第26話 失踪
翌日
ナギアは、ベッドから起き上がり、欠伸をかきながら両手を上にあげ体を伸ばす。
昨晩、母と久しぶりに会って、わだかまりも無く楽しい話をした事を思い出し、気持ちのいい朝を迎える。
「久しぶりに帰った我が家もいいものだな。父も昔より変わったようだし、来て良かった。欲を言えば、隣にミツヒが寝ていればもっといいのだがな。仕方がないか、ウフフ」
軽い足取りでナギアが食堂に行くが、ミツヒがいないので、まだ寝ているのか、と部屋に呼びに行く。
部屋の前で指を曲げ扉を叩くナギア。
「ミツヒー、起きている? 入るわよ」
扉を開ける前に、寝ているミツヒをどうやって起こそうか。キスぐらいはいいかな。と考えながら、いたずたっ子の笑みを浮かべ扉を開けて部屋に入るナギア。
ナギアの考えとは裏腹にミツヒはいない。それどころか、ベッドは手つかずのままだった。焦って食堂に戻るナギア。
食堂では両親と兄が食事を始めるところだった。
「父様、母様、ミツヒを知しりませんか?」
「……知らんな」
「知らないわよ、どうしたの?」
ラルクが、パンを千切りながら、正面を向いたまま昨晩の事を話す。
「昨日の夜に出て行ったよ。俺は止めたんだけどな」
「何故ですか? ミツヒに何かしたのですか?」
「身分がどうとか言っていたよ。父が言ったんじゃないのか?」
バツの悪そうなカイレン。
「あ、いや、ちょっとな。アルドール家の話をしただけなんだが、彼は気にしたのかな。本人の意思で出て行ったのなら、仕方がないだろう」
怒りがこみ上げ、両手に拳を作り、震えるナギア。
「なぜそのような事を言ったのですか! こんな、こんな所に連れて来た私が浅はかだった。もう親とも思わない。私には親はいない。家を出る」
父親のカイレンがなだめるように話す。
「まあ、いいじゃないか。いい男は他にも居るぞ。あんな男は放っておけばいいんだ」
それは悪手だった。
今のナギアの気持ちに、火に油を注いだようなものだ。
「ふざけないでいただきたい! 私も孤児でいい! アルドール家を出る! 身分などいらない! アルドール? そんな物むしろ私の恥だ!」
ナギアは、アルドール家の紋章を取り出すと、床に投げつけ、壁に置かれている飾りの鎧から剣を取る。何をするかわかった母親のメアル。
「おやめなさい、ナギア。紋章を無くしたら本当にアルドール家の資格が無くなってしまうのよ」
父カイレンも立ち上がり止めようとする。
「ナギア、やめろ! 紋章を無くしたら終わりだ!」
兄のラルクは、まさかやらないだろう、とパンを食べながら黙って見ている。
ナギアは、部屋に響き渡る金属音と共に、躊躇なく紋章を叩き割った。
驚いて固まっている家族を睨む。特に父カイレンを。
「二度と戻る事は無い! お前達を家族とも思わない! 一生恨んでやる!」
両親の声に聞く耳を持たず、踵を返して出て行く。屋敷の横にある、馬小屋から馬に乗り走り出し、屋敷を出る。
ナギアは検問所に行き、ミツヒが出て行ったか確認するが、門番も交代していて調べないと分からない。その間、町中を走り回り、必死になってミツヒを探すナギア。
昼近くに検問所で聞いたところ、昨夜にアルドールの町を、徒歩で出て行ったことが判明する。ナギアもミツヒを追うように町を出て、王都ガナリックまでもどる。
途中で追いつければいいのだが、無情にもミツヒはいない。王都ガナリックの検問所で、ミツヒが王都に入ったか聞いたところ、あまりにも出入りがあるので時間がかかる。
それにはナギアも待てず、帰ってくる場所は一つだけなので、先にレ・ヴィクナムの町まで1人戻った。
翌日の、まだ暗い早朝にはレ・ヴィクナムの検問所に辿り着き、門番にミツヒの事を聞いたが、さすがに徒歩ではまだ帰って来てはいない。
ナギアは、ミツヒの家に向かう。合鍵はミツヒに貰っているので、家に入る。やはり、人の気配も無く、閑散としている。
「ミツヒは今頃何処にいるのだろうか。ううぅ。謝らないと、謝罪しないと……」
ナギアは、ミツヒのベッドに潜り込み、泣きはらし、疲れたのかそのまま寝てしまった。
その日の昼。
ギルドにナギアが足取りも重く、夢遊病者のように入って来る。丁度受付には、マレレとカルバンが話をしていた。カルバンがナギアに気づいたが、驚いた。
眼が赤く充血し瞼も腫れ、どれだけ泣いたのか、と言うほど、泣き腫らした顔になっている。
そんなナギアを一度も見た事の無いカルバンが焦る。
「ど、どうしたんだ、ナギア。な、何かあったのか?」
「ミツヒが。ミツヒが居なくなった……居なくなった。私のせいで。ううぅ」
恥も外聞も無く、直立不動で号泣するナギア。焦ってなだめるカルバン。
「ま、まあ、落ち着け、ナギア。ゆっくりでいいから何があったか教えてくれ。協力するから」
ナギアを支え、椅子に座らせる。
ナギアは、実家のあるアルドールの町に行った事を話し、父親に身分の差を言われ、出て行った。追いかけたが見つからなかった。今、どこにいるか分からない。
少し呆れたカルバン。
「ようやくミツヒが、孤児だの貧乏だの気にしなくなってきたと言うのに。元の木阿弥じゃないか。良かれと思ってやったのだろうが、世話を焼かせるなよ。仕方がない、協力してやる」
その後、カルバンがギルド経由でミツヒの動向を調べたが、王都ガナリックはおろか、どの町にも入っていない事が判明した。
その間、ナギアは放心状態のままテーブル席に座っている。目がうつろで生きる屍のようだ。
カルバンが、バツが悪そうにナギアに報告しに来る。
「ナギア。ミツヒはどの町にも入っていないよ。どこかを彷徨っているのかもしれんな」
「どう……すれば、い、い。わた……しは、どう、したら、いい」
「うまく言えないが、ミツヒの同行は調べてみるから、一度家に帰って静かにしていろ。とりあえず休めよ。変に動いてもミツヒと入れ違ったらまた面倒になるからな」
「ああ、か……える」
何処を見ているのかわからない、焦点が合っていない。泣き腫らしたままの無表情で、押したら倒れそうな、重い足取りで家に帰って行くナギア。心配なので途中までマレレに見送らせる事にした。
翌日からナギアはミツヒの家にいる。時間がたてば帰ってくる。帰って来たら謝ろう。許してくれるまで謝罪しよう。と決めてミツヒの家に泊まり込んでいる。
ミツヒが疾走して、1週間が経った。
ミツヒの動向が、遅れながらも少し判明した事を教えようとしたが、それ以来ナギアもギルドには来なかった。心配したカルバンは、ナギアの家に行ったがいない。
一度ギルドに戻ったが、もしかしたら、とミツヒの店に行けば人の気配がする。
扉には鍵がかかっていないので、部屋に向かって声を掛け中に入る。
「おーい、ナギア。ここにいるんだろ。入るぞ」
居間の椅子に座り、テーブルに上半身を委ねた状態で横を向き、死んだ魚のような半目のナギアがいた。
「大丈夫か? ちゃんと食べているのか? それよりナギア、ミツヒがこの町に入って来たよ」
か細い声だが、ギルドに来た時よりは張りがある。
「いつだ? でもここには帰って来ていない。私はずっと待っているのに」
「ああ、責任感の強いミツヒだからな、看板だけ書き換えたみたいだな。ギルドにも来たようだが、姿を見せず入口に紙一枚置いて、またレ・ヴィクナムの町を出て行ったよ」
「それはいつだ?」
「1日前の夜中だ」
「なぜ早く言わない」
「ナギアこそ何処にいるんだ。自分の家にいないじゃないか」
ナギアは、立ち上がり、放心状態のまま外に出る。外の立て看板は、いつの間にか書き換えられていた。
≪ 閉店します ≫とだけ書かれている。
「ミツヒが来ていた。私が中で待っていたのに……何故」
ナギアは、その場で座り込み両手を顔に当て、また嗚咽を吐き泣き出した。ナギアも弱い女性だった。いや、恋をすることで弱くなってしまったようだ。
なんとか落ち着きを見せたころ、カルバンが励ますように明るく話す。
「ミツヒは、どこか遠くで暮らすと書いてあったよ。自殺なんか怖くてしないとさ。良かったじゃないか、無事が確認できたんだ、探せばいいんだよ」
「どうやって探すんだ。遠い町とは何処だ」
「ま、俺に任せな。全く、腐れ縁なんて本当に厄介だな」
「頼むカルバン。お前だけが頼りだ」
数週間後
ナギアも、少しづつだが元気を取り戻しつつある。ミツヒの情報を知りたいので、依頼は受けないが、たまにギルドに顔を出し、テーブル席に座っている。
さすがのマレレも、この時ばかりは静かだ。
しばらく待っているナギア。
外から情報収集をしていたカルバンがギルドに帰ってくる。
「ナギア、ミツヒの情報だ。一度レ・ヴィクナムの町に来て以来、どの町にも入っていないよ」
「おかしくないか? じゃあ、ミツヒは何処にいるんだ?」
「俺の調べたところなんだが、ミツヒは辺境の町に居るかもしれない」
「それは何処にある?」
「ニウルガの樹海の、その先だ。今じゃ、誰も知らない町。いや、場所かな。切り立った岩山の壁に横穴があって、遠い町に続いている、と言われている。本当かどうかは確認していない。王国や王都も関係ない管轄外だしな。多分、誰も知らないよ。以前、ミツヒに聞いていた薬草採取の古文書を調べたら、そう書かれていたよ。あのミツヒなら知っているんじゃないか? その町の事を」
「危ない樹海だ――そうか、今のミツヒなら問題なく行ける」
「行くのか? ナギア」
「ああ、勿論行くに決まっているさ。確率は低くても希望はあるからな」
「やっとナギアらしく戻ったな。頑張れよ。これが古文書で調べたおおよその場所だ」
「悪いな、カルバン。恩に着る」
「それなら、今後の依頼と討伐で返してくれよ」
準備をするのに時間を要し二日後。ナギアは馬に乗り、まずは王都ガナリックを目指す。
王都ガナリックを横目に外側を走り、街道の途中まで来る。以前、討伐で森に入った場所で馬を下りる。馬の鞍を外し、マジックバッグに入れ、王都に向けた馬の尻に鞭を入れる。
魔物から逃げられるように身軽にして、王都まで走って行け、とばかりに見送る。
ナギアは森に入って行った。
◇
幕間
アルドールの町 ナギアが屋敷を飛び出し、1か月を過ぎた頃。
アルドール家に、数人の騎士が入って来る。ただ事ではない、とメイドが出迎え内容を聞く。
「ようこそ、アルドール家へ。ご用件は如何でしょうか」
「我らは王都ガナリックが騎士団、憲兵隊である。アルドール家の当主はご在宅か?」
メイドに呼ばれ、何事か、とカイレンが出てくる。
「王都ガナリックが直属、裁判所より通達する。これより、そなたを侮辱罪で捕縛する。手荒な事は避けたい。大人しく同行されたい」
驚くカイレン。メイドは両手を口に当てて奥に走って行く。母と兄を呼びに行ったようだ。
「なんだと? 私は誰も侮辱などしておらん! 何かの間違いだ!」
「ミツヒ。と言う男を知っているだろう。彼の侮辱罪だ」
「一平民に侮辱罪など、適用されないはずだ。彼は一平民だろう! 私の方が地位が高い!」
騎士は、後ろ手に捕縛を始めながらミツヒの事を話す。
「ミツヒ殿の功績は素晴らしく、石化解除、呪い解除、ゾルガンの町のダンジョン踏破、討伐の参加による貢献など、王都ガナリックにより推薦されている。さらに、王都で販売されているポーションは、ミツヒの作ったものが素晴らしく、他のポーションより売れている。今回の事が原因で、ポーションが販売出来無くなれば、今度は王都ガナリックから、何らかのお達しがあるはずだ」
王都ガナリックの直轄によって推薦されれば、位は持って無くとも、爵位を持つのと同等と見なされる。
ましてやミツヒの貢献度は群を抜いているので、それ以上になっている。したがって、カイレンより上に位置していた。
この事はミツヒは知る由も無い。
震えるカイレン。
「まさか、彼が。……そんな。しかし、侮辱したとの証拠はあるのか?」
「レ・ヴィクナムの町、ギルドにより嘆願書が出ている。署名はナギア、フレンシア、アルドール。保証人はギルドマスター、カルバンだ。これにより、家族にもご同行してもらい、尋問にかける」
メイドに呼ばれて、母メアルと兄ラルクが出てくる。
「あなた、私はナギアにつきますよ。後はよろしくお願いします。一,二年は頭を冷やされては如何ですか?」
「父上。僕もナギアとミツヒに着きます。屋敷で起こった事、事実を話しますよ」
騎士に囲まれ、項垂れて連行されるカイレン。メアルとラルクも、別に用意された馬車で同行する。
その後カイレンは、王都ガナリックにより厳しい処罰が下された。
さらに、ポーションが無くなれば、また処罰が待っている。
自分で、世間体を気にしていた父カイレンが、自ら世間体を低くしてしまった。
頭を冷やすカイレンだった。




