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ギフト  作者: マフィン
3/8

サンドイッチ

それから数カ月後、イギリスも世界規模の戦争に巻き込まれ、ジェームズにも出立命令が出され、明日には家を出なければならなかった。ジェームズはトレイシーに神妙な表情で告げると、トレイシーは気丈に振る舞っているつもりだったが、ピーターにこの件がバレてしまうほど上手くはできていなかった。

 それもそのはずだった。なんせウエリントン夫人の条件であるジェームズが家を空けるまでに住み込みの家庭教師を見つけるという条件がいまだに達成できていなかったのだからである。

 トレイシーとジェームズは血眼になって住み込みの家庭教師を探すべく、チラシを配ったり、人材派遣の会社に出向いたりしていた。もちろんこのご時世というのもあり、質の高いとまでは行かないが条件達成のための、住み込みの家庭教師はいないわけではなかった。

 しかし、仮に良さそうな人を見つけても、向こうが提示してくる賃金があまりにも高すぎて、足元を見られている気分になるようで、トレイシーのプライドが邪魔をして断ってしまっていた。

 もちろん、生活が苦しい時代ならではの弊害であることはトレイシーも理解はしていた。だが、今までウエリントン婦人のすねをかじりながら、子育てをしてきた後ろめたさと、このままでは子供たちを取り上げられてしまうのではないかという恐怖心からトレイシーは素直になることが出来なかった。

 そして一日が終わりを迎えようとしていた。今日は断るどころか希望する人すら現れなかった。そんな中、トレイシーは気を抜くことが出来なかった。気を抜いて落ち込んでしまえば、勘のいい子供たちに心配をかけてしまう。トレイシーは帰り道を少し小さな鼻歌を歌いながら、歩いていた。

 するとちょうど帰宅途中のジムと偶然鉢合わせた。

 「あら、ジムおかえり。」トレイシーはなんとかいつもの母親を演じきるのに必死で、ジムが明らかに変な方向から現れたことに気が付かなかった。

 「ただいま。」ジムは学校に馴染めず、つまんなそうな表情を浮かべている顔を上げた。

 「学校はどうだった?」トレイシーはわかりきった質問をした。

 「面白くない。」ジムは歩きながらボソッと答えた。

 「何が面白くないの?勉強?」トレイシーはジムの手を優しくつなぐと、ジムの歩くペースに合わせた。

 「ねぇ。なんで学校ではトラ探しをしちゃいけないの?」ジムが突然大きな声で口をとがらせた。

 「そんなことないと思うわよ?授業中は勉強しないといけないけど、休み時間とかは自由なんだからトラ探しだってしてもいいと思うわよ?」トレイシーは優しく諭すように答えた。しかし、ジムの不平は止まらなかった。

 「でも、ケイティ・ベインは、僕がトラ探しをしてるって先生に言いつけて、先生もボール遊びをしなさいって言うんだ。ボール遊びなんてちっとも楽しくない。」ケイティ・ベインは、ジムの口からよく出てくる名前だった。そんな息子の姿を見ると、ウエリントン邸にジムを預けるのは、ジムのためには良いことなのかもしれないと考えてしまった。しかし、ジム本人はウエリントン邸を嫌がっているのは、言わずもがなだ。

 「そっかぁ。」トレイシーはジムの手を優しく握りながら、そう言うとジムを見下ろした。

 「じゃあ、今日の夕飯はジムの大好物にしちゃおうかな?」

 「え?もしかしてサンドウィッチ?」トレイシーは、ジムが今日食べたい料理を見事に聞き出すことが出来た。ジムの嬉しそうに見上げる笑顔は一日の疲れを吹き飛ばすほど無邪気だった。

 二人は手を繋ぎながら、楽しそうに買い物へ向かった。

 買い物をしながら、ふとトレイシーは、家族で食卓を囲む夕食は今日が最後かもしれないと思った。 

 明日はジェームズが経ち、子供たちも奇跡が起きない限りウエリントン邸に疎開することになる。トレイシーは気が抜けてしまい、一滴の涙が目からこぼれ、頬を落ちていった。

 「お母さんどうしたの?」さすがのジムもぼーっとしながら、涙を流している母親の異変には気づいたようだ。

 「何でもない。目が乾いちゃって?」

 「目が乾くと涙が出るの?」ジムの無知さがトレイシーを救った。トレイシーは我に返り、残された短い時間を大切にしようと思いからか、大量にサンドウィッチの材料を買い込んだ。

 「お母さん。さすがにこんなに食べきれないと思うよ?」

 「いいの。今日はいっぱい作るからいっぱい食べてね。」トレイシーの言葉にジムは笑顔でうなずいた。

 買い物を終え家に帰ると、すでにピーターが学校から帰ってきていた。

 「なんだ、ジムも一緒だったのか。」ピーターはとっくに家に帰っているはずのジムがいないことを心配していた。

 「ただいま、ピーター。ねぇ、今日はサンドウィッチだよ。」ジムはすっかり学校でのいやな出来事を忘れているようだった。

 「そうなんだぁ。」ピーターは少し引き気味に買ってきたものを眺めながら、トレイシーにアイコンタクトをすると、トレイシーは笑顔でうなずいた。

 するとすぐにジェームズも帰ってきた。

 「ただいまぁ。」ジェームズの声から一日の疲れを感じ取れた。

 「ジム、お土産買ってきたぞ。」ジェームズはそう言うと、袋に入った箱を手からぶら下げて見せた。

 「何?」ジムの問いかけと、ほかの二人の目線を感じたジェームズは袋から箱を取り出すと、開けて中身を見せた。

 「ドーナッツ。」そこにはきれいに並べられた1ダースのドーナッツが砂糖の甘い香りを放っていた。

 「ところで、今日の夕飯は・・・おっと・・・」ジェームズは大量のサンドウィッチの材料をみて、自分が大きな過ちを犯したことに気づいた。

 「ねぇ。今日僕お腹がはちきれちゃうかも。」ジムの一言にピーターも無言でうなづき同意した。

 一通りの会話が終わったのに、ジェームズはダイニングから移動する気配がなかった。

 「なぁ、ジム。ちょっとご飯の前に軽く体を動かすか。」何かを察したピーターは、一軒家の奥の少し広めの庭にジムを連れて出て行った。

 リビングは無人になり、ダイニングにジェームズ。キッチンに料理をするトレイシーが立っていた。二人の間ではしばらく無言の時間が流れた。その流れを断ち切ったのはジェームズだった。

 「今日はずいぶんと気合が入ってんだな。」

 「あなただって。」お互いがお互いを探り合っているかのようにぎこちない会話をし始めた。

 「そりゃ、しばらく家族団らんもできなくなっちまうしな。」

 「でも、1ダースは買いすぎよ。」トレイシーが遮るように答えた。

 「お前だってずいぶん買ってるじゃんか。」乾いたような笑いで、ジェームズも静かに言い返した。

 「今日、ジムと一緒に買い物していて、あの子が笑顔でサンドウィッチっていうものだからつい。」トレイシーも野菜を切りながら静かに答えた。

 「俺も子供たちや君が喜ぶ顔を思い浮かんでつい。」ジェームズがそう言うと、再び二人の間に沈黙が流れた。

 野菜を切る包丁がまな板を叩く音が無機質に鳴り響き、時々外で遊んでいるジムとピーターの楽しげな声に、二人は少し微笑んでいた。二人はお互い何か言いたげに、していたがお互い切り出すことが出来ずにいた。

 「言いたいことは分かってるわ。」トレイシーがついに口を開いた。しかし、ジェームズは黙ったままだった。するとトレイシーが鼻をすする音が聞こえてきた。それは玉ねぎを切っているからなのか、それ以外の理由なのかはわからなかった。

 「いつもあの子たちのことを考えているわよ。」声が少し上ずっていた。

 「でも、今日ジムが学校の帰りに浮かべていたあの表情を見ちゃうと、ここにとどまらせるのなら、疎開させてあげた方が、結果としてあの子のためになるのかなとか思ったりもしたの。」すると、キッチンから包丁の音がぴたりと止まり、トレイシーの震えた声が聞こえてきた。ジェームズはそれを黙って聞いた。

 「でも、やっぱり私はあの子たちと離れたくないし、離れ離れにはしたくない。」

 「だったら、三人でお袋のところに転がり込めばいいさ。そうすれば俺だって何の心配もなく戦地へ行ける。」ジェームズが諭すように言うと、トレイシーの目つきが鋭くなった。

 「これ以上、ピーターに我慢を強いたくないの。」トレイシーの強い口調にジェームズはまた黙ってしまった。

 「あの子の将来の夢、聞いたことある?」トレイシーの問いかけに、ジェームズは不意を突かれたような表情を浮かべた。

 「軍の医療班になってあなたを助けたいそうよ。」ジェームズは、外で遊ぶピーターを静かに眺めていた。

 「もちろん私だって反対だけど、あの子ジムが生まれてから一度もわがままなんて言ってないことくらいあなただって気づいてるでしょ?」トレイシーの言葉を聞きながらジェームズは、今までピーターのやさしさに甘え、ジム中心の生活をピーターに強いていたことを改めて自覚し、わが子への謝罪の念が芽生えた。

 「だから、申し訳ないけどお母様の家にお世話になることはできないし、まだ家庭教師をあきらめられないわ。」トレイシーは淡々と夕食の支度をしながら、自分の考えをジェームズに告げた。パンの香りが台所にかすかに漂い始めた。

 「そうだな。親としてやれるだけのことはやらないといけないな。」ジェームズは静かにそう言うと、台所に置きっぱなしだったドーナッツに手を伸ばした。

 「もう食べるの?」トレイシーが驚きと笑いが混じったような声で尋ねた。

 「なんか支度を見てたらお腹減っちゃって。」ジェームズは笑顔で答えた。ジェームズの返答に二人は思わず噴き出したように笑った。するとその笑い声を聞きつけたかのように外で遊んでいた二人も家に入ってきた。

 「ねぇ、お腹すいた。」ジムがそう言うと、ピーターがジムの目線に合わせてしゃがみこんだ。

 「まだ準備が終わってないから先にお風呂入ろうぜ。」そう言いながら、ジムの額についた泥を手で吹き上げた。

 「でももうお腹ぐるぐるだよ。」そう言いながら、ジムは自分のお腹を手でぐるぐる回した。

 「じゃあ早く風呂入るぞ。」ピーターはそう言うと、ジムを抱きかかえ風呂場へと向かっていった。ジムはそれに大人しく従うように、暴れることなく運ばれていった。

 そんな二人の姿を見てジェームズは、ふと変なやる気が出てきた。

 「ちょっと俺もう一回り行ってくるわ。」そう言いながらジェームズは家の玄関へ向かった。

 トレイシーは少し驚いた顔でジェームズを見送った。

 「ジムがお腹すかせてるからなるべく早めに帰ってきてよ。」トレイシーの言葉が届くか届かないかくらいのタイミングで、ジェームズは家から飛び出した。

 外へ出ると、ものすごい勢いの風がジェームズに吹き付けた。思わずジェームズは身を低くし踏ん張ったが、二、三歩後ずさりした。すると一人の若い女性がジェームズに近寄ってきた。

 夏の少し熱い気候にもかかわらず、冬服のような紺色のコート姿にジェームズは不審に思った。するとその女性は急にジェームズに話しかけてきた。

 「あなた家庭教師を探しているようですね。」透き通った高い声を聴いたジェームズがふと彼女の手元を見ると、自分たちが作った家庭教師募集用のチラシが握られていた。ジェームズは藁にも縋る思いで答えた。

 「そうなんです。どなたか引き受けてくれる方を知りませんか?」すると女性は上品に笑うと優しい笑顔で答えた。

 「落ち着いてください。安心してください。本日夕食が終わるころお伺いしますわ。」そう言うと、女性は再び歩き出した。

 「ちょっと待ってください。もし、あなたが引き受けてくださるならぜひ夕食を・・・」ジェームズは焦りの念からつい事を急いだ。すると女性は再び優しい笑顔で振り返った。

 「そんな最後の家族団らんをお邪魔するようなこと出来ませんわ。今日は家族でゆっくり過ごしてください。夕食が終わる頃お伺いさせていただきますわ。」そう言うと、再び歩き出した。

 「すいません。」ジェームズは呆気にとられながらも再び呼び止めた。女性も顔色一つ変えず再びゆっくり振り返った。

 「お名前は?」すると女性は態勢を少し変えた。

 「ミスメリーウェザーです。」そういうと上品にお辞儀をし、再び歩き始めた。すると先ほどの突風が再び、ジェームズに吹き付けた。ジェームズは再び踏ん張り態勢を維持しようと努力した。

 風がやむとジェームズは顔を上げ辺りを見渡したが彼女の姿は見当たらなかった。

 「何だ?」一瞬の出来事だったが、徐々に状況の整理を始めた。

 「ミスメリーウェザーってどういう名前?」それから彼女の言動を細かく思い出した。

 「最後の家族団らんってなんだ?」ジェームズは家の前でぶつぶつ言い出した。「それにあのコートもなんか聞き覚えが・・・」ジェームズは軍隊の間で飛び交っていた噂を思い出していた。「死神」一瞬頭に浮かんだ不気味をジェームズは首を横に降りながら振り払った。それにたとえ彼女が死神だったとしても、今は引き受けてくれる人にとやかく条件を付けている場合ではなかった。

 ジェームズはとりあえず出たばかりの家に入った。

 誰もいなくなった通りに再びミスメリーウェザーが優雅に歩いていた。ジェームズたちの家の扉の前に差し掛かった時、「うっそ!」というトレイシーの叫び声が聞こえてきた。ミスメリーウェザーはその声を聴くと、今度は二階のお風呂場らしき部屋に視線を向けた。するとかすかにジムとピーターの楽しそうな声が聞こえてきた。

 ミスメリーウェザーはまた少し微笑むと、雨が降っているわけでもないのに紫色の雨傘をさし、どこかへ去っていった。


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