事件9.事実は伝説よりも奇なり/結
「まずは治しましょう。“おおいなる母よ、この者に癒しの奇跡を”」
イレインさんのかざす手がほんのり光ると、身体中の痛みがすうっと引いた。
この前も思ったけれど、すごいものだ。
「じゃあ、亜樹さん。戦いはお願いしますね」
「え? だって、さっきすごい雷落としてたじゃん」
「さっきまでずっとお守り作っていたので、雷はあれでおしまいなんです。あとはお守り用の祝福か護りの加護と、癒しの奇跡くらいしか使えません。“風歩き”だって、今日たまたま降ろしていただいていたから、ここに来れたのも偶然だったんですよ」
「えええ」
戦いが楽になると思ったのに。
あからさまに顔に出す私に、イレインさんがくすりと笑った。
「亜樹さん、手を抜いてるでしょう? あの手合は半殺し以下まで持っていかないと、おとなしくならないものですよ。
それに、太陽神の司祭ほどではありませんけど、私だって死にさえしなきゃどうとでも治してみせます。だから存分にどうぞ」
「イレインさん、結構過激だね」
「私、これでも結構な修羅場を潜ってきているんです。そうでなきゃ、こんな歳まで冒険者なんてヤクザ稼業やってられません」
「わかった。じゃ、百合姫さんも治してもらえるって考えていいんだ?」
「はい、もちろんですよ」
ほ、と息を吐く。
百合姫は、さっきの雷の衝撃からようやく立ち直ったようだった。頭を振りながら立ち上がり、上半身をもたげ……うっ、としゃくり上げて目元を擦った。
『酷い……妾にこんなことするなんて……なんて酷いの。人でなしだわ』
「“蛇神斬り”、ここからはほどほどに斬っていこう」
『はい、勇者』
「“おおいなる母よ、この者に護りの恵みを”
――ちょっとだけ動きやすくなる加護ですよ。我が教会への入信はいつでも受け付けていますからね」
「ありがと」
でも入信は遠慮します、という言葉は心の中に留めて、私は百合姫と対峙した。
そこからは、あっという間の形勢逆転だった。
何しろ、致命傷にさえ気をつけてくれればなんとかするとのお墨付きを得たのだ。鈍器にこだわる必要もない。
急所は避けて斬りまくる私に、百合姫は痛みに悲鳴を上げ……だんだんと頭も冷えてきたようだった。
ちらりと確認すると、女子ふたりが抱き合って震えていた。
そして、ようやく意識を取り戻したのか、身体を起こしてわけがわからないという顔であたりを見回す風早くんも見えた。
『泰景、泰景、助けて! 悪い鬼が妾をいじめるのよ! 泰景、助けて!』
風早くんに気づいた百合姫が、縋るように手を伸ばした。
しかし、肝心の風早くんは、その手を避けてザッと後退ってしまう。
『泰景……?』
百合姫は、信じられないという顔で呆然と風早くんを見つめた。風早くんは蒼白な顔で百合姫を見返す。彼女さんがハッと我に返って、風早くんを支える。
「俺……俺は泰景なんて人じゃありません」
『そんな……そなたは妾の泰景で……』
「違います。俺は松尾風早で、泰景さんじゃありません」
『泰景……妾のこと、本当に忘れちゃったの? どうして? あんなに約束したのに……ねえ、泰景』
百合姫がしゅるしゅる縮んで、まだまだうら若い娘の姿に変わった。
戸惑う風早くんをちらりと見て、狐姿のままの白妙さんがそっと耳打ちする。
「いいですか。可哀想だからと甘い顔を見せて玉虫色の回答をするのは、誠意ではありません。ただの責任逃れです。
ここはキッパリ否定してください」
「あ、あの……すみません。俺、泰景という名前じゃないし、あなたのこと覚えてるとか以前に、会ったことないですし」
『そ、そんな……泰景……』
「それに……その、俺、ロリコンじゃないんで、中学生とかはちょっと……」
『ロリコン……』
蛇神モードの解けた百合姫さんは、たしかに、どう見積もってもいいとこ十五に届くかどうかという、ちょっと幼い顔立ちの女の子だった。
これが、あの恐ろしい半人半蛇に変わるのだから、神仏妖というのは侮れない。
ふと気になって、私はそっと白妙さんのそばによる。
「白妙さん、百合姫さんの時代の初婚年齢ってどのくらいなの?」
「身分などにもよると思いますが……概ね十四から十五歳くらいでしょうか」
「民法って女子は十六歳以上じゃない? あれって早すぎると思ってたんだけど、実はそんなことなかったとか?」
「そうですね。制定当時を考えると、わりあいに遅めの設定かと」
百合姫の目に涙が溜まったと思ったとたん、ぶわっと溢れ出た。
『わ、妾はちゃんと裳着も済ませて、泰景ともきっと夫婦になろうと約束を交わしていて、それを、ロリ……ロリコン……』
さめざめと泣き始めた百合姫に、イレインさんがするすると寄り添って、その手をきゅっと握った。さりげなく、あの不思議な奇跡とやらで傷も癒しているようだ。なかなかのやり手だと思う。
「百合姫様」
『泰景はロリコンじゃないわ。妾は裳着も済ませた大人だもの。
それに泰景は、戦で手柄を立てて、その褒美に妾との結婚を妾の父様に許してもらうって、約束したのよ』
「とても頼もしい男性だったのですね」
イレインさんがうんうんと頷きながら、泣きじゃくる百合姫に先を促している。私と白妙さんは目配せをして、さっさと後処理をすることにした。
『そうなの。それで泰景は戦場で、ちゃんと手柄も立てて……』
「有言実行は、なかなかできることではありません。きっと百合姫様のためにがんばったのですね」
『なのに、父様はどうしてか、泰景が謀反を起こしたから討ったって……そんな、妾の泰景がそんなことするはずないのに……きっと、父様が何か酷いことをしたんだわ。だって、父様はずっと妾と泰景のこと反対してたんだもの。だから、父様が……父様のせいで……』
「まあ……百合姫様、それは悲しかったでしょう。泰景殿も、さぞや無念だったかと思います」
『うっ……泰景ぇ……』
いつものように、白妙さんが三人に妖術をかける。
ふわふわと揺れる鬼火で化け狐らしく暗示にかけて、今日の出来事は夢だか何だかだと思わせる術だ。
昔はこれでよく人間を化かしてたらしい。
百合姫さんのほうは、イレインさんがうまいこと宥めているようだ。
「でもね百合姫様、こうは思いませんか? 泰景殿もまた天に昇って、そこで百合姫様を待っているかもしれないと」
『――え?』
――え? イレインさん、何を言い出してるの?
「百合姫様、探してはみませんか? 天の、私の仕えるおおいなる母、大地の女神がおわす“十天国界”には神々がたくさんお住まいです。もちろん、神々の眷属もたくさんいらっしゃいます。
その眷属の中には、神々のために働く、元人間だった者も多いのですよ。もしかしたら、泰景さんもそういう眷属として働いているかもしれません」
『天国? 天津神々のいらっしゃるところに?』
「はい」
『そこに、泰景がいるかもしれないの?』
「可能性はゼロではありません」
ちょっと待ってイレインさん。なんかすごく適当なこと言ってないか?
「幸いにして、百合姫様は五穀豊穣と縁結びの女神だとお聞きしております。
私の仕えるおおいなる母は大地を育むお方です。五穀豊穣と結婚は、我が女神の司るものでもあります」
『まあ、妾と一緒なのね』
「はい。つまり、不肖ながら、おおいなる母の司祭として、このイレインが百合姫様のお手伝いをできるかと」
『手伝い? 妾の泰景を探す手伝いをしてくれるってこと?』
私は白妙さんを振り返った。
鬼火を使って三人を家に帰した白妙さんは、やれやれという顔をしているだけだ。
「白妙さん、あれ、いいの?」
「神々の事情のことですし、問題があれば出雲のほうでどうにかするでしょう」
「え、そんだけ?」
「はい」
もう一度百合姫を振り返った。きらきらと輝くような笑顔の百合姫が、イレインさんの手をしっかりと握り返している。
『いいわ! 妾もその大地の女神というお方の家臣になればいいのね!』
「そんな大袈裟なものではありませんよ。ただ、百合姫様の神域でも、少しだけおおいなる母の教義を伝える許可をいただければ」
『そのくらい、お安い御用よ!』
話は纏まったようだった。
イレインさんは新興宗教の人らしく、活動拠点の拡大と信者の獲得には余念がないということか。まさか神まで丸め込むとは思わなかった。
とはいえ、イレインさんがどう宗教活動をしようと、こっちを勧誘に来さえしなければ構わないし。
パン、と泥を払って、すっかり荒れてしまった公園を見回す。
この後始末も、サポセンがどうにかするだろう。
「じゃあ帰ろうか。百合姫さんも、滝音さんと早瀬さんが心配してたし、早く帰って安心させてあげようよ」
『怒られるかしら……妾、泰景が居たって、もう夢中で追い掛けてしまったの』
私ではなくイレインさんを見上げて、百合姫は首を傾げる。私のことは、ちょっと怖そうに怯えた目でチラッと見ただけだった。
解せない。
「大丈夫ですよ。来月の神議までに戻れば問題ないと聞き及んでおりますから、百合姫様は安心してお戻りください」
いつのまにか人に化けていた白妙さんが、にっこりと頷いた。
百合姫も、ほっとしたように頷き返す。
「私もレフくんの運動会に間に合うから問題ないか」
『そうですね、勇者』
なし崩しにでも何でも、百合姫自身が、仮称泰景だった風早くんは泰景でないうえ、自分が振られたと納得したなら問題は無くなったということなのだ。
大きく伸びをして、だから、私は「まあいいか」と呟いた。
 





