閑話:幼児と寝返り系ヒーロー考
「やばい。ランドセル買ってない……」
だいぶ冷え込むようになったある日、「就学時健康診断の通知書」なるものが届いて私は頭を抱えた。
そうだよ。保育園の年長さんなんだから、来年は小学校じゃん。
先月だか先々月だか、早くランドセルを準備しろと実家の母から連絡が来ていたのもスカッと忘れてた。
準備、しなきゃ……。
「ランドセル?」
レフくんはまだ先のことだとピンと来ていないのか、それともランドセルを買うと思ってなかったのか、不思議そうに首を傾げる。
「そうなんだ。ごめん、うっかりしてたよ。明日土曜日だし、買いに行こうね!」
「ほんと!?」
「ほんとほんと。マジでごめん。もうとっくに準備してなきゃいけなかったのに、不安だったよね」
やったーと跳ね回って喜ぶレフくんは、たぶんずっと待ってたんだろう。遠慮して言い出せなかったのかと、少し反省する。
それにしても、ランドセル戦線はスタートもエンドも早いと聞いたけれど、レフくんの希望のものが残っているといいな。
* * *
翌日土曜日、レフくんと一緒に朝から大手ショッピングモールへとやってきた。そこなら新一年生コーナーができているだろうと考えてだ。
目算どおり、ずらりと並んだランドセルの見本に呆気に取られてしまう。色やらステッチやら飾りやらもやたら多い。
おまけに、売り切れた品もあるらしい。
「私の時とは違いすぎる……すごいな」
「わあ……あきちゃん、たくさんあるよ」
「ランドセルをお探しですか?」
ぽかんとランドセルを眺める私たちのところに、にこやかな笑顔で店員さんが寄ってくる。いつもなら面倒くさいと思うのだが、今日は非常にありがたい。
希望を聞かれたがまったくのノープランだったので、まずは違いを聞いた。
店員さんは心良く頷いて、作りやらデザインやら重さやら……ブランドごとの売りポイントを説明していく。
「――レフくんは、どれがいい?」
「ぼく、赤いのがいい。ゆうしゃの色のやつ」
「赤か……なるほど」
赤といえば、ひと昔前なら女の子専用の色だった。
だが、今は自由だ。現代の赤は、戦隊モノならリーダーを示す、男の子の憧れるに値する色でもある。
「男の子向けの赤でしたら、こちらですね」
店員さんがいくつか見本を持って来てくれる。
最近は、子供の好きな色を選ぶのが当たり前らしい。さらには、色よりもステッチやら飾りやらで男女の違いを出すものだとか、説明もしてくれる。
――フタの微妙な違いとか型押し模様とか色違いのステッチとか、ランドセルにこんなにバリエーションがあるなんて。
ドラゴン模様まであるのか。すごい。
売り場のそばのテーブルで、見本とカタログを前にふたりで真剣に検討した。
しかし、赤一色はどのブランドにも必ずあるけれど、どうもピンとこない。悩んでしまってなかなか決められないレフくんに、店員さんが助け舟を出してくれる。
「そうですね――赤でしたら、差し色に使っているデザインもありますよ」
店員さんが差し出す別なカタログには、スポーツタイプというものが載っていた。スポーツタイプ? と私も身を乗り出して覗き込む。
「少し変わっていますけど、動きやすさを重視したデザインなんです。他に比べて重さも抑えてあります」
「なるほど……レフくん、これよくない? 戦隊スーツみたいじゃない?」
「わあ!」
黒をベースに赤を入れた、ちょっと中二病っぽさを感じる尖ったデザインだった。普通に赤一色より、ずっと戦隊っぽさを感じる。
黒ベースだと悪役系な色かもしれないが、レフくんなら悪からの寝返り系ヒーローでいけないだろうか。
「あきちゃん、これかっこいい!」
「お、気に入った?」
「こちらですね……在庫を確認して来ます」
在庫があれば実物を確認できるからと、店員さんはさっそくバックヤードへと引っ込んでしまった。
レフくんは目を輝かせてカタログを食い入るように見つめている。結構、こういう尖ったやつが好きなのかな。
「あ、レフくんだ!」
ん、と顔を上げると、同じ年頃の女の子が手を振りながら駆け寄ってくるところだった。レフくんも顔を上げて「ここなちゃんだ」と手を振り返す。
その後からは、お母さんらしき人が「走らないの!」と言いつつ追いかけてきた。
「心菜ちゃんて、たしか……」
以前、ハロウィンの百鬼夜行ではしゃいだ妖のゼロ次会に、レフくんと一緒に連れて行かれた女の子だ。
「こんにちは。坂上心菜の母です」
「あ、こんにちは、桜木レフの保護者です」
軽く息を切らしながら追いかけてきた心菜ちゃんママと会釈を交わす横で、レフくんと心菜ちゃんはきゃっきゃと楽しそうにおしゃべりを始める。
「ぼく、ランドセル買いに来たんだよ」
「レフくんおっそーい! ここなはもう買ってあるよ! 大じいちゃんが買ってくれたの! おひめさま色!」
「おひめさま色?」
「そうだよ! 雪のドレスの色なの!」
お邪魔してしまって、と恐縮する心菜ちゃんママに、いえいえなどとやり取りする間も、レフくんと心菜ちゃんのランドセル談義は続く。
「ほんとはね、ポンパラドゥ色にしようと思ったの。でも小学生になるし、おひめさまのほうがいいかなって。レフくんは?」
「ぼくはゆうしゃの色だよ」
ポンパラドゥは、女児に人気だという「魔法騎士きらめき☆ポンパラドゥ」という変身系正義のヒロインアニメの主人公のことだ。
そういえば、あの時もポンパラドゥメドレーを歌い踊ってたっけ。
「ゆうしゃの色って何?」
「赤! ランドセル、黒くて赤いのにしたんだよ」
「ふうん? でも、黒いのって悪役の色じゃない?」
「そんなことないよ!」
心菜ちゃんが適切に突っ込んできた。
レフくんが「あきちゃん」と不安げに私を見上げる。私は心得たというように、にっこりと頷いた。
「心菜ちゃん……いいかい? 黒が悪役の色とは限らないし、悪役が永遠に悪役だとも限らないんだよ」
「えー?」
だってポンパラドゥの悪役はみんな黒かったもん、と今度は心菜ちゃんが不満げに唇を尖らせる。心菜ちゃんママが、「こら」といさめるのをまあまあと宥めて膝をつくと、私は心菜ちゃんに目線を合わせた。
「心菜ちゃんもおとなになればわかるよ。寝返り系ヒーローがいかにかっこよく、心の中のいろんなものをくすぐってくれるかをね」
「ねがえりけい?」
「そう。寝返り系ヒーローっていうのは、最初は悪役として出て来て、途中で改心して正義の味方に変わるヒーローのことだよ。
まず、たいていの場合はとても深い事情から悪役側になっていてね――」
私は噛んで含めるように、心菜ちゃんに寝返り系ヒーローの良さを語る。
心菜ちゃんは首を傾げながらじっと聞いている。心菜ちゃんママもどこかしみじみと聞いてるようだ。
「ええと……ポンパラドゥの前の、トラトラリオンの悪役が、途中から味方になったけど、そういうの?」
「そう、それ! それに、正義の味方の黒枠っていうのは、だいたい賢くて強いんだよ。ちょっとレベルが上っていうか」
「そうなの? じゃあ、レフくんのランドセルは、そういう色なの?」
「そう、つまりかっこいい正義の味方色ってことなんだ」
心菜ちゃんは、そういうものなんだーと、納得したようなしてないような、微妙な表情だった。だが、寝返りヒーローの良さは、ある程度年齢を重ねないと理解できないものなんだからしかたない。
レフくんは「かっこいいゆうしゃの色」とまた笑顔に戻っていた。
「お客様、お待たせしました」
そこへ、タイミングよく店員が戻ってきた。どうやら在庫があったらしく、手には大きな箱を抱えている。
「それじゃ、私たちはもう……ほら、心菜、パパも待ってるんだから行こう」
「あ、そうだ! パパ待ってるんだ!」
「どうも。それじゃまた、園で」
「こちらこそ、またよろしく」
お辞儀をする店員さんにも軽く会釈をして、心菜ちゃんたちは去って行った。レフくんは心菜ちゃんと手を振り合いながらも、視線はランドセルだ。
小さなテーブルの上で、店員さんは箱を開けてランドセルと取り出した。
「わあ、かっこいいよあきちゃん!」
「うん、そうだね」
にっこにこでランドセルにかぶりつきのレフくんに、店員さんが蓋を開けて中の構造まで説明してくれる。さらには背負わせて、ベルトを調節して……
「ぼくこれがいい! ねがえりゆうしゃになる!」
「え」
いや、現時点でレフくんは悪役じゃないんだから、寝返る必要はないんだけど……と思ったけれど、さすがにここでそれを説明するのは躊躇される。
店員さんは表情も変えずにはしゃぐレフくんをにこにこと見ている。
「あ――、ええとまあ、将来めざす勇者像はまだまだこれからも検討すればいいとして、じゃあ、これに決めて帰ろうか」
「うん!」
「お買い上げ、ありがとうございます」
大きなランドセルの箱を抱えるレフくんは、帰路の間中、いかに悪役からの寝返りをするかについて、あれこれと語っていた。
これは、中学生くらいでグレた後、また優等生に戻るということなのか。
私はレフくんのメンターとして、それに備えるべきなのか。





