事件12.ハロウィンと百鬼夜行/中篇
転びそうになってたたらを踏むレフと心菜の足に伝わってきたのは、土の感触だった。さっきまでコンクリート敷きの固い床を踏んでいたはずなのに――思わず顔を上げたレフと心菜は、小さく声を上げて驚いた。
「おお、来たか。どうした、子供なぞ連れて。もしや土産か?」
「いやいや。卵を貰ったついでに、じじいのところの娘っ子を招待したんだ。で、こいつは娘っ子の番犬てところか」
「おお、珍しいな。ずいぶんと毛色の変わった犬っころだ。そっちは仔猫か? ずいぶん人間臭いが、じじいんとこの飼い猫か」
声を掛けたのは、どこからどう見ても人間じゃない何かだった。
人間の等身とはまったく違う大きな頭に着古した着物。その頭のぎょろぎょろした三つの目玉がレフと心菜をじろりと見やる。
もう一体は骨のように細くて白くて、やたらと長い腕が何本も生えている。
心菜は息を呑んで硬直したまま動けない。
レフも、こんな人間離れした妖と対峙するのは初めてだ。山村の狐たちも社宅でも、皆、人間の姿で暮らしていたのだから。
「おお、元気のいい子供は好きだぞ。こっちへ来い、子供。子供は国の宝だ、人が増えれば国は富む」
「武神の旦那も来てたんですか」
「おうとも。祭りなど何百年ぶりか。我は賑やかしを好むでな」
この場に似合わない快活な声で笑ったのは、まだ若い男の姿をした鬼だった。
頭からにょっきりと二本の角を生やして、レフが見たこともない……いや、一度だけ駅のポスターで見たことのある、“はにわ”みたいな格好の鬼だ。
そして、自分はともかく、心菜が妖ではない人間だとバレるのはまずいのではないか。保育園で聞いた御伽噺では、こういう妖の集会に紛れ込んで人間とバレると、たいてい酷い目にあってしまうのだ。
「あ、あの」
「なんだ、子供」
「ぼくたち、おうちにかえらないと、せんせいとママたちがしんぱいするから……」
「なんだ、そのようなことか」
意を決し、帰してくれと言うレフに、また鬼は笑った。
「心配するな。親元には我がちゃんと送り届けてやろう」
「でも、ぼくたち、せんせいにだまってきちゃって……」
「大丈夫だ。親に叱られるというなら、我が取りなしてやろうぞ。男なら親に心配かけてこそ一人前というものだ」
「ここなちゃんは、おんなのこだもん」
「ふむ……そうであったな。ならばお前が守ってやれ。女子を守ってこその男というものであろう」
だめだ、話が通じてない。
レフは小さく溜息を吐く。
心菜が不安そうにレフを見上げる。心菜は仲間だ。群の仲間を庇うのは自分の役目。それに、きっと亜樹が探して迎えに来てくれる。
空気の匂いを嗅いでもここがどこだかはさっぱりだが、下手に逃げ出してしまうのはたぶんまずい。
「――ここなちゃん、ここで、せんせいたちを待とう」
「だいじょうぶかなあ」
「だいじょうぶだよ」
それに、レフは勇者の弟子なのだ。
* * *
子供たちが最後に回った、心菜の“おおじいちゃん”の家、つまり坂上家の庭には、青くなった先生たちといく人かの父兄が集まっていた。
「ふたりが連れ立って鶏小屋を見に行くまでは、わかっているんです」
子供たちからの聞き取りで、そこはわかっている。わからないのはそれからだ。
昔ならいざ知らず、今は敷地全体がブロック塀で囲まれていて、外と出入りできるのは正面の門だけ。そこには必ず先生がひとり立って、誰も勝手に出入りしないよう目を光らせていた。敷地にあった井戸だって、数年前に埋めてしまって子供が落ちる心配もない。鶏小屋はもちろん、併設した物置だって、鶏のほかには手押し車やら飼料やらくらいで、たいしたものは置いてない。子供が隠れていられるような場所なんて、庭の植え込みくらいのものだ。
その、庭の植え込みも、さんざん探し回った後だった。念のために警察にも届けてすぐに動いてもらったけれど、今のところ何の報告もない。
「進退極まった、てことか……」
ここまできれいにいなくなるなんて、まさか神隠しか。
あの益荒男山神がここに来たのか。
ならそいつは半殺しにするとして、ちょっとサポセンにも責任取ってもらおうか……そんなことを考えて、亜樹はポケットのスマホに手を伸ばす。
と、いきなりスマホが震えだした。
「――白妙さん?」
着信を確認して、亜樹は眉を寄せる。
まさか本当に山神が何かしたということか。
「もしもし」
しかし、白妙からの連絡は、今すぐ綾織姫のところへ行ってくれというものだった。なんで、と募ったけれど、白妙の言葉も今ひとつ要領を得ない。
ただ、幼児行方不明事件は、やはり妖のしでかしであるらしい。
「桜木さん?」
難しい顔でスマホを睨む亜樹に、父兄のひとりが声を掛けた。
「何か、連絡が?」
「ええとすみません、よくわからないんですけど、神社に行けと言われて」
「神社?」
この辺りで神社といえば、もちろん綾織神社だ。
だが、なぜ今ここで神社が出てくるのかと、父兄が怪訝そうな顔になる。
「その、オカルトかぶれの占いやってる知人の戯言ではあるんですけど――私、念のため見てきます」
「あ、桜木さん!」
まさかそこの祭神に呼ばれたから行ってくる、なんて説明のしようがない。白妙をオカルト占い師一号ということにして、亜樹は走り出した。
何か突っ込まれたら、全部白妙のせいにしてしまえばいいのだ。
さすがの白妙も、保育所の元締めの綾織姫も、ここに及んでまったく関係ない件で亜樹を呼びつけたりはしないだろう……たぶん。
* * *
園服のスモックのまま、レフは両手を地面についた。
相撲なんてやったことがない。テレビで見た大相撲の、見よう見まねで四股っぽいものを踏んで、腰を落として手をついただけだ。
「わたし、おうえんのおうた、うたうね!」
地面にぐるりと描いた輪の外側で、心菜は大好きなテレビアニメのオープニングテーマを歌う。剣と魔法を使って戦う少女騎士が主人公の、「魔法騎士きらめき☆ポンパラドゥ」というタイトルの番組だ。
エンディングのダンスも好きだが、オープニングテーマはとにかく盛り上がってなんでもできるような気持ちになるので、心菜のお気に入りなのだ。
レフと対峙するのは、頭の天辺がつるりとしていて、背中に亀のような甲羅を背負った、いかにもな“河童”だ。
「見合って見合ってはっけよーい」
大きめの落ち葉をひらめかせて、行事がわりのなんだかよくわからない妖が片手をあげる。
「のこった!」
とにかく、この河童を輪から押し出すか転ばせればレフの勝ちである。
「えんかいのよきょう」にと、鬼が相撲でも取れと言い出した時はどうしようかと思った。河童の体格はレフとあまり変わらないけれど、何しろ妖なのだ。
河童は「子供と相撲なんて久しぶりだ」とうきうきしているが、レフのほうは気が気じゃない。亜樹が来るまで、心菜を守りながら時間を稼がなきゃならないのだ。「よきょう」が何のことかはよくわからないけれど、ここは勝たないと不味いんじゃないだろうか。
「のこったのこった!」
わあわあと大騒ぎする外野の野次と心菜の「おうえんのおうた」で大騒ぎだ。言い出しっぺの鬼はあぐらをかいて、のんびり楽しそうに酒を飲んでいる。
レフはちょっと腹が立ってきた。
無理矢理連れてこられたうえに訳がわからないまま相撲を取れとか、先生たちだってそんな無茶を言ったりしないのに。
おまけに、ここがどこなのか、誰も説明してくれない。
ちょっと理不尽過ぎやしないだろうか。
レフの喉から、ぐるぐると唸り声が漏れる。
その声にぎょっとした河童が身体を竦め……レフはその隙をついて、ポイっと河童の身体を放り投げてしまった。
「仔犬の勝ち!」
わあっと喝采があがる。
いつの間にやら賭けをしていた妖たちが、勝ったの負けたの言いながら何かを交換している。転がった河童を腹を抱えて笑っている妖もいる。
「レフくんすごい! やったあ!」
心菜が万歳と両手を挙げて飛び跳ねる。
勝ったんだから、帰してはくれないだろうか。
いくばくかの期待と共に鬼を見ると……鬼は、爛々と目を輝かせて「よもやとは思うたが!」といきなり立ち上がった。
「え?」
「仔犬、我と勝負せい!」
ぐるぐると腕を回して、鬼は身につけていた甲冑を脱ぎ捨てる。さらなる無茶な要求にレフは目を丸くして、それからむうっと顔を顰めた。
「もうかえらないとおこられるんだよ! せんせいだって、あきちゃんだってしんぱいするし、それに、ぼく、いぬじゃないよ!」
「ほう、なんと。犬でなければ何だと申す?」
眉を上げる鬼に、レフは噛み付くように叫んだ。
「ぼく、おおかみだもん!」
キッと睨んで、レフはぐるると喉を唸らせた。
* * *
神社に駆け付けると、綾織姫と白蛇の神使たちが亜樹を待ち受けていた。
「――は? 0次会?」
「ええ、そうなのです」
はあ、と困ったように綾織姫は溜息を吐いた。
「サポセンから連絡を受けてはいましたから、姫様は念のためにと荒磯波を見回りに出したのですが――」
「つまり、ミイラ取りが見事ミイラになったってことか」
「あやつは調子良すぎるのです。姫様の守護となった自覚が足りない」
「さよう。姫様の守護として恥ずかしくない振舞いをと常々言い含めていたというに、これでは皆に示しがつかぬ」
綾織姫の言葉を継いで、金波と銀波もはあっと溜息を吐く。
そんなの、最初からわかっていたことではないのか。
「じゃあ、いなくなった保育所の子も、そこにいる可能性大ってことなのかな」
「おそらくは」
「坂上の大爺殿は、そこそこ妖とのお付き合いもあるので、浮かれた妖が大爺を訪ねたついでに居合わせた子供を連れ去る程度のこと、やらかしそうです」
亜樹はもう一度大きな溜息を吐いた。
0次会って、リーマンの忘年会か何かのノリではないか。百鬼夜行って、そういう集まりだったのか。
「わかりました。あの鬼ってことは、富士見堂あたりってことかな」
「おそらくは」
「サポセンへの連絡はお願いします。それから、子供らに何かあったりしたら、私の全力であの鬼しばき倒しますからね」
「仕方ありませんね」
ありえないことに、綾織姫の眉間にくっきりと皺が浮かんだ。そのことに、金波と銀波もひくひくとこめかみを引き攣らせている。
この調子なら、自分がしばかなくても、綾織姫じきじきのきついお灸が待っているのではないか――ちらりと考えた亜樹は、パッと踵を返して走り出した。
 





