閑話:新たなる下僕
「じゃあ、まず上からをやってみようか」
「はあい!」
亜樹が木刀を上段に……顔の横に立てるように構えると、レフと小太郎も同じように子供用の竹刀を構えた。
幼児ふたりに木刀はさすがに早かろうと、剣道具店で買ってきた竹刀である。
「最初はゆっくり……足を一歩踏み出しながら、剣を振り下ろす」
「えい!」
ゆっくり木刀を振る亜樹を見ながら、ふたりも竹刀を振り下ろす。
剣先はブレブレだし、足の踏み出し方も全然だが、最初なんてこんなものだ。亜樹は笑いながら、今度は順番に手を添えてフォームを直してやった。
「そう、その調子で、じゃあ、十回やってみようか」
「はあい!」
きゃっきゃっとはしゃぎながら、ふたりは教えられたとおり、思い思いに竹刀を振り始める。亜樹自身の時はもちろん十回どころか百回でもきかない回数だったし、フォームが悪けりゃ罵声が飛んで容赦なく剣のヒラで腕を打たれたものだった。
半年でど素人を仕上げようなんて、今考えても無茶どころじゃない。
「桜木さん、ケンドーじゃないんですね」
「ああ、私、剣道はやってないんですよ。西洋剣術っていうのかな? そんなのを習っただけで」
母屋の縁側から、バーナードが感心したように声を掛けた。もちろん、小太郎のお供としてついて来たのだ。
「コタが勇者から剣を習うと言うので、日本の勇者の剣だと思ったんですよね」
「あー、もしかして期待外れでしたか」
「いやいや、珍しいなと思って」
あははと笑いながら、バーナードは傍の茶をぐびりと飲む。
あの“ガラ竹さん”の後、何を思ったのか、レフが亜樹から剣を習うと言い出したのだ。どうも、あのがんばりを咎められたことが尾を引いているらしい。
別にそのくらい構わないからと了承したら、なぜか小太郎までが一緒にやりたいと言い出したのだ。
男の子だし、何かカッコいいことに惹かれるのは仕方ない。
両親に確認して了承をもらえたら、週末ここに連れてきてもらいなさいと答えての現在である。
翔太ももちろん来たいと騒いだのだが、残念ながら今週末は予定があるため、来週以降にお流れである。
「それにしても、レフくんが桜木さんは“勇者”だって言うのは、何か理由があるんですか?」
「え? あー……仕事が、なんというか、現場のトラブル対応なんですよ。だからじゃないですかね。正義の味方なんだって説明したから」
あははと笑う亜樹に、バーナードがへえ、と目を丸くする。
と、急に亜樹のスマホがポケットの中で震え始めた。「あ、ちょっとごめん」とスマホを出しながら、亜樹はその場を離れる。
「あきちゃん、おしごとなのかな」
スマホを相手に亜樹が何やら顔を顰めてああだこうだと言っている様子なのは、きっと相手が白妙だからだろう。
「おけいこ、おしまいかな」
「仕事なら仕方ない。無理は言っちゃいけないよ、コタ」
レフと並んで小太郎がちょっとつまらなそうに呟くと、バーナードが苦笑を浮かべてポンポンと頭を叩く。
電話を終えた亜樹が、「ごめん、仕事入っちゃった!」と拝むように手を合わせながら戻ってきた。
「今日やったあの形は基本中の基本で、がっつりマスターできればどんな技でも繋げるようになるやつなんだよ。
だから、あれ、しっかり練習してね。
バーナードさん、コタくんがよかったらこのまま遊んでってください。あと、レフくんのことは漣さんと雛倉さんに頼んで行くので、心配はいりませんから!
レフくん、池に入りたい時はちゃんと雛倉さんに声かけしてからだからね」
「はい」
「わかった。あきちゃん、きをつけてね」
矢継ぎ早に述べた亜樹は、それじゃすいませんとバーナードに軽く会釈をして、レフと小太郎に手を振り返して、荷物を手に走り出していった。
「――桜木さんは、なんというか、すごく元気ですね」
「あきちゃんはゆうしゃだからげんきなんだよ。
コタくん、おいけのかめさんみる? おおきいかめさんなんだ」
「みる!」
レフと小太郎は縁側に竹刀を置くと、連れ立って庭の池へと向かった。
* * *
亜樹が呼ばれて行った先は、つい先日の案件で登った“富士見堂”だった。
この前と違ってどろどろした雰囲気は消えているが、しかし、この前とは違った別な……なんとも言い難い雰囲気が満ちている。
『何かいますね』
「あ、やっぱり?」
背の竹刀袋に入ったままの“蛇神斬り”が、カタカタ震える。
亜樹にもわかるほどの気配ではあるが、正体はさっぱりだ。悪いものではなさそうだが、だからといって良いものだと判断するのは尚早だろう。
前回何時間もかかった富士見堂まで、今日はあっという間だった。急な登り坂になっている古い参道のほうを辿れば、ほんの十五分程度で到着だった。
境内にはすでに白妙と、それに滝沢と水凪の姿もあった。
「あれ、滝沢さんも呼ばれてたんですか」
「うん、後始末というか、確認で念のためにね」
「で、白妙さん、何があったの」
「それがですね……」
白妙がやれやれといった表情で口を開くなり、お堂の中からもくもくと煙が湧いて『お前がそうか』と野太い声が響く。
「へっ?」
驚く亜樹の目の前に、煙がもやもやと集まって、やたらと大きな人型を取った。
「お堂……というか、この場所の大元というか、ここ、たぶん元は円墳か何かなんだよ。そこに埋葬された昔の偉い人が変化してこうなったっていうか」
水凪が困ったようにあははと笑う。
これは笑い事なのか? と引き攣る亜樹を、煙の人影がぐいと覗き込んだ。
『先日の戦いぶり見事であった。久方ぶりに目覚めたほどであったわ』
「いや、何それ」
「亜樹さんが“蛇神斬り”を使った余波でしょうね」
「え、なんで」
「威力が強すぎて、ここに眠っていたこの方を起こしてしまったんですよ」
「それ私のせいなの? だって青竹終了してたんだよ?」
はあ、と溜息を吐く白妙に、亜樹は慌てて首を振る。文句があるなら一本しか青竹を寄越さなかった綾織姫に言って欲しい。
「亜樹さんは、そろそろ加減というものを覚えてくださいよ」
「加減って、そんなの余裕があってできるものじゃん! 無茶言わないでよ!」
煙の人影は、何が面白いのか、がはははと笑っている。
それにしても、こいつは何に分類されるのか。変化とは、いったい何に変わったというのか。
「――で、あなたは何がしたくて出てきたの」
『ふむ……それはな』
白妙からさっさと用件を訊けと背中を押されてるような気がして、大きな溜息をひとつ吐いた亜樹は尋ねた。
なるべく穏便な理由だといいけれどと考えつつ身構える亜樹に、煙の人影がゆっくりと口を開く。
――が。
『まあ、何やら知らぬ気配がすると思ったら。
わたくしの土地に現れたこちらは、いったい何者なのかしら?』
「え、綾織姫?」
金波と銀波を従えた綾織姫が、しずしずと空から降りてくるところだった。このあたり一帯を治める土地神とはいえ、こうして神域を出てくるなんて珍しい。
亜樹が慌てて目をやると、煙の人型はまるで動揺したようにぐるぐると渦巻き、収縮したり広がったりをしきりに繰り返し始めた。
亜樹は、いったい何が始まるのかと油断なく身構える。同様に、白妙も水凪も警戒心もあらわに姿勢を低くして、それから滝沢もいつものボディバッグに片手を突っ込んで――
「は?」
いきなりポンと軽い音を立てた煙が、日本史の教科書か資料で見たような、相当に古臭い格好の若い男に姿を変えた。
額に二本の角が生えているのは、つまり、彼は鬼であるということか。いわゆる“美形”と言っていいほど見た目が整っているのは、鬼だからなのか。
亜樹はもちろん、全員が呆気に取られた表情に変わる。
平然としているのは、綾織姫くらいだ。
『――どちらの姫君であらせられるのか』
『はい?』
可愛らしく首を傾げる綾織姫に、ひざまずかんという風体で鬼が距離を詰める。
『かように可憐な美しい姫君などこれまで見たこともない。さぞや高貴なお方であらせられるのだろうが、このようなつまらぬ場にまで足を運んでくださるとは、なんと……どうか、我に貴女の名を聞かせてはもらえぬだろうか』
まあ、と目を丸くする綾織姫に、何やら思いついたのか、スッと近づいた白妙がそっと耳打ちする。
綾織姫は、一瞬だけその言葉を吟味するような表情を浮かべた後、花が綻ぶように艶やかに微笑んだ。
『わたくしはこのあたり一帯を預かる綾織姫と申す者。
そなたはこの堂の主たるお方とか。その出立、さぞや名のある方なのであろう?』
『ああ、姫君よ。我は貴女に名乗るべき名など持っておりませぬ』
『まあ……そなたのような偉丈夫ならば、さぞや立派な名を持っているものと思ったのに。ならば、わたくしの元へ降るというのはいかがか。そなたに相応しい名を授け、わたくしの眷属として迎えましょう』
亜樹は思わず「え?」と鬼を振り返ってしまう。
艶然と微笑む綾織姫に、鬼はぽかんと惚けたように魅入ったままだ。
たしかに、鮮やかな染めの着物と豪奢な簪で飾った綾織姫は、可憐という言葉が似合う武家の姫だ。しかも、ただ可愛いだけではなく、どこか凛とした清廉さまでも兼ね備えている、きりりとした姫でもある。
――あ、そういや鬼って姫を拐ったりが定番だったな。
亜樹は鬼にまつわる伝説を思い出す。
つまり、綾織姫自身で釣って、いきなりポッと出の野良鬼を首尾良く神の眷属に封じてしまえば、この面倒な状況も解決ということか。
さすが白妙。
亜樹は、気配を殺してそっと一歩引いた。
金波と銀波はどこか面白くなさそうな顔で一連のことを見守っているが、口を出すつもりは無さそうだ。
綾織姫に見惚れていた鬼は、うっとりと夢見心地な顔でようやく口を開いた。
『我を貴女の一番の眷属に迎えると申されるのか。
――おお、おお、なんたる僥倖。なんたる誉。そのような光栄に預かれるならば、我こそが一番の武神として、貴女のそばに侍りましょうぞ』
『まあ嬉しい。それでは、そなたに“荒磯波”の名を与えましょう』
『ありがたき幸せにございます』
誰が一番か、と銀波がぼそりと突っ込んだが、他の全員は聞き流した。
ここで突っ込んで薮蛇になっても仕方ないからだ。
綾織姫に従い、鬼はまるで家臣のように両膝をついて首を垂れる。
その従順なさまに満足そうに頷いて、姫が懐から榊を取り出すと、枝は瞬く間に刀に変わった。
『荒磯波、そなたにこれを授けましょう。幾久しく、わたくしのために励みなさい』
『幾久しく、美しき我が姫のため、我が力を尽くしましょう』
はは、と鬼の掲げた手に、姫は刀を乗せた。
立ち上がった鬼はその刀を腰帯に挟み込み、得意そうに姫の傍に添う。
『それでは、皆様方にはお騒がせしました。わたくしの新しい眷属たる荒磯波を、よろしくお願いいたしますね』
ふふ、と笑った綾織姫は、神使ふたりと元鬼の守護役を従えてふわりふわりと空を渡っていった。
元鬼は、至って満足そうだった。
それにしてもさすが綾織姫だと、亜樹は感心する。
白妙の入れ知恵とはいえ、ここで何が一番有益かをとっさに考えられるのは、これまでの経験あってのことなのだろう。
普段のおっとりした様子からは想像もできなかった。
鬼も、どれだけ惚れっぽいのかと呆れたが、その惚れっぽさのおかげで荒ごとにならずに済んだのだから、結果オーライだ。
「――白妙さん、これで問題なしってことでいいのかな」
「問題なしですね。いつから鬼に変化していたのかまではわかりませんが、あのまま野に放たれて好き放題されては大変なことになっていましたから」
「ここの埋葬者でずっと眠ってたんだとすると、あれこれの決まり事がわかってるかも怪しかったしね」
亜樹の疑問に、白妙も水凪もうんうんと頷く。
「まー、終わったんならいいか。じゃ、私早いとこ帰って、レフくんとの約束の続きやってくるわ」
終わり良ければ全て善しだからと亜樹はほっと息を吐いて、「それじゃ」と手を振ってひと足先に参道を降りていった。
西洋剣術もどきは、「中世ヨーロッパの武術」を参考にしています
技の名前がいちいちおもしろいしロングソードとか欲しくなるしおすすめです
 





