閑話:勇者の剣道教室と道場破り
たのもう、と声が響いたのは休日の午後、レフと小太郎と翔太の三人を相手に“勇者の剣道教室”を開いている真っ最中だった。
「どうじょうやぶりだ! このまえテレビでみたよ!」
「どうじょうやぶりってなに?」
「いちばんつよいひとと、しょうぶするの!」
父親と一緒に時代劇をよく見るという翔太が、いの一番に騒ぎ出す。いやいや、道場破りとか今時そんなのないからと、亜樹は笑いながら表玄関へと回る。
目を離す間は、翔太と小太郎のふたりの母に頼んでだ。
「――何しに来たの」
「あまりに暇なのでな」
玄関先に立っていたのは、先日問題を起こしたばかりの荒磯波だった。いちおう人間らしく見える格好をしている。
「だからって歩いてここまで? なんで?」
「通力も刀も姫の許しなく使ってはならぬと言われてしまっては、暇つぶしにも事欠くのだ。だから勇者よ、しばし我の相手をせい」
「だからなんでよ。無理だって。今子供たちいるし」
「よいではないか」
荒磯波は亜樹の話を聞く気もないのか、どんどん庭先へと歩いて行く。
待ってよ、という亜樹の声は完全に無視だ。
「おお、重畳重畳。子供は元気が一番であるぞ」
「え……?」
突然現れた見知らぬ男に、翔太の母も小太郎の母も戸惑いを隠せない。だが、休憩だと竹刀を片手にお茶とお菓子をいただく子供たちを見るなり荒磯波は破顔した。
もっとも、レフだけは「あっ!」とたちまちしかめ面になる。また攫いに来たのかと身構えて、胡乱げにじっと睨んでいる。
「ふむ……なるほど。剣の稽古というわけか。感心感心」
「あきちゃん! おにがいる! やっつけないと!」
「おに?」
「おにいさん?」
レフにしては珍しく、噛み付くような吠え立てるような声に、小太郎も翔太も目を丸くする。ふたりの母たちも、「お客さん?」と戸惑っているようだった。
「あ、えーと、知人が暇だからと急に訪ねて来たみたいで――」
「我のことは気にせぬでもよい」
すみません、と眉尻を下げる亜樹の後ろで、荒磯波が無駄に快活に笑った。
人の気も知らないで何様だこいつ、と亜樹の眉間に微妙な皺が入る。
「将来有望な男子らであるな。家守り国守りは男のつとめぞ」
「力はある意味正義ってのには同意するけど、そういうの今は流行んないから」
「愚か者め。国守りは流行り廃りでするものではないわ。平時こそ、常の心構えと鍛錬が大事なのだぞ」
変わった方ね、と引き攣る母たちには構わず、子供たちが荒磯波に群がる。レフだけは、「不審」と額に書いてあるような顔で、じっと伺っているけれど。
「いえもりくにもりってなに?」
「パパとしゃべりかたがちがうの、なんで?」
「おおきいのは、ぎゅうにゅうたくさんのんだから?」
「パパとどっちがおおきい?」
「これこれ、いちどに喋るでない」
荒磯波の子供に対する態度は、意外に丁寧で優しい。子供は国の宝だという彼の言葉に嘘は無いようだが……それとこれとは別だ。
「荒磯波さあ……ちょっと帰ってくれないかな。今忙しいって言ってるでしょ。こっちが先約なの。それとも綾織姫さんに連絡して迎えに来てもらう?」
「それには及ばぬ。この子らの鍛錬なら、我も付き合おうではないか」
「そういうの頼んでないって」
亜樹は大きな溜息を吐く。荒磯波はまったく聞く耳を持っていないようだ。
これは何を言っても無駄か。
「わかった。邪魔しないなら荒磯波が見ててもいい。でも邪魔したら綾織姫様に厳重抗議します。このクソ鬼野放しにすんなって」
「つれない女だ。姫の半分でも愛嬌というものがあれば、可愛げのひとつくらい持てるだろうにの」
「――魔王モードの蛇神斬りで脳天からかち割ってやろうか」
「冗談だ」
ともかく、荒磯波はおとなしく母親たちと並んで縁側に座った。いつのまにか漣が出しておいたお茶を勝手に飲んで、茶菓子にまで手を伸ばす。
恐る恐る挨拶をする母親ふたりへは当たり障りなく応じているようで、亜樹は少しだけほっとする。
子供たちは荒磯波が気になるのか、ちらちらと縁側を伺いながら、亜樹の号令に従って素振りを始めた。
上段、中段、下段を順番にひと通りこなした後は、亜樹を相手に順番に打ち合いだ。ひとつ打つたびに足運びとフォームを直して……と、亜樹がやってきた百分の一くらいの厳しさと一万倍くらいの丁寧さで教える。
「あの……ありそなみさん、は、桜木さんのお友達、なんですか?」
とうとう好奇心に負けたのか、小太郎の母がおそるおそる尋ねた。ん、と片眉を上げた荒磯波は、一瞬考えるように宙へと視線を彷徨わせる。
「ふむ、友か。なるほど。たしかに、かの勇者と我は友と言ってよかろう」
「その、桜木さんが“勇者”というのは、渾名なんでしょうか? お仕事が警備関係だって聞いてますけど」
「仕事は知らぬな。だが、あれが勇者なのは間違いなかろう。
あれを女子にしておくには惜しい。どこの産神があれを女子と定めたかは知らぬが、もったいないことをするものだ。男であればいっぱしの武人として今ごろ名を轟かせておったろうに」
「はあ……」
「そも、目覚めて驚いたが、今の倭国の男子はどうにも腑抜けておる。これでは国守も立ち行かなかろう。それに比べ、あの子らの頼もしきことよ」
「ええと……」
荒磯波の言っていることの半分もわからず、ふたりは顔を見合わせた。どうも、亜樹の知人というのは変わった人が多いのではないか。
母ふたりが荒磯波に生返事を返して子供たちに目をやると、亜樹は一度に三人を相手に打ち合いを始めていた。
子供の覚束ない打ち込みとはいえ、バラバラに打ち込んでくる三人を一度に相手にするなんてと驚く母親たちを尻目に、荒磯波は目を輝かせる。
「さすがは勇者よ! いかに子供相手とはいえ、型にはまった演武でもないものを、ああも見事に捌けるものではないぞ。こうしては居れぬ」
「え、ありそなみさん?」
縁側から降り立つ荒磯波に翔太の母が声をかけるが、聞こえていないようだ。
「勇者よ。我と勝負いたせ!」
「――は?」
またそれ!? と振り返る亜樹に、荒磯波は足を踏み鳴らして迫る。
「我と勝負だ!」
「この前、私が勝ったでしょうが!」
「馬鹿を言うでない。あれが我の本気なわけなかろう。あそこで我まで通力を使っては、山が崩れたとわからぬか。姫に迷惑をかけるわけにはいかぬのだぞ」
「すでに迷惑かけてたくせに今さら何言ってんの!」
「ともあれ、今の我は通力を使えぬ。お前があの神剣を使わぬなら、穏やかに互角の勝負ができよう。
ゆえに勇者よ、我と勝負せい!」
目を丸くしたまま成り行きを見守る大人に対して、子供たちは道場破りだー! と大騒ぎで手を叩く。
とうとう、「ぜったいかってね!」と言ってレフがぎゅうっとしがみつく。亜樹は観念したように息を吐いて、「一戦だけなら」と頷いた。
「武器は竹刀。大人用のやつなら予備もあるから、それで。通力だかなんだかは無し。鬼になるのも無し。制限時間は……三十分くらいでどう?」
「構わぬ。我も剣だけの勝負というのは久方ぶりだ」
荒磯波は竹刀を受け取り、機嫌良くぶんぶんと振り回す。
亜樹は、成り行きで立ち会い兼観客となってしまった小太郎親子と翔太親子に拝むように頭を下げる。
「桜木さん、あの……」
「すみません、なんかこう、横槍ばっかり入っちゃって」
「それはいいけれど、大丈夫なの?」
「多分……なんていうか、アレ、脳筋馬鹿なので、ひと試合したら満足すると思うので、ほんとすみません」
レフが持ってきたキッチンタイマーの時間をセットして合図を頼むと、亜樹と荒磯波は向かい合わせに立つ。
この社宅の庭が広くて、つくづく良かった。
「よーい……」
レフが片手を上げて、運動会のように合図をする。
「どん!」
荒磯波も亜樹も、ほぼ同時に鋭く一歩を踏み込んで竹刀を打ち合わせる。様子見という概念なんてどこかに飛んでしまっているかのようだ。
しばし、ぎしぎしと力比べのように竹刀を合わせてからまた間を取り、今度は睨み合って……。
「桜木さんて、強いのね……?」
「普通の剣道とは違うみたいだけど、もしかして古武道っていうやつかしらね」
やや引き気味な母たちをよそに、子供たちは興奮した様子で勝負に見入る。
目にも止まらぬ速さで竹刀を打ち合うなんて、もしかして特撮のアクションよりすごいのではないだろうか。
「レフくんママ、すごいね。ヒーローみたいだね」
「じだいげきよりすごいチャンバラしてるよ!」
「あきちゃんは、ゆうしゃだもん!」
レフはどこか得意げだ。
――が、子供たちの評価に反し、亜樹は少々焦っていた。
最近、ちょっと蛇神斬りに頼り過ぎてサボっていたかもしれない……荒磯波と打ち合いながら、そんなことを考える。
勇者生活を送っていたころはとにかく必死で、手抜きなんて考えもしなかった。何しろ死んだらそこでおしまいだったから。
いくら女神の勇者で鍛えてるといっても、剣のサポートに頼り切りでは、いざというときに反応できないのだ。
おまけに、荒磯波は本気で強かった。武神と呼ばれるのは伊達じゃないらしい。闇雲にかかってくる魔物とはまるで違う。
剣の腕だけなら、あの異世界で亜樹は上の下といったところだ。そこにチート剣のサポートやらがあって、勇者をやっていられたのだ。
荒磯波は上の中……もしかしたら亜樹を鍛えた騎士より強いかもしれない。
ついでに言うと、鬼相手では体力も負けている。息が上がり始めた亜樹に対して、荒磯波はまだまだ余裕だ。
もしかしてこれ、やばいんじゃ――なんてことをほんのり考えたところで、いきなりドンという爆発音が轟いた。
さすがの亜樹も荒磯波も動きが止まる。
「さ、桜木さん、ガス爆発かも!?」
「え、ガス!?」
母親も、咄嗟に抱え込まれた子供たちも、目をまん丸に見開いて音のした方を見上げる。亜樹もそちらに目をやれば、普通ならありえない色の煙がもくもくと立ち上っているのは、あの魔窟と化した離れの二階の窓だった。
どう考えてもガス以外の事故である。
「あ、やばい」
亜樹の背を、汗がひと筋つたう。
すぐにバタンと派手な音を立てて開いた扉から出てきたのは、いつもの派手なローブと長杖を身につけた魔法使いだった。
こめかみには青筋も立っている。
「――勇者アキ」
「え、あの、どうしたのかな、長ちゃん」
「お前の考え無しのせいで、私の実験が失敗した」
「は?」
何事かと見守る皆の前で、杖を振りかざした魔法使いが亜樹に詰め寄る。
「ちょ、長ちゃん、今日は皆いるんだから、そういうの勘弁してほしいんだけど」
言われて、魔法使いはちらりと横目に縁側を見やった。
自分を見つめる四対の目に気づき、コホンと小さく咳払いをする。
「これは客人方。私はこの、頭からカラカラ音のする勇者にひと言モノを申さねばならないのですが」
「待ってよ長ちゃん!」
「あとはごゆるりとお過ごしを――行くぞ勇者。せめて後始末くらいは手伝え」
「えっ、やだ、あんたの魔窟になんか絶対入りたくない!」
「そもそも何度言えば理解するのだ。数日かけて安定させた場をくれぐれも乱すことのないようにと、あれほど言い含めていたはずだが」
「知らないってば! やだ! 幽霊の魔窟とか無理!」
「黙れ!」
襟首を掴まれずるずる引き摺られていく亜樹を、全員があっけに取られた顔で見送った。離れの扉がまたバタンと大きな音とともに閉じられて、「桜木さん、大丈夫かしら」と誰ともなく呟く。
「おけいこ、どうしよう」
小太郎の呟きに、レフも困った顔で首を傾げる。
怒った魔法使いに連れて行かれた亜樹は、大抵の場合、少なくとも一時間は戻ってこない。待ちながら池の亀と遊ぶにはもう寒すぎるし、本当にどうしようか……そう考えたところで、「しかたあるまい」と荒磯波がにやりと笑った。
「我が引き取ろう。綾織姫が一の武神たる荒磯波の剣術教室だ」
「え、でも」
「心配ない。子供は国の宝。我自らこの子らを立派な男子に育ててしんぜよう」
荒磯波は、わはははと高らかに笑った。





