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天の雫  作者: 紘仲 哉弛
第1章 嵐の前の静けさ
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3.商家の娘

 リュウはシュリに手を引かれながら、ただただ歩いた。


「リュウ、なかなか来れなくてゴメンネ」


(シュリの静かな声が好きだ)


「シュリ、僕はいいんだ」


 リュウも静かに話す。


 リュウはシュリとしか話さない。自分が口を開いてもいい事はない、それはだいぶ前に学んだことだ。


「たまに、シュリと話せればいいんだ」


その言葉で、シュリの手にグッと力が入る。


「リュウ、もうちょっと待って。私、力を持ってきっと引き取るから」


 シュリは唇を噛み締めた。

 

 父は母と違って、リュウを快く思っていない。子供の自分には、引き取るほどの力はなかった。

 できる事といったら、、少しずつ父の信頼を勝ち取り、力を持つことだった。商売を必死に学び、日々の努力を重ね、ちょっとした商品を動かすくらいにはなった。


「シュリ、僕のことはいいんだよ。僕はいつ死んだっていいんだ。こだわりもないし、意味もないから」


 リュウは自分のことについて大して興味はなかった。


「そんなこと言わないで!私にはあるから!!」


 シュリは声を荒げた。

 

 亡くなった母との繋がりは、もうこの子しかない。そして、自分のここでの唯一の執着はこの子だけだ。この子を失ったら、自分には家族はいなくなる。父とは母の死後、上手くいかなかった。


 シュリは今年で12歳になる。リュウは多分、6歳。


 子供2人が何を言ってるんだろうと思うだろう。 何、大人みたいなことを言って、親は何してるんだろうと。それだけ、この2人は孤独だった。誰が思うより孤独だった。


 どれだけ歩いただろう。20分ほど経った頃に、赤い煉瓦の建物が見えて来た。立て札には「緑商会」シュリの父の会社だ。(とはいえ、その社長は出張中だが)


 シュリは重たいドアを開けて、リュウと共に入った。


「帰ったわ」


 シュリの声が聞こえると、背の高い男が出てきた。生真面目そうな体の線が細い男だ。


「外は風は酷かったでしょ?とりあえず、風呂の準備はしてありますよ」


「エイキチ、リュウをお風呂に入れてあげて」


 シュリがそう言うと、「はいはい」と背の高い男はリュウの手を引いた。


「リュウくん、僕と一緒に来てください。この格好ではウチには入らないですから」


 その言葉にリュウは小さく頷く。シュリの迷惑にはなりたくはない。ここには職員用のお風呂がある。裏に倉庫があり、そこで作業をする人用に創られたものだ。


 毎回そこに連れて行かれ、石鹸で全身をくまなく洗われる。爪を切り、髪を切り、綺麗な服を着せられる。


 そうすると、大抵はエイキチに言われるのだ。


「リュウはハンサムくんだね」


 エイキチはシュリの叔父さんで、シュリのお母さんの弟らしい。そして、緑商会を支えてる人らしい。身支度を整えて、シュリの元へ向かう。


 シュリは2階の奥の部屋に居た。古く重い黒い机に向かい、帳簿を開いて、何やら書いている。


「この前のリュウの予想通りに、大豆が値上がりしたわ。おかげでだいぶ儲かったわ」


 そう言い終わると、手元から目を上げ、リュウを見据えた。


「父が認めてくれた。私が扱えるものが増えたわ。あなたばかりを頼ってられないけど、助かったわ」


 リュウはニッコリと笑った。シュリの役に立てるのは嬉しかった。


 シュリはリュウを見つめる。

 どうして、字の読めないこの子が相場を読めるのかわからないが、ここ何回か、この子の予想が的中している。


 前にここに連れてきたときに、本棚にあった仕入れ値の台帳に興味を示した。 見てみたいというので、見方を教えてみた。


 そしたら、過去10年分の気候データを見たいと言う。わけがかわからなかったが、面白がったエイキチが探して与えた。それから、各土地の新聞も集めさせ、気になるものを読んでくれという。そうして、未来を予想したことを言うのだ。もしかしたら、この不思議な少年は大量のデータをインプットし、分析し、先読みをしているのかもしれない。

 

 リュウが予想を的中し始めると、状況は変わってきた。最近ではエイキチが協力してくれるようになり、こうやって時々、父がいない時にリュウを連れてくる。


 シュリにとっては、綺麗にして、飯を食べさせたいだけだが。 悲しいかな、世の中はタダでは許されないのだ。


 油屋の女将は、バカな子供だと思っているのだろうが。リュウは賢すぎる子だと思う。そもそも、リュウが話さなくなったのも、そこらへんが影響してたりもする。この子はなんとなく、モノの仕組みや結果がすぐにわかってしまうのだ。


 それは必ずしもいい時ばかりではない。求められない場所では、トラブルでしかないのだ。


「リュウ、あなたをアカデミーに入れたいわ」


 シュリはリュウを見つめる。


「あなたはそこに行くべきよ」


 今はまだ無理だけど、私が大きくなったら、この子を相応しいところに連れて行けるかもしれない。 シュリは彼の才能に特別なものを感じていた。


「僕には何もないよ」


 リュウは嫌な顔をする。わからないところに行きたくないのだ。


 リュウはシュリの教育方針の話には興味がなく、新聞の山の方に関心を移した。


 それに、勘が良いエイキチが気づいた。


「シュリは仕事があるから、リュウは隣の部屋に連れて行くね」


「わかったわ」


 書類から目を離さずに、シュリは頷いた。


 その様子は父親にそっくりだった。本人は嫌だろうが、血は争えない。


 (姉に似れば幸せだったかもな)


 そんなことを思いながら、エイキチはリュウと共に部屋を出た。腕には大量の新聞を抱えて……。


 隣の部屋は、畳の部屋で、休憩用に社長が作った部屋だ。


 そこの部屋の畳に新聞を置くと、エイキチはリュウと共に座る。


「リュウ、本当は字が読めるようになったんだね?」


 リュウはとっさにエイキチを睨んだ。


「大丈夫だよ。シュリには言わないから」


「どうして……」


「わかったかって?」


 リュウは小さく頷く。


「君の目の動きを見てて、何となくかな?」


 リュウはこの男は侮れない、と改めて肝を冷やす。見ていないようで、よく観察しているようだ。


「でも、凄いなぁ。教わらなくても覚えちゃうんだな」


(読んであげてはいたけど、それだけで憶えるとは……)


「文字は記号だから、意味を覚えればそれまでだよ」


 リュウは新聞をぺらぺらと捲る。 一見、遊んでいるようだが、多分、ちゃんと読み終えてからめくっている。


「シュリに害がない限りは、俺は特に何もしないけど。そうで無くなった時は、引き離すからな」


 この得体の知れない少年は面白いが、姪っ子が第一だ。


「心配いらないよ。シュリのためにしか、僕は動かないから」


 少年は何の感情もない声で言った。


 とても、6歳やそこらの子供とは思えない。そして、どことなく寂しげだった。


「シュリには言わないで、僕はどこにも行きたくないんだ」


 そう口を開いた時には、新聞を全部見終えていた。


「スノウ国から資金を引き上げた方がいいと思うよ」


「え??」


「たぶん、しばらくしたら動かせなくなると思う」


「スノウは伝統的な国で、情勢も安定してるところだぞ?」


「たぶんね、クーデターが起こると思う」


(そんなはずはない)


 自分だって新聞は毎日読んでいるし、政治の話だって日常的に見聞きしている。そんなことがことが起こるなら、何らかの情報の切れ端は手にしているはずだ。商会というのはそういうところだ、情報が鍵なのだ。


「さっき、隣の部屋で、各市場の価格推移データも見たんだ。鉄鋼石の価格が上がってきてる。原因は供給が落ちてるから。たぶん、スノウ鉄鋼石が市場に出ていない」


 リュウは深い緑の瞳をくるりと動かす。


「それでいて、採掘量は減ってなさそう。で、隣の国の工場はどこも稼働率を上げてる様子。でも、鉄鋼石の輸入は増えてない」


 リュウは爪を噛む。


「スノウアカデミーの学長が変わったみたいだよ」


 エイキチは嫌な予感がしてきた。少年は冷たい目で遠くを見ている。


「スノウ国、なにか変わったことをしそうな予感がしない?」


 遠い国のことなど、リュウにはどうでもいいが。


「新しい学長は、外部から呼んだみたいだよ。トーマスって言うんだって」


 エイキチは更に嫌な予感がした。


 自分の母校、スノウ。トーマスという異端者がいたと聞いたことがある。確か、軍の研究所に行ったとかいう。大学の恥だと記録は抹消された筈だが……。


「わかったよ。それとなく社長に言ってみるよ」


 こんな子供の言うこと、戯言に過ぎないだろう。本当なら政府が既に動いているはずだ。しかし、なぜか胸騒ぎがする。


 さすがに、よくわからないのに資金を全部を動かすことはできないが、輸入品に変えて国から出そう。それなら、間違ったとしても格好がつくだろう。


「シュリには言わないでね」


「わかった。しかし、君はいつまで隠すつもりなの?」


 その賢さを、という言葉は省略した。


 その省略さえも読み取り、リュウは困った顔をした。


 それは極めて6歳児の顔だった。






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