事件15.元勇者と元聖女とOJT/後篇の1
『勇者、魔王ですか?』
境界を越えたとたん、“蛇神斬り”から尋ねられた。
「まだ魔王じゃないかな」
「そうだねえ、まだまだこれからって感じ!」
首を振る私に、キラリさんが同意する。
たぶん、このまま放って何十年か何百年か熟成させたら魔王になるかもしれないくらいの瘴気が、結界の中に溜まり始めている。
鈍感な人間でも体調を崩しそうな、嫌な雰囲気だ。
「じゃ、行こう。キラリさんは頃合い見て浄化頼む」
「はい!」
元気のいい返事を背に、私はゆっくりと中心へ向かった。
「視界悪いなあ」
寒村のしかもハズレの神社のさらに山側、ということで、あたりは雑木林のようになっている。杉林じゃないから下生えやら灌木やらで歩きにくいし、笹も多くて見通しがよくない。しかも、ちょっと薄暗いうえに靄がかってもいる。
後ろから、ちょっと文句を言いつつ私の後を追うキラリさんの声が聞こえる。
さらに藪漕ぎしながら進んだ先は少し開けていた。藪から出る前にキラリさんに止まるよう合図して、じっくりと様子を伺う。
何も考えずに出て矢ぶすまにされるのはバカの所業だと、あっちでさんざん騎士くんから言われたことを思い出す。
「無理。あのままだと絡まり過ぎててどっちかだけ狙うとか絶対無理!」
「あ、どっちがどっちとかわかるんだ?」
小声のキラリさんの言葉に、私はちらりと振り返って伺った。眉間に皺を寄せたキラリさんは、広場に渦巻くモヤモヤをじっと睨んでいた。
「なんとなくだけど、二種類あるのはわかるよ。でも動いてるし絡まってるし、アレ区別してなんとかしようとかって、あと百年は修行しないと無理だと思う。つまり私にはどうしたって無理」
「そっか――私はまとめてモヤモヤにしか見えないから、分けて斬るとか百年経っても絶対無理かなあ」
キラリさんの言葉に、私も顔を顰めてしまう。
まとめて浄化すると、残さなきゃいけない土地神様もどうにかなってしまいそうで、手が出せないのだ。
おまけに、私もまとめて斬るしか方法がない。
ついでに、ここから人家まではいいとこ数百メートルで、そこには地元のお年寄りが単身暮らしていたりする。
「“蛇神斬り”、斬っていいけどパワー半分くらいで抑えめに行こう」
「はい、勇者」
「キラリさん、斬ってよさそうなところ教えて」
「了解!」
出した結論は、キラリさんが大丈夫だと指定したところを優しく削って、祟り神を弱らせる作戦である。
パワー半分でなんとかなるのかどうかはわからない。
だがもし魔王モードでいきなり行ってオーバーキルしてしまったらまずい。
様子見くらいしなくちゃまずい。
さらに言えば、なるべく土地神様は斬らないほうがいい。
ついでに言うなら、本気を出してうっかり山が崩れたりしたら、白妙さんの嫌みと始末書だけで済むかどうかがわからない。
「継戦重視の防御厚めでちょっとずつ削って……今回は長丁場かあ」
はあ、とひとつ息を吐く。「見極めよろしく」という言葉にキラリさんが力強く頷いたのを確認して、“蛇神斬り”と「行こう」と一歩踏み出した。
* * *
「なんかもう、疲れてきた」
『勇者、どうしますか?』
「どうしますかって言われても、山崩れたらまずいし」
ちまちまとモヤモヤを斬り付けながら、私はすっかり明るくなってしまった空を見上げた。白妙さんたちはこの場にはおらず、人家寄りの場所で妖術とやらを駆使して人間が近づかないようにしてくれているはずだ。
あの蛇姫さんみたいな相手ならここまで手こずらなかっただろうけど、いかんせん、二種類のもやもやが混ざり合ってる相手では手応えもイマイチだった。
そのくせ、このもやもやはこっちを攻撃してくるのだ。もやもやのくせに生意気すぎやしないか。
もちろん、もやもやだろうが“蛇神斬り”に斬れないものはない。だが、キラリさんの指示は「そこから右側!」とか「膝の高さくらい」とかのかなり大雑把なものなので、うっかりやり過ぎてまとめてオーバーキルになったらまずいし、うっかり山が崩れても困る。
後ろからキラリさんが指示出しの合間にちまちまと浄化を飛ばしてくれているのはわかるけど、そっちの効果も今ひとつっぽい。
「もうさ、魔王モードで一気に瀕死まで追い込もうか」
『私は構いませんよ!』
“蛇神斬り”もいい加減面倒になってきているのか、雑な同意を返す。
その間も、私はせっせともやもやを斬り付けてはいるが、いったいどれほど削れたのかよくわからない状態だ。HPゲージが見えたら楽なのに。
「長ちゃんに看破とか習っておけばよかったかなあ」
いつもなら考えないことまで考えてしまうくらいには面倒くさい。
心なしか、キラリさんの指示もどんどん雑になっている気がする。
「亜樹さん、肩の高さずばーんて斬っちゃって!」
「ずばーんて……」
「わかってきたけど、結構斬り過ぎくらいで大丈夫だから」
「ええ……そうなの……?」
「そしたら次は左側そこから斜め下くらいのところにぶっといの出てる」
「何が太いのかわからない」
「そこなら思いっきりいっていいよ!」
見えてるキラリさんならともかく、現在まで私の目には渦巻くモヤモヤしか見えていない。思いっきりどの程度やっていいのかがわからない。ぶっといのっていったい何のことなんだ。
「ああっ、隠れた! 亜樹さんどんどんやってくれないと、また隠れちゃう!」
「え」
ちょっと焦りが滲んだ――というより、若干イライラが増しているようなキラリさんの声が響く。
「いや、そうはいっても加減をしないと」
「大丈夫――あっ、また隠れちゃう! もう! ひとが穏便に済まそうって思ってたのに! めんどくさっ!」
いきなり叫んでキラリさんが飛び出した。
あぶない――という間も無く、キラリさんが輝きを放つ。
「全部きれいにしちゃうからね! “浄化の光”!」
「へ? え、まぶし……え?」
夜明けの光がうすらぼんやりに感じるほどの閃光だった。
とっさに目をつぶったけれど間に合わず、目がチカチカしている。
さすが浄化特化の聖女パワーだと感心する間にじわじわと視界が戻り、それと同じ早さでモヤモヤが薄れていくことに気づいて、ひやりと背を汗が伝う。
もしやもろともに全部浄化して消し飛ばしてしまったのか――と焦る私の視界の中で薄れていくモヤモヤの中心には、だが、ギリギリ何かが残っていた。
「最初からこうしとけばよかったあ!」
スッキリした笑顔で、キラリさんが言う。とてもいい笑顔だ。
いや、そうかもしれないけれど、これ大丈夫なのか。
もしや彼女は聖女系パワー寄りの脳筋となのか。
静かに慌てる私に、キラリさんがサムズアップをしてみせた。
「ほら、亜樹さんにもわかるようになったでしょ?」
「たしかに、何か二体ほどいるけど……」
まだ結界は解いてないから逃げられないはずだと、立てた親指をスッと動かしてキラリさんが示す先には、半透明というか、薄白いというか、そんなふたつの影がもつれて丸まっていた。
「――で、どっちがどっちだろ」
ふたつあるのはわかっても、やっぱり何が何かはわからない。もつれすぎてはいないだろうか。大きいほうが小さいほうをすっぽりくるんでいる?
「小さいほうが祟り神っぽいかな……もうひとつはたぶん土地神様? なんかもふっとしてるし」
もふっと――とぶつぶつ言いつつじっと影を観察してみると、たしかにどこかもふもふふわふわしているような質感だ。もやもやなのに。
「そういや、土地神って元妖狐だっけ。祟り神は元何だろ?」
「んー、人間っぽいけど……」
そう言われたせいか、もふっとした丸いのがうずくまる人間を抱え込んでいるようにも見えてきた。
「あー、そっか。祟り神ってだいたい元人間だっけね。そういえば」
じゃあ後始末行きますか、と、私はキラリさんを背にかばうようにしながら、ゆっくりとふたつの影に近づいた。





