事件3.諦めなくても試合終了はあるから大きくなれよ
ここ2日ほど、久しぶりに大きな案件も起こらず、のんびりと過ごしていたはず……だったのに。
「ねえ白妙さん」
「はい、なんでしょう」
「なんかこれ、あんまり私向きじゃないような気がしてるんですけど」
「他の方は皆、出払ってまして……」
困ったように眉尻を下げる白妙さんと私の前には、ものすごく古くて立派な椎の大木にしがみついたまま離れない、見た目だけは小学校低学年くらいの女の子な妖がわんわん泣いていた。
女の子とは言っても、完全な人型になれているわけではなく、なんというか……幼女みたいな烏天狗みたいな、そんな姿格好だ。
白妙さん曰く、まだ若くて妖術もほんのり程度だから、これが精いっぱいなんでしょうとのことだった。
念のためにと持ってきた蛇神斬りの不要感半端ない。
だが、小さな女の子の泣く姿というのは破壊力抜群だ。
私も白妙さんも泣く子には勝てず、すっかり困り果てている。
「ずっとこの木に巣をかけていたシジュウカラの妖らしいんですが、この木もそろそろ限界なんですよねえ」
「やだやだ。ずっとここにいるの!」
「この椎の木の木霊さんも近いうちに寿命が来るって言ってるし、早いうちに巣を移したほうがいいと仰っているんですよ」
「いやあああ!」
白妙さんの横で、よぼよぼのしょぼしょぼで、腰が曲がり切った今にも倒れそうな爺さんが小さく頷く。
「嬢ちゃんや、わしも本当にそろそろなんじゃ。聞き分けてくれんかのう……」
木霊さんがふるふる震える手で小鳥ちゃんの背をトントンと叩く。だが、小鳥ちゃんはますます泣いて頭を振るだけだ。
既にもう小一時間以上、ここから進展がない。
なんでここに私が呼ばれたんだろう。
ほかに適任いるんじゃないのか。
「いやあ! この木がなくなるならあたしも一緒に逝くう!」
とうとうそんなことを言って、小鳥ちゃんはしがみつく腕に力を込める。
だが。
「……あ?」
聞き捨てならない。
「これ、嬢ちゃん」
木霊さんはおろおろと手を伸ばし、なんとか宥めようと肩に手をかける。
私はそれを制して前に出た。
「……ちみっ子。お前は言っちゃならないことを言った」
もう限界だ。木霊さんより私が限界突破だ。
おどろ線を背負った私はがしっとちみっ子の頭を鷲掴み、集中する。
「え、亜樹さん?」
白妙さんの慌てる声がしたが、構わずに続ける。
「“混沌の海にたゆたう力よ。聖なる女神の名と我が暁の勇者の称号において、これなる魔を封じよ”」
ちみっ子はたちまちピチピチさえずるだけの小鳥に変わる。がっちりと私に掴まれたままなので、飛び去ることもできず鳴いて暴れるだけだ。
「白妙さん、鳥籠」
「あ、はい」
私が片手を出すと、白妙さんが慌てて地面から枯葉を拾い、小さな鳥籠を作って差し出した。受け取って、中に小鳥ちゃんを放り込む。
小鳥の姿でピチピチピチピチ鳴きながら暴れているが、しょせん小鳥だ。鳥籠を破壊するほどのパワーはない。
それにしても、白妙さんのこの妖術つくづく羨ましい。白妙さんは私をチートと言うが、白妙さんだって十分チートだと思うんだよ。
「じょ、嬢ちゃん……」
呆然とした木霊さんが、小鳥ちゃんの入った鳥籠を抱えてさらにおろおろする。小鳥ちゃんは鳥籠の中から木霊さんに抱きつくように翼を広げ、ピチピチ鳴いている。そんなふたりを見つめる白妙さんが、「亜樹さんは、まるで昭和の悪の親玉ですね」と呟く。
私はそれらいっさいを全部スルーして、木霊さんに向き直った。
「ね、木霊さん。めっちゃくちゃハイリスクローリターンかもしれない博打だけど、乗ってみる?」
「はて?」
木霊さんが私の言葉に首を傾げる。そりゃそうだろう、これだけじゃいったいなんのことかわからない。
「私の知ってる限りだと、木霊さんはその椎の木の精で、その椎の木と運命は一連托生なんだよね」
「そうじゃ」
「……引っ越し、頑張ってみない?」
「……は?」
木霊さんも小鳥ちゃんも、おまけに白妙さんまでもがぽかんと私を見つめた。当然だろう。私も木霊に引っ越しを勧めるなんてこれが初めてだ。
「前にさ、木霊さんみたいな精霊の引っ越し手伝ったこと、あるのよ」
「引っ越しですか?」
「そう。ええと、宿る木を移るんだから、引っ越しだよね」
白妙さんがとうとう胡乱な表情になる。
「そんなの、聞いたことありませんが」
「私だってこんな提案初めてだし」
呆気に取られるだけだった木霊さんが、「引っ越しなぞ、いったいどうやって」と呟いた。
「あっちにも、木霊さんみたいな精霊がいて、“木の娘”って呼ばれてたんだ。彼女たちも木霊さんみたいに特定の木と結びついてて、その木が芽吹いてから枯れるまで運命を共にするの」
ふむ、と木霊さんが頷く。
厳密に言えば、木霊さんと木の娘の成り立ちは違うのかもしれない。
だが、現象に理屈を当てはめて想像力と意志で強引に捻じ曲げるのが魔法というものなのだと、魔法使いが言っていた。
それでいけば、きっとなんとかなるだろう。
「私が手伝った木の娘も結構な歳で、大きな力を持つ精霊だった」
眉間に皺を寄せて、わたしはなるべく詳しく思い出そうとする。
「当時、彼女の森はすぐそばまで魔王の毒に侵されてて、その毒で彼女が魔物に変わるのも時間の問題だったんだ。
力のある彼女が魔物に変われば、きっと大変なことになる。だから死のうと思ってた。けど、私がうまいタイミングで通りがかったから、いちかばちかの引っ越しに賭けてみることにしたって。
だから手伝えって言われて、手伝ったんだよ」
「それで、木霊さんの引っ越しですか」
白妙さんが、感心していいのか呆れていいのかわからないというような、微妙な顔になった。
「ずいぶん思い切ったことをなさったんですね」
「いやあだってほら、死ぬ気になったらなんでもできるって言うじゃん?
それに、魔物になるか死ぬかの二択に、もうちょっと希望の持てそうな選択肢ができたんだから、これは乗るしかないって感じだったよ」
「はあ……」
白妙さんはやっぱり微妙な表情のままだ。
と、いきなり木霊さんが、ぶふっと噴き出した。
「いやあ、女子は度胸とは、よく言うたもんじゃ」
木霊さんは腰を折り曲げたまま、くっくっと苦しいのかおかしいのかよくわからない調子でひとしきり笑う。
小鳥ちゃんは驚いたように、またピチピチとさえずり始めた。
「木霊さん?」
「なるほど、引っ越しとな。そのようなもの、想像もせんかったわ」
木霊さんはしみじみと呟く。
「ただ、ひとつ注意しておくよ。
彼女の引っ越しは成功したけど、彼女が移った木の実が芽吹くところまで、私は見てないんだよね」
ふむふむと木霊さんは頷いた。
白妙さんの表情は、ちょっと険しくなる。
「だから、彼女が以前と変わらない同じ木の娘として再生したのか、それとも若木から全部が新たに再スタートだったのか、よくわからない。
つまり、引っ越した後ももとの木霊さんと同じものなのかわからないし、そもそも本当にうまく引っ越せるか、保証も何もできないってこと」
小鳥ちゃんがますます騒ぎ出す。たぶん、そんな危ないことしないでくださいとかなんとか言ってるんだろう。
さすがの白妙さんも顔色が悪い。
「私は手伝うだけだから、決めるのは木霊さんだよ」
妖というものは、本来、変化とか新しいこととかを避ける傾向が強いと聞いたし、引っ越しが無理だというなら仕方ないだろう。
落ち着くまで小鳥ちゃんにはこのまま籠に入っててもらって……。
「ならば、わしも覚悟を決めるか。
勇者殿、その、引っ越しとやらを手伝ってくれるかの?」
「……もちろん」
白妙さんも小鳥ちゃんも、大きく目を瞠る。
私も少し驚いた。
「もう死ぬしかないと思っておったが、希望の持てる選択肢とやらができたんじゃ。この半人前の嬢ちゃんが立派な妖になるまで、わしも頑張らねばならんじゃろ」
「うん……木霊さん、いいね。私はそういうひと好きだよ」
木霊さんは鳥籠の中の小鳥ちゃんに言い聞かせるように何かを囁く。小鳥ちゃんは小さくうなだれて、翼で目をこしこし擦ると、うんと頷いた。
木霊さんから鳥籠を受け取って、小鳥ちゃんを外に出す。
「“我が称号にかけて、このものを解放する”」
たちまち小鳥ちゃんが、もとの小さな子どもの姿に戻った。
「ちみっ子、いいか。そもそも諦めたら試合終了だから諦めないことはいい。だけどやだやだって泣くことと諦めないことは違うし、諦めないだけでもやっぱり試合終了なんだ」
小鳥ちゃんはうるうると涙目で頷いた。
「でも、でも……あたし、木霊さんがいなくなったらって思うと……」
「いいか。これから木霊さんはまた小さな若木にならなきゃいけない。
ならば、ちみっ子に必要なのは力だ。修行して大きく強くなるんだ。木霊さんを守れるくらいにな」
「……はい!」
べそべそしていた小鳥ちゃんがハッとしたように顔を上げた。ぐっと拳を握り、浮かべた涙を振り払い、力強く頷く。
「あたし、木霊さんのこと守ります!」
「亜樹さん……言ってることはいい感じですけど、あまりいたいけな妖に変なこと吹き込まないでください」
なぜか白妙さんが溜息を吐いた。
なんでだ。今のは感動するところじゃないのか。
「え、だって力あってこそじゃない? 私何か間違ってる?」
どうしてやれやれとか肩を竦めるのだ。
私は解せない気持ちを抱えたまま、ポケットから紙切れを出して小鳥ちゃんに差し出した。
「まあ、それでもしばらくはこれ持ってるといいよ。サポセンの名刺ね。
ここに連絡すれば、この歳経て便利能力とツッコミ力を身につけた、使える白狐が来て助けてくれるから」
「そこは亜樹さんじゃないんですか!」
「私は現場担当で、渉外は白妙さんの担当だよ。役割分担重要だから」
白妙さんは、また大きな溜息をひとつ吐いた。
「よし、ちみっ子。木霊さんが次に宿るどんぐり拾っておいで。なるべく立派で活きが良くってでっかい椎の木に育ちそうなやつ」
「はい!」
「白妙さんは植木鉢作って」
「はいはい」
白妙さんの作った植木鉢に椎の古木の根元の土を詰める。たぶん、馴染んだ土のほうがいいだろう。
そこまで終わったところで、小鳥ちゃんがつやつやでまるっとした立派な椎の実をひとつ持ってきた。
「“混沌の海にたゆたう力よ。聖なる女神と我が暁の勇者の名において祝福を授けよ”」
ぽう、と指先に点った光が、椎の実に移る。駄目押しにこの私の祝福もあるのだ、きっと大丈夫。
「ねえ白妙さん、椎の木植えられる土地のひとつやふたつ、サポセンで押さえてるよね。木霊さんがすくすく育てるような広いとこ、ちゃんと用意してよ」
「はいはい、わかりました」
白妙さんが苦笑混じりというか、諦め顔でまた肩を竦めた。
だからなんでだ。
「じゃ、夜明けまで待ってちょうだい。
この剣がいちばん力を出せるのが夜明けなんだ。なんせ、暁の化身たる聖なる女神が齎した聖剣、ってのがウリだからね」
蛇神斬りは、だから、そもそもの存在自体がチートだったりする。
こいつがあれば私は私の斬りたいものだけを斬ることができるという、不思議ハイパー仕様なのだ。
「それ、やはり持ち帰ってはいけないやつだったのでは」
「だって女神のストップも無かったし、いいんじゃない?」
白妙さんがどことなく不安げな顔になる。
だから何故だよ。
東の空が白々と明るくなってくる頃、私はすらりと蛇神斬りを抜いた。
「蛇神斬り……“暁齎す希望の剣”、仕事するよ」
『はい、勇者』
正式な名前で呼ばれたせいか、蛇神斬りはどことなくかしこまったような声で返事をした。
「“混沌の海にたゆたう力よ、聖なる女神と我が暁の勇者の称号にかけて、剣よ、このものと宿主の繋がりを絶て”」
蛇神斬りの刀身にほのかな光が宿るのを確認し、木霊さんと椎の木の間に振り下ろす。
木霊さんがふらりと揺れて、白妙さんに支えられた。
ここからが本番なのだ。
小鳥ちゃんに合図して、植木鉢の土の上に乗せた椎の実を木霊さんに向けて掲げてもらう。
「“混沌の海にたゆたいし力よ、聖なる女神と我が暁の勇者の称号にかけて、これなるものの縁を結べ。
古き木霊と継ぎなる源を繋げよ。このふたつのものの繋がりを聖なる女神の名において祝福し、新たなる生命と成せ”」
光の線で椎の実と結ばれた木霊さんが、吸い込まれるように消えた。
とたんにピシリという音がして椎の木に大きなひびが走る。小鳥ちゃんを植木鉢ごと抱えて、私は椎の根元から飛びのいた。
そのまま、ピシ、バキ、という遠雷かと思うような盛大な音を立てて、古い椎の巨木は根元からパッキリとふたつに割れていた。
毎度のごとく、白妙さんの車で帰途についた。小鳥ちゃんは木霊さんの植木鉢をしっかり抱えて、後ろのシートでうつらうつらとしている。
ふたりはこのまま白妙さんがサポセン所有の土地に連れて行くらしい。
「亜樹さんがあんなに勇者らしいこともできるとは思いませんでした」
「え、どういう意味? 白妙さん、私のことは元勇者だからスカウトに来たって言ったじゃん」
「いえ、いつも殴って終わりでしたので。
まあ、今日もノリ的にはそのようなものでしたが」
「ちょっと待って。物理だけなら勇者いらないし、これでもちゃんと勇者やってたんだよ。元だけどね」
「亜樹さんの場合、日常の言動も言動だと思いませんか」
「ちょ、ちょ、勇者ってのは皆の希望なんだよ! 超希望じゃん私!」
くつくつと白妙さんが笑い出した。
いったい、今のどこに笑える要素があったというのだ。勇者ってのはマジでしんどい仕事なんだぞ。
「ちょっと失敗したかなと思ったんですよね。いかに人が空いてなかったからって、亜樹さんにこの案件を振ったのはまずかったかなあと。
イライラのあまりキレて、あの子を木霊さんごと叩き切ってしまったらまずいなあと、正直心配でした」
うええ、と私は思わず白妙さんを見る。
ちょっと待て、いったい私をなんだと思っているのだ。狂犬か。
「……私、嫌なんだよね、ちみっ子にわんわん泣かれるの。
泣く子と地頭には勝てぬっていうじゃん。今なら地頭じゃなくて国税庁には勝てぬかな。
それに、さすがに斬ろうとは思わないよ。だって子供と老人じゃない。それただの弱いものいじめじゃないの。
ていうか、勇者って絶対諦めちゃいけないんだよ。諦めたらそこで試合終了だって安西先生も言ってるけど、そのうえさらに結果を出さなきゃ皆にがっかりされて叱られる仕事なんだよ。
もうお腹痛くなるようなプレッシャーに耐えて頑張ったんだから、このくらい屁でもないって」
白妙さんはくつくつ笑ったままだ。泣いてる子供よりも、笑う白妙さんのほうがムカつくんじゃないだろうか。
「まー、うまくいかなかったら、白妙さんにやつあたりしてたけどね」
「するんですか」
「だって、白妙さんならちょっとくらいやつあたりしても頑丈そうだし」
「……案件がうまくいって、本当によかったです」
だからなんでそういう心底安心した表情になるんだ。
やっぱり解せない。