事件10.穢れ祓い(物理)で行こう/中篇
「ガラ竹さん! ガラ竹さん! 鬼を追い出せ、ほーいほい!」
かけ声を上げながら、子供たちは道ばたに祀られた小さな地蔵尊を青竹で叩く。
いっぺんに全員はできないから、交代でだ。
「レフくん、われた?」
「ちょっとわれた!」
「ぼくのまだだよ」
小太郎とレフと翔太が青竹を見せて、どれだけ割れたかを比べ合う。
竹のささくれが刺さらないように、手にはちょっとサイズが大きい滑り止めのついた軍手を付けたままだ。
幼い子供の手に馴染む程度の太さの青竹である。あと数年もすればたやすく割れるのだろうが、まだまだ皆、すぐ竹が割れるほどの力はないようだった。レフと小太郎が辛うじて少し割れたが、翔太の青竹には傷がついただけだ。
あとどれくらい叩いたら割れるだろうか。青竹が割れること、イコール大きく強くなったこと……さらに言うなら、「軍手をはめて何かをする」というのも大人の仲間入りをしたようで、子供たちの興奮は最高潮だった。
「レフくん、どうしたの?」
「ん、なんか、へんなかんじがしたの」
「へん?」
レフがふと何かを感じたような気がして地蔵尊のあたりとじっと見つめると、小太郎と翔太もそちらへと目を向ける。
けれど、幼児三人の目には、何も見えない。
「おはらいがうまくできたんだよ。おはらいするとおにがにげてくんだって、ばぁばがいってたんだよ」
翔太の言葉に、「そっかあ」とふたりが笑った。なるほど、今レフが感じたへんなものは鬼で、そいつが逃げていったのか、と。
「それじゃあ次に行こうね! 皆、ちゃんとお手手繋いでね-!」
「はあい!」
皆、あらかじめ決まった相手と手を繋ぐと、先導する先生の後に並んだ。
地区の何カ所にもある地蔵尊やら祠やらお堂やら、小さな子供を連れてあちこち回らなきゃならないのだ。車のあまり通らないルートだとはいえ、絶対に事故がないとは言い切れない。
周囲を先生たちに守られながら、これまでの散歩でもよくよく言い含められてきたように、子供たちはおとなしく列になって歩き始めた。
* * *
「あ、始まったみたいだね」
「滝沢さん、わかるんだ?」
元はおそらく古墳か何かだという小さな山に登りながら、滝沢さんが振り向いた。直径は百メートルにも足らず、高さもせいぜいが数十メートルという、山と呼ぶにはおこがましいような小さな山だ。
綾織神社と妙海寺から少し離れた住宅地のはずれにあって、本来の“ガラ竹さん”の行事では、ここを一番最後に回ることになっていたとか。
もっとも、今はすっかり子供の行事になってしまったから、「幼児には危険すぎる」という理由でルートから外されたのだけど。
「何か……うーん、ゲームみたいな言い方をすると、瘴気みたいなものの気配がしたからね」
正式ではないとはいえ、さすが神職か。少し前にネットで見かけた怪談を真似て、“神社生まれのTさん”とでも呼ぶべきか。
「そういうのよく判るなあって思うんですよね、いつも」
「桜木さんは、判らないほうなんだ?」
「むっちゃくちゃ強ければどうにか程度ですね。でもそこまで強いのはレアですし」
「たしかに、そうそうあっても困るけどね」
夏を過ぎて枯れ始めた草を藪漕ぎのようにどかしながら、滝沢さんが笑う。
細い石段はそれなりに整備されてはいるが、さすがに夏場の雑草の繁殖速度には追いつかなかったらしい。ところどころ、盛大に生い茂った草の残骸が、道を塞ぐように残っていた。
「俺が思うに、桜木さんは桜木さん自身が強すぎるから、自分の気配に邪魔されて感じにくくなってるんじゃないかな」
「――なんかそれ、自分がむちゃくちゃ臭いから周りの臭さに気づかない、っていうのに通じますね」
「あー、それに近いかも。うまいたとえだなあ」
滝沢さんがあははと笑う。
自分ではちょっとどうかというたとえだったんだけどな。
「そもそも、俺は子供のころからそういう気配を感じるのが普通だったんだ。だから、慣れっていうのもあると思うよ。言うなら……耳がいいとか目がいいとか、そういうのに近いんじゃないかな」
「はあ……まあ、おかげで怪談とかは縁遠かったんでありがたいですけど」
「たしかに」
また、滝沢さんがあははと笑った。「判ったところであんまり気持ちいいもんじゃないしね」と肩を竦めて、石段を昇る。
――それにしても。
「なんか、また距離感覚がおかしくなってる気がするんですよね」
「ああ、桜木さんも?」
いつかの案件の時のように、どうにも距離の感覚がおかしい。それとも時間の感覚と言うべきか――登り始めてから結構経っているはずなのに、いっこうに頂上に到着しないのだ。この程度の山というのもおこがましいほどの山だ。普通なら、三十分も歩けばとっくに到着しているはずなのに。
とはいえ、この手の感覚操作なんて、珍しいことでもない。
「よほど来て欲しくないんだろうね」
「まあ、祓われるわけですしね」
上で待っているもの……お堂の主なのか、それともお堂に集まった何かなのかは知らないが、私と滝沢さんをどうにか回避しようとしてのことだろう。
さんざん迷わされたあげく、数日後にとんでもない場所で解放されるというのが感覚操作による妨害の相場だ。
もちろん、いちおうの対策は用意してあるから、問題ないけれど。
「別に根比べしてもいいんだけど、一応リミットが決まっているし……」
滝沢さんは前回と同じように小さなボディバッグの中からにゅうっと酒瓶を取り出した。御神酒が詰まった酒瓶だ。
さすがに一升瓶サイズじゃないとはいえ、あのボディバッグの中には何がどれだけ入っているのだろうかと、いつもながら不思議で仕方ない。
滝沢さんは御神酒を口に含んで、それを霧のように周囲に噴いた。
それからパンパンと柏手を打って、祝詞を唱え出す。祓い給え清め給えみたいなやつなところを見ると、私と滝沢さんの感覚だか周囲だかに影響を及ぼしてる何かを祓うつもりなんだろう。
それなら、と、私も青竹を左手に持ち替えて、“蛇神斬り”の鞘を払う。
『勇者、出番ですか?』
「わからないけど、念のため」
『はあい』
“蛇神斬り”の声がちょっと弾んでいたのは、今回は連れて来られただけだと思っていたのに出番が来たことが、うれしかったのだろう。念のためだと言われてもうれしいものはやっぱりうれしいようだ。
ここのところどんどん人間くさくなってきていると感じるのは、付喪神認定のせいなんだろうか。
『勇者、来ます!』
「ほい」
とたんに、ずん、と空気が重くのし掛かってきた。
日暮れまでまだまだあるはずなのに、空までが暗くなる。
こんな雑草だらけの山の中だ。植物を化生に変えて襲ってくるのかと思えば、そういうわけでもなかったらしい。
祝詞を続ける滝沢さんをちらりと確認して、私は油断なく身構える。
襲ってくるのが気配そのものだとすると、ヘタに手を出したら滝沢さんの邪魔になってしまうのではないか――それに、お堂の由来がわからないというのは、つまり、これから相手にするものの正体もわからないということじゃないか。
身構えてはみたものの、うかつに手が出せない。
この前みたいに物理的に襲ってくれれば、話が早いのに。
「魔王城殴り込みって、実はイージーモードだったんだなって思うよ」
『そうですか?』
「だって、相手が魔王だとわかったうえでこっちから殴りに行くんだよ。準備万端整えられるじゃん」
『たしかにそうですね』
なるほどと納得する“蛇神斬り”を、周囲を威嚇するように振り回す。
それでも気配は濃くなっていく。
滝沢さんが祓っているにもかかわらず、だ。
「桜木さん、移動しよう」
滝沢さんはパッと集中をやめて顔を上げると、すぐに歩き始めた。
少し早足に。
祝詞をひと通り唱え終わっただけなのにそれは、御神酒と祝詞だけじゃ埒が飽かないと考えたからなのか。
「ちょっとは効いてると思うんだ。だけど、思ったよりもたくさん溜まってたみたいで、焼け石に水かもしれない」
「少なくとも、ここ十年くらいは放置状態だったって言ってましたからね」
「気配はさほど強くなかったはずなんだけど……もしかして、相乗効果かな」
「相乗効果?」
怪訝な顔で聞き返す私に、滝沢さんは目的地を睨むように見つめて頷いた。
「――この池の蓮の葉は毎日倍々で増えていきます。もし水面がすべて覆われてしまったら、池に住む生き物は窒息してしまいます。今日はとうとう水面の半分が覆われてしまいました。池の水面を蓮の葉が覆い尽くすまで、あと何日かかるでしょう……っていう謎かけ、聞いたことない?」
「滝沢さん、それ……」
何かで読んだことのある例え話だ。
まだ半分――そう、池の住人たちは考えている。そのまま明日になれば皆窒息してしまうのに、“まだ半分”なのだ。
「今年は澱みがたくさんだって綾織姫が言ってただろう? お堂のキャパがどれくらいなのかわからないけど、もっとゆっくり溜まるんだと思ってたら、実は蓮の葉みたいな状況だったってことじゃないかな」
「放置が過ぎたってことかあ!」
「もしかしたらね。俺の杞憂ならいいんだけど」
滝沢さんが、少し不安げな顔になる。
私も石段の続く先をじっと見つめて……大きく息を吸って、ゆっくりと吐いて、集中して……。
「たしかに、私にもわかるくらいはっきりしてきたような?」
「“ガラ竹さん”で追い出された澱みはここに集まるっていう話だし……少なくとも、これ以上集まる前に削っておかないとまずいんじゃないかな」
「なる早で到着しろってことか……滝沢さん、お堂までのルートは開けたってことでいいですか」
「完全ではないけど、たぶん、引き延ばしはないと思うよ。ただ、妨害はあるんじゃないかな」
「私が先頭に立つんで、急ぎましょう。妨害があったら私が排除しますから」
「さすが元勇者。頼もしいね」
蒸着鎧を用意していれば、滝沢さんを担いで飛べたのに。
住宅街で鎧はさすがに目立ちすぎだし、だからと言って手持ちで運ぶには嵩張り過ぎるからと、置いてきたのは失敗だった。長ちゃんに言って、もっとコンパクトにしまえるよう、改造してもらわないと。
* * *
「ガラ竹さん! ガラ竹さん! 鬼を追い出せ、ほーいほい!」
ガラガラと派手な音を立てて、子供たちが小さな地蔵尊を祀った祠を叩く。今度も、何か変な気配を感じて、レフは首を傾げた。
鬼が逃げていったのか。
「レフくん、ぼくのもわれたよ!」
「わあ!」
「やったあ!」
ようやくひびの入った青竹を掲げて、翔太がうれしそうに笑う。
体格のいい子供の青竹はもうだいぶ割れていたけれど、早生まれでまだひとまわり小さい翔太の青竹は、全然割れていなかったのだ。
「しょうくんもつよくなったんだね!」
「がんばろう!」
次に行くよー! という先生の声に、子供たちは歓声を上げてまた列を作る。
レフはもう一度――今度は、さっき感じた、鬼が飛んでいった方向を見て、小さく首を傾げた。
 





