事件11.猫又の復讐と峠の怪異/中篇
それから三回ほどの打ち合わせを経て、九回ほど脅かした後に長ちゃんの幻術へ引き継ぐことと決定した。なぜ九回かは、猫は九代祟るという俗信ゆえだ。
菜都美さんはまだ生きてるし、しおさばさんだって九代もクズ男に纏わりついていられるほど暇じゃない。そもそもクズ男が次代に繋がるかすら不明だ。
だから九回酷い目に合わせたら、後は幻術かけて放置しておくことにした。
「問題は、どう酷い目に合わせるわけだけど」
「うん」
しおさばさんはつい二週間前に猫又になったばかりのなりたてほやほや新人猫又である。妖力もたいして使えるわけではない。
せいぜい、夜中の闇に紛れておびき出すとか、小さな火の玉を一、二個飛ばすくらいが関の山だという。
「とりあえず、そいつが菜都美さんを置き去りにしたっていうパーキングスペースまで呼び出すってのは確定として」
「うん」
「――しおさばさんは、何をされたら酷いとか怖いとか思う?」
「ええと……ええと……犬は怖いかな。それから、酷いのは……ごはんがなかなか貰えないとか、寒いのにストーブを消されちゃったとか……あ、ぼくのおやつだと思っていいこに待ってたのにぼくのじゃなくて、なっちゃんが食べちゃったとき!」
だめだ。酷いことが飼い猫目線過ぎる。
「うん……わかった。しおさばさんは幸せな飼い猫ライフ送ってたってこと、よくわかった。菜都美さんはいい飼い主だったんだね」
「うん!」
へにゃあと笑うしおさばさんから、「この恨みはらさでおくべきか」的気迫を感じない。これは、菜都美さんの愛情いっぱい幸せ飼い猫ライフはもちろん、しおさばさんの性格もあるんじゃないだろうか。
「ええと、さすがにアレは猫じゃないから……そうだなあ、菜都美さんの身長は3センチくらいしか違わないし、髪の長さも同じくらいだから、私が菜都美さん役をやるとして……」
「うん」
「しおさばさんはアレを呼び出した後、私が合図したら私の周りに飛ばせるだけ火の玉飛ばそうか」
「うん!」
いささか古典的過ぎるけど、古典的なステレオタイプのほうがわかりやすく怖いんじゃないかという判断だ。
断じて、私の想像力が貧しいからではない。
「怖いのになぜかそこへ来ずにいられないのは怪談あるあるだし、本人には絶対恨まれてる自覚あるだろうし、最初の二、三回はこれでいいと思うんだよね」
「うん」
「私じゃ菜都美さんよかガタイいいかもだけど、暗いんだし遠目ならそこまで判別つかないだろうし、問題はないと思う」
「うん」
「その後は、アレの周りで“怪異現象”を起こしていく。深夜、恨みごとを言いつつ泣く声とか、洗面所に髪の毛とか……しおさばさんの鳴き声なんかもいいかも」
「うん」
神妙な顔で短い指を折り曲げながら、しおさばさんは私の言葉を復唱する。
ちょっとばかり事象が古いのは、大昔に再放送かなんかで見たあなたの知らないワールドが元ネタだからしかたない。
「なっちゃんが小さい時に見てたテレビみたいだね」
「お、菜都美さんもあなたの知らないワールド見てたのかな?」
「うん。暑いのに、こわいこわいってぼくを抱っこしながら見てたよ」
「そっかあ」
菜都美さんを思い出したのか、またへにゃあと笑うしおさばさんの頭を、ついついぐりぐり撫でてしまう。ついでに耳の後ろもくすぐってしまう。
猫又になってちょっと大型すぎる猫に変わってしまったが、手触りは間違いなく猫である。喉もごろごろ鳴っている。
「よし、じゃあ今夜から決行しようか」
「うん!」
すっくと立ち上がったしおさばさんと一緒にえいえいおーと気合を入れて、私は夜に向けて入念な準備をした。
* * *
深夜丑三つ時……正確にそれが何時を指すのか実はあまりよく知らないのだけど、ともかくしおさばさんともども夜半過ぎに白妙さんの車に乗り込んで、くだんのパーキングスペースへと向かう。
「なんというか……今時それですか、という感想を持たずにはいられませんが、まあその程度で気が済むのでしたら」
含みのある白妙さんについムッとして、「白妙さんならどうするの」と尋ねると、「聞きたいですか?」と返されてしまう。
さすが性格の悪い狐は考えることが違う。中身の予想はつかないが、きっと夢見が悪くなるのは間違いなしだろうと、遠慮した。
考えてみたら、白妙さんは呪うだ祟るだの大御所であるキツネなのだ。聞いてしまったらシャレで済まなくなる。
パーキングスペースにはそれほど時間もかからずに到着した。
特筆すべき名所も何もない山中は、まったく人気がない。
もちろん、停まってる車は一つもない。
「さて、と」
白妙さんは、もうすこし先の別なパーキングで車と待機だ。
当時の菜都美さんとよく似た格好をした私はきょろきょろと周囲を見渡して、ガードレール外側の藪に紛れて隠れていることに決めた。
このあたりなら十分余地があるからと、私はガードレールを跨ぎ越した。
ここなら危険度は低いといっても、レフくんには絶対見せられないが。よいこが真似してしまったらまずい。
しおさばさんはパーキングの隅に立って、踊り始めている。
なんでも、猫又になれば踊れるようになる、人寄せの踊りとかなんとか……そんな妖怪図があったようなと考えつつ、私はクズ男が現れるのをじっと待った。
小一時間が過ぎて、さすがに冬に向かう山の中は冷えるなあと思い始めた頃、かすかに車の音が聞こえてきた。
そろそろか、と私は首に掛けておいたアミュレットに、長ちゃんから教わったキーワードを呟いた。
ふわりと身体が浮きあがる。さらに、燐光までもがぼんやりとまとわりつく。
長ちゃんは、以前、魔法の道具はどうにも魔法の光がつきもので夜中は目立って困る――なんてことを言っていたが、今はそれがちょうどいい。「ちょっとの間飛べるだけでいいから」と借りてきたが、まさに今のおあつらえ向きと言えよう。
しおさばさんが小走りに戻って来るのと同時に、車が一台、パーキングに入ってきた。真ん中に雑に停まり、いささか乱暴にドアが開閉する。男がぶつぶつと悪態を吐く声が聞こえたところで頃合いだと、私は髪の毛を振り乱すようにバサバサにかき回してゆっくりと浮かび上がり……。
「ひっ」
男が立ち竦むのが見えて、あれ? と思った。
見つかるの、早過ぎないか、と。
だが、男は私がいる方向ではなく、車のすぐそば、パーキングのベンチのあたりを凝視していた。
「――なっちゃんだ!」
「え?」
しおさばさんが、にゃあああんと鳴きながら飛び出していく。
「ちょ、待ってよなんで菜都美さん? え――ひっ」
男が凝視する方向、飛び出したしおさばさんが一目散に走っていく方向……その先を見た私も息を飲む。
「さっき、あそこに人いなかったよね……」
思わず味方を探して周囲に視線を巡らせるが、もちろん誰もいない。白妙さんは先の駐車場で連絡待ちだ。今日は蛇神斬りも連れていない。
ベンチにひっそりと座っていた女性が、ふらりと立ち上がった。今の私とよく似た格好だが、別に髪は乱れていない。
にゃああんにゃああんと、しおさばさんが菜都美さんを呼ぶ鳴き声が響き渡る。
「なっ、なんで! まさか死んだのかよ!」
『博実さん、どうして、どうして戻って来なかったの……』
「ひっ!」
ふらりと歩き出す菜都美さんから逃れようと、クズ男はじりじりと下がる。
「くっ、来るな! 成仏しろ! こっち来るな!」
『博実さん、どうして……』
「向こうへ行け!」
クズ男の拒絶に、菜都美さんがしくしくと泣き始める。しおさばさんは必死に鳴きながら足元に纏わり付いてるが、どうも実体はなさそうだ。
「モノホンの幽霊が出るとか聞いてない……聞いてないよ白妙さん……」
藪に隠れてガタガタ震えながら、私は成り行きを見守った。そもそも菜都美さんは生きてるはずなのに、なんで幽霊が出るのか。
しおさばさんはさすが猫というべきか、相手が何でも菜都美さんであることに変わりはないという強靭マインドなのか。
にゃああんにゃああんとひたすら菜都美さんの注意を向けようと、しおさばさんは諦めず必死に足元にすり寄っている。
透けてるし実体は無さそうだけど。
「来るなぁぁぁ!」
クズ男はとうとう耐え兼ねたのか、転がるように車に戻り、急発進させてパーキングから出て行ってしまった。
事故らなきゃいいけど、という怯えように慌てようだった。
「なっちゃん! なっちゃん! どこ行くのなっちゃん!」
しくしく泣き続ける菜都美さんは、そのまま煙のようにすうっと消えてしまった。私は震える手でスマホを取り出すと、迷わず白妙さんにコールした。
今すぐ可能な限り即ここに来い、と。
しおさばさんはにゃーにゃー鳴きながらあちこち菜都美さんを探していた。
* * *
「白妙さん……菜都美さんほんとに生きてるの? ガセじゃなくマジで? 一片の偽りもなく?」
もしガセだったら絶対許さない。
あなたの知らないワールドは虚構の作り事で他人事だから「怖い怖い」と言いつつ楽しめるのであり、自分自身が首を突っ込むものではないのだ。
そして、膝の上のしおさばさんは「なっちゃん、なっちゃん」と泣き続けている。もう、にゃーにゃーなのかしくしくなのかわからない泣きっぷりだ。
「昨日時点では確実に生きて入院中のはずですし、容体が変わりそうにもなかったんですけどね」
白妙さんも首を傾げている。
「それにしても死霊の一体くらい、妖に比べたらなんてことないでしょうに」
「死霊を馬鹿にするな! 理屈じゃないんだよ! 魂の根源を揺さぶられる怖さなんだよ! 日本人の魂には幽霊怖いが刻まれてんだからしかたないんだよ! 所詮狐にはわからないんだろうけどさ!」
白妙さんの到着があと五分遅かったら、しおさばさんがにゃーにゃー鳴いてなかったら、確実に私は泣いていた。
それくらい怖かった。
掃除の時の婆ちゃんも怖かったけど、ガチな怨霊はそれ以上だった。
瘴気にまで変化しててくれれば怖くないのに。
「はいはい」
白妙さんが心底呆れたという顔で私を見る。
程なくして麓まで下りると、コンビニで温かい飲み物を買って、しおさばさんには缶詰のキャットフードをあげた。
そのまましばらく黙々と飲み食いしたところで、ようやく私もしおさばさんもひと心地着いた。
「なっちゃん、どうして消えちゃったんだろう」
しょんぼりと項垂れるしおさばさんに、私は「あれ、本当に菜都美さんだった?」と尋ねる。
「うん。なっちゃんだったよ。ちゃんとなっちゃんだったの。でもぼくのこと見てくれないし、撫でてくれないし、どうして?」
「本物……か」
私ははあっと大きな溜息を吐く。
私という偽物で脅かすだけのはずなのに、本物のお出ましなんて聞いてない。
おまけに、私は元勇者だ。
魔王や魔物ならともかく、幽霊なんて専門外だ。
「――埒が飽きませんし、明日、お見舞いに行ってみますか?」
「あ、お見舞い……そっか、お見舞い。そこでちゃんと生きてるか確認すれば……でも死んでたらどうしよう。打つ手が思いつかない」
思いつかないが、確認しないことにはやはり始まらない。
明日の方針は、とりあえず菜都美さんのお見舞いに行くことになったのだった。