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メルクリオの一族


 かさかさ、ぺらりぺらりと、書類を読みめくっていく音が静かな事務所に響く。男性二人は身じろぎもせず転がったままだ。

 金庫が開かれ、出された帳簿をジーロが強張った顔で読み込んでいき、その横で、アリーチェは書類を書きながら二杯目の紅茶を淹れて飲んでいた。


「これは……実に思い切った事をしていますね……」


「犯罪はしていないわよ?

 取引はすべて正式な契約があって、商品はメネルウァの入国管理を通されてる。書類にも手落ちは無いはず」


「それなら、少し安心できますね……。ええ、それはとても良い事です」




 やがてジーロは帳簿を確認し終わり、手を止めた。


「アリーチェさん、私にももう一杯ください、そのポットの残りでいいので」


「はい、どうぞ」


 ティーポットに残って少しぬるく渋くなっていた紅茶を注いで渡すと、ジーロはぐいっと一息に飲み干す。ソーサーに置かれたカップがカチンと音を立てた。


「ふう……。

 アリーチェさんとハルトが大きな利益をあげている事はわかりました。今の時点で合名会社を清算して、規定通りに半分ずつ分け合ったとしても、工場の存続には不足ありませんね」


「トンマーゾという人の話は受けなくていいの?」


「私もハルトも、他のメルクリオ一族の人間も、望んでトンマーゾさんに工場を売り渡そうという訳ではありません」


「良かった。ハルトからトンマーゾさんは嫌われ者だと聞いてはいたけど、もしあなたがその人の味方だったらちょっと困った事になりそうだったもの」


「この帳簿を見せてもらうまではそのつもりでした。私達にとっては無念な事であっても彼の提案は妥当と言える物でしたし、ハルトが思い詰めて無茶な投資でもしているのなら止めなければいけないと。

 しかし、既にこれほどの資産があるのなら話は変わってきます」


「そう。じゃあ、ジーロさんの方でトンマーゾさんの話、突っぱねられそう?」


 ジーロは一度眼鏡を外して額に指を当て、眉根をよせた。


「順当に行けばそうなります。ですが、今現在、ハルトには連絡がつかない状態であり、また、アリーチェさんは街で追いかけられたという事でしたね?」


「白昼堂々と男数人がかりで捕まえようとしてきたわ」


「トンマーゾさんは私達の工場を買い上げるにあたり、急に条件を緩め、支払う値段を上げてきました。

 少々不自然な流れだったのですが、理解できました。

 おそらくはアリーチェさん達が成功している事を知って、それが他のメルクリオ一族の方々に知られる前に早急に事を進めようとしてきたのでしょう。

 ハルトが頷かなくとも、私を含め親戚筋の同意を取り付ければ話を通すのは不可能ではありません。

 あなた方を拘束して何も出来ない状態にした上で、工場を買収し、更には資産を奪い取るなど横車を押そうとしているのだと思います。彼はそういう人なのです」


「まあそうなるでしょうね。私はメネルウァ市民ではないし、今は何の身寄りもない人間だもの。ハルトが動けないなら強盗みたいな真似をしたところで他に文句を言う人はいない」


 メネルウァは西方諸国でも屈指の交易都市であり、れっきとした法の下に統治されている。

 だが他の国々と同じく、その支配は未だ確かならず、商業裁判所では半ば公然と賄賂が横行し、代言人(後の世で言う弁護士)達の舌先と根回しにより裁定の天秤はどの様にでも傾く。

 信用で成り立つ商人の国であっても、しっかりとした組織や権威の後ろ盾がなければ、法律の実際の運用はガバガバなのだ。


 だからこそ商人達は血族を重視して結束し、外国人達は国ごとに固まって、不当な扱いに抵抗する術を持ち身を守ろうとする。

 アリーチェもハルトとの協力関係に立場を求めたのだが、それが無くなったなら後の自分は吹けば飛ぶような物だ。



「アリーチェさん、すぐにこれらの書類を持ってここを出ましょう。この帳簿を見た以上、トンマーゾさんは私も一緒に拘束しようとするでしょう。いえ、もとより金庫が開いた時点でそこで寝ている方達にそうさせるつもりだったのかもしれません。

 新たな追手が来て捕まる前に他のメルクリオの家にこの帳簿を持ち込めば、彼の目的はかなわなくなります」


「早めにここを離れた方がいいというのは賛成なのだけどね。メルクリオ家の人の所に私が一緒に行くのは遠慮したいの」


「何故ですか?」


「ハルトとは仕事の上で信頼できる関係を築けて居たと思う。だけれど他の人はそうじゃない。メルクリオ家の人達に合名会社の事を委ねても、私の分の資産が守られるとは思えない」


「トンマーゾさんは別にして、メルクリオの人間はそこまで不誠実ではありませんよ。アリーチェさんの協力があってこそ工場を守れるだけの資産が作れたのだと、この帳簿を見れば皆理解するはず。私からも正しく分配がされるよう口添えします」


「ジーロさんの事は信じるわ。そうしないと話も進まないものね。でも、他の人は本当に最後まで私の味方をしてくれるかしら?

 例えばそのトンマーゾさんが、都市外の人間である私の財産が不正な物であるとこじつけて、メルクリオの家とトンマーゾさんで分けるべきだと訴えを起こしたら、私の為に抵抗してくれる?」


「それは……」


「多分、難しいでしょう?私は自分の事は自分で守らなければいけない」


「私から言う事では無いかもしれませんが、ある程度はあきらめるべきではないですか?

 その様な強引な訴えがあったとしても、アリーチェさんから譲歩して和解できるはずです。全面的な協力が無理でも、信用できる代言人の紹介くらいはできます。

 その場合でもアリーチェさんが安泰に暮らし、何か事業を始められるくらいの資金は残ると思います」


「案じてくれてありがたいのだけれど、私もちょっとやりたい事があってね。それじゃダメなのよ。

 という訳で、これを見て」


 アリーチェは先程から書きつけていた紙を渡す。


「ここにある証書の内、そのリストにあるものを纏めたから持っていって。工場で使う材料の権利書を含めて、換算して合名会社の総資産の五割強ほどになるはず。こっちのもう一枚は合名会社構成員アリーチェの責任の元、ジーロさんに扱いを任せるという委任状ね。これだけでもメルクリオの家にその帳簿と合わせて持っていけば、トンマーゾさんの買収は止められるでしょう?

 私は残りを持って別行動する」


「危険です。何をしようというのかわかりませんが、本気なのですか。あなたがトンマーゾさんに捕まれば、本当に全て失いかねません。ハルトの身にはおそらく拘束される以上の事は無いでしょうが、あなたに対しては過激な尋問も辞さないでしょう」


「大丈夫、逃げ足には自信があるし、そんなに時間はかからず解決できるはずだから」


「私にとっては否という理由はありません。良い条件と言えます。

 でも、アリーチェさんがどうして短期間でここまで取引を成功させられたのかはわかりません。ええ、ハルトには無理だったのはわかっていますよ。私にもです。

 そのアリーチェさんに自分の考えがあるのなら、私が反対をしてもしょうがない。ですが──」


 ジーロは言葉に詰まり、かぶりをふった。


「いいでしょう。はやく荷物をまとめましょう。もしあなたが失敗したなら、あなたがもたらしてくれた利益の分だけあなたを助ける事にします」


「ありがとう、ジーロさん。あなたは良い人ね」







◇◇◇





 


 工場の事務所を出て、目立ちにくい路地を通って足早に離れる。

 ひとまずは今日のねぐらが必要だ。昨日までの宿には戻れない。こんな事もあろうかと何軒か他に泊まれそうな場所の目星はつけてある。


 大通りから少し離れた宿に入り、案内された部屋でアリーチェは何枚かの書類を書いた。


「アーテル、これから一週間ほど、追手から逃げながらの生活になるから、引き続き警戒よろしくね。後、魚も我慢して」


「大丈夫だよ。普段通りにやって、抜かりはないさ。そこは安心してくれていい。

 でも、それなりの権力者に追い回される事になったみたいだけど、一週間で済むんだ?」


「今手元に残った分の資産だと、目標にちょっと足りなそうだからね。最後の一勝負をして増やしておきたいのよ。それにかかるのが最短で5日から6日くらいで、決着をつけるのがその後になるの」


「よくわからないけど、わかった。

 しかしまあ、なんだ。君って勇敢だね」


「何それ?一応は念押ししてみたけど、元からあなたがいれば誘拐なんて怖がることないじゃない」


「直接的な身の安全についてだけの話じゃないさ。

 組織だった者達が君の行く手を阻もうとしてきても挫けることがない。

 このメネルウァに居る間、君は一人で多くの人間と競合した目的を争っていたけど、自身の意思を通す事に躊躇いは無かった。

 そして今では社会に影響を及ぼす程に資産を成長させていて、それを自らの利益の為に動かそうという。

 他者の在り方を左右する事があっても自分の行動を迷わない。

 恐れ知らずで、自信家だ」


「そういう話?

 商人なんてそんな物でしょ。自分の差配で物事を転がすのに、いちいち怖がっていても何にもならないわ。

 トンマーゾとやらがそうなら私だってそう。

 それにね、商売やお金っていうのは、人を幸せにする為にある物。

 私達が取引することで豊かになる人間がもっと沢山居るから、利益が生まれるの。正しいことをしているのだから何も遠慮する理由なんて無いのよ」


「そんな物かな。君は以前に僕のことを商売に疎いと言っていたけど、確かにエリスの下で観察に徹する僕からは縁遠い話かもしれない」


「──まあ、半分以上おためごかしだけどね。

 みんな多かれ少なかれ思っているはず。

 俺達が本当の意味で世の中を回しているんだ、だから好き放題する権利があるんだ、ってね」






 猫と無駄話をしながら必要な書類を書き上げると、時刻は夕方を回っていた。

 窓の外に見える建物の石壁は紅に染まり、道行く人々の影は長く伸びて、これから宵闇がさあっと街をすき込んでいくところだ。


「宿の周辺にトンマーゾの部下の人は居るかしら?」


「特にそれらしい人間は居ないね」


「そう、それじゃ街に繰り出すとしましょうか。丁度いい時間だわ」


 完成した書類を帳簿に綴じて椅子から立ち上がる。

 面倒の多い日だったが、メネルウァの夜はまだまだこれからだ。


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