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ギフト  作者: マフィン
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指切り

 ウエリントン一家にとって、眠れない夜がやってきた。ピーターはベッドに入らず、部屋の窓から静かな夜のロンドンの街を眺めていた。日はすっかり暮れ、月明かりがぼんやりと町の姿を照らしていた。ピーターは特に何も考えずにただぼーっと眺め、平和な時をかみしめていたが、同時に得体のしれぬ胸騒ぎを感じていた。すると部屋で何かが静かに動く音が聞こえた。ピーターはその音のする方向に視線を向けると、細い目をしながらジムが起きてきた。

 「トイレでも行きたいのか?」ピーターの質問にジムは無言うなずいた。ピーターはジムの手をつなぎトイレへと向かった。部屋を出ると、まだ下の階は明かりが灯っているのが見えた。ピーターはジムをトイレに入れると、少し階段に近づき下にいる両親の様子をうかがってみた。

 元気にしゃべっている様子もなく、大半は沈黙の時間が流れているようだった。トレイシーがしているであろう洗い物の水が流れる音と時々聞こえるグラスに氷が当たる音が冷たく鳴り響いていた。

 水の流れる音が止まると部屋はさらに静かになったが、すぐにトレイシーの話声が聞こえた。

 「そういえば、家庭教師の方は?いつ来るのかしら?」トレイシーの口調はどこか疑いをかけているような口調だった。

 「家族団らんが終わったら来るって言われたけど・・・」ジェームズは自信なさげに答えた。

 「あまり言いたくはないけど、からかわれたんじゃないの?」トレイシーは少し不機嫌そうに言うと、それからしばらくジェームズの返答はなかった。ジェームズの中では、ミスメリーウェザーの死神と噂されている存在の容姿と同じであることと、何より彼女の去り際の一言の事でいっぱいで、正直騙されているかどうかはどうでもよかった。

 再び今度は少し気まずさが漂う沈黙が流れ出し、やきもきしているトレイシーはふと部屋の壁に掛けられている壁掛け時計に目を向けた。まだ、夜もそこまで深くない時間だった。

 「私、もう一回家庭教師を探してくるわ。私思うの。今は私たちに風の流れが来ているって。だからもっとましな人が見つかるかもしれない。」そう言いながらトレイシーはこの重く沈みこんでいる空気から逃げるように、玄関へ向かい扉を開けた。すると温かい突風がトレイシーを襲った。あまりの強い風にトレイシーは思わず目を閉じ、身を伏せた。風はすぐに止み、それを感じたトレイシーは、恐る恐る目を開けた。するとそこには一人の女性が立っていた。トレイシーは彼女を見ると、ふと空を見上げた。雲一つない空のはずなのに、その女性は紫色の雨傘をだしてこちらを見ていた。

 「こんばんは奥様。ミスメリーウェザーと申します。」聞いたことがある名前にトレイシーは引きつった表情で答えた。

 「もしかして家庭教師希望の方?」

 「ええ、旦那様に夕食が終わるころ伺うと伝えていたのですが・・・」ミスメリーウェザーは玄関で拍子抜けした顔をしているトレイシーを心配そうに眺めた。

 しばらく不思議な時間が流れていた。トレイシーは新種の花を見るようにまじまじとミスメリーウェザーの全身をなめるように眺めた。

 「入ってもよろしいかしら?」ミスメリーウェザーの一言にトレイシーはふと我に返ると、入口をよけた。

 「あっ、すいません。どうぞ。」ミスメリーウェザーが通り過ぎると、香水の匂いなのか、何とも言えない甘い香りが漂った。

 「どうしたんだい?」玄関でのおかしな物音を不審に思い、ジェームズが様子を見に玄関へ入ってきた。

 「こんばんは、ウエリントンさん。」ミスメリーウェザーの姿を見たジェームズは目が据わり、顔色が少し薄くなっていた。

 「ミスメリーウェザー。いらっしゃったんですね・・・」ジェームズはますます目がうつろになり始めた。しかし、そんなことは気にもせず、ミスメリーウェザーは家の中へと入ってきた。

 「どうです?最後の家族団らんは楽しめましたか?」そう言いながら、ミスメリーウェザーは階段を上がろうとした。

 「ちょっと。」ジェームズが勢いよく制止すると、ミスメリーウェザーは不思議そうな顔で、ゆっくりとジェームズの方を見た。その表情はまるでわざとやっているのではと疑いをかけたくなるような表情だとトレイシーは感じていた。

 「すいません。息子たちはもう寝ているので・・・」ジェームズは勢いで強く制止してしまった反動で、少し弱弱しい声になってしまった。

 「子供たちには明日伝えようと思うので今日はとりあえず契約とかお給料の話などだけでお願いします。」ジェームズはそう言いながら、数回お辞儀をしていた。するとミスメリーウェザーはさらに不思議そうな顔になり、しまいには首をかしげるありさまだった。

 「何を言っているんですか?息子さんたちちゃんと起きてますわよ?」そう言うとミスメリーウェザーは、階段の先を見上げた。

 「相変わらず盗み聞きが好きみたいね。あなたたち。」ミスメリーウェザーがそう言うと、二階の暗闇からジムとピーターがひっそりと現れた。

 「お前ら・・・寝てると思ってたのに。」ジェームズは呆気にとられた顔で二人を見ていた。

 「ジムをトイレに連れて行ったら、声が聞こえて・・・それで・・・ごめんなさい。」ピーターは弁解しながらも無駄だと悟り、謝罪の言葉を述べた。しかし、ジムはそれどころではなさそうだった。

 「それより最後の家族ダンランってなに?もう一緒にサッカーできないの?」ジムのまっすぐなまなざしを、ジェームズは直視できなかった。その様子を見たトレイシーがすぐにフォローをした。

 「そんなことないよ。」しかし、ジムは子供ながらに大人たちのいつもとは違う行動に違和感を覚えていた。

 「お父さんどこかへ行っちゃうの?」ジムの質問にトレイシーが再びごまかそうと、口を開こうとしたのを、遮るようにミスメリーウェザー口を開いた。

 「あなたのお父さんは戦争に行くのよ。」その瞬間ほかの三人は、目を見開いてミスメリーウェザーを見た。

 「センソウ?センソウって何?」トレイシーは必死にこれ以上はごまかそうと、口を挟もうとするが、ミスメリーウェザーはそれを許さなかった。

 「戦争は人と人が殺し合って何かを奪い合うことよ。」その瞬間さらにジムの表情が曇った。だが、ジムの質問は止まらなかった。 

 「なんで、人と人が殺し合うの?」ジムは弱弱しい声だが、まっすぐなまなざしでミスメリーウェザーを見ていた。

 「もういいでしょ!」トレイシーの怒鳴り声が家中に響き渡った。ミスメリーウェザーはその怒鳴り声を聞くと、顔色一つ変えずただ黙り込んだ。

 「ジム、もう寝なさい。ピーター連れて行ってあげて。」トレイシーはさっきの怒鳴り声とは裏腹に、優しく語りかけた。ピーターがジムの手を優しく引き二階へ連れて行こうとした。

 「待て、ピーター。」ジェームズの声にピーターは足を止めた。ジェームズは立ち止まった二人に近づくと、目線をジムとピーターに合わせた。

 「そう、お父さんはこれから人をたくさん殺してこないといけない。でもそれがお父さんの仕事なんだ。」

 「なんで?お父さんはなんでそんな仕事をしてるの?」ジムの質問は止まらなかった。ジェームズは、今度はしっかりとジムの目を見ながら、質問に答えた。

 「それはな。大切なものを守るためだ。国、生活、そして何よりお前たち三人を。」それを聞いているトレイシーの目が、少し赤くなり始めた。

 「でも、お父さんだって殺されちゃうかもしれないよ。」ジェームズは自分を心配する我が子を見て、涙があふれそうなところを、笑ってごまかした。 

 「そうだなぁ。じゃあジム。二人の約束をしよう。」そう言うと、ジムは目を見開いたが無言でジェームズを見ていた。

 「お父さんは必ずジムに会いに行く。だからジムはお父さんがジムに会いに戻ってくるまで、ピーターと二人で、母さんを守ってくれ。守れるか?」ジェームズの約束の内容を聞くと、ジムはピーターの方を見た。ピーターは微笑んではいたが、無言でジムを見ていた。それを見たジムは、ピーターから何か感じ取ったのか自信たっぷりにうなずいた。

 「守ると言っても、文字通りの意味だけじゃないぞ?お父さんがいないからと言って、いつまでも暗い顔をしてちゃダメだぞ?」そう言うとジェームズは、ジムの視線からピーターとトレイシーにも視線を送った。

 「家族三人で笑顔でいつも笑って楽しいことを考えている家族でいてくれよ。それが俺との約束。それが守れていれば、必ずまた会える。守れるか?」ジェームズは再びジムに念を押した。それでもジムの気持ちは揺らぐことなく、力強くうなづいた。

 「よし、じゃあ指切りだ。」そう言うとジェームズは小指を立てた。するとジムは自分の小さな小指をジェームズの大きな小指に巻き付けると、指切りの唄を歌った。

 「よし。約束だからな。」その一言に、早速ジムは笑顔で返した。

 「よし、いい子だ。もう寝なさい。」ジェームズがそう言うと、二人は駆け足で二階に上がっていった。それを見送りきると、トレイシーの顔が急に鬼のような顔に変化した。

 「ちょっと。あなた・・・」

 「私があの話題を出さなかったらいつ彼に話をするつもりだったんですか?」ミスメリーウェザーの言葉に、トレイシーは返す言葉がなかった。

 「確かに結果としてはいい方向に行ってよかったですが、そこは僕らのペースに任せていただけないですか?」ジェームズがそう言うと、トレイシーも激しくうなずいた。

 「失礼しました。以後気を付けます。」ミスメリーウェザーはそう言いながら、深く頭を下げた。

 「とりあえず今日のところは一度帰っていただいてもよろしいですか?私が出かける前に続きのお話をさせて下さい。」ジェームズがそう言うと、トレイシーは目を見開いて、ジェームズを見た。

 「あなた本気?正直私は彼女を信用できないわ。今からでも遅くないわ。別の人にしてもらいましょうよ。」トレイシーはミスメリーウェザーにもはっきり聞こえる声で提案した。

 「何を言ってるんだ。もう僕らには彼女しかいないんだよ。彼女にあの子たちの面倒を見てもらうしかないんだよ。」ジェームズはトレイシーの提案をきっぱり断ると、ミスメリーウェザーに視線を向けた。トレイシーもそのことは十分にわかっていた。だがしかし、トレイシーの中では、急に現れたにもかかわらず、あの人見知りのジムが彼女の目を見て質問をしていたところを見て、ジムにとって自分は必要ないのかもという気持ちと、悔しい嫉妬の気持ちを抱いていた。

 「ミスメリーウェザー失礼をお許し下さい。」ジェームズが謝罪をすると凛とした表情を浮かべていた。 

 「雇ってくださるということでよろしいかしら?」そう言いながら玄関に向かっていた。

 「はい、明日から息子たちをよろしくお願いします。」ジェームズがそう言いながらお辞儀をすると、トレイシーも乗り気ではなさそうにお辞儀をした。

 「かしこまりました。ではまた明日午前中に伺いますわ。」そう言うと、晴天の空の下で紫の雨傘を広げたが、ふと振り返ってきた。

 「本日は私も失礼なことをしてしまったようで大変申し訳ございませんでした。ただ、・・・」ミスメリーウェザーはそう言いながらお辞儀をすると、再び背を向けた。

 「もう少し息子さんたちを子供ではなく、一人の人間としてみてあげた方が良いわよ。子供は知らないうちに成長しているんですから。」そういうと夜のロンドンの街へと消えていった。

 そして次の日の朝、ウィエリントン家の家の前に、軍のトラックが停まった。まもなくして、家からジェームズが大きな荷物を背負って出てきた。ジェームズは一人一人にハグをすると、トラックの後ろに荷物を載せ、家族の方を振り向いた。ジェームズの目には、心配そうに見つめるトレイシーと、頼もしい表情の二人の息子が映っていた。

 「二人とも、母さんを頼んだぞ。」ジェームズはそう心の中でつぶやくと、笑顔で手の平を見せ、トラックに乗り込んだ。家に残された三人もそれぞれ手を少し振ると、トラックはエンジン音を立てながら、ウエリントン家を後にした。

 三人はトラックのエンジン音が聞こえなくなるまで、消えていった方向を見つめていた。

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