事件13.人の都合と妖の都合/後篇
やれやれ、と男は吐息をこぼした。
単身飛び込むだけあって、さすが退魔師……教会の悪魔狩りの力は侮れない。
このまま放っておいたら必要以上に“鬼”を弱らせた挙句、こちらの予定が残念なことになってしまう。
これ以上弱らせる前に鬼神を封じる算段を付けなければ――
そう判断しての“結界”だった。
教会の悪魔狩りの力がどういう類のものか詳しくは知らないが、男が作ったのは“鬼”を封じて降すための結界である。
順当に考えて、影響はないだろう。
それに、いくらでも言い訳のしようはある。
男はいわゆる“式神使い”だった。
それも、“鬼神”と呼ばれる怪異を支配下に置いて使役する類の呪い師である。
実力的には中の上、くらいだろうか。
だからこそ、この仕事は渡りに船だった。
何しろ、久しぶりに明らかな“怪異現象”を引き起こすほどの怪異である。仕事ついでにこの鬼神を支配下に入れられれば仕事の幅も広がると、わざわざ出張るくらいには期待していたのだ。
「そろそろ……」
ずっと感じていた圧が減じたところで、男は大きく深呼吸をする。
念を込めて結界を狭めていく。もちろん、悪魔狩りは対象から外し、鬼神だけを小さく固めるよう、細心の注意を払って――考えていたよりも抵抗が小さいのは、悪魔狩りが十分に弱めてくれたおかげだろうか。
もちろん、鬼神もろとも閉じ込めた悪魔狩りをどうにかするつもりはない。
「――ん?」
ふと違和感を感じて、男は顔を上げた。
同時に、いきなりパン、という大きな破裂音が響いて結界が弾け飛んだ。
「お前!」
驚く男の目の前に、全身を鎧に包んだ教会の悪魔狩りが、ふわりと降り立つ。
いや、降り立ってない、浮いている。
「な――」
「なんで私ごと封印しようと思った!」
「――はい?」
「協力するとか大嘘ぶっこいたわけ!?」
封印? 人間ごと?
たしかに男は“封じ”が得意である……が、それは相手が鬼神に限っての話だ。人間を封じるなんて、これまでやったこともない。
「なんのこと……まずい!」
結界が弾け飛んだ後から、勢いを取り戻した“鬼”がぶわりと噴き上がった。え、と悪魔狩りが気の抜けた声を漏らして振り返る。
そこを、黒い影のような瘴気が襲った。
「っちょ!」
ガッ、と硬い音とともに、悪魔狩りの身体が吹き飛んだ。
まるでハエ叩きのように悪魔狩りを吹き飛ばした黒い影が、目の前でゆらゆら揺らぐようにゆっくりと自分を振り返る。
男は慌てて懐から長い針のようなものを取り出すと、黒い影に向かって真言のような言葉を呟きながらその針を投げた。
だが、影が怯むようすを見せたのは一瞬だけで……すぐに、真夏に繁る葛のように、男へと蔓状の影を伸ばす。
「臨兵闘者――」
男はすぐさま九字を切って影を散らすが、黒煙のように後から後から湧き出る影には、焼け石に水だ。
せめてあの結界が残っていれば……今から作り直すには、隙が足りなさすぎる。
男は後退りながら舌打ちをする。
あの悪魔狩りがどうなったかはわからないが、それどころじゃなかった。これをどうにかしない限り、自分が逃げ出すことも難しいだろう――
と、何かが上で光ったと思った瞬間、まるで落雷のような閃光が目の前に落ちた。
「“蛇神斬り”、これもしかして魔王になってない!? ちょっとやばくない!?」
『勇者、もしかしなくても魔王の気配がします』
悪魔狩りが素っ頓狂な声を上げると、それに応えて何か……いや、剣が喋った。
「――付喪神?」
「ちょっと拝み屋、あれマジで鬼なの? あれが鬼神?」
男の呟きには答えず、悪魔狩りは剣で無造作に影を指した。
その剣は、ほんのりと光を帯びている。
男ははあっと大きく息を吐くと「正確にはなりかけです」と返す。
「まだ、澱みの集合体というか……そういうものが周囲の良くない念を集めて意志を持ちつつあるものですよ。あと何年か何十年かすると程よく凝って“妖”や“物の怪”と呼ばれるものに変わります」
影を伺いつつ男が早口に説明すると、悪魔狩りは「なるほど」とうなずいた。
「じゃあまだなり切ってない、魔王なりかけってやつか――“蛇神斬り”、聞いた?」
『はい、勇者』
「魔王? いや、その喋る剣は付喪神か? あんたは悪魔狩りじゃないのか?」
「悪魔狩り? そんなんじゃなくて、私は勇者だよ」
「は?」
悪魔狩り、もとい、自称勇者が振り返り、面甲を上げてにやりと笑った。
「悪魔狩りじゃなくて、勇者アキ」
『そうです。勇者は勇者です』
「じゃあ“蛇神斬り”、遠慮なく魔王モードでこのまま行こうか」
『はい!』
勇者アキの手にする長剣の輝きが増した。
いったい何の話だと呆気に取られる男には構わず、勇者アキは地を蹴る。
全身甲冑などという重たそうな格好だというのに、その身体はふわりと軽やかに宙へと舞い上がり――
「食らえ、勇者怒りの一閃!」
振り上げ、振り下ろした剣から、先程目にした雷撃のような光が放たれた。うごうごと渦巻く影の一部がきれいに霧散する。
しばし呆然とそれを眺めて、男はハッと我に返った。
「それを滅されると――」
焦る男の声は、もちろん勇者アキに届かない。
鬱憤を晴らすかのように、嬉々として宙を舞う勇者アキの剣から次々と閃光が放たれ、影は勢いを弱めていく。
せめてすべてが無くなってしまう前に影を封じて――と片手を上げかけて、男はふっと溜息を吐いた。
弱り切ったコレを“鬼神”として従えたところで、戦力にはならないだろう。
男は上げかけた片手を下ろすと、どんどん小さくなる影へ諦観の滲む眼差しを向けた。
* * *
「“蛇神斬り”、気配は?」
『もうありません! 消えました!』
「よし」
瘴気が霧散し、ようやくきれいになったな――と、仕事をやり切った私は下に降りて鎧の“飛天”を切った。
それから、改めて周囲をぐるりと見回して――ちょっとやり過ぎたかもしれないけれどまあいいか、と、粉々になった岩と縁が崩れて埋まりかけた穴と、離れたところで横倒しになったユンボから目を逸らす。
形はきれいなままのユンボはたぶん壊れてはいないし、後で誰かが起こすはずだ。
穴だって、岩を壊す手間を省いてあげたんだから、もう一度掘り起こすくらい何も問題ないはずだ。
「ひと仕事終えたあとは清々しいね」
『そうですね、勇者!』
「あとは落とし前つけて帰るだけかな」
『はい!』
私は“蛇神斬り”を鞘に納めると、崩れかけた穴の縁から中を覗き込む、背中の煤けた拝み屋へと足を向けた。
「ねえ」
「――なんでしょう?
教会の悪魔狩りがこんな派手なことするなんて、知りませんでしたよ」
がっくりと肩を落として、なぜか呆れたように咎めるように拝み屋が言う。
「お前こそ、なんで私ごと結界作ったの。お陰で“蛇神斬り”がパワー出せなくなるかと思って焦ったじゃない。
それに、あの魔王なり損ないに呑み込まれたらどう責任取るつもりだったの」
じろりと睨んで言い募ると、拝み屋は怪訝そうな視線を返した。
「あなたごと封じようなんてしてませんよ」
「はあ? ほんとに? マジのマジで?」
「マジのマジです。そもそも私は人間なんて封じたことありません。私に封じられそうになったとか言っているあなたこそ、本当に人間なんですか?」
「人間に決まってるじゃん!」
拝み屋の不審げな視線を、私は睨み返す。
そのせいなのかは知らないけれど、一瞬顔を引き攣らせたかと思った途端、拝み屋は「そうですか」とくるりと踵を返した。
「ではここの怪異は無事消滅ということで何の問題もありませんね。失礼します」
「え、ちょっと、人のこと閉じ込めようとしといてそれだけ!?」
慌てて腕を掴んで呼び止めると、振り返った拝み屋が私をじろりと睨め付ける。
「してません」
「じゃあなんで、“蛇神斬り”の力が弱まったの。おまけになんか息苦しかったし」
拝み屋はまたはあっとこれ見よがしな溜息を吐く。
「先ほども言ったように、私に人間を封じるようなことはできません。私が扱っているのは怪異です。
付喪神も怪異の一種ですから、結界の影響を受けたんでしょうね。
教会の悪魔狩りが付喪神の憑いた剣を持っているなんて想定外ですから、責任云々言われても知りませんよ」
「うっ……私別に教会の悪魔狩りとかじゃないし」
「私の知る限り、そんな格好をしそうなのは教会くらいですが」
「ただの退役勇者だし」
「この日本に勇者がいるとか、付喪神以上に想定外です。もう事象については解決したんですし、いいですか。まだ仕事を残してるんです」
取り付く島がないというのはこういうことだろうか。
拝み屋は忙しいんだと言わんばかりの態度で私の手を振り切ると、駆け出しそうな早足で行ってしまった。
今度は私がはあっと溜息を吐いて、もう一度穴を確認する。
「宗教の人に誤解されるとか、勘弁なんだけどなあ」
『勇者、でも私は女神の聖剣ですよ?』
「“蛇神斬り”は別。そういうのあってもなくても私の相棒だしね」
『――そうですね!』
私はもう一度ぐるりと見回して、穴の周辺まで確かめた。
あのねぶねぶした黒い影は完全に消えている。ついでに、あの拝み屋もここから完全に離れたようだ。
私は武装を解いて大きく伸びをする。
「じゃあ白妙さんに連絡して帰ろうか」
『はい!』
荷物を回収して、履歴から白妙さんの番号を選択して、歩きながら私は守備よく終わったという連絡をした。
* * *
「くわばらくわばら」
あの自称勇者とかいう悪魔狩りは危ない。
男は、つい今しがた、あの悪魔狩りの背後にうっすらと視えたものを思い返して、ついぶるりと背中を震わせた。
若いのにずいぶんと難儀なことだ――そう思ってしまうくらいには、だいぶまずそうなモノだった。
この界隈にワケアリ者は多いけれど、あれはとびきりだ。
できることなら、今後あまり関わりたくない。
「――厄祓いでも、行っておきますかね」
ついついそんなことまで呟きながら、男は次の現場へと足を早めた。
 





