事件14.古城と行方不明事件/中篇の2
「何も、いない……」
『魔王の気配はありませんよ』
呆然とする私に、“蛇神斬り”が言う。
まさかこれは、幼少時の大石様肝試しで叔父にさんざんやられた「しむらうしろうしろ」の、「後ろにお化けいるよ」だろうか――そんなことまで考えてしまう。あの時、叔父は本気でお化けがいると信じる私をさんざんに怖がらせて……。
「いやでも後ろじゃなくて正面だったし、ほんとにいたし?」
あまり日の差さない廊下の先、薄暗がりになったそこをじっと見つめる。
動くものは何もない。
「魔王の気配はないんだよね?」
『ぜんっぜんありませんよ!』
何度もしつこく確認されて疑われたと感じているのか、“蛇神斬り”の口調が強い。
もちろん疑っているわけじゃない。もしかして、お化けの類は人間にしか感知できない存在なのではないかと考えただけだ。
はあっと大きく深呼吸して、私は気を取り直す。
さっきのは気のせい。やだなーという気持ちが見せた幻だ。
そう、枯れ尾花。枯れ尾花を見間違えただけなのだ。
「仕事は、ちゃんとやらないとね」
『勇者、がんばって!』
“蛇神斬り”の声援を受けつつ、私はまた歩き始める。
あちこち確認しながら一番下、一階部分まで来ると、そこはもうほとんど真っ暗な空間だった。降りてすぐの場所は大きなホールになっているのだ。このホールを囲むように、部屋が作られているはずだ。
さすがに暗すぎるので、ヘッドライトを出して点灯する。ヘッドライトだが、頭に付けるのではなく首から下げておくのだ。
さらにもうひとつ、普通の懐中電灯も取り出した。掲げてホールをぐるりと照らすと、明かりの範囲から外れるように、さっと人影が動く。
「あ、ちょっと待った!」
今度こそ、髪の長い女性だった。こんな甲冑姿だから警戒されてしまったのだろうか。「里の依頼で迎えに来たんです。怪しい者じゃありません」と声を掛けながら、私はゆっくりとそちらへ向かう。
どうやら、そっちはさほど大きくはない部屋に繋がっているようだ。
日本の建築基準からするとふた回りくらい大きな開口部には、建築途中であるお陰か扉は付いていない。
「あの、狸の里のお嬢さ――は? え?」
部屋を覗きこんで、声をかけつつ懐中電灯を向けようとしたら、明かりが突然消えた。
もちろんヘッドライトもだ。
他に光源はなく、窓もない部屋は真っ暗だ。
「ちょ、待って。勘弁して。こんなの想定してないってば」
それでも、ここにはさっき狸のお嬢さんらしき人影が入ったはずだった。
必死にスイッチをカチカチ鳴らしながら、私は部屋の中を見通そうとがんばってみる。
『でも勇者、ここにひとの気配はありませんよ』
「いや、“蛇神斬り”、さっき誰かここに入ったよね? この先の通路に出てったとかじゃない?」
『そこまではわかりません。でも、この近くにひとの気配は感じません。魔王の気配もです』
「え、待ってよ……電気つかなきゃこの先進むの無理……」
急に、何か聞こえた気がして、私は動きを止める。背中を汗がひと筋流れ落ちるのを感じる。
どう考えても、今聞こえているのは泣き声だ。
女性がすすり泣いてる声だ。
「えっと……狸って夜行性だけど、こんな暗がりじゃやっぱりよく見えないのかな? 転んじゃったとかかな?」
『勇者、何かが転んだ音はありませんでした』
「たまたま聞こえなかっただけでしょ」
懐中電灯は相変わらずつかないままだ。でも泣いてるんじゃしかたない。
私は必死に言い訳を考えつつ、ごくりと喉を鳴らして覚悟を決めると、声のする方向へゆっくりと歩き始めた。
よく見れば、闇の中にうずくまる人影がぼんやりと浮かび上がっている。
どう考えてもものすごく嫌なパターンで、私の汗が止まらない。
「あの……お嬢さん? 狸のお嬢さんだよね?」
四人の名前なんだっけと考えながら、私は声を掛ける。
長い髪に隠れた顔は、はっきりとわからない。
でも、足はある。足はあるからたぶん大丈夫。大丈夫ったら大丈夫――今すぐに逃げ出したい気持ちを抑えてもう一度声を掛けるが、お嬢さんは泣き止まない。
怪我が痛むのか。痛むのだと言ってくれ。
そう念じながら、私はお嬢さんの肩に手を伸ば――そうとした。
「――ないの」
「え?」
唐突な言葉に、私の動きが止まる。
「見つからないの」
「えっと、何が?」
「私の――顔が見つからないの」
何を言ってるのか――と首を傾げようとした私に、お嬢さんがくるりと振り返った。
振り返ったはずなのに、そこにはあるべきものが何もなかった。
ヒュ、と思わず息を呑む。
立ち上がったお嬢さんの顔……のっぺりと平らで何もない顔が、私にぐいと迫る。
「だぁかぁらぁぁぁぁあなたの顔をぉぉぉあたしにちょうだぁぁぁぁぁぁい?」
「――ぎゃあああああああああ! 出たああああああああ!」
お嬢さんの声が地の底から響くような低い声に変わった。真っ黒い穴に変わったお嬢さんの顔が大きく広がって私にのし掛かり――「ヒッ」と一歩後退る私の目の前で霧散して消える。
ストンと腰が落ちた。足に力が入らない。なんでだ。
『勇者? 何が出たんですか?』
「お化け……やっぱりお化けはいるんだ……そうだよ、長ちゃんがドヤ顔で捕まえまくるくらい幽霊だって普通にいるんだし、お化けくらいいても当然だよね」
『何もいませんよ、勇者』
「昔話とか怪談とかフィクションじゃなくて正しい情報を伝えるものだったんだよ。“蛇神斬り”にも見えないお化けはいるんだ……もう無理……こんなん無理」
『勇者?』
「ここが暗いのがいけないんだ。やはり闇は駆逐すべきなんだよ」
『でも、魔王の気配はないですよ?』
「まず、窓を作ろうか。“蛇神斬り”、壁斬ろう」
『勇者?』
私は“蛇神斬り”を壁に向かって横に薙ぐ。それから縦にも切り下ろして……何度か繰り返すと、慣れた手応えと共に壁に四角い大穴が開いた。
さんさんと陽光が差し込み、明るく照らされた部屋の中にはもちろん何もない。
「ほら、必要なのは光なんだよ。闇とかいらないよね」
『勇者、魔王の気配はありませんよ?』
「闇があるから魔王が生まれるんだよ」
つまり、と私は呟いて、ホールへ戻るために一歩進む。
「この城が全部悪い! この城は悪! 悪即斬!」
『勇者!?』
私は壁に向かって“蛇神斬り”を振り回した。
元凶の城さえなくしてしまえば、お化けだってきっと棲家を失って消える。狸のお嬢さんたちはお化けに囚われているのだ。ならば城さえ無くせば間違いなく解放される。
そう、ハッピーエンドだ。問題ない。
『勇者、やりすぎじゃありませんか!?』
「大丈夫! 私は今悪を滅しているんだから!」
“蛇神斬り”は慌てているようだが、私は今正義を行使しているのだ。
何も問題ない。
めちゃくちゃに剣を振り回し、壁を切り刻む私の後ろで、ズン、とか、ガラガラとか、石の崩れる重たい音が発生する。
それに伴ってだんだんと内部は明るくなり、陽光に満たされていく。
「ふはははは! 闇よ退け! 駆逐してやる!」
『勇者、まるで魔王の言動です!』
「大丈夫! むしろ私こそ光の戦士だから!」
『勇者、白妙さんに怒られますよ!』
「今なら負ける気がしない!」
ずしん、とか、どかん、とか派手な音に混じって、「きゃー!」という悲鳴が上がった。
もしや観念して出てきたお化けかと振り向く私の前に、「もうやめてえ!」と女の子が数人、泣きながら走り出てきた。





