事件14.古城と行方不明事件/中篇
さてどこから行くべきかと考えて、私は「“飛天”」と唱えた。
鎧にかかった飛空魔法が発動して、身体がふわりと浮く。
「ダンジョンは端から潰せってのが、ダンジョン探索のセオリーだったよね」
『そうですね!』
呟いた独り言に“蛇神斬り”が同意する。
あっちの世界には、たしかにダンジョンとでも呼ぶべきものがいくつかあった。瘴気に呑まれた廃城だとか、魔物が巣くう洞窟とか、そういうものだ。
もっとも、魔物が出始めてから長くて数十年くらいだったもんで、ゲームに出てくるような気合いの入ったダンジョンなんてほとんど無かったけれど。
「三十年とか四十年ものの崩れ果てた廃城とすると、これも立派なダンジョンだよね。おまけに妖が潜んでるんだし」
『たしかにそうですね。でも、魔王の気配はありませんよ』
「魔王だけが魔物じゃないから」
“蛇神斬り”はちょっと不満そうだ。最近「魔王の気配」とやらに遭遇することが続いてたから、物足りないらしい。
「ともあれ、上は建築途中で放棄されてほとんど空だって話だから、上からクリアしてくのが順当ってことで――行こう」
『はい、勇者!』
抜き身の“蛇神斬り”を肩に担ぐと、私はふわふわ空を飛んだ。
* * *
「嫌な気配がどんどん近づいてるんですって」
「怯えてふるふるしながら引きこもっちゃったわ。ちょっとかわいかった」
「ミロク様ってああ見えて弱点多くて臆病だものね。あたしたちで守らなきゃ」
「当然!」
四人は額を突き合わせて、じっと考え込んだ。
守るといってもまだ若い四人が武芸に秀でているなんてことはない。荒事の経験も皆無である。国内まんべんなくごたついていた動乱の時代を生き抜いたお爺やお婆なら、敵を迎え撃つための方法なんていくらでも出てきただろうが……
「――ともかく、あたしたちのできることでなんとかしなきゃ」
「脅かして帰ってもらうのがいいかしら」
「そうね……うんと怖い目に遭わせれば帰ってくれるかも」
「でも、最近の人間ってあんまり怖がってくれないってお婆が言ってたじゃない? 夜でも平気で出歩くからって」
「やってみなきゃわからないでしょ。昔の怪談動画があったけど、あんな感じはどうかしら。あれに出てくる人間、みんな必死に逃げ出してたし」
これこれ、と言って、ひとりが手にしたタブレットで動画チャンネルから適当に選んで再生する。登録者数がかなりの数になっている人気の怪談動画だ。ずいぶん昔に流行った心霊番組の再現フィルム並によくできたショートムービーまである。
「怖さって今も昔もあんまり変わらないって言うじゃない? お話だと思ってるから平気だけど、実際こんな目に遭ったら絶対怖いと思うのよ」
「たしかに、訳もわからずこんな目にあったら、あたしも怖いもんね」
「なるほどねえ……じゃ、どういうのでいく?」
覗き込んだタブレットの動画リストをスクロールしながら、四人はあれこれ相談する。
* * *
「上、何も無ーし」
廃城の上部は古びて崩れた建材やら石材やらがごろごろ転がって、ちょっと危ない状態だった。
今ここに地震さえ来なければどうとでもなるだろう、とは思うけど、あまり長居してヘタに崩してしまったら面倒なことになりそうではある。
『何もいませんね』
「まあ、現代日本で熊以外に何か出てこられても困るけどね」
もちろん、“蛇神斬り”を振るう機会も皆無なせいか、ちょっと飽きてきているようだった。最近、“蛇神斬り”がどんどん人間臭くなっている気がする。
「じゃ、下行こう。天井には注意……だけど、まあ、上の床の様子的に、崩れることはないと思うけどね」
『はい、勇者』
とりあえず石を組んだだけに見える階段を、慎重に下りる。
組んだだけに見えるとはいえ、がっつり石を組んであるおかげか、植物の根っこやらが中に浸食していることはなさそうで安心する。
もっとも、外壁の一部は木の枝やらが一部突き破ってたりするので、見た目で油断はできないのだけれど。
下りた階層……地上部分の二階にあたる階層は、崩れた壁やら窓になるはずだった穴やらから陽光が差し込むのでかなり明るいようだった。
逆に、明るさのおかげで陰になった場所が見づらいくらいである。
「――ん?」
『どうしましたか、勇者』
背筋にぞわっと来る不快感を感じて、私は思わずあたりを見回した。
“蛇神斬り”が不思議そうに尋ねるのは、つまり、この不快感を感じたのは私だけということか。
「今何かなかった?」
『何かですか? 魔王の気配はありませんよ』
「そうだよね……」
魔王滅殺の使命を持つ“蛇神斬り”が、魔王の気配である瘴気を見逃すわけがない。つまり、今の不快感は瘴気じゃない。
これが、“妖の気配”というやつだろうか。
白妙さんやら安達さんやらからは感じたことないけど。
そこはかとない不快感というか嫌な感じに、心臓がちょっとドキドキしている。吊り橋効果ってこういう時に起こるんだっけ、なんてどうでもいいことを考えながら、私は通路を進む。
廃城の土台部分に近づけば近づくほど、建物がしっかりしているおかげか窓以外の穴も少なくなっていく。もちろん、もとが西洋の古城なだけに、窓そのものの数もあまり多くない。
つまり、内部はどんどん暗くなっていく。
「――変な怪談とか、なかったよね、ここ」
ぽそりと呟く私に、“蛇神斬り”が『怪談ですか?』と不思議そうに返す。
「っていうか、古城って普通に幽霊話つきものだよね。幽霊って移築先までついてくるものかな?」
『土地に憑くのではなく建物や物品に憑く霊体なら付いてきそうです』
「でもほら、建物中途半端なら、幽霊もパワー出せなさそうだよね」
『建造部分が完全に残っている廃城のほうが少ないと思います』
私はただ「幽霊なんていませんよ」という言葉が欲しかっただけなのに、“蛇神斬り”がマジレスを返してくる。
せめてここに長ちゃんがいれば、幽霊対応は丸投げできたのに――というところで、今度こそはっきり、ぞくりと背筋を這い上る嫌な感じがして、私は足を止めた。
『勇者、どうしました?』
「いや、その、えっと……」
冷や水を浴びせられたというのはきっとこういう感じだろう。
あの深夜の心霊スポットなりかけ駐車場や、社宅大掃除で感じたものよりもはっきりと感じる嫌な気配に、私の額を汗がひと筋流れ落ちる。
『勇者?』
とはいえ、正体見たり枯れ尾花ってこともあるし……私はその嫌な感じのする方向を、ゆっくりと振り向いた。
積み上げられた古い石がのし掛かるように感じられる廊下の先、窓から細く差し込む光に濃さを増した影の中、するりと動く何かが見えた。
「え」
『どうしました?』
その何かは、人影のようだった。
「いや、狸のお嬢さんの誰かかなって……」
『見つけたんですか?』
「わかんないけど……」
嫌な気配は消えないし、心臓のドキドキは止まらない。
だが、この案件の目的は狸のお嬢さんたちを見つけて連れ帰ることだし、あの影がもし彼女のうちのひとりかもしれないなら、確認しなきゃいけない。
ものすごく嫌な感じしかしないけど。
「“蛇神斬り”、確認するけど、魔王の気配は?」
『ありません』
今は“蛇神斬り”の保証がありがたい。瘴気がないってことは、少なくともあの幽霊集合体みたいなものはないということで、つまり幽霊はいない。
絶対いない。
だから大丈夫。
それでも用心は怠らず、私は気配を伺いつつゆっくりと影の見えたほうへと歩き出す。生き物の気配はないように感じる。
「誰かいるわけでもなさそう……だな、と」
差し込む光のお陰で見通しが悪くなった廊下の先を覗き込むようにして進み、曲がり角からそっと顔を出し――
「うっわああああああああ!」
私は悲鳴を上げた。曲がり角を覗き込んだそのすぐ目と鼻の先に、ぼうっと黒い影がたたずんでいたのだ。
はっきりしない顔に、目のような真っ黒な穴が開いた黒い影が。
『勇者?』
「ぎゃああああああああ! お化けええええええええええええ!」
飛び上がるようにして後じさり“蛇神斬り”を構える私に、構えられた“蛇神斬り”から不思議そうな声が上がる。
「いっ、いた! お化け! お化けいた!」
『でも、何も気配はないですよ?』
「お化けだから! お化けの気配はないものだから!」
『勇者、落ち着いてください』
曲がり角に剣を向けたまま、私はぜいはあと大きく肩で息を吐く。しばらく、何度も何度も息を吐いてようやく心臓のドキドキもおさまって、“蛇神斬り”の柄を握り直した。
そうだ、お化けでも“蛇神斬り”なら斬れるはずだ。
だから何も問題ない。
怖くない。
「うん、大丈夫。怖くない。お化けでも斬れる。大丈夫」
『でも、何もないのに斬れませんよ』
「大丈夫! “蛇神斬り”はやればできる剣! 斬れる!」
『でも――』
念のためもう数回深呼吸を繰り返し、今度こそ油断なく剣を構えたまま、私はさっきの角をゆっくりと曲がる。
少しほこりっぽい乾いた空気と、光の届かない暗い廊下だけで、そこには何もいなかった。





