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1、綿貫さん、罠にかかる

 テキストファイルの更新日付見たら書き始めたのが2010年とかでした……。

 HRが終わったので帰ろうとしてたら、友人の”うさみみ”こと宇佐美(うさみ)(みこと)が「たぬちゃん、一緒にかえろ」と言いながらこちらに駆け寄ろうとして、何もないところで転んだ。

 びたん、とすごい音がして、放課後の喧騒に包まれていた教室が一瞬静まり返る。しかしその発生源が宇佐美だとわかると、なんだまた宇佐美かよ、と何事もなかったかのように周囲はすぐに喧騒を取り戻した。

 うさみみが何もない所で派手に転ぶのはいつものことなんだけど、誰も気にしないのは安全衛生上、なんか問題がある気がする。

「うさみみ、だいじょぶ?」

 お気に入りのチュッパチャプス(ストロベリー味)をなめながら、倒れたままのうさみみを指でつん、つん、とつつくと、「いたいよぅ……」とぶつけたおでこを押さえながら顔を上げたので、なめかけのチュッパチャプスをちっちゃなおくちに突っ込んでやる。

「……甘くておいしい。いちごあじだ」

 びっくりした顔のうさみみは、すぐに笑顔になって口の中でチュッパチャプスを転がした。

「泣くなよー、うさみみ。高校生にもなって、転んで泣くのは恥ずかしいぞ?」

「泣かないよぉ。でも今のはいたかった、うん。ていうかまだいたい」

 飴で一瞬忘れていた痛みを、急に思い出したかのようにうさみみが涙目になる。

 あたしは、しょうがないなーと思いながら、小さくため息をはいた。

「いつものおまじないしてあげる。痛いのはおでこだけ?」

「うん」

 赤くなっているのがぶつけたおでこだけであることを確認すると、うさみみの両脇に手を差し入れてよいしょと持ち上げて立ち上がらせる。同い年なのに、どうしてこいつはこんなにちっちゃくてかわいいんだろう。

 制服の埃をぱたぱたと軽くはたいてやりながら、前のめりに倒れたのに膝を突くでもなしに肘をうつでもなしに、なんでおでこだけ、がつん、と床にぶつけられるものかと不思議に思う。

顔面から倒れたらまず普通ぶつけるのは鼻かあごだと思うのだけれど、ずいぶんと器用な転び方をするものだ。

 さて、とポケットから新しいチュッパチャプス(チェリー味)を取り出して、自分の口に入れる。爽やかな酸味と甘みが口の中に広がって、ちょっと幸せな気分になった。

「んじゃ、やるよー。あたしの目をみて~」

 うさみみの瞳を見つめながら、口をすぼめて音が鳴るようにチュッパチャプスを口から引っ張り出すと、ぽんっ、と軽い音が教室に響き渡った。

「にゅ?」

 うさみみの瞳が一瞬、焦点を失う。

「おでこなんて、痛くない」

 うさみみのおでこに右の手のひらを当てて言う。

「おでこなんて、痛くない」

 大事なことなので二回言ってみました。

「おー」

 うさみみが、ぱちぱちと二回ほど瞬きをした。

 おでこを押さえて、首を傾げて、それからぴょんぴょんと二回はねる。

「おー、たぬちゃんのおまじないやっぱりすごいね。おでこ、いたくなくなっちゃった」

「そんなに長くはもたないけどね」

 あたしはうさみみのおでこをなでながら、小さく微笑んだ。



 たぶん、ある種の催眠術のようなものじゃないかと思っているのだけれど、あたしこと綿貫(わたぬき)綾乃(あやの)には、他人にちょっとした暗示を与えることが出来るという、ちょっと変な能力がある。

 やり方は簡単。相手の目を見ながら、チュッパチャプスを口からポンっと音を立てて引っ張り出すだけ。うさみみにはおまじないと称しているけれど、あたし自身はこれを舌鼓(したづつみ)と呼んでいる。

 詳しい理屈はまったく知らないし、どうしてそういうことが出来るのかもわからないのだけれど、あたしはこの舌鼓により暗示を与えることで、相手の感覚を一つだけ騙すことが出来る。

 例えば、今うさみみにかけたような痛覚の無視。

 本当は今でもうさみみのおでこはズキズキ痛んでいるはずなのだけれど、痛くないという暗示をかけることによって痛覚をごまかしているのだ。



「たぬちゃん、いつもおまじないありがとね」

 うさみみがぺこりと頭を下げたのでなでなでしてあげると、くすぐったそうにうさみみはかぶりをふった。

「痛みを消しただけだから、ちゃんと見てもらった方がいいよ。うさみみどうする? 保健室行く?」

 尋ねると、うさみみはえへんとちいさな胸を張って、「だいじょぶ。わたしは意外とがんじょーにできているのですよ」と言った。

 日に三度は何も無いところで派手に転んで、今までまったくと言っていいほど大事になっていないのだから、その自信もわからないではないのだけれど、さすがに頭をぶつけたのはちょっと、危ないと思う。

「でもさ、今のはおもいっきりおでこぶつけたでしょ?」

「いたくないからへいきだもん!」

 うさみみがぴょんぴょんとはねて元気をアピールするのでちょっと意地悪したくなった。

「じゃあ、おまじない、解いてみる?」

「保健室にいく!」

 即答だった。どうやらあたしが思ってた以上に痛かったらしい。

 ほんとにちょっと、精密検査とかしてもらった方がいいのかもしれない。

「おまじないが効いてるうちに、行くよ」

 慌てて帰る用意をすませてうさみみの手を引いて教室を飛び出そうとした所で、あたしの目の前に誰かが立ちふさがった。思わずぶつかりそうになって慌てて急ブレーキをかける。

「出入り口に立ちふさがらないでよね!」

 文句を言いつつ横をすり抜けようとしたら、さっと広げた手で行く手を阻まれた。

 その手があたしの胸に触れるか触れないかくらいの微妙な位置だったので、思わず一歩下がってじろりと相手を睨み付けると、うちのクラスの副担任、体育教師のエロ王子こと江口(えぐち)大路(おおじ)が、へらへらと薄笑いを浮かべていた。

 あたしと同じく名前にコンプレックスがありそうな所には正直親近感を覚えるのだけれど、どうにもこの男は性格的に好きになれそうにない。

 男子の体育を担当しているので授業での関わりがないせいか、妙にクラスの女子に絡んでくるのだ。副担任という立場上、クラスの生徒とのコミュニケーションを積極的に取ろうとしていると言うと聞こえはいいが、あだ名があらわしている通りこいつにはどうにも下心しか感じられない。

「おお、まだ残っていたかちょうどいい。和狸わたぬき、ウサギ、手伝ってくれないか?」

 エロ王子があたしを呼ぶときの発音も妙に気になる。

 わたぬき、じゃなくて、わ、たぬきと呼ばれているように感じられるのはあたしの被害妄想だろうか。うさみみのことは宇佐美ではなく、はっきりウサギ、と呼んでいるように聞こえるし、あながち空耳とばかりも思えないのけれど。

「まだ残っていたか、じゃなくて今! 明らかに! 帰るの邪魔しましたよね……?」

 しかも今のは、無理に通ろうとしてたら、絶対あたしの胸さわってたよね?

 いらいらしながら睨み付けると、エロ王子はすまんすまん、とへらへら笑った。

「あ、エロおーじだ」

 うさみみが、ぽやっとした声でエロ王子を指差す。

「あー、ウサギにはオニイチャンと呼ばれてみたい気もするが、江口先生と呼ぶように」

「あの、急いでるんですけどそこどいてくれませんか?」

 実力で押しのけよう思ったのだけれど、なんかまたエロ王子が胸に手を伸ばしてきそうで躊躇してしまった。

「おまえら帰宅部だろう? いいじゃねーか少しくらい」

「あたし達以外にも帰宅部はいますよね? 用事なら他の人に……」

「いや、もうお前らしか残ってないぞ?」

 言われて教室を振り返ると、先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返っていた。

 あーもう、用事言いつけられると思ってみんな逃げたな?

 入り口をエロ王子にふさがれて押し問答しているうちに、反対側のドアからみんな出て行ったようだ。

「明日、朝一の会議で使う資料なんだが、ちとプリント綴じるのを手伝わんか?」

 エロ王子が右手に抱えたプリントの束をちょっとあげて見せる。結構な量だ。

「生徒を雑用に使わないで下さい」

 HRに来ないと思っていたら資料の準備をしていたのか。そのまま一人でやればいいものをなんであたしらにからんでくるかな……もう。

「報酬は後払いでジュースをおごってやろう。百円の紙パックなんてみみっちいことは言わんぞ? 百五十円のペットボトルでどうだ?」

 どや顔で言われても報酬が問題なんじゃないんだってば。

「うさみみ、宇佐美がさっき転んでですね、頭打ってるので保健室に連れて行きたいんです! いいかげん、そこどいてください!」

「何、だいじょぶか~、ウサギ?」

 エロ王子がうさみみを気遣うように声をかけたので、おでこのついでとかで変なところを触られたりしないように、うさみみとエロ王子の間に割ってはいる。

「わたしは結構がんじょーに出来ているのです……うー。いたい」

 ぴょんぴょんはねて元気をアピールしていたうさみみが、急におでこを押さえてうずくまった。

 いけない、長々と押し問答してたから効果が切れてしまったようだ。

「いかんな……。よし、俺がウサギを保健室に連れてくから、そのあいだ和狸、プリント折っててくれ」

「エロ王子! うさみみを保健室に連れ込んでなにする気だ!」

「……おまえ今、変なこと想像したろ。つかエロ王子言うな、ちゃんと先生と呼べ」

「エロ王子先生は信用できません。あたしが、自分で、うさみみを、宇佐美を保健室に連れて行きます」

 うさみみをかばうように前に立って、エロ王子を睨み付ける。

「先生ってつけりゃいいってもんでも……。ま、正直に言って俺は自他共に認めるエロ教師であり、女子高校生とイチャイチャラブラブ出来る機会があるのなら、お金を払ってでも逃すつもりはないけどな? ウサギに手を出すのは犯罪だろ? 俺は小学生には興味ないぞ?」

 エロ王子が小さく肩をすくめて、かぶりを振った。

「おーじひどいー。わたし高校生だもん……うー」

 悪いけどうさみみはどこからどう見ても小学生にしか見えない。

「高校生が、だもん、とかいってすねないの! それからエロ王子、高校生相手でも手を出したら犯罪だーっ!」

「おちつけ和狸、冗談も通じんほどテンパってんのか? ほれ、深呼吸、深呼吸」

 すーぅ、はぁー、すーぅ、はぁー。数度深く呼吸をしたら少し落ち着いた。

「落ち着いたら優先事項を整理しろ。今一番大事なことはなんだ?」

 真面目な顔でエロ王子が言った。

 普段はふざけた言動が多いのに、たまにエロ王子が先生に見えることがあって憎らしい。

「……うさみみの身体が一番心配」

「保健室で間に合わんようなら、俺が責任持って車で病院まで連れていく」

 エロ王子はそう言って右手に抱えていたプリントの束をあたしに向かって突き出したので、反射的に受け取ってしまう。

「これでも一応は教師なんでな。さっきの冗談は置いといてウサギのことは任せておけ。二人とも携帯電話は持っているな? 何かあったらウサギから連絡させるから、お前は安心してプリントを折っていてくれ」

 エロ王子はそう言うと、おでこを押さえるうさみみの手を引いて教室を出て行ってしまった。

 プリントの束をかかえたまま、少しの間ただ立ち尽くす。

 今のはエロ王子が正しい。本当に危ないようなら大人に任せるのが正しい。それは理解できるのだけれど感情はいまいち納得がいかない。

 うさみみを護る役を取られたから? 何も出来ない自分に憤り?

 ……あれ。よく考えたらあたし結局、用事押し付けられてる?

 納得いかないままではあったが、無責任なことはしたくないのでとりあえず預かったプリントを近くの机の上に置いた。

 左右にページ番号が入っているということは袋折にして背をホチキスでとめるのだろう。

 ……ってホチキスはどこだ?

 まぁいいや、プリント折れとは言われたけれど、綴じろとは言われてないし。あたしの仕事はプリントを折ること。さっさと折ってしまって、うさみみを迎えに保健室に行こう。




 まわりに誰も居ないことを確認してから、教室の前と後ろのドアを閉める。

 あたしの微妙な能力、舌鼓は一見ただの催眠術のようだけれど、実は普通の催眠術と異なる点がある。ずいぶんと非常識な話なのだけれど、条件を満たしさえすれば人間以外にもかけることが出来てしまうのだ。

 実のところ舌鼓の条件は相手の目を見て行うこと、ただそれだけだ。あたしが相手の目をみていればOKであり、必ずしも相手があたしと見つめあっている必要はない。

 ついでに言うとここで言う「目」というのは、それが人間で言う目の機能を持っているかどうかは関係ない。つまり、あたしが、目であるとみなせるモノがありさえすれば、あたしは何にでも暗示をかけることが出来るのだ。ぶっちゃけた話、何もなければあたしがマジックでおめめを書き込んだだけで舌鼓は使用可能になる。

 人間にかける場合は本当にただの微妙な能力なのだけれど、無生物に対してこの力を使用した場合、あたしはまるで、魔法使いのように、対象を支配することが出来る。

 相手に意識と言うものがないので、何でも簡単に信じてしまうのだろうと思っているのだけれど、本当のところはどうなのだろう。

 あたしはカバンからルーズリーフを数枚取り出して、机の上に広げた。

 マジックペンで、少し縦方向につぶれた楕円と、その中に丸い円を一つ書く。楕円の中の丸い円を、軽く塗りつぶして黒目にする。続けてもう一つ同じものをその隣に書き込む。

 書きあがった目を見つめながら、ポン、とチュッパチャプスを鳴らす。

「そこの綿貫綾乃さん、ちょっと手伝って欲しいんだけれどお願いできるかな? お願いできるかな?」

 恥ずかしいのでちょっと小声だ。あたしの声に、目を書いたルーズリーフが「呼んだ?」といった雰囲気で起き上がる。ふわっと浮き上がってすぐに、もこもこと人型になり、色がつき、紙片はあたしの姿になった。ルーズリーフを化かして、"あたしである”と思わせたのだ。

「やることはわかってるよね?」

 あたしになったルーズリーフに問いかけると、「あたしのくせに生意気だ」と言った。

 ふたりになったあたしが、またルーズリーフに目を書いてポンっとやる。

 四人になったあたしが、さらにポンっとやってあたしは八人になった。

「こんだけいればいいかな?」

「んじゃプリント並べるよー、こっちから順に一枚づつとってくこと」

「あたしはここで折るね」

「ほい、これ折ってね」

「あたしドアのとこで見張ってるね」

「さぼるなあたし!」

「あたしがいっぱいで気持ち悪い……」

「口より手を動かせあたし!」

 ばたばたと八人のあたしが、プリントを1セットの束にして、折って、重ねる。

 全員自分ということもあって、流れ作業はスムーズに進み、ものの数分で作業は終わった。

「よし終わったー」とあたしが最後の折った束を教卓の上においた所で、

「誰か来る」とドアを見張っていたあたしが言った。

「みんな、唾を」

 あたし達は、指に唾をつけて左右の眉に塗った。

 ぽぽぽん、と弾けるようにルーズリーフだったあたしが次々にもとの紙片に戻って宙に舞う。残ったあたしは素早く紙片を回収してカバンにしまった。

 眉に唾を塗ること。これがあたしの舌鼓を効果時間内に解く方法だ。

 眉唾と言う言葉は、だまされないように用心すること、を意味するが、これは眉に唾を塗っておくとキツネやタヌキに化かされないという民間伝承が元になっている。こういうとこまでタヌキじみなくてもいいと思うのだけれど。

「あら?」

 ドアを開けて入ってきたのは、うちのクラスの担任、自称魔女こと大場(おおば)亜美(あみ)先生だった。何度もまばたきして、それからあたしの方をみつめる。

「あら?」

 大場先生はもう一度つぶやいて首をかしげた。メガネの位置を指で直して、もう一度まばたきをする。

「変ね、今、綿貫さんが何人もいたように見えたのだけれど……?」

「あたしがあんまりてきぱきと動いていたから、残像でもみえたんじゃないですか?」

 人は信じたいものを信じようとする性質がある。舌鼓を使わなくてもこの程度のごまかしは容易だろう。

「そうなのかしら……。あら、もうプリント、全部折っちゃったのね」

 大場先生は手にしていたホチキスを教卓に置くと、あたしが折ったプリントを綴じ始めた。

「お手伝いありがとうね、綿貫さん」

「いえ、あの、江口先生は? 宇佐美のこと、何か聞いてないですか?」

 大場先生がホチキスを持ってきたということは、おそらくエロ王子に頼まれたんだろう。まさかうさみみを連れて病院に行ってしまったのだろうか?

「ああ、宇佐美さんなら保健室に寝かせて来たそうよ。保健の先生にちゃんと診てもらったから大丈夫。今のところは病院に連れて行くほどでもないけれど、もし気分でも悪くなるようだったら、明日の朝は病院に行く様に、という感じね」

「そうですか」

 とりあえず少し安心した。

「それじゃ、あたしはこれで失礼しますね」

 うさみみを迎えに、保健室に行こう。

 あたしは大場先生に軽くお辞儀して、カバンを抱えて教室を出ようとした。

「あ、ちょっと、綿貫さん?」

 呼び止められて振り返ると、大場先生が広げた手の人差し指を唇に当てて小さく笑っていた。

「何でしょう?」

 大場先生の、何かこちらをからかうかのような様子に、ちょっとむっとする。

 今日は何かと止められる日だ。あたしが教室から出たら世界が滅ぶとでも言うのだろうか……。

「ちょっと、変なことを聞いてもいいかしら?」

 人差し指を口に当てて薄く笑いながら問いかける先生に、いらいらがつのる。

 あたしは、早く、うさみみに会いたいんだ!

「変な質問なのでしたら、答えるかどうかは内容によります」

「綿貫さん、あなた、みみとか、しっぽとかに興味があったりしないかしら?」

「……帰ります」

 大場先生はあたしのあだ名を知っていてそういうことを言うのだろうか。

 そのまま教室を出て行こうとしたら、また入り口に立ちふさがる影があった。

 ついさっきも同じようなことがあったなと思いながらじろりと睨み付けると、案の定エロ王子がへらへら笑いながら立っていた。

「エロ王子……」

 いったい今日は何なのだろう。あたしを教室に閉じ込めて、いったい何が目的なんだか。

「江口先生と呼ぶように。それと、ウサギのことは安心していいぞ。とりあえず異常ではなさげなんで、冷えピタをおでこに貼り付けて寝かせて来た」

「あの、今日はなんで、あたしの邪魔ばかりするんですか?」

 なんだか妙にタイミングがいい。もしかして、エロ王子ってばドアの外で待機してたのだろうか? 二度目ともなると偶然とは思えないんだけど……。え、まって、もしかして、最初の時も、エロ王子ってばあたしを待ち伏せしてた可能性あり……?

「ああ、今日用事を頼んだのは、実はついででな。本当のところは和狸、おまえに用があった。他のヤツがいるとおまえが困るだろうから、なんとかおまえ一人になるように色々画策してみた訳なんだが……」

 言いながら、エロ王子がずい、っと教室に入ってくる。あたしは何かエロ王子に得体の知れないものを感じて思わず後ずさっていた。中に入ったエロ王子が後ろ手にドアを閉めると、後方のドアはさっきあたしが閉めたままなので、教室は外界から完全に閉ざされてしまった。

 不安がつのる。先ほど胸を触られそうになったときの恐怖がよみがえった。

 身の危険を感じる。後ろに大場先生がいなかったら、あたしはきっと、叫び声を上げていたに違いない。

「……あたしにいったい何の用なんですか? わざわざ先生二人そろって、あたしに、何をしようっていうんですか?」

 通常の用件なら、わざわざこんな妙な手間をかけずに職員室に呼び出すなりするだろうと思う。エロ王子はあたしが困るからと言ったような気がするけれど、他の生徒や先生が居ないところでするような話っていったい何なのだろう。

 嫌な予感が膨らんでくる。舌で思わず口の中のチュッパチャプスを確かめてしまう。

 チェリー味のチュッパチャプスはだいぶ小さくなっていて、舌鼓に使うには少し心もとなかった。

「別にお前をどうこうしようというわけじゃない。大場先生に来てもらったのは、放課後に俺がおまえと閉め切った教室で二人きりなんて状況がいろいろまずかろうと判断した結果だ。大場先生も無関係ではないが、基本的に用があるのは俺のほうで大場先生は立会いみたいなもんだな」

「……」

 一体、何を言い出す気なのだろう、エロ王子は。後ろには大場先生がいるから、あたしに直接変なことをしたりはしないと思いたいけれど。

 身構えるあたしに、エロ王子が妙に真面目腐った顔で言った。

「おまえってさ、すっごくケモノミミとシッポが似合いそうなんだが、コスプレする気ねえ?」

 すごく真面目な顔ですごくおバカなことを言われて、あたしはかっと頭に血が上るのを感じた。

「何なの! もう! あたしの名前は綿貫です! あたしはたぬきじゃない! 先生達まであたしのことをバカにするんですか!」

「……誰もおまえがタヌキだなんて言ってないだろう? 少し落ち着けって、な?」

 へらへらと笑うエロ王子に、正直、殺意を覚えた。つい、かっとなって人を殺してしまうというのはこんな心境なのだろうか。カバンになにか武器になるものはあったろうかと考えている途中で、思わず口の中のチュッパチャプスをガリっと噛み砕いてしまって、は、と我に返った。

 今日あたしが持ってきたチュッパチャプスはあといくつ残っていただろうか……。

 スカートのポケットを気付かれないようにそっと探る。ハンカチしか入ってない。

「……まさか、あたしに用って、今のコスプレしないかって話ですか?」

「うむ。用件はそれだ。別にコスプレがあやしい趣味だというわけじゃないんだが、あんまり他人に聞かれたい話でもなかろ?」

 ふと、エロ王子の右手がジャージのポケットに入ったままなのに気がついた。

 何を隠しているんだろう?

「あー、もう少し正確に言うとだな。実は一年の生徒からコスプレ部を作りたいという話があって、俺が顧問をやっちゃる!と名乗りを上げたんだが、一人じゃ部の申請はできんだろう? 同好会なら最低三人、部なら最低五人はいるんで、あと最低二人そろえる必要があるわけなんだが……おまえ、コスプレ部に入る気はないか?」

 うさみみにあげたストロベリー味と、今噛み砕いてしまったチェリー味、たしかあとプリン味とチョコバニラ味があったはず。あ、プリン味はお昼になめてしまったんだった。

 チョコバニラ味は……どこにしまっただろう。

「大場先生といい、江口先生といい、何なんですか。生徒を教室に押し込めて、コスプレをしろだなんて、おかしいですよ? だいたい、そういう用件ならなんであたしにだけ言うんですか? HRとかでクラス全員に対して興味がないか聞くものでしょう?」

 胸を押さえる振りをして、胸ポケットを確認する。……あった……左のポッケだ。

「ごめんなさいね、綿貫さん」

 後ろから声をかけられて振り返ると、大場先生が両手を胸の前で合わせて、すまなそうな顔をしていた。

「あなたがそんなに嫌がるとは思ってなくて……」

 ちょっ、大場せんせ、あたしが喜んでコスプレするような人間だと思ってたの?

 ……いけない。いま一瞬、黒歴史を思い出しかけた。思い出してはいけない。

「お断りします!」

 警戒しながら、きっぱりと断る。

「あたしにはコスプレする趣味なんてありません!」

 視線で射抜くつもりでエロ王子睨み付けたが、エロ王子はなんだか不思議そうに、あたしをみつめている。

「参ったな。お前なら二つ返事でOKしてくれると思ってたんだが……」

「話はそれだけですよね? そこ、どいてください」

 なんで、あたしが喜んでコスプレするような人間だと思われていたのか気にならないではなかったけれど、今のあたしの最優先事項はうさみみだ。あたしは、うさみみを迎えにいかなきゃいけないんだ。

 じろりとエロ王子をにらみ付けると、無言で横にずれたので、ドアを開けて教室の外に出る。

「失礼します」

 言いながらドアを閉める。

「……残念だわ」

 ドアを閉めるときに、大場先生がつぶやくのが聞こえたが、あたしは気にしなかった。




 うさみみを迎えに行ったのだけれど、保健室には誰もいなかった。

 携帯を確認すると十分前にうさみみから『だいじょうぶだったけど、おでこいたいので先に帰るね、ごめん』というメールがきていた。

 色々あって気がつかなかったようだ。悪いことしたな、と思いつつ帰ることにした。

 エロ王子が全部悪い、うん。

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