憎み愛、家族
久しぶりに施設にいる祖母に会った。祖母は孫である私を冷めた目で見てこう言った。
「二度と顔見せるな」
少しボケてきてはいたが祖母が相変わらずであり、私は笑ってしまった。
家族の形とは様々なもの。仲の良い家族、仲の悪い家族、いろいろあるだろう。
テレビドラマ、大草原の小さな家、テレビアニメ、サザエさん、などを見て育った人には、古き良き家族の在り方というステレオタイプが染み込んでいるのではないだろうか?
私はと言えば類が友を呼んだのか、友人達から聞く話には親に殺されかけたというものが多い。
夜中に息苦しくて目が覚めたら、親が馬乗りになって首を締めていた。
酔っぱらった親に壁に投げつけられて救急車で運ばれた。
といった家族の話をよく聞いた。
そんな友人に私の家族の話をするとけっこうウケる。楽しんでもらえる。
『お前の家族をテレビドラマにしたら、訳の分からないことが多すぎてリアリティが無くなる。少し削らないとな』
と、友人は笑いながら言う。私にとってはリアルな出来事にリアリティが無いと言われたものだが、現実とはときに小説やマンガよりもリアリティの無いものだろう。
私の祖母とは、古い時代の田舎の日本人には、ありがちな人だろう。
祖母は家業を受け継ぐ長男を大事に育てた。私の父は長男であり、二人の弟、次男と三男は長男の奴隷として育てられた。
長子相続が当然とするかつての日本ではよくある家庭内カースト制度。祖母は父を、家業の為には家族を犠牲にするのが当たり前という育て方をした。
この辺りは私から見て叔父である、父の弟二人から愚痴として聞いた。長男とそれ以外の間には階級差とでも呼ぶような壁があったという。
父は祖母の言うことを良く聞く良い子であったという。その結果に仕事のストレスは家族を殴って晴らし、外面では良い社長と取り繕うのが上手くなったらしい。
私も子供のときは、父に父の会社の株主に売られそうになった。また、景気が悪くなったときには私に生命保険がかけられたことがある。
父のもと同級生の保険屋が計画実行の前にヘタレて逃げたので、私はこうして生き延びてしまっている。
父は家族に被害を与えるのは自分に許された当然の権利だと考えているので、父が母を殴るのは日常のことだった。
今では父と母は離婚し、私は父の戸籍からは離れている。だからといって血の縁とは、相手が生きていて干渉してくると離れ難い。
両親の離婚後、祖母が私に度々、
「息子(私の父)が暴力をふるう」
と泣き声で電話してくるようになった。
かつては父と祖母が二人して、母を頭がおかしくなるまで苛めていたのだが。母といういたぶる対象がいなくなってからは、父は祖母を殴る蹴るとするようになったらしい。身近に他にサンドバッグがいないから仕方無い、というところだろうか。
父も祖母も、『自分より下の人間に被害を与えるのは自分に許された当然の権利であり、自分以下の人間が私の気分を害することは絶対に許されない』という考え方の人だ。
このものの考え方は時代劇に出てくる悪代官や悪徳商人など、物語の悪役としてはよく出てくるタイプ。
また、この思考とは大なり小なり多くの人が持つものでもあり、だからこそ物語の小悪党とは簡単に想像ができる。そこにリアリティが生まれる。
話を戻すと祖母が言うには、父が祖母を殴る蹴るして年金を奪うのだという。だが、家族から奪って家業に注ぎ込むことを当然とした教育を、父にしたのが祖母である。私から見ると自業自得、自縄自縛としか思えない。
それを涙混じりに電話で孫に、なんとかしてくれと訴えてくる。今さら私にどうしろと。
私はこのとき離れたところで一人暮らしをしていたが、一度、田舎に戻り父と祖母の顔を見に行くことにした。
父が祖母を殴り殺す心配も少しはあったが、それよりも父が再婚した相手に興味があった。あんな人でなしと結婚しようとは、よほど人を見る目が無いのか、自ら不幸と苦難に向かう宗教的情熱の持ち主なのか。
再婚相手の宗教に父が改宗したことも聞いていたので、次はどんなカルトなのか、と。
父からも私に、その宗教に入れという話もあった頃だ。宗教絡みの厄介ごとに巻き込まれる前に、少し情報収集しようという気もあった。
一方で父の会社に勤める人からは、
『社長が新しく入信した宗教の儀式の為に、その宗教の本拠地に赴き仕事を休む。あの社長は何を考えているんだ?』
という苦情を聞いていた。
会社の経営を神頼みするために仕事を休む辺り、すでにいろいろ終わっている。
さて、私が田舎に行き目にしたのは、父が新しく建てた新居の一軒家だった。再婚した新しい妻と暮らす為の家。
新しくした家で新しい妻と、人生と家族のリスタートのつもりだろうか。
二階建ての一軒家は、一組の夫婦とお婆ちゃんの三人家族が住むには、広い家だった。
その家の中で見たものに首を傾げて苦笑しそうになるのを堪えるのは難しかった。
台所には、
炊飯器が二台
冷蔵庫が二台
電子レンジが二台あった。
もう一度繰り返すと、この一軒家には三人しか住んでいない。なのに台所の家電製品は二台ずつある。意味不明。新しい家には新品の家電製品が二台ずつ。
祖母と父と父の再婚相手と話をして、その謎は解ってきた。
祖母と再婚相手の仲が悪い。父の新しい妻は祖母と仲良くしようとしたが、はっきり言って祖母と仲良くできる人という者はいない。
そして祖母は新しい妻が気にいらない。信仰する宗教も気にいらない。自分の息子がその宗教に改宗したことも気に食わない。
同じところに住み仲良くなることを『同じ釜の飯を食う』と言ったりするが、これはその真反対。
『同じ釜の飯は食べたく無い』
だから炊飯器が二台必要になる。同じ冷蔵庫のものを食べたくない、と言うから冷蔵庫も二台必要になる。電子レンジも同様に。
家族の仲が悪いことで電化製品が複数必要になる。電気の無駄にしか思えない。
話を聞けば今の悩みは、新しい洗濯機を買ったら何処に置けばいいのか、というものだった。洗濯機も二台にするという。まったくもってバカバカしい。
そんなに仲が悪ければ離れて暮らせばいいと思うのだが。
しかし、父の弟たち、次男の家庭と三男の家庭は祖母を引き取ることは断固拒否。これも当然のことだろう。ようやく奴隷の立場から解放されたのに何故、今さらワガママな嫌われものの主人を家庭に迎えなければならないのか。
祖母はと言えば、
「子供が親の面倒を見るのが当たり前のこと。私はここから出ていかない」
とキッパリ言う。その子供に殴られ蹴られしても離れる気は無いらしい。親子一緒が当然だと。
父は再婚相手には暴力をふるわず、仲の悪い嫁と姑の妥協点として炊飯器、冷蔵庫、電子レンジと二台購入。どうやら昔よりは、少しは家族に気を使うことができるようになったようだ。
それでも文句を言う祖母を黙らせるのには、最終的に殴ったり蹴ったりしないとならないらしい。自分の扱いが悪いことに不満な祖母は、殴られるまで文句を言い続けるのだから。と、これは父の弁。
父も祖母も外面は少々取り繕うことはできるが、もとから家族と対等に話をすることができない性格。そのように育てられてきた。
『家族とは自分に奴隷のようにかしづき、自分の言うことを聞く者』
この認識が改まらない限り、この家族が上手く付き合えるようにはならないだろう。他に上手くやるには奴隷が必要になる。だが、かつてはこの家庭にいた奴隷はみんな逃げ出した。私もその一人。
私は取り合えず、父には酒と暴力は控えるように言い、祖母には相手を怒らせるまで文句を言うのは控えるように言っておく。しかし、この二人がもと奴隷の意見を聞き入れることは無いだろう。
その後は人づてでこの三人家族の様子を小耳に挟んだ。
父は仕事が上手くいかないストレスは祖母を殴って晴らす。祖母はというと家から近くのスーパーまで行き、店員に自分が息子と嫁に酷い目に会わされている、と話しかけるようになった。店員を捕まえていつまでも話を続ける。
そのスーパーから父に、あの婆さん営業妨害だ、やめさせてくれ、と苦情が来る。そして手間をかけさせるな、と父は祖母を殴る。
やがて父は、もう面倒をみきれないと、祖母を施設に入れる。なんのために炊飯器と冷蔵庫と電子レンジを二台買ったのやら。
私は祖母から泣き言の電話が無くなったことに、鬱陶しいものがひとつ消えたとホッとした。
その後は暫く平穏な日々が続いていたが、ある日、父が倒れた。救急車で運ばれ一命はとりとめたが、手足に麻痺が残る。
コロナの影響で入院する父とは面会できず。
私は興味本意で施設にいる祖母に会いに行ってみた。父が倒れたことを伝えておく為、という理由で。
施設にいる祖母は当然と言うか、同じ施設の他のお年寄りとも仲良くできず、個室でいい暮らしをしているように見えた。本人は不満そうだが。
私は祖母に父が倒れたこと、死んではいないが手足に障害が残ることを伝えた。それを聞いた祖母は頷いて、
「それ見たことか。子供は親の面倒をみるのが当たり前なのに、私をこんなところ(老人介護施設のこと)に島流しにするから、バチが当たったのよ。仏様はちゃんと見てる」
と、心底嬉しそうに祖母は言った。祖母から見て、まさにざまあみろ、ということなのだろう。しかし、息子が倒れたことをざまあと喜ぶ母を見て、私は自分の一族のどうしようも無さに呆れてしまう。
祖母は、孫が会いに来て息子に罰が当たった。今日はいい日だ、と喜んでいる。私は祖母に聞いてみた。
「ねえ、お婆ちゃん、子供が親の面倒を見るのが当たり前の事と言うけれどね。それは親が人として当たり前のことをして、子が親に恩と情を感じて、恩返しに世話をするということなんだよ。その結果が親子の当たり前になるのが人の理想なんだ。お婆ちゃんは家族にしてきたこと、特に息子の嫁にしてきたことを、憶えているのかい?」
「息子の嫁なら私の言うことを聞くのが当たり前のことでしょう」
「そのお婆ちゃんのこれまでしてきた当たり前の結果に、お婆ちゃんには会いたく無いっていう人ばかりだよ。うちの一族はどうしてこうも家族のことを嫌いあっているんだろうね? まるで家族を憎まないといけない、なんていう呪いにでもかかっているみたいだ。お婆ちゃん、家族は自分の言うことを聞くのが当たり前だなんて、いつまで思い込んでいるつもり? 血の繋がりの有る無し関わらず、嫌いな人の言うことを聞く人はなかなかいないよ」
この歳まで思い込みで生きてきた人が、自分より下に見る人間の言うことを聞く筈が無い。それを解っているのに私はつい言ってしまった。
息子の不幸に喜んでいた祖母は、私の言ったことに笑顔を消して冷めた目をして言った。
「二度と顔見せるな」
祖母がこう言ったので、私が次に祖母の顔を見るのは祖母の葬式になるだろうか。
ただ、祖母がこう言ってくれたことで助かったこともある。この施設の職員は、
『なぜ、このお婆ちゃんの家族は誰も会いに来ないのだろう? 冷たい家族だ』
と言っていたという。このとき、私と祖母の会話を施設の職員が聞いていて、
「あぁ、(察し)」
となってくれたようだ。施設の職員には、祖母は昔はお嬢様育ちで、今も他人を見下したことしか言わないことをそれとなく話しておく。また、嫁いびりが酷く、息子の嫁達は祖母の顔を見たくも無いとなっている家庭の事情も伝えておいた。
私は祖母にもう会うことも無いだろうが、祖母は大事なことをひとつ、その身で私に教えてくれた。
『心無いこと、情の無いことを自覚無く行う者からは人は離れていく。そして孤独で寂しい晩年を過ごすことになる』
久しぶりに祖母と会った帰り道、私は身近な人には優しくしよう、親切にしようと改めて思った。
ただし、家族は除く。