事件11.猫又の復讐と峠の怪異/前篇
「復讐したいの」
思い詰めた表情の猫が、ひと言、そう述べた。
全体的にいわゆるサバトラ模様で、顔とお腹と足の先だけが白い。短い靴下をはいているようだ。
そして、背後にゆらゆら揺れている尻尾は二本。猫又という妖だ。
なんでも、飼い主が帰らなくなった翌日だか翌々日だかに、思い余って猫又に進化したらしい。進化ではなく変化かもしれないが。
「あいつをやっつけたら、きっとなっちゃんは帰ってきてくれるもん。あいつはいつもなっちゃんのこといじめてたし」
ただ、言葉の印象から、知能は幼児くらいのように感じた。
猫の知能は三歳児並だと何かで読んだけれど、猫から猫又に進化したてのこいつもそうだということか。
レフくんと仲良くできそうだなあと考えて、いやいや猫と狼を無闇に会わせるのは良くないだろう、本能的に、と考え直す。
「こちらの猫又はしおさばさんです。依頼は先ほど彼が言ったとおりです」
雑な説明に思わず白妙さんへと目をやれば、彼はいつものように胡散臭くにっこりと笑って書類を取り出した。
さっきの出会い頭に続く言葉からもしやとは思っていたが、私向きだと言われた案件は、猫又の復讐の手伝いというやつなのか。
なんでこれが私向きなのだ。
「約二週間ほど前になりますが、彼の飼い主さんが急に帰らなくなったのだそうです。しかも、帰らなかった最初の日の朝早く、飼い主さんの彼氏だという男性がアパートに現れて、悪態を吐きながら飼い主さんの部屋を漁っていったと。
――しおさばさんの話だけでは詳細不明なところも多いのですけど、どうやら、その男性は常日頃から飼い主さんにつらく当たっていたらしく」
「あいつ、なっちゃんに酷いことばっかり言って、おまけに叩いて怪我させたりしてたんだよ。前は上手に守れなかったけど、今ならちゃんと守れるもん
だからもう二度となっちゃんが痛くないように、あいつをやっつけるんだ」
つまり、痴情のもつれ?
DVってやつなのか?
刑事事件に引っかかりそうな案件だ。その彼氏とやらが収監されてたりしたら、いったいどうやって復讐するつもりだろう。
警察署に忍び込むのか。
「あいつがいなくなれば、なっちゃんだってすぐ帰ってこれるんだ」
考えていると、しおさばという名前らしい猫又がうっと涙ぐんだ。しょげかえってしおれた猫のかわいそう度はやばいレベルだと思う。
二股の尻尾がゆらゆら忙しなく揺れ続けている。
「あいつをやっつけて、なっちゃんが安心しておうちに帰れるようにするんだ。なっちゃんが帰れないのはあいつのせいなんだもん。
だから、復讐するの」
うるうると目を潤ませて、しおさばさんはきっと宙を睨んだ。私には見えずとも、猫又のしおさばさんには、きっと何かが見えているんだろう。
ずっと黙りこくったままの私に、「亜樹さん?」と白妙さんが書類を差し出す。何か言いたげだけど、私がこの案件に反対するとか思っているのか。
「復讐はよくないなんて言うつもり、さらさらないよ」
白妙さんが、おや、という顔になった。
そんなに意外だったのか。
「やり返さなきゃ治まらないことなんて、生きてりゃいくらでもあるでしょ。健やかに未来を生きるために必要な復讐って、あると思うんだ」
肩を竦める私に、しおさばさんは幾分か安堵したようだった。人間で元勇者だという私のことだから、止められると考えていたんだろう。
「まあ、やらないで済むならそれに越したことはないよ。怒るってめっちゃくちゃ疲れるし。でも、全員が全員、すっぱり割り切って生きられるわけないじゃん」
こくこくとしおさばさんが頷いた。
彼が猫なりに考えて出した結論なら、尊重すべきだろう。白妙さんから受け取った書類にざっと目を通そうとしたところで、「あ、でも」と私は顔を上げた。
「そいつを殺すのは無しだよ」
「どうして?」
「ひとり殺ったら、次も殺ることになるからだよ。罪悪感とか抵抗とか、最初の一歩を踏み出した時点で薄れて無くなるモノだからね」
しおさばさんは不思議そうに首を傾げる。
「なっちゃんが戻ったらまた一緒にいるつもりなんでしょ? なら、やばいことに手を出すのは無しで。
それに、死んだほうがマシだってくらい怖がらせて、生きてることを後悔するくらいの目に合わせるほうがずっといいよ。
殺してしまったら、そこで終わるからね」
「うん」
要するに、殺してしまえば苦しいのは一瞬だけど、それよりも一生苦しいのが続いたほうがいい。
そう納得したのか、しおさばさんはまたこくりと頷いた。
* * *
白妙さんの運転する車の中で、私は眺め終わった書類をひらひらと振った。
「でさあ白妙さん、これ見たんだけど」
しおさばさんは、もしかしたらなっちゃんが戻ってくるかもしれないからと、もとのアパートに戻っている。
賃貸契約は大丈夫なのかと心配すれば、今のところ契約はそのままらしい。
「はい」
「そのなっちゃん、入院中で重体って?」
「そうなんです。飼い主のなっちゃん、つまり、津島菜都美さんは、その問題の夜に山中で交通事故に遭い、現在意識不明のまま重体となっています」
「――二週間も意識がないってあるんだけど」
「幸い、脳死には至ってはいないものの、回復は絶望的だと言われていますね」
はあ、と、車の天井に目をやって、大きな溜息を吐く。
「菜都美さんの怪我、イレインさんに頼んで……」
「それはダメですよ」
「えー」
あのすっごい治癒魔法で治してもらえりゃ、万事解決じゃないのか。
そう言おうとしたのに、断られてしまった。
「人命なんだけどなあ」
「自然の摂理です。そもそも、そこまでの重傷者が一瞬で完治してしまうなんて事象、ごまかしが利かないでしょう」
奇跡とか魔法とか妖怪とか、そういうオカルトな事物についての日本の神々のスタンスは、「事なかれ主義」だ。人外たちの存在バレはもちろん、訳の分からないパワーで大騒ぎになることも断固として望んでいない。
静かに、「そんなものあるわけない」を装ってやり過ごすのが基本姿勢なのだ。
端的に言うなら「バレたら面倒だからバレないようにしろ」である。
交通事故ということは警察に記録もあるということで、既に入院してカルテまで作られてて、おまけに保険だなんだまで関わって……となると、白妙さんの言う通り、さすがにごまかせない。
コトが進む前、いや、事故直後ならなんとかなったんだろうが――
「しゃーない、そこは神頼みか」
肩を竦める私を、白妙さんがちらりと見る。
「で、この対象の男って、確保してるの?」
「現在は友人宅に転がり込んでいます。最後に菜都美さんの部屋に戻ったのは、金銭を持ち出すためでしたし」
「あと、事故の原因ってなんだったの」
「そこに書いてあるとおりです」
渡された書類の中には、確かに、どうやってだか手に入れた警察の調書とやらの写しも入っていた。
彼曰く「夜のドライブにでかけたが、山頂近くのパーキングスペースで喧嘩になり、腹を立てて置いてきてしまった。少し頭を冷やして迎えに戻るつもりで下まで降りたあと、改めて戻ったら姿が消えていた。タクシーでも呼んで自分で帰ったのだと思っていた」らしい。
そいつの言うことが本当なら、だが。
「都市伝説あるあるみたいなことマジでやる男って、実在するんだね……」
「昔も今も、本質はたいして変わりませんから。語られるということは、それだけ事例が多いんですよ」
「男のほうは、ほとぼりが覚めるまで隠れてバックレるつもりかな」
「さあ。なかなかのクズのようですし、そうかもしれません」
さて、どうしたもんかなと考える。
復讐っていうのは、相手が真面目なタイプほど効果のあるものではないだろうか。クズでいい加減な奴ほど追い詰めたところで迷いなく逃げるし、かといって延々追い掛けていじめ続けるのも割りに合わないし、何かいい案はあるだろうか。
「しおさばさんの気が済むまで脅しまくったところで、長ちゃんに頼んで幻覚でも見え続けるようにするのが、簡単かな」
「亜樹さん、意外にえげつない方法を取るんですね」
「いやだってさ、あんまり長い時間かけても無駄じゃない? しおさばさん……っていうか、猫又の寿命がどれだけだかわからないけど、そのクズ男の寿命いっぱい追いかけ回すのは、しおさばさんの時間の無駄遣い過ぎると思うんだよね。
だから、死なない程度に酷い目に合わせて、ちょっとインターバル置いたあたりで長ちゃんに幻覚頼めば手っ取り早いんじゃないかなと」
「つまり、一瞬安心させた後に再度落とすわけですか」
「そんなとこ」
そうは言っても、さすがに長ちゃんの魔法でも永遠に続く幻覚は無理だろう。しおさばさんが忘れた頃に解ける程度もってくれれば、それでいいかなと考える。
「亜樹さん、だいぶ妖のやり方に馴染んできたみたいですね」
「そう? 別に馴染んだつもりはないんだけどな。
ともかく、明日あたり、そういう方針で打ち合わせしようよ。あとはどんな感じで脅すとか、しおさばさんが使える妖術に合わせて調整してけばいいし」
「妥当かと思います」
復讐と聞いた時はなんつー案件かと思ったけれど、これなら男の自業自得感あるし、さほど手間もかからないだろう。
最近荒ごとばかりだった私は、少しだけほっとした。
 





