The doll wanted to be her.
生まれたのはいつかなんて、もう思い出せやしない。僕の過去は現在には必要ない。僕に取って大事なのは、彼女といることだけ。あわよくば彼女になりたい。僕は僕を捨てて彼女になりたい。
そう思い続けて、どれくらい経ったのだろうか。彼女と会った時から、思い続けていた。いや、彼女と出会う前から、僕の心の奥の奥では、彼女になることを望んでいたのかもしれない。
僕は元々世間から見向きもされないような“駄作”であった。僕がこうしていまを生きていられるのは、彼女が僕を拾ってくれたから。貧しかった僕の親から、僕を引き取って綺麗な家においてくれた。彼女は僕に、心を癒やしてくれと毎日頼むから、僕は親が込めてくれた魂をもって彼女に接した。彼女のことが大事だから。僕を必要としていてほしいから、頑張った。何年間経ったのだろう。僕といて幸せ? 僕は必要? 彼女に聞いても、答えてはくれない。絶対に僕の言葉は届かない。それでも僕は幸せだった。僕にとって過ごしやすいところで、彼女と同じ時を過ごせたことが、とても幸せだったのだ。
あるとき彼女は僕に鏡を見せてくれた。
「いつもワタシの顔ばかり見ていちゃ、退屈でしょうに。たまには、自分のことでも眺めたらいいわ。アナタはとても綺麗だから、きっと自分で自分に癒やされる。アナタがいつもワタシを癒やしてくれるように、アナタ自身も癒やしてみてご覧なさい」
彼女なりの気遣いのつもりだったのだと思うが、鏡にうつった僕と彼女を見て、僕は心底哀しかった。彼女は、僕を癒やしとしか認識していないということを証明するかのような微笑みをたたえて鏡の中の僕を見ていた。その顔はあまりにも綺麗で、まるで絵に描いた聖母のようだった。
このとき僕は、自分が彼女になりたがっていることに初めて気がついた。
*
「アナタに鏡をみせるようになって、もう何年も経つわね。ワタシは白髪が増えてしまったけれど、アナタはまだまだ若いままね。ずっとワタシのことを癒やし続けてくれてありがとう。ワタシはもうそろそろお迎えがくる頃だと思っているわ。もし、一人になってしまったら、寂しくなるわね」
彼女がふと不穏なことを言った。僕と一緒に鏡を覗き込みながら、出会った頃と何も変わらない僕と、随分老けてしまった彼女を見比べながら。
こんなに経った今でも、僕の気持ちは全く変わっていない。むしろ彼女になりたいという思いは、年々増しているほどだ。齢を重ねるごとに妖艶さが増していく彼女を見ていると、人間というものの奥深さを感じる。僕も女性に生まれたかった。美しい髪の毛と澄んだ瞳をもつ女性に生まれたかった。
ふっと、僕と彼女の視線が、鏡の中で交叉した。
するとぷしゅっと小気味のよい音がして、彼女は声を上げた。
一瞬何が起こったか分からなかった。ただ僕が分かったのは、僕の左手の中に、彼女の澄んだ美しい少し青がかった眼球だったはずのものが、まるで豆腐を箸でつまんで崩れてしまったあとのようになって、収まっていることだけであった。
すっと、僕の中からなにかが抜け出たような気がする。もう一度鏡を見てみると、僕の眼窩にはなにも入っていなかった。僕の眼球はどこに行ったのか。そもそも、僕の眼窩を見ているのは僕の眼球のはずだから、無くなったわけではなさそうだ。
いまいち状況を掴めず、あたりを見回すことしかできなかった。僕は、見回すことができる状況がもうすでにおかしいと気がつくまでに数秒要した。
もう一度鏡を見てみると、僕の眼球は彼女の眼窩に収まっていた。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
久しぶりに何か書きたいと思えました。こうして、書いて残せる場所があるのは幸せですね。
ちなみに最初の主人公は、人形ではなくて絵画として書いていたつもりでした。が、書き終えてみると、絵画より人形のほうがしっくりきたので、人形にしました。
もしまたご縁がございましたら、他の作品も読んでいただけると嬉しいです。(作品と呼べるほど大したものは書けておりませんが……)