1.レイの主宰
スノウ王国、1000年を超える歴史を持つ王国。
現スノウ国王は21代目、パリス=スノウ。王妃はフィリア=スノウ、ロイド家の次女である。
ロイド家は公爵家であり。代々、学者、官職者を輩出する系統で、才により取り立てられてきた名門だ。
領地や財を力にする他家とは一線をかくしていた。
フィリアは元々は、裁判庁の官僚であった。パリスとは社交会でたまたま出会い、猛烈な王子の求婚に屈したのが周知の真実だ。
第1王子は、アクア大学に留学中。第2王子アンジェロは10才、軍に人質に取られている状態だ。
‘王妃、王は元気に過ごされています。心配なさらず’
どこからか、微かな声がフィリアに届いた。
ここは王妃宮、切り立った崖に面した庭園だ。故郷に似せた、手があまり入れられていない庭。茂みがあちこちにあり、花も野生のものを植えた。
王妃は時々、崖に近いこの場所に椅子を置いて、広がる山々を眺める。そもそも宮廷に入る気がなかった彼女にとっては、唯一息が抜ける場所でもあった。
遥か向こうのテラスでは、女性の近衛兵がこちらを見守っている。
「まさか、近衛長がサン国に出かけている間に、あの男が動くとは思いませんでした。裏で動いている者を探しなさい」
端的な言い回しでも、彼女はよく理解していた。自分は王妃に名前を呼ばれることがない存在。しかし、王妃への忠誠心は血よりも濃く、王妃のお考えは言葉がなくても良くわかっている。
‘軍が大学を掌握しました’
フィリアは思いがけない動きに問い直す。
「大学?何故に??」
最も関係ない場所に思えた。
‘詳細はわからないのですが、トーマスという男が学長に就いたようです。ロンシャン元学長とトン教授は学内に軟禁されているとか’
‘多くの研究者はいち早く国外に脱出し、重要文献も国外に待避されたとか。軍事施設化しようとしたのかと思ったのですが……’
「ロンは何か勘づいているみたいね」
フィリアは頑固な甥っ子を思い出す。
(あの子が巻き込まれていなければいいけど……)
何となく嫌な予感がした。
「レオはまだ動かないように。あとはお前に任せる。この状態を早くなんとかしなさい」
王妃が主宰する、影の部署。噂ではレイ室とよばれ、無い部屋、あってはならない部署。王も知らない、裏で王国を支える存在だった。代々の王妃が主宰を務める諜報機関。
それを取り仕切るのは茂みに身を潜めていた女、アオ。代々受け継がれるこの役目は、血統ではない。国籍でもない、次の後継者は幼少の時から定められるのだ。全ての能力と忠誠心に基づいた選定。
ちなみに、アオは難民として転々としていた時に拾われた。国籍を持たない女だ。そして、メンバーは内偵に内偵を重ねた上、選定にかけられる。王妃の甥、レオナルドは幼少期から目をつけられていた。
双子の兄は全く適性が無かったが……。
王妃の何とかしなさいは、自由にやりなさいだと心得る。アオには次の行動が既に見えていた。
‘では’
そう言うと、静かにその場を離れた。
去った気配を察すると、フィリアはスーッと大きく息を吸った。この目的がハッキリしない軍の動き。別の意図がいくつかあって、別々に動いている気がする。
現に軍は完全にこの国を掌握できていない。そもそも計画性に問題があるとも言えるが。国境をすぐに閉鎖できなかったのは、官が邪魔をしているからだ。
文武を完全に分けていた国王は、さすがとも言えるだろう。軍の上層部には文官出身者を置くくらいの用意周到さ。クーデターなど起こるはずもなかった。しかし、それは起こった。
(誰かが裏にいる。あの将軍はそこまで頭が回るはずがない)
「スノウ大学に、何があるっていうの」
フィリアは小さく呟いた。
クーデターはそんなに心配はしていない。この国の官は賢い、軍を手玉に取るくらい簡単だ。それに、軍には王の息がかかった優秀な人材がいる。(今は様子を見ているのだろう)レイも動く。
(後は、近衛長が戻ればなぁ……)
王と王妃が築き上げた体制は、実はかなり盤石だったりする。パリスは穏やかで虫も殺さないようだが。
実は戦略家で油断ならない人物なのだ。自分を王妃にするために、散々なことをやってきたものだ……。
にしても、国内を乱した現状……。
「ダメダメだわ」
誰かに隙を与えた。こちらも本気にならなければ、またしてやられることになる。
「隠れているのは誰なのかしらねぇ」
王妃は広がる山々に問いかけた。