閑話:神使の品格
仕事から帰ったらひとり増えていた。
自分でも何を言ってるかわからないが、ひとり増えていた。
丁寧に三つ指をついて深々とお辞儀をしている小柄な姿を見下ろしながら、もしやまさかとうとう蛇神斬りが立派な付喪神として覚醒し、人型になる魔法を会得したのかと考えてヤバイと思った。
「あの……」
「我が主人がお世話になっております」
主人。主人って誰のことだ。
「ええと」
「わたくしは漣と申します。この度めでたく竜神雛倉様のお召しを受け、神使とし……」
「なっ……なんだと?」
新しい、神使?
──この狭いアパートに、新しい神使だと!?
辛うじて六畳和室と四畳半洋室にDKバストイレ別という、独り者には十分だがひとり増えただけで一気に狭くなるこのアパートに、さらにもうひとりおかわりが来ただと!?
「おお、勇者か。お勤めご苦労であったな」
「ご苦労であったじゃない! なんで勝手に増やしてるの!」
玉石の上にゆったりととぐろを巻いた雛倉さんが、鷹揚に頷いてみせる。
「我の古い社に巣を掛けておった雀が、我を慕ってここまで追ってきたというのだ。なんと健気な心掛けであろう。
我は感動した。まだまだ我にもこのような者がおるのだ、神使として召し上げるのもむべなるかなと思わぬか」
「思わんわ」
「何! 雛倉様のご判断に異議を唱えるというのか小娘!」
「うるさいニート神使。お前が何もしないから私の負担が増えてるんだそのくらいわかれ。雛倉さんと一緒に酒ばっか飲みやがって、お前の酒代誰が稼いでると思ってる!」
「うっ」
「あ、あの、勇者殿。どうか兄君を叱らないでくださいませ。わたくしが主人と兄君の分まで働きます。家事ならひと通りやりますし、勇者殿がお望みなら日銭も稼いできます故、どうか怒りをお納めください」
「ちょ、な……っ!」
なんてかわいいんだ。見た目的には13か14くらいのちんまい女子が取り縋って涙目で訴えてくるとかやばい。この子やばい。
「……くっ、わかりました。ちょっと白妙さん呼びます。ニート神使はそこでおとなしくとぐろでも巻いてるように」
私は断固たる決意とともに、白妙さんを呼び出した。
「どうしましたか」
程なくして白妙さんが現れた。
「白妙さん。この世間知らずな引き篭もりニート神使でもできる簡単な肉体労働を紹介してやってくれませんか」
「……は?」
「何、俺に働けというか小娘!」
白妙さんがぽかんと口を開けた。
私の背後から、ニート神使の抗議の声が上がる。
「働かない限り、酒代は出ません」
「うっ」
「つまり、雛倉さんに供えられる酒は、今あるものが最後となります。ついでに言うと、米も今盛ってあるのが最後ね」
「な、なんだと?」
竜と蛇が並んでとぐろを巻いたまま、さっと顔色を失う。
「肉体労働、ですか……」
白妙さんが真剣に考え始める。
「月に何本も何本も一升瓶空けられたら、何回出張しても足りません。
……蔵元直送の吟醸酒じゃなきゃ嫌だとか、貴様は昭和のアル中DV親父以上に飲みやがって、自分の酒代稼ぐ厳しさを思い知ればいいんだよ」
「ぐっ」
「ええと、わかりました。渓さんにも働けそうな仕事には心当たりがありますので、聞いてみますね」
神妙な顔で白妙さんが頷いた。
数日後、オーケーが出たという連絡が入り、ニート神使は働く神使へとクラスチェンジした。その体格等の特徴を生かした、深夜のビル警備員だ。彼なら、ちょっとばかり怖い噂があるようなビルでもものともせず、むしろ居着いた幽霊をおとなしくさせるほどなので天職と言ってもいいかもしれない。
ああ、いいことをした。
これで、お供えの酒もグレードアップするのだから、文句は言わせない。
「おかえりなさいませ」
『勇者! 勇者! また蛇が来たんです! 雛ちゃんのご機嫌伺いとか言ってあの蛇が! 勇者、あの蛇斬っていいって言ってください!』
仕事が終わって帰ってくると、また蛇神斬りが大騒ぎをしていた。元ニート神使は仕事中だ。
雛倉さんは少しヤケ気味に酒を飲んでいる。
「何があったの」
「あの……それが……」
『さっちゃんのことまで、なんだ、小雀ですかって。あんな蛇にお茶なんて出す必要なかったのに!』
お盆を抱えて困ったような顔で、漣さんが眉尻を下げる。
「え、どういうことなの」
『神使が下賤な労働に身を窶さねばならないなんてよほどお困りなんですねって、笑うんです! 蛇が! 蛇が!
勇者、あれ間違いなく魔王の手先です。今すぐ斬りに行きましょう』
私は、はあっと溜息を吐く。土地神の蛇神使とか、なんだってこう、余計なことばっかり言い残して行くのか。あとで釘刺しておこう。
「蛇神斬りはちょっと落ち着いて。
そんなもん、言い返してやればいいじゃないの。労働で得た収入の尊さをご存知ないとはお可哀想に、って。
あとは、漣さんのような癒しキャラになれないからってひとのこと蔑むのはやめたほうがいいですよ、品格を疑われますからって」
「え、でも、勇者殿……そんな、私、まだ新米なのに」
「大丈夫。漣さんが癒しキャラなのは間違いないから。
まあ、元ニートがいない時に来て良かったんじゃないかな。あいつがいたら、この部屋が無事じゃなかったでしょ」
それにしても、その蛇神使とか、わざわざここに来るなんてよほど暇なんだろうか。今度、その土地神の社とやらに行ってみようか。