事件11.猫又の復讐と峠の怪異/結
ほとんどとんぼ帰りで戻って、まっすぐあのパーキングへとやってきた。
昨日はまったく平気だった場所が、今日はなんだか怖い。しおさばさんは菜都美さんの姿を探して、しきりに見回したり鼻をひくつかせたりしている。
「勇者アキ」
「ん?」
「その幽霊とやらは、どの辺りにいた?」
「ええと……気づいたらそこのベンチに座ってて、そこから、この辺りまで歩いてきた、かな?」
昨夜のことを思い出しながら、長ちゃんに説明する。
長ちゃんは持参したいつもの中二病感漂う派手な杖をかざした後、トントンと数度地面を叩いた。すぐに、いつものファンタジーラノベみたいな派手なエフェクトが現れて浮かび上がる。
しおさばさんが「テレビみたい」と目を丸くした。
長ちゃんはその後も、何箇所か場所を変えて同じことを続ける。
「あの人何してるの?」
「さあ?」
「魔法を使っているなとしかわかりませんね」
何かを調べてるんだろうなとは思うが、何を調べているかまではわからない。
白妙さんと並んで別なベンチに腰を下ろし、膝の上でしおさばさんを撫でながら、長ちゃんの調査が終わるのを待つ。
「おい、猫!」
「はいっ!」
「ちょっとこっちへ来い」
「はい!」
いきなり呼ばれたしおさばさんは急いで駆け寄って、長ちゃんの足元にビシッと背を伸ばして座った。
それから何かの指示を受けて立ち上がると、ちらりと私を見てからおもむろに踊り始めた。
昨夜、あのクズ男を呼んだ、猫踊りだ。
「え、あれ?」
私はなぜだかふらりと立ち上がってしまう。
別に行こうなんて思ってないのにふらふらと足が前に出て、しおさばさんの踊りに引き寄せられるように歩いてしまう。
白妙さんが「亜樹さんも妖術にかかるんですね」と呟くのが聞こえた。
「勇者さん呼びました!」
「ふむ……対象は何にでも効きそうではあるな」
しおさばさんはビシッと敬礼するように前足を掲げて、長ちゃんに報告する。
長ちゃんも、ふむふむとひとりだけ合点がいったというように頷いている。
「今のしおさばさんの妖術? すごくない? なんでか歩いちゃったんだけど」
「召喚術の一種のようだな。私の知る術式と理論とはかなり違うが、いわゆる魔法の一種と考えて問題ないだろう」
「へえ。で、何がわかったの?」
長ちゃん的に何かわかったから、しおさばさんを試したんじゃないのか。そう尋ねると、長ちゃんは、最初のベンチのあたりを杖で示した。
「まず、このエリアには若干の歪みが見られる。特に歪んでいるのは、あのベンチのあたりだろう」
「歪み?」
「そう、位相の歪みだ。現界と幽界の境界が乱れていると言ってもいい。
さらには、その歪みに引き寄せられた幽体がいくつか。それを餌にして若干の瘴気も発生している」
「いや、ちょっと待って長ちゃん。つまりここには他にも幽霊がいるってこと? ここ、心霊スポットなの?」
「幽霊と呼べるほどのエネルギーはないが……時間をかければそこまで育ってもおかしくはないな」
「つまり未来の心霊スポット……」
私は愕然として、周囲を見回した。ここは将来心霊スポットとなるべき場所で、今まさに成長途中……
「ここ、壊したほうがいい?」
「――勇者アキは、なぜそう短絡的な方向へ行くのだ」
「心霊スポットに育つ前になんとかしないと」
「壊す必要はないだろう。それに、力を持つとしても何十年後かの話だぞ」
呆れた顔で長ちゃんは言うが、お化け屋敷的なんちゃって心霊スポットならともかく、本物など無いに越したことはないに決まっている。
そういうのはフィクションとか洒落で済むから楽しいものなのだ。
「ともかく、娘はこの場のズレに引っかかって動けなくなったのだと推測される。その引っ掛かりを解消すれば、あとは自然に戻るだろう」
「やっぱここを壊せってことだよね」
「だからなぜ破壊に向く! この場を少しいじって抜けやすくすればいいというだけの話だ!」
えー、と不満を漏らす私に、長ちゃんがとくとくと説教を垂れる。
無闇に弄るとか壊すとかすれば周辺の魔法的な環境破壊がどうたらこうたら――
魔法使いでもない私に魔法的な環境とかどうでもいいんだけどな――そんなことを返せば長ちゃんが激昂するのはわかっている。
だからひたすら耐えた。長ちゃんのねちっこくクソ長い説教を耐えた。
「それはわかったから、じゃあ、この後どうするの」
「その娘の霊体を確保し、解放する。それで解決だろう。たいした仕事ではない」
「――長ちゃんがめちゃくちゃ頼れる魔法使いになってる。すごい」
「勇者アキが私を舐めすぎなのだ」
「魔法ってすごいんだね!」
得意げな長ちゃんを、しおさばさんがきらきらした目で見つめている。
菜都美さんをサクッと助けると宣言した長ちゃんの株が、しおさばさんの中で爆上がり中なのだ。
* * *
夕食を済ませた深夜、私たちは再びパーキングスペースにいた。
夜の闇の中で、この場所は最高に怖かった。
どこを見てもそこに人の顔とか見えそうでやばいとしか感じない。
『勇者、どうしましたか?』
御守りがわりにしっかり握った蛇神斬りが不思議そうに尋ねる。蛇神斬りには、弱々しい幽霊未満程度、通常と変わらないようにしか感じないのだろう。
「あなたの知らないワールドには、片足なりとも突っ込みたくないなあと」
『知らないワールドですか』
蛇神斬りは、どうにもよくわからないと言いたげだ。
しおさばさんはすでに問題のベンチで菜都美さん待ちの態勢だし、長ちゃんはここに到着してすぐ、忙しそうに術式の準備をしている。
私は白妙さんと、ちょっと離れたベンチでそれらを眺めているだけだ。
「亜樹さんは本当に幽霊が嫌いなんですね」
「好きなやついるのか、と訊きたいくらいなんだけど」
ペットボトルのお茶を飲みながら、はあっと私は吐息を漏らす。
「まあ、言われてみれば確かにあまり良くない場ではあるなと感じるので、魔法使いさんの言うようなこともあるのかもしれませんね」
「――白妙さん、そういうのわかってたんなら教えてよ。わかってれば心構えも備えもできるんだからさ!」
「言われてみれば、という程度ですよ。この程度なら、どこにでもありますし」
「どこにでも!?」
そんなによくあるものなのか。
日本怖い。
「あ、準備が整ったようですよ。亜樹さんは今回も護衛でしょう?」
「あー……幽霊出てくるのかな。やだなあ」
勇者、がんばって! と声援をくれる蛇神斬りを片手に、私はのっそりと立ち上がる。菜都美さんの霊体への万が一を考えて浄化の光は禁止だし、幽霊を相手にガチンコしろとか長ちゃんの無茶振りがひどい。
まあ、蛇神斬りなら幽霊相手だろうが普通に斬れるからいいんだけど。
にゃあああん、としおさばさんの声が響いた。
そろそろ丑三つ時と呼ばれる時間だ。今日も菜都美さんが現れたのか。
「なっちゃん! なっちゃん!」
昨日のように、にゃあにゃあと鳴きながらしおさばさんがまとわりつく。だが、菜都美さんがそれに気付いたようすはない。
カン、と長ちゃんの杖の石突きがアスファルトを叩く。
周囲に仕込んであった魔法陣が一斉にパッと広がって、術式が展開される。
それに合わせて、私も蛇神斬りをすらりと抜いた。
「邪魔が、来たら、斬る」
『はーい!』
蛇神斬りを半眼に構えて、私は周囲のようすを伺う。
あたりには、長ちゃんの詠唱としおさばさんの鳴き声が響いている。
このまま幽霊なんて現れませんように。
「――ひ! 来た!」
ふらりと揺らめくように黒っぽい影が現れた。
もう、人の形もあやふやな、たぶん古いやつだろう。冷や汗を流しながら、私は影目掛けて蛇神斬りを振るう。
相手は死霊である。斬れば来世へ旅立つのだから問題ない。問題ないはずだ。
「猫、踊れ!」
「はい!」
長ちゃんの命令に、にゃあにゃあ鳴いていたしおさばさんがすくっと立ち上がった。前脚を掲げ、菜都美さんを呼びながらふらふら揺れるように踊り出す。
釣られるようにして、菜都美さんがベンチから立ち上がった。見えているのかいないのか、しおさばさんへと顔を向けて、ふらりと一歩を踏み出し……
「勇者アキ!」
「はいはーい!」
半ばヤケクソ気味に返事をして、私は走り出した。
菜都美さんが引っ掛かって抜け出せなくなった原因というのは、何のことはない、道連れを欲しがる死霊の群れってやつだったのだ。
幽霊は何体もいないとか、適当言いやがって、群れを一体でカウントするな。おまけに怪談あるある過ぎるだろう。死霊の呼び声って、ホラー映画か。
長ちゃんに言わせるとあーだこーだもっともらしい説明がつくのだろうが、私に言わせれば怪談よくある展開でしかない。
「っつーてもさ!」
菜都美さんに絡みつく誰のだかわからない腕を一本ずつ斬り捨てる。
「怖いもんは怖いんだよ! 私泣きそう!」
斬っても斬ってもどこからともなく出てくる腕を、ひたすら斬り続ける私。マジで泣きそうだ。魔王なんかよりずっと悪夢だ。
長ちゃんが何度も杖を打ちつけながら、次々と魔法陣を展開する。
しおさばさんは必死に踊っている。
シュール過ぎる光景だ。
「猫、連れて行け! 身体まで案内してやれ!」
「にゃあーん!」
この場をどうにかするためには、菜都美さんの安全を確保しなければならない。つまり、ガッチリ菜都美さんを確保できたら、さっさと離れてしまうに限る。
踊りながら歩き出すしおさばさんの後ろを、菜都美さんがふらふらとついて行く。さらにその後ろには狐姿の白妙さんがつく。
百鬼夜行ならぬ三鬼夜行といったところか。
ちなみに、白妙さんはこれから遭遇するであろう目撃者をごまかす役でもある。
ゆっくりゆっくり立ち去るしおさばさんと菜都美さんを横目で見送りながら、私は必死に蛇神斬りを振り回した。
雑に振ってもちゃんと斬ってくれるのが、できるチート剣、蛇神斬りの良いところだ。
「長ちゃん、そろそろ」
「ああ」
しおさばさんたちはすっかり見えなくなった。十分、時間を置いて距離を離せたかなというところで、長ちゃんが最後の術式を展開する。
ひときわ大きな魔法陣が輝いて、あたりを眩く照し出し……その一瞬の後に、また、夜の闇と静けさが戻って来た。
「ほんとにもう、幽霊は勘弁してほしい」
「ならここにいたらどうだ。今の術式でここは安定した場に変わったからな」
「どういうこと」
「幽体がここで何かしらの干渉を及ぼすには、並以上のエネルギーが必要だ。つまり、ここは通常よりも幽霊が出にくい場になったと言える」
「そんなこと言ったって、こんな駐車場しかないとこにどーやっていろと?」
まだあれこれ説明したそうな長ちゃんを放って、私はさっさと車へ戻った。
あのふたりを病院まで送り届けてまたここへ戻るまで、いかに白妙さんでも明け方まではかかるだろう。
「あー、疲れた。これなら素直にあのクズ男いたぶり倒して復讐完了ってほうが、よほど楽で簡単だったなあ……幽霊とか幽霊とか、もうほんっと勘弁だわ」
外を見ると、長ちゃんはまだ何か気になるのか、駐車場のあちこちを確認しているようだ。魔法使い的に気になるものでも見つけたんだろうか。
ま、どうでもいい。
勝手知ったる白妙さんの車を漁ると、シートを倒した私は見つけた毛布を頭からすっぽり被って、ひと眠りすることにしたのだった。