2.油屋とお嬢様
土埃が舞っている。
今日は特別風が強く。
舗装されていない道は土をむき出しにしている。
少年は目を細めながら、道ゆく人を見ていた。
子供を抱え、庇いながら歩く女。
顔の周りに布を当てて歩く大男。
それぞれが先を急いでいた。
「こんな日は店を早く閉めようぜ」
恰幅の良い若い男が嬉しそうに話す。その若い男は店に土埃が入らないように、いそいそとガラス戸を引き始めた。
「こら!ダン!なに店閉まいしようとしてんだい!!」
店の奥から、痩せた中年の女がバタバタと出てくる。ダンは慌ててガラス戸から手を離した。
「母さん、こんな酷い日に客なんて来ないよ」
ダンは恐る恐る母を見る。
「わからんだろ!それにシュリお嬢様がまだ来てないじゃないか!」
女は遥か向こうに目をやった。
あのお嬢様は、必ず金曜日にやってくる。ほんの少しの油を買いに来るだけだが、万が一、来た時に店が閉まっているのはマズイ。とても優しい方だが、この金曜日は別だ。こちらの都合で閉めてしまったら、あのお方は酷く激怒するのだ。
「所詮、子供じゃないか」
ダンは不服そうに、ボソリと言う。
「は???何だと?」
女は目を見開いた。
あのお嬢様は商家の1人娘。この国で1番大きな商家、緑家の娘だ。それも、恐ろしく頭が良く、次期の当主は間違いない……。
「あの子は油を買いに来るんじゃない。リュウに会いに来るだけだろ」
ダンは控えめにボソボソと言う。
女は苦笑いをする。
(リュウか……あのよくわからない子供)
ある日、店を開けたら、母子で行き倒れていた。子供だけ生き残った、面倒なことに。役所に引き渡そうとしたら、緑家の奥様が「月々お金を出すから面倒を見て欲しい」と言う。
(なぜそこまでしてやるのか、母親の知り合いでもないのに)
おまけに成長した緑家の娘はその子を気に入り、毎週様子を見に来ている。
その子がリュウだ。
リュウは口をきけない。字も書けず、ただ地面に絵を描いている。それも意味不明な記号ばかり。店の手伝いどころか、家の手伝いすらできない。
(所謂、穀潰しだ)
奥様が生きておられた時は毎日金が貰えだが、亡くなってからは無くなった。週に1度、お嬢様が油を買いに来るだけだ。正直、迷惑なお荷物を追い出したいが、それもできない。
1度追い出そうとして、店の仕入れを止められそうになった。あのお嬢様が裏で何かしたらしい。
(恐ろしい娘だ)
まだ子供だからお金は持てないが、どうも帳簿や伝票を握っているようだ。
(リュウ、リュウ!いったいこのガキがなんだってんだ!?)
店の前でしゃがんでいる男児を睨みつける。
リュウと呼ばれるその子は髪は伸び放題、ボロボロな服を着て、臭いは酷い。手は土だらけ、薄汚れた顔、割れた唇は汚らしい。痩せてこけた顔と虚ろな瞳、それに似つかわない深緑の瞳。まあ、瞳だけは綺麗だった。
リュウは遠くを見ながら、一瞬、ふと笑みを浮かべた。
(あっ、来たのだな)
女は気付いた。
「女将さん、いつものちょうだいな」
その声に女が振り返ると、深い紅色の生地に金の刺繍を施した、それはそれは見事な着物を着た少女が立っていた。
艶やかな黒髪は1つに纏められ、白く透き通りそうな肌は紅色をいっそう引き立てた。太く形の整った眉は知性を表し、大きな黒い瞳は美しい。亡き母を生き写していた。
「シュリ様、お待ちしておりましたよ」
そう言うと、ダンに目をやった。ダンは無言で準備をする。
「女将さん、明日の朝までリュウを連れて行くわね」
少女は女にそっと包みを渡す。
女はギョッ!と驚いた。
リュウを時々連れて行くのはよくあるが、物を渡されることなど今まで無かった。触った感じ、お金の感触がする。
「もちろんでございますよ!お嬢様!」
女は作り笑いをしながら、早々に懐にしまう。
ダンが小瓶を持ってきて、シュリに渡した。
「リュウ、行くわよ。ついて来て!」
シュリがそう言うと、リュウはゆっくり立ち上がり、近くに寄り添う。土だらけの手に臆することなく、シュリはリュウの手を引いた。
「女将さん、リュウは明日、家の者に送らせるから」
やれやれと女は思う。
(別に返しに来なくてもいいのに)
しかし、懐の重みがあるので、今日はいくらか気分はましだ。
そっと頭を下げた。
それを見届けると、シュリはリュウと歩き出した。