7.朱色の追跡
アクア共和国、スノウ国、サン国。それらは隣接しながらも、争いはなく、協力して発展してきた。
アクア共和国は、辺境の地パプチ地区と長年に渡り小競り合いを起こしている。スノウ国とアクア国に接している、よろずの神の国ヤマトは不可思議な国で特に目立つ国ではなかった。
サン国立大学は芸術に秀でている。もちろん、法学、工学、理学、医学など他の分野も優れた学者を輩出していたが。芸術は他の2校よりも飛び抜けていた。
ここには美しい庭園を抱いた大きな屋敷がある。木には赤い大きな花が咲き乱れ、蝶が舞い、青々とした芝生が広がる。 白の大理石が庭のあちこちに置かれ、
小さな噴水も水を弾かせている。芸術的な美を優先した建物、豪華絢爛さは際立っている。
大きく開かれた全面ガラス張りの扉から、甘い香りが大理石の床を掠めながら寝室に入ってきた。その香りで目が覚めたのか、男はフラフラする頭を押さえ、ベットから上半身を起こした。腰まで伸びた異様に美しい銀色の髪が肩の前に落ちる。
男が傍を見ると、見知らぬ女が寝ていた。
「昨日はハメを外しすぎたか……」
近くにあったガウンを羽織るとベットから這い出て、リビングに向かって裸足で歩き出した。
リビングの前には、年配のメイドが立っていた。
「坊っちゃん、お客様が2時間ほどお待ちしていますよ!」
(坊っちゃんって、そんな歳でもなかろうに)
男は、相変わらずの対応に苦笑いを浮かべる。
「俺が呼んだわけじゃない。帰ってもらっても良かったのに」
そう言うと、凄い目つきで睨まれる。
相当、起こしに来たに違いない。全く覚えてないが。
(めんどくさい、ほっといて欲しいものだ)
男は裸足のままリビングを通り過ぎ、応接間に入った。着崩したガウンで来客に会うなんて、普通はありえないが。この男にとっては、ごく普通のことであった。
まあ、自由というか、常識からかけ離れた世界にいると言うか、だらしないというか。
ソファにドン!と座り、客人の男に目をやった。とても客を迎える態度ではない。
「で?誰?いきなり来るって失礼じゃない?」
お前が言うか、と客人は思ったが。男は静かに答えた。
「フィル・モリコーネ教授のお孫さん、アール・モリコーネさんですね。私はトーマスという者です」
アールは灰色の瞳で、トーマスと言う男をじっと見つめる。
(祖父がらみのことだろうか?)
ますます面倒くさくなりそうで、アールの機嫌はさらに悪化する。ますます不快感を表していた。
「僕は女性しか描かないんだよ。男と話す趣味もないんだけどね。何しに来たの?」
トーマスは噂通りの人物だ、と口の中が苦くなった。自分勝手で、謙虚さからは遠く離れた存在だ。
「フィルさんの助手だった方を覚えてますか?」
「は?知る訳ないじゃん!じーちゃんの記憶なんてほとんど無いよ」
(何故、親父のところに行かなかったのだ?親父の方が同じ研究者なんだし、知ってるだろうに)
「では、失礼ですが。フィルさんの数々の論文は、別の人が書いたというのは本当ですか?」
(は?何言ってんだ?このオッサン?)
そんなこと知らないし、興味もない。そもそも、楽しくもない。
「知らないよ。それにさ、孫にじーさんは盗作したかって聞く?なかなか面白いよね、あんた」
トーマスは空振りだったか、と思い始めていた。
さすがに、孫が知っているわけない。息子があまりに頑なで、取り合ってくれないから来てみたが。サン国まで来て無駄足だったと、ため息が漏れそうだった。
クックック!
突然、アールが思い出したかのように笑い出した。トーマスは唖然とする。
「あんたさ、記者かなんか?警察?どうせ、親父に門前払い食らったんだろ?」
もう何年も会わない父の性格は良くわかっている。普段は穏やかで社交的な人だ。むしろ、面倒臭いくらい。丁寧。規則正し過ぎるくらい、規則規則規則。
もし、そんな態度をしたとしたら、隠したいことがあったに違いない。
案の定、トーマスは気まずそうな顔をしている。
「まあ、俺が知ってることは、親父の毛嫌いしている名前があることかな」
アールは顎を上げると、冷たく微笑んだ。
「ケイ、親父はその名前が大嫌いだよ」
(ケイ?掴んだかも知れない……確か、そんな名前があったような……)
トーマスは直感した。胸が高鳴るのを押さえきれない。
(たぶん、このケイが探してきた男だ!)
アールには別にどーでもいいことだった。早く帰って欲しい。変に喜んでいるトーマスを一瞥すると、興味なさげに視線を外す。
しかし、外した視界の隅に嫌なものが目に入った。
「アール様!探しましたよ〜」
向こうから面倒が歩いてくる。誰か知らない女だ。昨日の記憶すらほとんど皆無だった。これ以上、面倒臭いことに関わるのはごめんだ。
「え?あんた誰?用が済んだら帰ってくれる?あんたじゃモデルにもならないし。金ならあっちにいたメイドに言えば貰えるから」
アールは興味なさげに、冷たく言い放つ。物乞いを見るが如く、汚わらしいと言わんばかりだ。
女は信じられないという目をする。彼女には昨日の記憶がしっかりと残っている。天と地ほどの扱いの違いだった。
美しく才能ある男だとしても、クソだと思った。
「あ、トーマスだっけ?知ってること教えたんだし。あの子連れて帰ってくれる?」
アールは大きく背伸びをする。
(もう一眠りしようか……昨日の酒がまだ残っている)
トーマスは黙って立ち上がると、女に目くばせをした。女は黙って頷くと、そそくさと出て行く。
それに目をやって、アールはやはりと思う。
(あの女はトーマスの用意した女か)
背伸びをしながら、父のことを思う。そんなに拘わり続ける相手がいることが不思議だった。
「ケイかぁ。俺はどーでもいいけどね」
アールは背もたれに大きく体を預けると、天井を見上げた。