第二章 エイジスの墓参り
第二章 エイジスの墓参り
のちに七年大戦と言われるこの戦争は、大きくくくれば正に大戦と呼ぶにはふさわしいのだが、今現在、戦っている兵隊にはそんな歴史的なことはどうでもよかった。
ただ、よく知りもしない敵国を相手に、互いの正義を振りかざして出兵しているに過ぎないのだ。
今はインデアル帝国にとって戦うべき相手はノードランド皇国という隣国でり、相手国に対する善玉としての大義名分が国中に浸透しているのは、毎朝配られる新聞のでまかせ戦況の記事や志願兵を募る広告欄を見れば明かにである。
しかし、それを知った上でもノードランド皇国との戦争は、当たり前のように続いている。
インデアル帝国海軍の戦闘機パイロットに志願して入隊してから四年目のエイジス・セナは今年で二十歳を迎える。左頬にあるやけどの痕ですぐにわかる姿をしていた。
彼はたいした実績も残さないまま、次々追加される徴兵された新兵たちの飛行訓練士として昇級だけは曖昧な理由で上がっていき、今はもう中尉になっていた。しかし彼の階級はこの際どうでもいい。たとえ中尉であっても。
まあ、それも贅沢な悩みと思われがちだが、本当はエイジス自身は戦闘機パイロットとして戦いたがっていた。前線に出て、活躍の二文字が欲しかったのだ。
彼は敵のノードランド軍への怒りの気持ちが足りなかったことは、一目で分かった。戦闘機パイロットには士気が高い者が多い。敵を一機でも多く撃墜したいという熱い思いが実際の戦闘の時、強さを生む。エイジスは気持ちに大きなコンプレックスを持っているため、いまいち戦いの強さを発揮できないでいるのだ。
かつては小さい頃から人よりも体が弱かったせいか、他人についていけず、いじめられてもいた。そんな彼が己の弱さを許せない一心で志願し、パイロットの道を選んだのだが、やはりというか人一倍の努力がこの軍隊でも必要だったのは言うまでもない。
ただ、規律の守り方はしっかりしていた。パイロットの中にはよくいる話だが、図に乗った野暮な連中もけっこういた。そんな連中はとことん礼儀というものを教えられ、どんな高い実績を持った者でも、それなりに礼を尽くすことをきっちり教え込まれていた。そんな中で、礼に関してはエイジスの態度は完璧すぎるほどキッチリしていたのであった。そのため、上官からは気に入られ、認められもされていた。しかし、戦力のことになると、不器用なエイジスはパイロットとして、あまり前線には出してもらえなかった。
出撃するときといえば、重爆撃機の編隊の護衛機として戦闘機を操縦させてもらうことぐらいだった。
今までは夜間爆撃で敵軍の領地へ向かって飛び、軍需工場への爆撃を見守るだけだったが、やがてノードランド軍も爆撃機に届く対空砲を開発したらしく、夜中の十二時過ぎでもサーチライトが空に照らされ、爆発音とともに重爆撃機を対空砲で攻撃したりもしてきた。
エイジスを含む護衛戦闘機はこういうとき、超低空飛行で地上に向かって二十二ミリ口径の機銃掃射をしなければならなかった。超低空飛行とは地上の人間が顔まで見える距離なのだ。当然味方の爆撃に巻き込まれないように滑り込むように機銃掃射をし、すぐにその場を離脱するのが鉄則だった。もちろん地上からの攻撃も食らいやすくなるのだが。お互いに命の削り合いである。しかし、戦闘というものはそういうことの繰り返しであった。被弾もすれば、墜落も当たり前だと思って乗っているのである。そして心底夢中で戦うのが当然なのだ。
兵隊は皆、死ととなり合わせなのは承知で戦争をしているのである。
エイジスはそのことだけは頭にたたき込んでいたし、恐れてはいなかった。ムチャをするわけではないのである。ただ戦争とはそういうものだ。
エイジスは中尉になってすぐに、休暇をもらった。この時期に休暇というのは珍しいわけではなかった。それでも雪に覆われた冬に、海軍基地から離れて三日間の休日というのはとてもありがたいことであった。冬は戦闘も氷付けにするらしい。しばしの間、休戦と同じくらいパッタリとお互いが戦わなくなるのである。些細ないざこざはあっても、この時期のほとんどが次の戦闘の準備に時間を費やされるのであった。
エイジスがまず最初に向かったのは、戦闘機がまだ複葉機だった頃に活躍したという祖父の墓だったのだ。祖父は前の戦争で勲章をいくつももらい、エースパイロットとして称えられた英雄であった。戦没者の慰霊碑と、多くの戦死した軍人の墓がたくさん並べられている霊園の中に、その墓はあった。
エイジスは祖父に劣等感を抱いていた。エースパイロットとしがない一パイロットにある差を感じていた。
もっとも、祖父なら生きていれば命を懸けて戦った者に差などないと言うだろうが、それはそれで、そう言えるであろうことがうらやましく感じた。祖父ほどの者ならばその台詞はとてもかっこよく、人を鼓舞するのにもふさわしいのかもしれない。しかし、未だ実績をそんなにあげていない自分にはそんな言葉は口にも出せないことはよくわかっていた。
エイジスは墓に花もたむけずに祖父の名が刻まれた石碑に一礼すると、その場を去っていった。やはり自分はここに来るには早すぎた、そう思うエイジスであった。
エイジスは故郷に里帰りする気にはなれなかった。そのかわりに鉄道で三十分の故郷から少し離れたところにあるルワ市へと向かった。
かつてエイジスがこの町に訪れた際に、ふと立ち寄ったコーヒーの美味い小さな喫茶店が、町の端っこにあるのだが、そこで自分より二つ年下の少女であるファレア・K・ブラッカイマーと出会った場所がその店なのだ。彼女も軍人で、海軍所属だった。彼女の弟が、前来たときにそこで働いていた。まだいるだろうか?
エイジスはファレアに恋をしたのは言うまでもない。彼女ほどきれいな敬礼をする軍人も初めてだった。自分の気持ちを伝えることが下手な、まじめなエイジスにとって、彼女はまさに理想の女性だった。その時はファレアは軍曹であったが、今はもう昇級しているだろう。そして戦争の混乱の中でもいつかどこかで再会できるように願っていた。
店に入ると、ほとんど客がおらず、ひげ面のマスターが一人、暇そうにしわだらけの新聞を開いて読んでいた。マスターのくわえたタバコの煙が今のこの店の状況を物語っているようである。エイジスは静かにマスターに声をかけた。
「お久しぶりです。」
新聞越しににらみつけるようにマスターはエイジスの方を向いた。
「お前さん、確か海軍パイロットの・・・。」
一礼するエイジス。
以前来たときと同じ軍服、そして左頬のやけどの痕を見て、マスターはエイジスのことを思い出した。
「おお!しばらくだな。元気にやってるか?」
マスターは新聞を置くと、すぐにコーヒーの用意をした。
「座っても?」
「ああ、行儀のいいのは軍隊の中だけにしな。ここじゃ、挨拶もぶっきらぼうが当たり前ってなもんだよ。俺もここじゃあ将軍様だからよ。」
エイジスは少し笑顔を見せた。
「相変わらずですね、マスター。」
「ああ、景気はこの通りだがな。ここも空襲のあおりを受けて、町の中央が落ちてきた爆弾でドカンってなもんだ。ノードランド皇国も本腰を入れてこの国を攻撃してくる有様だ。新聞の記事はどこで勝った、あそこで勝ったって書いてあるけどな、もう国民も知ってて警察に連れてかれるのが怖くてだんまりなばっかでよ、うんざりしてるんだよ。戦況はひっくり返らないのは見え見えさ。」
「僕は負けない自信があります。というか、そう思ってないとやっていけません。今のは空耳と思って聞かなかったことにしておきますよ。」
「あんたも以前よりずっと染まってきた感じだな。戦争は人を変えちまうか。」
エイジスは黙ってしまった。
「まあいい。だが、国民もたくさん戦争へかり出されてるぜ。知ってるか?あんたが好いた女、ファレアの弟も行ってしまったよ。どこに配置されたのかは当のファレアも知らないようだが。ああ、あの女は弟が戦争に出たことすら知らないようだが。」
「えっ?タァーロがですか?」
「ああ、そうさ。なんでも自分から志願したらしいぜ。あいつはあんたにも姉にも憧れていたからな。というより、軍隊ってもんに憧れていたからな。死に急ぐ若いやつの典型だよ。まだ十四の年でよ。俺も肝が縮んでしまうぜ。」
エイジスはファレアの弟が自分に憧れていたことを知っていた。ましてや戦闘機パイロットだ。憧れる気持ちも分かる。しかしやっているのは戦争だ。ごっこじゃない。自分はそのことを十分説明しただろうか?エイジスは少し悔やんだ。冷静に考えてみれば、タァーロの入隊は当然だったかもしれない。何をどう話しても、おそらく彼の性格を考えれば突っ走って志願したのも無理はないと思った。
「そう辛気くさい顔するなよ、ほれ、コーヒーだ。味は昔より落ちるが我慢しておくれよ。コーヒーも半分は軍に持ってかれちまったんだからよ。ここにあるのは古い豆ばかりさ。」
エイジスはコーヒーをひとくち飲んでみる。確かに以前に比べて味も香りも格段に落ちている。苦くてまずいここのコーヒーは、軍に支給されたものとはとても比べようがなかった。それでもマスターもエイジスもお互い分かっているかのように、コーヒーについては語らないようにした。
考えてみれば、軍はいいものを絶えずもらっていたなと思い返すエイジス。
タバコや食料、コーヒーやビスケットのようなお菓子までが行き渡っていたような気がする。国民は配給制なのに軍は恵まれていた。この時勢に一日三食は贅沢なものだった。その出所も知らず、今までよくやっていたと思い、エイジスはグッと心に痛みを感じた。しかし、それを表には出さない訓練も受けていたので、彼はポーカーフェイスを維持することができたのだ。軍人とはそういうものなのである。
「ところでよ、あんた戦争中なのにどうしてここにいるんだい?聞いてはいけないのかもしれんが、なじみの顔だ。教えておくれよ。なあに、他言はしないからさ。」
エイジスはまずいコーヒーが入ったカップを回して渦を作りながら口を開いた。
「墓参りです。帰国したわけじゃないですよ。」
「ほう、どちらの墓だね?あんた、家族はご健在なんだろ?」
「祖父です。彼もパイロットでした。仲間や部下をかばって戦死しましたが。それもけっこう前の話です。」
「そうか、やはり戦闘機パイロットは撃墜しながらも常に同士を気配るものなのだな。騎士道精神というやつか。前の戦争では戦いの中にも義理人情というものがあったらしいからな。あんたは見事にその精神を受け継いでいると思うよ。そんなに若い面にも感じるものがある。」
「いえ、戦場ではそんなものは何の役にも立たないということは分かってます。偉大だった祖父の時代とは違うのだと思い知らされることばかりでした。」
そう言うと、エイジスはまずいコーヒーをすすった。
マスターはくわえていたタバコを灰皿の上で潰し、新しいタバコを口にくわえ、ライターで火を付けた。
「まあ、動乱の時代だからな。戦争してるのは我がインデアル帝国だけではないし、俺たちは今、何と戦っているのかさえ分からないんだ。兵隊も同じだろ?俺らは帝王ラトゥーヒ様の政権の中で隣国ノードランドと戦っているに過ぎない。矛盾の多い新聞やラジオ、夜中に飛び回る爆撃機の編隊の数々。どうしようもないよな。あんたも英雄願望があるのだろうが、俺に言わせりゃ、戦争なんて早く終わってみんなで平和にインデアルもノードランドも関係なく、うまいコーヒーを飲んでもらえればそれでいいと思うんだがな。」
「その話も聞かなかったことにしますよ、マスター。」
タバコの煙を吐き出すと、マスターはにっこり笑った。
「そりゃ、あんがとよ。礼にコーヒー代はいらねえよ。これでチャラだ。いいだろ?」
「そんな、払いますよ、ちゃんと。」
そう言うと、エイジスは軍服の懐から財布を出そうとした。
「いいって!もう行きな。」
エイジスは、あまりにまずいコーヒーを残したまま一礼すると、店を出た。
店のドアが開く音をエイジスは聞いた。マスターが追いかけてきた。
「ああ、オイ、待ってくれ!言っておきたかったんだ。その、ファレアも少し前にここに顔を出したんだよ。弟のことを聞いてびっくりしててな。ファレアはロスト・アイランドとかいう空母に乗る予定だとか言ってたよ。そこに行けば彼女に会えるかもよ、そんだけだ。じゃあな、がんばれよ中尉!」
店のドアはすぐにバタンと閉められた。
エイジスは店のドアにも一礼すると、去っていった。




