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ハナノナ  作者: あばたもえくぼ
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第九章  負傷

  第九章  負傷



 前線の激しかった戦闘は、気温の急激な低下により、ひとまずおさまっていた。両軍とも戦車部隊は引き上げ、事実上休戦の段階へと入っていった。その間に、死んだ同胞たちの亡骸を一人ずつ担架で運び、使われていない飛行場に並べていくインデアル兵たち。塹壕での戦いがとても激しかったので、やられた兵隊を動かすその作業は、一日では終わらなかった。

こんな中で生き残った兵士たちはよく働いてくれた。しかし、彼らは戦況に関係なく心の中で泥にまみれたような心境によく耐えていた。

救いがあるとすれば、戦死した者よりも生きている兵士のほうが、まだ多いということであろうか。この戦いでタァーロ一等兵は作業を手伝いながら悟った。信仰というものには疎かったが、神は殺し合いをさせるために人間を造ったのだと、自分の中で勝手に戦争への理屈を展開させていた。

前線を任されていた兵長は、夕方に作業終了の声をかける。

兵たちはすぐにその場を後にした。戻ってくる者たちは皆、救済を求めるかのような、生きているにもかかわらず、死んでいるかのような顔をしている。一刻も早く、塹壕から離れたい様子だった。

塹壕はさすがに長くはいられない場所であろう。前線というものはそういうところなのである。

陣を立て直して座って支給品のコンデンスミルクを水で溶かしたものをカップで飲んでいる兵長。そのそばに、仕事を終えたタァーロはいた。

戦争とは戦闘の集まりだとしか思っていないタァーロは兵長に問う。

「兵長、ここはまるで地獄のようですが、人間の行き着く先でもあるように見えます。僕たちはまるでこういう場所で本当の生命力を発揮できるのですね?」

兵長はおかしなことを言うタァーロのほうを向いた。

「どういうことだ?」

「はい、本当にやることがあるっていいなと思いまして。僕は今、その真っ只中にいるのです。やるべきことが本当にたくさんありますここは。それもこれも、この前線で戦っているからでしょうね。兵長殿はどう思われます?」

兵長は困ったような顔をした。こんな地獄絵図の中を経験しておきながら、さすがにこれは堪えると思っていた若造が、激しい戦闘に活を見いだすということが本当にあるものなのか?

この小僧はこの戦いを積極的にとらえている。そしていつも真剣だ。こいつは殺し合いをまるでスポーツに汗を流しているように見える。兵隊が流しているのは汗ではなく多くの血なのだ。それがあまり自覚していないとは、いいことなのか、悪いことなのか・・・。

兵長ですら混乱してきた。

なんと単純な小僧なのだろう。

しかし、極端に平和や平穏といったものを苦手とする者はいないこともない。戦いに熱くなる人間も、おそらくはその類いなのかもしれない。

命の張り合いに生き様をあらわにする者は果たして愚かなのか否か。

「お前はなぜ、そう考えられるのだ一等兵?回りを見てみろ。多くの兵たちは・・・。」

そう言って兵長は口を閉じた。それを言ってしまえばこの戦いを否定することになる。それは決して口にしてはならないのだ。インデアル帝国軍はこの戦いに必ず勝つ。それがこの国を統括するラトゥーヒ総帥への絶対の忠誠であり、敵国ノードランドの女王ナンシェス・ポルダエカの防衛軍をくじくための誓いでもあるのだ。そのためには負け戦は絶対に許されない。そして奪われた多くの兵の命よりも、もっと多くの敵兵を倒すことが、死んでいった者たちへの弔いとなるのは十分承知していた。

小僧の持っている理念はもっと多くの兵たちが持たなければならない理念なのだ。

「タァーロ一等兵、お前の記録は読んだので知っているぞ。お前は亡くなった両親への復讐をしたくて入隊したのだろう?お前の姉がそうであるように。」

タァーロはそれを聞いて、敬礼をした。

「いえ、僕は戦闘機に乗りたくて入隊したんです。僕の姉は違いますが、姉のことは兵長の言う通りです。ですが、僕は飛行機で戦うことを目標にここへ配置されてきたことは後悔してません。それこそ戦時下において敵がこの国を滅ぼさんとしていることには我慢なりません。戦いは国民の義務としてとらえています。戦争は必要悪かもしれませんが、今、戦っている相手こそ悪の根源なのです。一刻も早い勝利を掴むために、いつか来るその日まで、僕は戦い続ける覚悟です。インデアルに祝福を!」

兵長はタァーロの言葉を熱く受け止めた。溜まっていたストレスとプレッシャーが一気に吹き飛んだような気持ちになる。立ち上がると、大きくうなづいた。

そして、敬礼を持って返す。

「そう、インデアルのために!」

兵長は兵を集めるために大きな声で命令した。

「全員、ここへ集まれ!」

兵たちはズラリと列を作る。

兵長が敬礼すると、兵たちも揃って敬礼をした。

「いいか、皆聞け!この戦いに負けはない。我々の力と戦場での諸君の勇気、そして命を落とした尊き同胞たちの思い、それがあればノードランド軍など恐れるに足りないのだ!いつか必ず歴史がそれを証明するであろう。そして未来が我々に勝利もたらしてくれるであろう。戦況は今後また盛り返せる。敵は我々を恐れているはずだ。奴らに未来はない。奴らに大打撃を与えてノードランドを叩き潰すのだ。お前たちならそれができる!今を生き抜くのだ。そして来たるべき決戦のために備えろ。愛する祖国とラトゥーヒ閣下に誓って!いいな?」

兵を鼓舞するのには十分な演説だった。

大きな歓声が上がる。これでまた兵たちの士気が上がるであろう。そして、激化する戦争は人間自らが信じる理念と正義の名のもとに、再び混乱の渦へと足を踏み入れるのだった。



 翌日、タァーロたちはまた塹壕の中に入り、同胞の死を偲びながらがれきをどけては遺体の回収をおこなった。

寒さが兵たちを震えさせたが、死んだ仲間はそれ以上に寒さの中に放り出されているのだと思いながら気を張りつめて作業を続ける。塹壕の中には落ちたタバコや水筒など、兵たちの痕跡もあった。土に埋まっている部分もあり、そんな中でタァーロはスコップを手に、淡々と仕事を進めていった。

塹壕の土で盛り上がっている場所に登ったタァーロは、スコップを上にあげて土を掘ろうとした時、急にカンッという金属音がして手がしびれた。

手に持っていたスコップが揺れている。そして先っぽの方に小粒ほどの穴が開いているのに気がついた。何だろう?

考えている暇はなかった。また風を裂くような鋭い音が鳴る。今度は顔をかすめたような気がした。弾丸がノードランド領の方から飛んできているのだ。

次の瞬間、鉄砲の弾がタァーロの左足に当たった。血潮がパッと飛ぶ。急に足の力が抜けてよろけるタァーロ。スコップは空中を舞い、下へ落ちる。

「痛てぇ!」

タァーロは叫んだ。その声に反応したほかの兵たちが、タァーロのそばに来る。

「どうした?」

また鋭い弾丸が今度はタァーロの脇腹を貫通した。

兵たちは、ざわめきながら身を低くする。誰かがタァーロを塹壕の中へと引っ張ってくれた。

「みんな気をつけろ、狙撃手がいる!」

また、ヒュンと音がする。塹壕からそっと頭を出して外を見る兵は、歩兵銃を構えて辺りを探った。

銃口が七十メートル先に出ているのが見える。

「いたぞ。距離七十メートル先、狙撃兵が一人・・・いや、二人だ。二人いる。」

銃を下げている者たちは全員、銃口を塹壕からゆっくりと出す。

「四時の方向だ。こっちを狙ってる。撃て!」

引き金を引いた全員の銃から、激しく鉛の玉が飛び出した。

地面に伏せていた敵の狙撃兵二人が蜂の巣になる。土や埃が舞い上がる中、敵兵の血も飛んだ。

また塹壕に隠れるインデアル兵たち。

「どうだ?」

「始末したようだ。ほかにもいないかよく確かめろ。」

もうほかには見当たらないようだった。辺りは静かになる。

「見張ってろ。俺はこいつを・・・。」

被弾しているタァーロの様子を見る兵たち。

「撃たれたのはこいつだけか?」

「ああ、らしい。」

「衛生兵を呼べ。担架もだ!」

腹と足の二カ所も撃たれたタァーロは痛みに耐えた。初めて味わう痛みに血の気が引く。気が遠くなるようなズキズキする感覚に言葉も出なかった。歯をいっぱいに食いしばる。

うめき声が出るとはこういうことなのかと思った。痛みと苦しみに泣きそうな声を断続的に出した。体を丸めてせきをすると、口からも血を吐くタァーロ。

衛生兵と担架を持つ兵士と、兵長が塹壕に駆けつける。

「大丈夫か?おい!」

兵長はうめくタァーロを見て叫んだ。

「早く運びましょう。担架を通せ!」

すぐに担架に乗せられ、塹壕から運ばれるタァーロ。

傷からは血が垂れている。足の傷が特にひどかった。これがどんな痛みなのか想像もつかないだろう。タァーロはそのまま陣へと運ばれた。

「これは一体どうすればいい?」

兵長は衛生兵に聞いた。

「とりあえず応急処置をとります。二カ所の傷をすぐに止血して、それから薬品で感染症を防ぎます。ガーゼを傷に当てて、上から包帯をたくさん巻きましょう。冷静に対処すれば助かるかもしれません。」

タァーロはショックで気を失っているようだった。

「絶対に助けろ。こいつは助けたい。死なせないでくれよ。」

兵長は衛生兵に向かって叫ぶ。

「分かってます。処置をとりますから兵長殿は離れててください。」

「わかった。それで、俺は何をすればいい?」

「野戦病院に至急連絡を取ってください。最寄りの病院に彼を運びます。あとは運ですね。まだ助かる見込みはあります。早く手続きの方を!」

兵長は通信兵のところへ急いだ。話を聞いていた通信兵はもう回線をつないでいた。そこへ兵長がやって来る。

「通信を頼む!ここから一番近い病院へ連絡しろ。兵隊が一名負傷。左足と脇腹を撃たれている。至急治療の用意を!繰り返す、兵隊一名が負傷した。すぐに車両を回してくれ!脇腹と左足に被弾している!救急車両をすぐに回せ。いいな?」

通信はすぐに伝わった。返事が返ってくる。

「軍の車両をすぐに回してくれるそうです。二十分待ってください。待っていればすぐ来ます。」

「あいつがそれまで持てばいいが・・・。」

「彼はまだ子供です。前線に出てたのがマズかったですね。」

「あいつはよくやってくれたよ。待とう。車両が来るのを・・・。」

戦場では一時の油断さえ許されない。タァーロは戦場ではしゃぎ過ぎたのだ。それが彼を負傷させた原因だったのである。それを放置していた兵長にも責任があることを兵長自身、わかっていた。不安と心配の念が兵長の心を覆う。

戦場に平穏などなかった。





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