閑話:現場担当職員が増えた日
ドンドンと扉を叩く音に驚いて、一瞬躊躇した。誰かお客が来るという話は聞いてないし、今は亜樹も渓も仕事でいない。
雛倉様がいるから、まんいちの時は、自分が身を挺してでも主人を守らねばならないが……。
「もし。こちらに勇者アキ殿は居らっしゃいますか」
若い男性の、丁寧な口調に漣は首を傾げた。
どうやら亜樹を訪ねてきたらしい。
亜樹の客なら、悪いものではないのじゃないか。
何せ亜樹は勇者なのだ。うかつに触れれば瞬殺間違いなしとわかってわざわざくるような悪いものなど、いるだろうか。
「はい、ただいま」
それでも念のためと、チェーンをかけたままゆっくり扉を開ける。
扉の前には、彼岸の向こうからやってきたのではないかというような出で立ちの、見慣れない男が立っていた。
「……こちらは、勇者アキ殿の住まいで間違いないでしょうか」
何故かひどく驚いたように息を呑み、男はじっと漣を見つめた。
「ええと、はい。わたくしは留守を預かる漣と申します。あの、あなた様はどちらのお方でしょうか」
「サザナミ殿……あなたは、勇者アキ殿とどのような関係なのです?」
「わたくしの主人様が、勇者殿のお世話になっておりますので、その礼を兼ねて身の回りのお世話をさせていただいております」
きょとんと首を傾げて述べる漣に、男はいたく感動したような表情を浮かべて大きく頷いた。
「それは……あれの世話などとは、さぞや苦労なさっておられることと思います。私は勇者アキ殿に用があって参ったのですが、もし不在なのであれば、待たせてはいただけないでしょうか」
「ええと、その……」
どうしよう。漣は、勝手に客をあげてよいものか悩んでしまう。何しろ、家主である亜樹が留守なのだ。
「漣、入れてやるがいい」
「雛倉様」
そこへ、雛倉が声をかけた。
いい加減退屈してた雛倉は、珍しい来客に興味を持ったようだった。ひとり酒もつまらんからと、彼に酒の相手もさせようという魂胆だった。
「かまわぬ。やつが何かうるさいことを騒ぎ出したなら、我が招き入れたのだと申せばよい」
「……わかりました」
大丈夫かな、とちょっとだけ逡巡してから、漣はチェーンを外す。
「わたくしの主人様が、お客人を通せと所望しております。
どうぞお入りくださいませ」
「これは丁寧に、感謝いたします」
「……あ、お履物はこちらでお脱ぎくださいませ!」
「お、これは失礼を」
男は長靴を脱ぎ捨てて裸足になると、一礼して部屋へと上がり込んだ。
「……というわけなのはわかった」
つまり、元凶はコレでそれを発展させたのは雛倉さんというわけか。
転がった空の一升瓶2本と竜神と男と、それを見つめて「雛倉様ひどい」などと呟く蛇をそのままに、私は腕を組んだ。
いったいどうしてくれようか。
状況をいったん整理しよう。
帰ったらまたひとり増えていた。
いや、正確に言えばひとり押しかけが来ていた。
そいつはどう見ても見覚えのある顔で、日本的に言えばコスプレか中二病かという格好だった。
足首まであるずるずるした長衣を着た長髪の男だ。どう見ても痛い格好だ。おまけにその横に転がった杖は、ごてごてとした装飾で派手に飾られている。
合わせれば、どのゲームのキャラですか、と訊かれそうな出で立ちだ。
「寝ているうちに斬っちゃおうか」
『斬りますか?』
「ゆ、勇者殿、殺生はお控えを!」
物騒なことを口に出す私に、漣さんが取り縋る。
「血と死の穢れは神域にご法度です!」
「あ、うん、そうだっけ」
殺るなら外でということか。
「……ねえ渓さん、こいつ丸呑みしない?」
「は?」
「今なら私が許すから」
「馬鹿を言うな。俺はもう妖でなく神使だぞ。それに、この形でこやつを丸呑みなどできるものか」
私はチッと舌打ちする。
ならば今のうちに身ぐるみ剥いで簀巻きにして橋の下にでも置いてくるか。
どうせ外国人登録証もパスポートも持ってるわけないし、身元不明の不法入国者なんだから、そのまま公権力に委ねてしまえば……。
「む……」
私はもう一度チッと舌打ちする。
起きてしまった。非常に残念だ。
目を覚ました男は軽く伸びをしてからおもむろに起き上がった。
ちらりと周りを見回して私に目を留めると、「勇者アキ殿」と呟く。
「何。私のことが忘れられず追いかけてきたの」
「そうですよ。だから剣を返してください」
ぐいと右手を差し出して、恐ろしく不機嫌な顔で男は言った。
「持って帰ればいいじゃん」
私が壁に立てかけた剣を指差すと、反射的に伸ばそうとした手をぴたりと止めて、彼は目を眇める。
「その手は食いません」
「その手って何よ。ほら、剣ならそこにあるから」
「だからその手は食いません。うかつに触れば剣に弾かれるんでしたね」
漣さんは私と彼を見比べて、どうしたものかとおろおろするだけだ。
渓さんはゆさゆさと雛倉さんをゆり起こそうと頑張っている。
「あの、あの、勇者殿。こちらのお方は勇者殿のご友人なのですよね?」
「……知らない人」
「えっ」
ぎょっとする漣さんに、男がにやりと笑った。
「誰が知らない人ですか。忘れたんですか、3年も行動を共にしたというのに。それとももうそこまで頭が衰えましたか」
「あーあー聞こえませーん」
ひくり、と男の顔が引き攣った。
「ほほう。なら力尽くで思い出させましょうか」
私は男をぎろりと睨みつける。
「ああん、力尽く?」
目を逸らしたら負けだと言わんばかりに睨み合う。
「勇者様に力で敵うと思ってるんだ」
「やってみなければわからないでしょう」
「ゆ、ゆ、勇者殿、お部屋が、壊れて、しまいます。それに、あまり騒ぐと、ご近所に迷惑が……」
涙目で取り縋り、決死の覚悟で間に挟まった漣さんのSOSで白妙さんがやってきたのは、それからさらに3時間後だった。
「亜樹さん、サポセン職員が問題の原因になるのはやめてください」
寝不足のせいか、こめかみをピクピクと震わせながら白妙さんが静かに述べる。これ、ちょっと本気で怒ってるかもしれない。
「私のせいじゃないし」
「この状況でですか……ええと、私は妖サポートセンター、渉外担当の白妙で、亜樹さんの上司にあたります」
それはそれ、とばかりに白妙さんがすちゃっと名刺を差し出しながら、サラリーマンとしても堂に入ったお辞儀を繰り出しつつ挨拶をする。
男は不思議そうに名刺を受け取ってじっと眺めた。
「私は王宮付魔術師長であり、勇者アキ殿の共として魔王討伐に参戦し紫の位を授けられた魔法使い“長き腕”と申します」
男は、かつて何度か見たことのある、正式な魔法使いの礼を取った。
「こちらでは如何なる用件でいらっしゃったのでしょうか」
「この度、勇者アキ殿が持ち去った“暁の聖剣”を引き取りに参りました」
白妙さんが静かにこちらを向いた。こめかみは震え青筋が立っている。
「亜樹さん。それやっぱり持ってきちゃだめな奴じゃないですか」
「だって肝心の女神はストップしなかったし、蛇神斬りだって来るって言ったんだよ。本人の意思確認はできてるんだから問題ないじゃない!」
「だってもへったくれもありません。その剣の所有権は彼の国にあるのであって、亜樹さんは貸与されたに過ぎません。亜樹さんには、魔王討伐までと期限を切った使用権が与えられてただけじゃないですか」
一瞬、ぐっと言葉に詰まる。だが……。
「あの国に民法なんてなかった! 物権法などなかった!」
「ここは日本なので、日本の法に基づいて判断します」
「何……いや待って! 蛇神斬りは付喪神なんだから、蛇神斬り自身の判断に任せよう。自由意志持ってるんだから、蛇神斬りにも妖ルール適用しないと」
白妙さんに丸め込まれそうになったところでハッと気がついた。そうだ、蛇神斬りは付喪神。モノじゃない。つまり物権法とか関係ないし!
危ないところだった。
『私は勇者から離れませんよ! 女神もいいって言いましたし!』
「ほら! 蛇神斬りもそう言ってる!」
白妙さんが小さく舌打ちをした。もう少しだったのに、という呟きまでが聞こえた気がした。さすが狐だ。
「わかりました。ではあとで蛇神斬りを付喪神として登録しておきます。
そうなりますと、亜樹さんと蛇神斬りの働きに応じた配分で、それぞれに給与や手当を支払うことになりますね」
「えっ、どういうことなの」
「申したままですが」
やっぱり白妙さんにハメられた気がした。なんだこの狐。
「つまり、剣は戻らないということですか」
すっかり空気になっていた魔法使いが小さく呟いた。
「そう、帰らないってこと。蛇神斬りが自分でそう言ってるし、女神もそれでいいって言ってるんだから諦めなよ」
「……そういうわけにはいきません。陛下より厳命されていますし、大神殿からの突き上げもきついんです」
くわっと魔法使いが目を吊りあげる。
「誰かさんはそこらの小刀のように扱っていますが、国の聖剣なんですよ」
そんなこと言われても私には関係ないし。
『勇者が天寿をまっとうした後なら戻ってもいいですよ』
「って言ってるけど」
「天寿……天寿と言いましたか。なら、勇者アキ殿がぽっくり逝きさえすれば戻ってくれるんですね」
「言い草は気に入らないけどそう言ってる」
「なるほど」
魔法使いがにやりと笑った。
「私は幸いあと300年ほどは寿命を残しています。勇者アキ殿は長生きしてもあと60年か70年と言っていましたね。
ならばそれまで待ちましょうか」
くっくっと笑う魔法使いに、私は嫌な予感がした。
「え、待って。まさかここで待つわけじゃないよね。あとで改めて回収に来るってことだよね」
「空手で戻れば処罰されるとわかっていて、敢えて戻るような馬鹿者に見えますか? 私が?」
冷や汗をかく私に、白妙さんが「ではこちらの方も、亜樹さん管轄の移住者として登録しておきますね」と淡々と述べた。
「そ、そんなすんなりでいいの白妙さん!」
「何かありましたら、すべて亜樹さんの責任ですから」
にっこり笑って爽やかにそんなことを言う。何故私なんだ。
「あっ、でもっ! この見た目若い男子とうら若い女子の私が同居はまずいから! こいつの部屋は白妙さん預かりで!」
「亜樹さんのことでしたら、何かあっても相手を殺すんじゃないかという心配しかしておりませんから」
「なんで! 私まだハタチ越えたばっかのピチピチの女子よ! めちゃめちゃお年頃なんだよ! こんな、どこの馬の骨かわからん男と同室とかおかしいでしょ!」
「魔術師長まで登った私を馬の骨とか言いますか」
「亜樹さんが襲う心配はしても襲われる心配などありませんよ」
「ちょ、やだ! さすがの私だってごめんこうむる! ほらこいつ物騒な顔してるでしょ!」
はあ、仕方ない、と白妙さんは大仰な溜息を吐いた。
「わかりました。ではしばらく、魔法使いさんにはサポセンの簡易宿泊所を利用してもらいましょう。身元保証人はもちろん亜樹さんで」
「み、身元くらいは仕方ないから保証するけど、生活の面倒までは見ないからね! 働かせてなんとかしてよ!」
私の主張を承知したのかどうなのか、白妙さんは魔法使いを振り返る。
「では魔法使いさん。亜樹さんが寿命を迎えるまでこの国に滞在なさるということでよろしいですね」
「うむ」
神妙に頷く魔法使いに、白妙さんは何やらごそごそと小冊子を出した。
「あなたもどうやら人間でない種族のようですから、私どものルールを覚えていただく必要があります」
「具体的に、何をすればいいのですか」
「まずは研修からスタートですね。このパンフレットをお持ちください。基本的なところはこちらに書いてあります。読めないようでしたら、後ほど説明いたしますが」
「大丈夫だと思います」
「あちらに着いたら改めて担当者を付けますので、そのあとは担当者の指示に従ってください」
「わかりました」
白妙さんがてきぱきとまとめ、魔法使いを連れて部屋を出る。
「亜樹さんには、明日、改めてお話しをお伺いしますから」
そう言って笑顔を残すことも忘れない。
ああ、面倒くさい。
「おい勇者、話は終わったか。ならば呑むぞ」
ようやく起きて欠伸をしている雛倉さんの横で、どうやら今日買ってきたらしい酒瓶を渓さんが振っていた。
漣さんが手際よくグラスと氷を出してくる。
「あー、呑む呑む。めっちゃ呑みたい。
え、何これウィスキー? て、21年とか書いてあるじゃん! またずいぶん奮発したね」
「今日は給料日だったからな」
ドヤ顔の蛇に、はいはいすごいすごいと言いながら私はグラスを受け取り、漣さんに酒を注いでもらった。
あの魔法使いにはしばらく関わらなくてもよさそうだし、このまま白妙さんに丸投げしておこうと思う。
あとは知らない。