事件12.ハロウィンと百鬼夜行/前篇
月遅れハロウィンですまない
「ハロウィンのお知らせかあ」
「うん!」
なるほど、お寺付属でもこういう行事はやるんだなと、亜樹は保育園のお知らせを読みながら感心した。
当日は、寺の檀家……主に、地元で商売しているような檀家の協力を得て、近隣を「トリックオアトリート」して歩くのだそうだ。
配られるのは、アレルギーのある子供に配慮して、シールとかそういう小物らしい。このご時世ではうかつに食べ物を配るわけにもいかないゆえの苦肉の策か、なんてことも考える。
「だからね、きょうはいたずらカードつくったの!」
「いたずらカード?」
「トリックオアトリートってカードをだすと、おかしシールと交換なんだよ!」
「へえ」
夕食を食べながらうきうきと話すレフに、楽しそうなシステムだと思う。保育所の先生たちもいろいろと工夫を凝らしているんだなと。
「あきちゃんは、よる、おしごとなんだよね」
「そうなんだ。レフくんと入れ違いに仕事行っちゃうから、夜のハロウィン会は漣さんたちとやってね」
「うん。あきちゃんにもちゃんとおかしとっとくからね」
「ありがと。楽しみに帰ってくるよ」
そう。問題のハロウィン当日は、干支でいうと“丁未”でおまけに満月だ。旧暦だと九月十五日なので、月遅れの中秋の名月といったところか。
白妙によれば、十月の百鬼夜行は未の日にやるものだという。いったい誰がそんなことを決めたのか。
おかげで、今年はハロウィンに乗じて“百鬼夜行”やろうぜとやたら盛り上がっているとかなんとか……まるで意味がわからない。そもそも、百鬼夜行とはそういうノリでやるモノなのか。人間である亜樹が居合わせていいものなのか。人間が百鬼夜行に遭遇したら死ぬというのが定番の流れではなかったか。
そういえば、白妙も「昔はしょっちゅうやっていた」なんて意味のことを打ち合わせ中に漏らしていた。
あの狐、きっと百鬼夜行に乗じて悪行ばかりしていたに違いない。
「――あ、雛倉さんももしかして昔は百鬼夜行とかやってた?」
「我は神ぞ。神がそのようなものに参加するか」
「そっかあ」
雛倉が、有象無象と一緒にするでないと顔をしかめて手酌の酒をあおる。
さすがに生まれながらの水神が、魑魅魍魎に紛れて行進なんかするわけないかと、亜樹は笑う。
「そういえば、今はひとが多くて難しいけれど、昔は月に何度となく開催されていたものだと、兄君が申しておりましたね」
「へえ、渓さんが?」
渓には、元うわばみらしく百鬼夜行をやってた経験があるということか……亜樹の中で、本来ならおどろおどろしいはずの“百鬼夜行”という怪異が、単なる暴走ヤンキーの集会めいたものに変わっていく。
たぶん関わっている者のせいに違いない。
「まあ、今回の私は単なる警備員だし、ちょっと気楽かな」
「それはようございました」
「無茶するやつさえいなきゃ安泰で終わるんだよね。さて、レフくんは歯磨きして寝る準備だ」
「はーい!」
終わったと報告したレフの歯磨きチェックをして、ベッドへと連れて行く。
まだ先のハロウィンが楽しみでしかたないのか、いつもならパタンと寝てしまうレフが、今夜はなかなか寝付かなかった。
* * *
「はい、それじゃあお隣とちゃんと手を繋いで、先生の後ろについてきてね」
「はあい!」
ハロウィンの当日、園服に尻尾やら角やらあれこれと飾りを付けた幼児たちが、ぞろぞろ歩き始めた。皆、各々が作ったカードを詰め込んだ「トリックオアトリートかばん」を下げている。前後に教師がついて、列を外れる子供がいないか目を光らせる。
レフもにこにこしながらゆっくりと歩く。手を繋いでるのは、同じ歳の心菜だ。頭の上には、「家で飼ってる猫と同じ色の耳」を付けている。
前後には仲良しの小太郎と翔太がいる。
「ねえねえレフくん。レフくんのおみみはオオカミなんだよね。ワンコとオオカミってどうちがうの?」
「えっとね」
心菜がレフの頭を見ながら首を傾げる。
犬も狼も見た目はよく似てるし、何が違うのかよくわからない。
レフも改めて聞かれると、ちょっと首を傾げてしまう。
「いぬよりおおきくて、つよいんだよ」
「つよいの?」
「それで、たくさんはしれて、なかまをまもるの!」
「ふうん」
心菜はやっぱり首を傾げる。今ひとつピンとこない。
「ぼくこのまえテレビで見たよ。どうぶつがたくさんでてるやつ」
翔太がちらりと振り向いて、そんなことを言い出した。
「ええとね、カナダのもりにすんでて、むれをつくるんだって」
「むれってなあに?」
「オオカミがたくさんあつまって、いっしょにくらすんだよ。えものをとったり、くまをやっつけたりするの」
「かぞくってこと?」
「――かぞくよりたくさんだから、しんせき?」
「おしょうがつの、おばあちゃんのいえみたいなのかな?」
「そうかも」
先生たちに囲まれつつ、歩道のある大きな通りを歩いて、まずはこの町で長く商売をしている和菓子店だ。毎年ここが一軒目なのは、先生たちの話から知っていた。
店先で、邪魔にならないように並んで元気よく「トリックオアトリート!」と告げると、奥から出てきた老婦人がにこにこと「いたずらはしないでね」とシールを配る。和菓子が印刷された小さなシートをカバンに入れる子供たちを眺めながら、「気をつけてね」と笑って手を振る。
そんな調子で、二時間ほどかけて五軒ほど回るのが毎年の恒例で、巡回先は毎年これを楽しみにしているらしい。
最後に立ち寄るのは、古くから続く大きな農家だった。昔は庄屋で、このあたりの農地はほとんどがこの家の土地だった。
戦後の改革で所有していた畑は減ったけれど、その他の山林だった場所が開発されたお陰でだいぶ裕福に暮らしているらしい。
「おお、今年も元気な子らが来なさった」
「トリックオアトリート!」
縁側に座って待ち構えていたのは、近所から「御隠居」とか「大爺」と呼ばれる今にも折れそうな老爺だが、もう九十に届こうかという歳の割に元気だと言われるほど矍鑠としている。
おまけに、今年は曾孫が来るとあって、朝から楽しみにしていたらしい。
「おおじいちゃん、はい!」
その曾孫は、レフと手を繋いでいた心菜だ。カバンから、“おおじいちゃん用”だと取っておいた特製のカードを渡す。
お返しのシールは皆と一緒だが、保育園の帰りにもう一度寄って、「おおじいちゃんとハロウィン会をする」という約束なのだとうれしそうに話していた。
天気が良いからと庭に用意されていたシートに座り、全員で水筒の飲み物で休憩を取ってから戻るのが、毎年、最後に回るこの家での恒例だった。
「あのねレフくん、おおじいちゃんのおうちにはとりがいるんだよ」
「とり?」
「うん。おっきいにわとり! まいにちあかいたまごをうむんだよ」
あかいたまご? とレフは首を傾げる。
鶏の卵は、白いのじゃなかったかと。
「あかいにわとりだから、あかいたまごなんだって、おおじいちゃんがいったの」
「にわとりもあかいの?」
「うん! みる? みにいこうか」
レフは先生たちを振り返り、それからもう一度心菜に視線を戻す。先生たちは、ハロウィンで興奮した子供たちを相手に大わらわだ。
「にわとりって、どこにいるの?」
「あそこ!」
心菜が指差したのは、庭の一角にある立派な鶏小屋だった。
昔は全部を使って鶏を飼っていたのだろうが、今は半分以下に縮小し、残りの部分は大きな物置として使っている。
あそこなら先生から見える場所だし、ちょっと覗きに行くくらい構わないだろう。
「うん。あかいにわとり、みたい」
興味津々に頷いたレフに、心菜は笑って立ち上がる。
差し出された手を取ってレフも立ち上がり、連れ立って鶏小屋へと向かった。
鶏小屋には特有の鶏臭いにおいとコッコッという声があった。赤茶色の鶏が何羽も地面を啄んでいるのが見えて、レフは目を丸くする。
「赤い」というのは「赤茶色」ということだったのか。
以前、母と住んでいた山村でも鶏を飼っている家はあったが、真っ白な鶏ばかりだった。もちろん卵も白かった。
「にわとりって、はねのいろとおなじいろのたまごをうむのかな」
「そうかも」
ふたりで鶏小屋の奥を覗き込みながら、そんな話をする。
心菜の話では、鶏たちは小屋の奥にある寝床で卵を産むという。もしかしたら、今、卵を産んでいる鶏がいるかもしれない。
産みたての卵を見たくて、ふたりは一生懸命奥を覗き込む。
「こっちからなら、みえるかなあ?」
心菜に手を引かれるままに、小屋の裏手に回った。鶏小屋への入り口は裏側で、入ってすぐの場所で卵を拾えるようになっているのだ。
「あれ?」
「ん?」
裏手に回ると、すぐ、ほかに誰かがいるとレフにはわかった。
レフの知らないにおいとともにかすかな物音が耳を突き、少し遅れて、心菜も小さく首を傾げた。
「たまごをとるのはあさだよって、ばあちゃんがいってたのに……」
おかしいなと言いながらそっと扉を開けて中を覗くと、うずくまる鶏の下に手を突っ込んで、ごそごそと卵を漁る小柄な男がいた。
「だれ?」
「おんや?」
「ここなちゃんのおじさんじゃないの?」
振り返った男は、レフと心菜を見て驚いた後、にいっと笑った。
「じじいんとこの娘っ子と、いぬっころか。ちょうどいいや、じじいには世話んなってるし、お前らも来るかね」
「え、でも」
「しらないひとについてっちゃだめって、せんせいが……」
「だいじょうぶだ。じじいんとこの娘っ子なら悪いようにはしねえし、卵の分は歓迎してやっから。ほれ、行くべ」
片手には今しがた取ったばかりの赤い卵をふたつしっかりと持って、男は尻込みする心菜の手をもう片手でぐいと引く。
「あっ」
「ここなちゃん!」
慌てて転びそうになった心菜の空いた手を、レフが掴む。バランスを崩して倒れ込むふたりが転がったのは、鶏臭い固い床ではなくて……。
* * *
「え、あ、あの? なんて?」
これから仕事へ向かうという時間、いきなり来た保育所からの連絡に、亜樹は思い切り顔を顰めた。
「レフくんが行方不明? は? いや、とりあえず、今から向かいますので」
いつものように動きやすいジャージ姿で蛇神斬りを入れた竹刀袋を肩に担いだまま、亜樹は考え込む。
「あの、勇者殿? 今の連絡は……」
「うん。レフくんがいなくなったらしいんだ」
え、と漣の顔が強張った。
「いなくなった、ですか?」
「ちょっと目を離した隙にというか、ハロウィンで最後に行ったお宅の庭から出てないはずなのに、姿が見えなくなったって」
亜樹は、まだ幼児ではあるが、レフの分別と危険を嗅ぎ分ける能力を信頼している。ついでに、レフの狼としての帰巣本能もだ。
だから、レフが何かをやらかして迷子になるより、何かに巻き込まれたと考えるほうが理に叶っている。
それに、レフが人知れず姿を消すなんて――どう考えても妖が関わってるのじゃないだろうか。
その妖が、あの益荒男山神と関わってるのでなければいいけれど。
「とりあえず白妙さんに連絡するわ。仕事遅れるって」
「あの、わたくしも、何かお手伝いを――」
「いや、漣さんはここで待機頼む。ひょいっと帰ってくるかもしれないし」
「――はい」
レフは、身体能力だけで言えば幼児離れしてる人狼族だといっても、やっぱりまだ子供だ。心配なことには変わらない。
早く見つけて迎えに行かないと。
いざとなれば、白妙に言って人探しの得意な職員を派遣してもらって……人間である亜樹の要求がどこまで通るかわからない。だが、レフは妖なのだから、そのくらいの融通は利かせてくれてもいいだろう。罰も当たらないはずだ。
亜樹は白妙に連絡メールを打ちながら、保育所へと急いだ。





