3.商家の娘
リュウはシュリに手を引かれながら、ただただ歩いた。
「リュウ、なかなか来れなくてゴメンネ」
(シュリの静かな声が好きだ)
「シュリ、僕はいいんだ」
リュウも静かに話す。
リュウはシュリとしか話さない。自分が口を開いてもいい事はない、それはだいぶ前に学んだことだ。
「たまに、シュリと話せればいいんだ」
その言葉で、シュリの手にグッと力が入る。
「リュウ、もうちょっと待って。私、力を持ってきっと引き取るから」
シュリは唇を噛み締めた。
父は母と違って、リュウを快く思っていない。子供の自分には、引き取るほどの力はなかった。
できる事といったら、、少しずつ父の信頼を勝ち取り、力を持つことだった。商売を必死に学び、日々の努力を重ね、ちょっとした商品を動かすくらいにはなった。
「シュリ、僕のことはいいんだよ。僕はいつ死んだっていいんだ。こだわりもないし、意味もないから」
リュウは自分のことについて大して興味はなかった。
「そんなこと言わないで!私にはあるから!!」
シュリは声を荒げた。
亡くなった母との繋がりは、もうこの子しかない。そして、自分のここでの唯一の執着はこの子だけだ。この子を失ったら、自分には家族はいなくなる。父とは母の死後、上手くいかなかった。
シュリは今年で12歳になる。リュウは多分、6歳。
子供2人が何を言ってるんだろうと思うだろう。 何、大人みたいなことを言って、親は何してるんだろうと。それだけ、この2人は孤独だった。誰が思うより孤独だった。
どれだけ歩いただろう。20分ほど経った頃に、赤い煉瓦の建物が見えて来た。立て札には「緑商会」シュリの父の会社だ。(とはいえ、その社長は出張中だが)
シュリは重たいドアを開けて、リュウと共に入った。
「帰ったわ」
シュリの声が聞こえると、背の高い男が出てきた。生真面目そうな体の線が細い男だ。
「外は風は酷かったでしょ?とりあえず、風呂の準備はしてありますよ」
「エイキチ、リュウをお風呂に入れてあげて」
シュリがそう言うと、「はいはい」と背の高い男はリュウの手を引いた。
「リュウくん、僕と一緒に来てください。この格好ではウチには入らないですから」
その言葉にリュウは小さく頷く。シュリの迷惑にはなりたくはない。ここには職員用のお風呂がある。裏に倉庫があり、そこで作業をする人用に創られたものだ。
毎回そこに連れて行かれ、石鹸で全身をくまなく洗われる。爪を切り、髪を切り、綺麗な服を着せられる。
そうすると、大抵はエイキチに言われるのだ。
「リュウはハンサムくんだね」
エイキチはシュリの叔父さんで、シュリのお母さんの弟らしい。そして、緑商会を支えてる人らしい。身支度を整えて、シュリの元へ向かう。
シュリは2階の奥の部屋に居た。古く重い黒い机に向かい、帳簿を開いて、何やら書いている。
「この前のリュウの予想通りに、大豆が値上がりしたわ。おかげでだいぶ儲かったわ」
そう言い終わると、手元から目を上げ、リュウを見据えた。
「父が認めてくれた。私が扱えるものが増えたわ。あなたばかりを頼ってられないけど、助かったわ」
リュウはニッコリと笑った。シュリの役に立てるのは嬉しかった。
シュリはリュウを見つめる。
どうして、字の読めないこの子が相場を読めるのかわからないが、ここ何回か、この子の予想が的中している。
前にここに連れてきたときに、本棚にあった仕入れ値の台帳に興味を示した。 見てみたいというので、見方を教えてみた。
そしたら、過去10年分の気候データを見たいと言う。わけがかわからなかったが、面白がったエイキチが探して与えた。それから、各土地の新聞も集めさせ、気になるものを読んでくれという。そうして、未来を予想したことを言うのだ。もしかしたら、この不思議な少年は大量のデータをインプットし、分析し、先読みをしているのかもしれない。
リュウが予想を的中し始めると、状況は変わってきた。最近ではエイキチが協力してくれるようになり、こうやって時々、父がいない時にリュウを連れてくる。
シュリにとっては、綺麗にして、飯を食べさせたいだけだが。 悲しいかな、世の中はタダでは許されないのだ。
油屋の女将は、バカな子供だと思っているのだろうが。リュウは賢すぎる子だと思う。そもそも、リュウが話さなくなったのも、そこらへんが影響してたりもする。この子はなんとなく、モノの仕組みや結果がすぐにわかってしまうのだ。
それは必ずしもいい時ばかりではない。求められない場所では、トラブルでしかないのだ。
「リュウ、あなたをアカデミーに入れたいわ」
シュリはリュウを見つめる。
「あなたはそこに行くべきよ」
今はまだ無理だけど、私が大きくなったら、この子を相応しいところに連れて行けるかもしれない。 シュリは彼の才能に特別なものを感じていた。
「僕には何もないよ」
リュウは嫌な顔をする。わからないところに行きたくないのだ。
リュウはシュリの教育方針の話には興味がなく、新聞の山の方に関心を移した。
それに、勘が良いエイキチが気づいた。
「シュリは仕事があるから、リュウは隣の部屋に連れて行くね」
「わかったわ」
書類から目を離さずに、シュリは頷いた。
その様子は父親にそっくりだった。本人は嫌だろうが、血は争えない。
(姉に似れば幸せだったかもな)
そんなことを思いながら、エイキチはリュウと共に部屋を出た。腕には大量の新聞を抱えて……。
隣の部屋は、畳の部屋で、休憩用に社長が作った部屋だ。
そこの部屋の畳に新聞を置くと、エイキチはリュウと共に座る。
「リュウ、本当は字が読めるようになったんだね?」
リュウはとっさにエイキチを睨んだ。
「大丈夫だよ。シュリには言わないから」
「どうして……」
「わかったかって?」
リュウは小さく頷く。
「君の目の動きを見てて、何となくかな?」
リュウはこの男は侮れない、と改めて肝を冷やす。見ていないようで、よく観察しているようだ。
「でも、凄いなぁ。教わらなくても覚えちゃうんだな」
(読んであげてはいたけど、それだけで憶えるとは……)
「文字は記号だから、意味を覚えればそれまでだよ」
リュウは新聞をぺらぺらと捲る。 一見、遊んでいるようだが、多分、ちゃんと読み終えてからめくっている。
「シュリに害がない限りは、俺は特に何もしないけど。そうで無くなった時は、引き離すからな」
この得体の知れない少年は面白いが、姪っ子が第一だ。
「心配いらないよ。シュリのためにしか、僕は動かないから」
少年は何の感情もない声で言った。
とても、6歳やそこらの子供とは思えない。そして、どことなく寂しげだった。
「シュリには言わないで、僕はどこにも行きたくないんだ」
そう口を開いた時には、新聞を全部見終えていた。
「スノウ国から資金を引き上げた方がいいと思うよ」
「え??」
「たぶん、しばらくしたら動かせなくなると思う」
「スノウは伝統的な国で、情勢も安定してるところだぞ?」
「たぶんね、クーデターが起こると思う」
(そんなはずはない)
自分だって新聞は毎日読んでいるし、政治の話だって日常的に見聞きしている。そんなことがことが起こるなら、何らかの情報の切れ端は手にしているはずだ。商会というのはそういうところだ、情報が鍵なのだ。
「さっき、隣の部屋で、各市場の価格推移データも見たんだ。鉄鋼石の価格が上がってきてる。原因は供給が落ちてるから。たぶん、スノウ鉄鋼石が市場に出ていない」
リュウは深い緑の瞳をくるりと動かす。
「それでいて、採掘量は減ってなさそう。で、隣の国の工場はどこも稼働率を上げてる様子。でも、鉄鋼石の輸入は増えてない」
リュウは爪を噛む。
「スノウアカデミーの学長が変わったみたいだよ」
エイキチは嫌な予感がしてきた。少年は冷たい目で遠くを見ている。
「スノウ国、なにか変わったことをしそうな予感がしない?」
遠い国のことなど、リュウにはどうでもいいが。
「新しい学長は、外部から呼んだみたいだよ。トーマスって言うんだって」
エイキチは更に嫌な予感がした。
自分の母校、スノウ。トーマスという異端者がいたと聞いたことがある。確か、軍の研究所に行ったとかいう。大学の恥だと記録は抹消された筈だが……。
「わかったよ。それとなく社長に言ってみるよ」
こんな子供の言うこと、戯言に過ぎないだろう。本当なら政府が既に動いているはずだ。しかし、なぜか胸騒ぎがする。
さすがに、よくわからないのに資金を全部を動かすことはできないが、輸入品に変えて国から出そう。それなら、間違ったとしても格好がつくだろう。
「シュリには言わないでね」
「わかった。しかし、君はいつまで隠すつもりなの?」
その賢さを、という言葉は省略した。
その省略さえも読み取り、リュウは困った顔をした。
それは極めて6歳児の顔だった。