄せる波を被り、大きく沈んでは跳ね上げられ、ほとんど横倒しのようになってはまた転がるように逆に傾く。
やがて一際大きな波を横腹に受け、船が割れた。曲がった船体を更に幾度も水の塊が叩き、剥がれた舟板や人らしきものが吹き飛んでいく。ついには真ん中から船尾と船首に分かれ、ともに揉まれて水底に消えていく。
アリーチェはその船の映像の最初から、木片の最後の塊が見てわからないほどばらばらになるまで、じっと見つめていた。
「カルロ氏の固有魔力波長、あー、生き物が生きている限り発している個体毎の信号があるんだけど、それはこの直後に途絶えている。僕はこの時に亡くなっているものと判断しているよ。遺体の確認まではちょっと難しいかな。あと、一緒に出発した他の船もこの日に沈んでいるね」
「どうして、私なの?」
「え、どういう意味?」
「…………どうして、他にも人は沢山居るのに、私を呼んだのか、って聞いているの」
「さあ、それは僕にはわからない。君を選んだのはエリスだからね。でも、推測する事はできる。
心身共に健康である事、社会的に自由で、なおかつ影響力が少ない立場である事。エーテル親和性が高い、君たちの言うところの魔力持ちである事、などの条件を満たしている人間の中で、距離的に近い場所に居る人を選んだ結果じゃないかな」
「そう……」
アリーチェは視線を落としたまま、掠れたような声を出した。
「少し、考えさせてもらえる……?」
アーテルは変わらぬ調子で頷く。
「いいとも、そろそろいい時間だしね。泊ってもらう為の部屋も用意はしてある。一晩ゆっくり休んで、改めてどうするのか聞かせてくれ」