事件12.ハロウィンと百鬼夜行/後篇
「お……おとななのに、レフくんのこといじめたら、だめなんだよ!」
泣き出しそうな心菜の声に、鬼が「ふむ」と考える。
「たしかに、大きさが違いすぎては勝負にならぬな。では、これでどうか」
「――え?」
鬼の言葉と同時に、レフの身体がにょきにょきと伸びる。
レフ本人が驚くのはもちろん、心菜もポカンとレフを見つめた。
「レフくんが、おとなになっちゃった」
「ぼく、おおきくなった……?」
鬼と遜色ないほどに身長と手足が伸びて、その分体格も良くなって……おおよそ二十歳そこそこといった年齢か。
「我は通力も使えるのだ。しばしの間、大人にしてやろう。これで文句はあるまい? さあ狼よ、こちらへ来い。我と勝負いたせ」
ふふんと笑って、鬼が輪に入る。
レフも顔を顰めて自分の姿を見下ろした。たぶん、亜樹におぶさった時よりも視線は上だろう。なるほど、大きくなるとこのくらい身長が伸びるらしい。手も大きくなっているし、心もち力が漲っているようにも感じる。
服も、いつの間にか鬼と同じような格好にされていた。
「ぼくがかったら、おうちにかえしてくれる?」
「おう、かまわぬとも。褒美を授けてやっても良いぞ」
「じゃあ、ぼく、がんばってかつね」
ぐるぐる喉を唸らせながら、レフも輪に入る。
さっきのように、大きな葉っぱを持った妖が「見合って見合って、はっけよーい」とかける声に合わせて両手を突き、「のこった!」の合図と同時に力強く踏み出した。
がっぷりと組み付いたふたりに、心菜もごくりと喉を鳴らす。
肩の筋肉が盛り上がり、レフの唸り声がどんどん大きくなって……「あ」と心菜は思わず小さな声を上げる。
「レフくんが、ほんとのおおかみになっちゃう!」
ぐおう、という吠え声と共に、レフがぐいと足を踏み出した。みるみる間に全身が金色の毛に覆われて、頭が狼のそれに変わる。
まるで、赤ずきんの絵本に出てくるような、二足歩行の狼の姿だ。
「そうこなくてはな!」
鬼も、さっきまでのちょっと角がある人間の姿ではなくなっていた。
青黒い肌に、爛々と輝く金の目に、牙も爪も恐ろしいほどに伸びていて……押し返されるレフが後足にぐっと力を込め、地面に爪を立てる。
鼻面に皺がより、ピタリと耳を伏せて、ピンと尾を伸ばして……「ぜったい、かって、かえるんだ!」と吠える。
心菜は目をまんまるに見開いたまま固まっている。あの鬼がレフに何かしたとたん大きくなって、おまけに本当の狼に変わってしまったのだ。
どうしよう、ときょろきょろ周りを見回すけれど、そこにいるのはお化けばかりで味方になってくれそうなものは見当たらない。
「どうしよう。レフくんお化けにされちゃった。どうしよう」
ポンパラドゥがいれば、こんなお化けあっという間に蹴散らして、あんな鬼もパパッとやっつけて、レフもちゃんと人間に戻してくれてめでたしめでたしなのに。
うっ、と喉が詰まって涙がこぼれそうになる。
どうしよう。どうしたら、レフと一緒に家に帰れるのだろうか。
――と、いきなり、何かパリンとかバリンとか割れるような変な音が響いて、心菜はパッと顔を上げた。
ちょっと気分が良くなった気がして、「え?」と振り返る。周りのお化けたちも、いきなりの出来事で慌てたようにあたりを見回している。
いったい何が起きたのか。
戸惑う心菜の横を、ひゅっと風が駆け抜けた。
「人さらいは!」
いきなり声が響く。
心菜はもう一度「え?」と驚いて、レフと鬼を振り返る。
そこには、今しがた心菜の横を走り抜けて一瞬で距離を詰めた亜樹が、思い切り腰を捻り右手を引いていた。
「犯罪です!」
鋭く突き出された亜樹の右ストレートが、鬼の顔に吸い込まれる。
片手に握った剣が、『勇者、さすがです!』と歓声を上げる。
「あきちゃん!」
「ポンパラドゥだ!」
輪の外に吹っ飛ばされた鬼と突然乱入した亜樹を見比べて、行事役の妖が困ったように葉っぱを振った。
「おおう……お前、先日の――」
「綾織姫の守り役がこんなとこで何してんだ!」
「今宵は久方ぶりの祭と宴だが、この者らが月が昇るまで待ちきれぬと言うでな」
「だからって0次会とか何考えてんの! しかも子供まで連れ出すとか……浮かれ過ぎにも程があるでしょうが!」
おお痛い、などと拳を叩き込まれた頬をさすりながら、鬼……荒磯波が立ち上がる。どう見ても反省なんてしていない。
亜樹の足元では完全に狼に変わったレフが「あきちゃん!」とぐるぐる走り、少し離れたところでは、心菜が「ポンパラドゥが来た!」とはしゃいでいる。
「勝手に連れ去りとか親御さんも先生も皆めちゃくちゃ心配してるし! 犯罪だし! お前ら法律に従えってお達し受けてるはずなのに舐めてんのか!」
激昂する亜樹に、荒磯波はどこ吹く風だ。
それどころか……。
「よし。ならば取り返してみよ。見事、我を打ち倒したならば、この子供らはお前の元に返してやろうぞ」
「はあ!?」
荒磯波の伸ばした手に、立派な作りの日本刀が握られる。あれは綾織姫から賜った御神刀ではなかったか。
御神刀で何するつもりだ、と亜樹は思いっきり眉を寄せた。
『勇者、やっちゃいますか?』
蛇神斬りがちょっとだけ弾んだ声で尋ねる。
いい加減、仕事と心配でストレスはMAXだった。ここらで少しくらい発散してもいいんじゃないだろうか。
「――やっちゃおうか」
「そうこなくてはな」
「ぶ、武神の旦那!?」
「レフくん、心菜ちゃんと下がっててね」
「うん!」
すらりと蛇神斬りを抜いて鞘を落とす亜樹を認めて、荒磯波はにやりと笑った。
「すごいね。レフくんママ、ポンパラドゥだったんだね!」
「あきちゃんはゆうしゃなんだよ」
刀を振り回す恐ろしい鬼に、一歩も引けを取らず剣で応戦する亜樹の姿を、心菜はきらきらと輝く目で見つめる。
レフの姿もちゃんと元通りに戻った。スモックは少し汚れてるけど、どこも破れたりはしていない。
これも全部ポンパラドゥが助けに来てくれたからだと、心菜はうきうきと踊り出す。ポンパラドゥのエンディングダンスは、心菜が一番得意な踊りなのだ。
亜樹と荒磯波はガンとかガツンとか、派手な音に火花を散らして打ち合っているが、勝負はなかなか付かないようだ。
でも大丈夫。
魔法騎士きらめき☆ポンパラドゥは、絶対負けないのだから。たまにちょっとだけピンチになったりもするけれど、最後に必ず勝つのがポンパラドゥなのだ。
そんな幼児ふたりの声援を受けながら、亜樹はこのままじゃ埒があかないと考えていた。他の妖たちはどこに隠れたのか、姿が見えなくなっている。
「ふははは、余所見をするとは余裕だな!」
「そのセリフ、すっげー悪役臭い!」
それにしても、こいつ一体なんなのか、と亜樹は思う。
綾織姫の眷属の、いちおう神使という扱いだったはずだ。
なのに自由過ぎやしないか。
なんだって、こんなところで妖たちと宴会なんてしているのか。神は百鬼夜行になんて参加しないと、雛倉だって言ってたはずだ。
「だいたい、綾織姫の守り役のくせに」
「勇者といえど小娘ということか。良い女子というのは少々悪い男に惹かれるものだと、相場が決まっておろう」
「はあ?」
つまり故意にこの騒ぎを起こしているということなのか。
ふざけんな。
「――蛇神斬り、魔王モードで」
『えっ、いいんですか?』
「いい。私が許す」
『はあい!』
ブン、と蛇神斬りの光が増した。おや、という顔で荒磯波が片眉を上げる。
「待て、勇者」
「誰が待つかボケ」
「それは少し限度を越えておるのではないか」
「知るか。後始末は全部サポセンがやるから問題なしだ」
「やり過ぎては姫にあらぬ心労を……」
「先にやり過ぎた奴が何言ってる」
亜樹は剣を振り被る。
やっちゃえポンパラドゥ! という心菜の声援がそれに重なる。
「わかった、勇者! 降参だ! 降参しよう! お前の勝ちだ!」
「しばらく反省してろ!」
カッ、と爆発した光と共に、まるで落雷のような音が空気を引き裂いた。
* * *
日はすっかり落ちて、もう月が昇り始めていた。
心菜を背負ってレフの手を引いて富士見堂を降りると、金波と銀波が待ち構えていた。その後ろには白妙もいる。
「お疲れ様でございました」
「うん……レフくん、あれ、渡してあげて」
「はい」
ひょいと差し出されたのは、紐にぶら下がった大きなミノムシのような荒磯波だった。ぐったりとしているが、時々動くから死んではいないのだろう。
受け取った銀波の頬が、微かに引き攣る。
「私、封印あんま得意じゃないし、そのうち勝手に解けるから。あとの処遇は綾織姫様に任せるって伝えておいて」
「承ってございます」
金波がぺこりとお辞儀をすると、白蛇の神使はふたり連れ立って神社へと帰っていった。それを見送った白妙が、やれやれと息を吐く。
「白妙さん、心菜ちゃんはこのまま帰して大丈夫?」
「はい。あちらの処理は終わってますから」
「よかった。じゃ、このまま送っていこうか。レフくんは、もう少し眠いの我慢できるかな?」
「うん、ぼくだいじょうぶだよ」
軽く目を擦りながら、レフが頷く。
あれこれ終わって興奮が過ぎ去ると、心菜は電池が切れたおもちゃのようにぽてりと眠ってしまった。
レフも、ときおり船を漕ぎながらも一生懸命歩いている。
ふたりとも、安心していっきに疲れが出たんだろう。
「そちらのお子さんは私が送って行きますから、亜樹さんはこのまま帰宅しても問題ないですよ」
「あ、そう? じゃあ任せようかな」
すっかり熟睡している心菜を白妙に渡して、亜樹はレフを抱き上げた。
「0次会に参加していた妖たちには、今夜の百鬼夜行への出禁が通達されました。さすがに今回の騒ぎはやり過ぎでしたからね」
「あー、まあ、妥当だよね。今回で味を占められたら困るわ」
「亜樹さんは今夜のシフトを遅番で調整し直しましたので、それでお願いします」
「――え? 遅番?」
「はい」
白妙は、何を当然のことをとにっこり笑う。
たしかに、今から早番のシフトには間に合わない。だが、すでにひと仕事終えたんだから、百鬼夜行の見張りなんて、やらなくたっていいじゃないか。
「でも、ほら、私、荒磯波封じたわけだし?」
「百鬼夜行はまだ終わってませんから」
「蛇神斬りだって魔王モードやっちゃって今寝てるしさ」
「月が天頂に昇ってからか本番なんですよ。人手はいくらあっても足りません」
「もう終業にしたって良くない!?」
「これからが本番だと、さっきも言いました」
白妙は取り付く島もなく、心菜を連れてさっさと行ってしまった。
亜樹はその背中に大きな溜息をこれ見よがしに吐いて、歩き出す。
「あきちゃん」
「ん?」
半分寝ぼけたレフが、むにゃむにゃと寝言のように口を開いた。
「あきちゃん、かっこよかったよ」
「そっか。勇者アキはかっこよく参上できたか」
「うん」
仕事なんてもうおしまいのはずだったのに、まだ終わってなかったのは残念だ。でもまあ、かっこよかったならいいか。
勇者アキは星の瞬き始めた空を見上げた。





