プロローグ
俺は東京近郊の会社に務める社畜だ、独身一人暮らし、三十二歳で彼女なし、中肉中背、健康体、会社と部屋の往復だけの毎日。
(つまんね~な~)
毎日上司の小言を聞かされて、部下の失敗の尻拭いもしなきゃならない。
(やってられね~よ)
コンビニで酒とつまみを買って家に帰る。
パソコンの無料小説サイトで、異世界物の小説を読みながら、ひとり酒をするのが日々の楽しみだ。
「異世界、行ってみて~な~」
思わずアホな独り言をつぶやいてしまった。
酔が回った俺は、風呂も入らずそのままベッドへ倒れ込み、気を失うように寝てしまった。
気がついたら森の中にいた、何を言っているのか分からないかもしれないが、事実だからしょうがない。
昨日ベットで寝たのを覚えているが、今は巨木の生い茂る原生林にいるのだ。
服装はジャージにスニーカー、そして小さめのリュックサック。
眠りについたときはワイシャツにトランクスという、だらしない格好をしていたのにおかしな話だ。
まだ頭が混乱していて状況がつかめない、薄暗いが日の光が差しているので今は昼間だろう。
あたりを注意深く見渡してみる。
[木…… 針葉樹、樹齢千年]
眼の前の木を見たら、視界に文字が浮かび上がった。
うわっ 何だこれは、あまりの出来事に一瞬思考が停止する。
石を拾って同じように見てみた。
[石…… 普通の石]
ちょうど石に重なるように文字が浮かんで見えた。
これは夢なのだろうか? 注意深くあたりを見渡してみる。
見たことないほどの針葉樹の大木、倒木は苔むして朽ち果てている。
昔テレビで見たヨーロッパの森に酷似していた。
とりあえず安全を確保したほうがいいだろう、背中のリュックが気になって中身を見てみた。
おかしいな中が暗くて見えないぞ、でも中に何が入っているか頭の中に浮かんできた。
・大型ナイフ
・ペットボトル入の水(二リットル)
・金貨(一枚)銀貨(四枚)
・メモ
まずナイフを取り出して調べてみる。
鞘に入ったナイフは、ずっしりと重く刃渡りも三十センチ以上ありそうだ。
水は正直嬉しい、そして金貨と銀貨は鈍い光沢を放っていて、片面に横顔がその裏には紋章のようなものが彫られている。
本物だろうか? いろいろ入っていたが、メモを読んでみた。
「あなたは異世界へ転移しました、もう戻ることはできません。有用な物資とスキルを用意したので、頑張って生きてください。スキル等は、ステータス画面で見れます。(ステータスと念じると出ます)」
混乱して文章が頭に入ってこないが、何度も読み返してなんとか内容は理解した。
理解したが納得はできない。
ステータス、と念じた。
[天堂 智也…… 平民 無職 レベル1(人間・男・18歳) ・スキル…… 神級絶対防御 特級鑑定眼 特級異世界言語]
眼の前に透明のディスプレイがあるような感じで、文字が浮かび上がってきた。
天堂智也は俺の名前だ、平民で無職、これは異世界での身分みたいなものだろう。
次にレベルというのが書いてある、さすがは異世界ということか、ゲームみたいだ。
人間、男、18歳! すげー若返ってるんだが、アラサーからティーンエイジャーになってしまった。
スキルまであるとは驚きを隠せない。
絶対防御とはなんだろう、そう思ったら説明が浮かんできた。
[絶対防御…… 物理・魔術を問わず完全に身を護る結界]
[鑑定眼…… 対象を観察することによって名称及び解説が見える]
[異世界言語…… 異世界文明の言葉、文字がわかるようになる]
間違いなくチート級のスキルだ、誰だかわからないがこんなスキルをくれてありがとうと言いたい。
とりあえずこれから何をすればいいかを考える。
普通に考えればいまの状況は極めて良くない、食料物資の不足や危険な動物に遭遇するリスク、現代に生きている人間が生存するにはあまりにも難易度が高いと思う。
すみやかに人里に行かなければいけない、そうと決まれば行動あるのみだ。
とりあえず真っすぐ歩いてみようか、そのうち道でも見えて来るのではないか。
体感で十分ほど進んだあたりで、前方の茂みがガサガサとざわめいた。
犬のような動物がゆっくりと姿を表し、低く唸り声をあげた。
大型犬を二倍ほど大きくした体で、動物園で見た虎より大きいかもしれない。
絶体絶命、間違いなく殺されてしまう。
[フォレストウルフ…… 比較的浅い森に生息する四足歩行の狼の魔物、素早い動きが厄介なので、ランクの低い冒険者は避けることを推奨する]
思わず鑑定をしたが、喧嘩もしたことがないずぶの素人が勝てるはずもないことだけはわかった。
腰が抜けて座り込んだ瞬間に、魔物が襲いかかってきた。
腕で頭をかばって目をつぶってしまった。
なにか重いものが壁にぶつかったようなすごい音がして、魔物が何かに弾かれる。
恐る恐る目を開けてみれば、俺の体を青白く透明な膜が包んでいた。
絶対防御
脳裏にひらめくのは先程鑑定で判明した俺のスキル。
本当にバリアが出てくるとは思わなかったな、ともかく助かった。
立ち上がり少し距離を取ると、魔物は少し警戒したのか遠巻きに俺の周りを旋回し始めた。
慎重に警戒しつつリュックを下ろし、中の大型ナイフを取り出した。
ナイフを構えてみたものの、俺に魔物を倒すことができるとは思えない。
逃げるにしても人間の足で獣に勝てるはずもなく、完全に行き詰まってしまった。
しばらく膠着状態が続き、先にじれたのは魔物の方だった。
はじめの攻撃と同じ様に、直線的に飛びかかってくる。
とっさにナイフを前に出して魔物を斬りつける、適当に振り回しただけだが少しだけ傷を付けることが出来た。
しかし勢いを殺しきれず押し倒されてしまう、すごい勢いで噛み付きや爪での攻撃をしてくる。
しかし絶対防御のおかげで一切傷がつかない、ナイフを逆手に握り直し横腹に突き刺す、柔らかい部分に深々と刺さった。
暴れる魔物と錐揉み状態でその場を転げ回る、何度も何度もナイフを突き刺し、徐々に魔物は動きが鈍くなりやがて完全に動かなくなった。
魔物から粒子状の光が出て徐々にその場から消えていく、残ったのは牙のみだった。
「うおぉぉーたおしたぞぉー」
初めて魔物を倒した俺は興奮して思わず叫んでしまった。
心臓の鼓動がやけに大きく聞こえる、震える手をなんとか動かしリュックからペットボトルを出して水を飲む。
とんでもないところへ来てしまったな、少し落ち着いてきたので、牙を鑑定してみた。
[フォレストウルフの牙…… 討伐部位 武具の材料になる]
リュックに牙を入れてから、どこか怪我をしていないか体を調べた。
あれだけ地面を転げ回ったにもかかわらず擦り傷一つなく、おまけにナイフや服も汚れていない。
絶対防御がすごいスキルだと解り、おもわずにやけてしまった。
あまり長居していてはまた魔物が寄ってきてしまうので、そろそろ出発しよう。
太陽が頭の真上を通過してだいぶ経った頃一本の細い道に出た。
土むき出しの未舗装の道が左右に伸びている。
その道をたどっていくと、一気に視界が広がり辺り一面の麦畑が現れた。
人々が農作業をしているのが遠くに見え、得体の知れない深い森から生還した実感が沸々と湧き上がってきた。
しばらく道なりに進んでいくと遠くの丘に城壁が見えてきた。
街は城壁の中にあるようだ、大きな門が中央にあり門番が人々を管理している。
やっと人が暮らす場所に来れた、はやる気持ちを抑えつつ足早に近づいて行く。
大きな門に近づくとちょうど帰宅時間だったのか、農民や行商人達が次々と並んで中に入って行くところだった。
みんな身分証を見せて通過している。
まずい、身分証なんかないぞ、ここで列から離れたらすごく怪しいしどうやって誤魔化そうか。
俺の順番が来て門番らしき二十代前半と思われる青年が話しかけてきた。
「ここは辺境都市ガルドだ、身分証は持っているか?」
「すみません身分証持ってないです、近くの村から冒険者になりに来ました。」
我ながら言い訳が苦し過ぎると思うが、正直良い言い訳が思いつかなかったので適当に言ってみた。
「なるほど、それならばこの上に手を乗せてくれ」
後ろの台の上に置いてあった長方形の板を持ち出してこちらに向ける。
手を置くと一瞬光ったような気がしたが、すぐに普通の板に戻った。
板の表面にはなにか文字が書いてある。
[トーヤ 平民 無職 犯罪歴なし]
「よし、犯罪歴がなければ特に問題はない。身分証は冒険者ギルドで発行できるぞ。しかし今日はもう遅いからあそこに泊まって明日にでも行ってみたらいいぞ」
門からはす向いの建物を指で指し、親切に宿屋まで教えてくれた。
「ありがとうございます」
結構ややこしいことになるかと思ったが、あっさりと通してもらえて少し拍子抜けした。
あの板みたいなものは魔法具なのか、悪人じゃないのがはっきりすれば、別に身元がはっきりしてなくても町に入れるって事なんだろう。
門番に教えてもらった宿屋に行く、木造二階建ての質素な造りの宿は『豚の耳亭』という名前で、入ってすぐの一階が酒場になっている。
奥にカウンターがあり、左に二階に登る階段があった。
「いらっしゃいませ、宿泊ですか? 素泊まりなら20アル、朝夕の食事付きなら30アルです。それと名前を教えてもらえますか?」
カウンター越しに若い女性が微笑みながら話しかけてきた。
この宿の看板娘って感じだ、線は細いが出るところは出ている感じで、今まで見たこともない美人だ。
髪はブロンドでゆるくウェーブしていて、後ろで束ねている。
肌が白く透き通っていて目鼻立ちがはっきりしていた。
薄化粧なのに華やかな顔は誰もが振り返るだろう。
そして特徴的な細長く尖った耳、思わず鑑定してしまった。
[アンナ…… 平民 宿屋 レベル1(エルフ・女・18歳)・スキル…… 無し]
この世界にはエルフがいるのか、想像以上の美貌に異世界に来て初めて良かったと思った。
「トーヤです。一泊食事付きでお願いします」
お金の単位なんてわからないので、とりあえず銀貨を1枚出してみる。
「トーヤさんですね私はアンナと言います、今おつりを出しますね」
銀貨を後ろの箱にしまい、おつりの銅貨をカウンターに置いていく。
「はい、お釣りです。部屋は二階の一番奥、裏の井戸の水は自由に使ってくださって結構ですよ。体を拭くお湯が欲しい場合は桶一個1アルです。ランプの明かりは、一刻分で3アルになります」
部屋の鍵をカウンターに置きながら、丁寧に宿の説明をしてくれた。
お釣りをリュックに入れながら貨幣単位を考える、銀貨は銅貨百枚分なのか。
「今から夕食を食べられますか?」
お腹が空いていたので聞いてみる。
「だいじょぶですよ、空いている席について待っててくださいね」
ニコニコと酒場の方に案内してくれる。
酒場のテーブルに着き、これからの事をゆっくりと考える。
明日ギルドへ行って冒険者になる。
武器や防具、生活用品も明日買おう。
いろいろと考えていると、アンナさんが食事を運んできた。
「おまちどおさまです、当店自慢のピグフェロのステーキ定食です。パンはお代わり自由ですのでいっぱい食べてくださいね」
定食の内容は、分厚いなにかのステーキと添え物の野菜が乗っている皿、黒パンが二つにスープと赤ワインだ。
「アンナさんピグフェロというのはなんですか?」
鑑定すればわかったのに、思わず聞いてしまった。
やっぱり美人さんとはお話ししたい。
「ピグフェロと言うのは、この辺に居る大きな野生の豚のことです。恐ろしく獰猛で、人を見ると走って襲ってくるそうです。ベテランの冒険者がよく獲ってくるのですよ」
微笑みながらごゆっくり、と言って離れていった。
これから店が忙しくなるのだろう。
腹ペコなので知らない動物の肉でも気にならない、口いっぱいに頬張ると肉汁がジュワッと溢れてきた。
味付けはいたってシンプルで、塩コショウ香草の香る少し野性味のある豚肉と言う感じでとても美味しい。
黒パンの方も思ったほど固くなく、ピグフェロの味とすごく合う。
パンをおかわりしてお腹いっぱい食べた俺は、食事の後すぐに二階の部屋に移動した。
簡素な扉を開けて部屋の中に入る。
お世辞にも広いとは言ない三メートル四方の部屋、ベッドと小さな引き出し付きの机と椅子。
洋服などを入れるタンスが、部屋を更に狭くしていてドアの前に立っているのがやっとだった。
部屋にはガラス窓などはなく、跳ね上げ式の木戸がはめてあるだけだ。
食事をしている間にすっかり日が暮れてしまったようで、部屋の中は真っ暗だった。
少しの間ドアの前に立ち、目がなれるのを待つ。
扉には鍵がかけられるようになっていて、防犯は万全のようだ。
ベッドに横たわる。
暗闇で天井を見ていると今日の出来事が全部夢の中のように感じてくる。
しかしこれは現実だ、覚悟を決めてこの世界で生きていかなければならないだろう。
明日もいそがしくなりそうだな……
深い眠りに落ちていく、自分だけしか信じられない異世界で……