事件9.事実は伝説よりも奇なり/後篇
「――亜樹さん? まずは状況確認すべきだと、あなた自分で言ってませんでしたっけ?」
とりあえず人気のないところを探して走り回り、ようやく見つけた小さな公園でひと息吐いたところに、白妙さんが追いついてきた。
地図の位置情報とはかくもありがたいものか。
ついでに言うなら、予想通り、白妙さんはさっきの百合姫に負けずとも劣らないくらいの怒気を纏っていた。
百合姫に比べれば全然怖くないけど。
「仕方ないじゃん? まさか話しかけただけでアウトとか思わないじゃん?」
「百合姫様は蛇神でもあると言いましたよね? 蛇神の執着の強さと嫉妬深さ、舐めてるんですかあなたは!」
百合姫はヤンデレか。ヤンデレなのか。
「あ、あの……風早はどうしたんですか? 百合姫って、何のことです?」
さらに白妙さんの後を追い掛けてきた女子がふたり。
先頭を走ってきたひとりが、私と白妙さんと、私が肩に担いだ風早くんを順番に見て、ずいっと前に進み出た。いったい何なのかと募ろうとしたのに、先に爆発した白妙さんに気勢を削がれたようだ。
たぶん、この女子が風早くんの彼女さんなんだろう。
その背の向こうで、もうひとりがびくびくと白妙さんを伺っている。こっちは彼女さんの友達だろうか。
「風早に何をしたんですか?」
「ええと、端的に言うと、彼は纏わりついてた瘴気を無理やり祓った衝撃でただ今気絶中……ってとこかな。たぶんすぐ目は覚めるよ」
「しょうき? 何言ってるんですか?」
「説明は後で。“蛇神斬り”、魔王はどう?」
『ゆっくりですけど、近づいてます』
「やっぱだめかあ。撒くには手が足りなすぎるもんなあ――ねえ、白妙さん」
百合姫の気配には、白妙さんも気付いていたようだった。
たった今逃げてきた方向を見て、こめかみを揉み始める。
「亜樹さんはどうするつもりなんです?」
「三時間……いや、二時間で来れる、浄化とか鎮魂とか得意な職員ている?」
「――また、とんでもない無茶を言いますね」
「だってさ、殺るならともかく、あれを殺さずにってのは厳しいよ。あの調子じゃ、私がうまいこと封じたところで、長く見積もっても数時間がいいところだし」
「たしかに、そうかもしれませんが」
百合姫の気配はどんどん近づいて来る。
それこそ、私でもぼんやり感じられるくらいには、強くなっている。
「それにさ、風早くんに振ってもらうにしろ何にしろ、あの瘴気を何とかして落ち着いてもらって、話ができる状態にしないとどうにもならないって」
「そのための浄化要員ですか」
「そういうこと」
白妙さんは眉間に思いっきり縦皺を入れてスマホを取り出すと、サポセンに電話を始めた。胡散臭い狐だけど一応有能だし、これならきっと人員を確保してくれるだろう――くれるといいなあ。
私は公園の隅に風早くんを下ろすと、女子ふたりを手招いた。ふたりは訳がわからないという顔で、それでも風早くんが心配なのかすぐに駆け寄ってきた。
「あの、本当に、何が……」
「あー、これから、世にも奇妙な怪獣大決戦になるので」
「え?」
「ふたりともここで風早くんをしっかり見張っていてください」
「見張って?」
彼女さんは納得がいかないという顔で私を睨む。
気持ちはわかるが、今は悠長に説明している暇なんぞない。
友達らしきほうは、真っ青な顔色で百合姫が向かって来る方角をやたらとチラチラ気にしている。
「そっちはもしかして霊感持ちの友達? じゃあわかるよね、あっちからやばいのが来るって」
彼女さんの背にしがみつくようにしていた女子が、こくこくとすごい勢いで頷いた。かなり怯えているようだ。
それなのにこんなところまで付いてくるなんて、見どころがある。
「風早くん、ちょっとヤンデレ女神に取り憑かれちゃってるんだ。一時的に祓いはしたたけど、そのヤンデレが来たらまた魅入られちゃうと思うんだわ」
「何なの? 何のこと言ってるかわかんない」
「いいからとにかく、風早くんがここから絶対動かないよう見張ってて」
『勇者、見つかったみたいです』
チ、と舌打ちをして立ち上がる。
タイムアップだ。
後はもう、白妙さんの人員調達の手腕を信じて時間を稼ぐしかない。
「この円から出ないようにね。“暁の聖なる女神の名において祝福を。あらゆる穢れは女神の光を恐れよ”」
私は“蛇神斬り”の鞘を払い、鋒で円を描いて三人の周りをぐるりと囲んだ。
これで本当に護りになるのかどうかも怪しいレベルの、結界なんてとても言えない代物だ。だが無いよりマシだろう。長ちゃんのお小言を聞き流してないで、真面目に魔法の復習とかやるべきだっただろうか。
「だから、何してるのよ!」
「ほ、ほのか。たぶん、この人の言う通りにしたほうがいいから……」
あまりの訳のわからなさに逆ギレして立ち上がる彼女さんを、友人女子が宥めにかかった。友人女子の感覚は、どうやら私より鋭いのだろう。
「ごめん、ほんとに時間ないんだわ。あとであの狐が全部説明してくれるはずだから、それまで我慢して」
少し離れて立つ白妙さんを示して私は肩を竦めた。
“蛇神斬り”の柄を握り直したところで、白妙さんがようやくスマホから顔を上げた。
「亜樹さん、二時間半です。二時間半、どうにか保たせてください」
「二時間半……わかった、なんとかがんばる。ダメだったらあとよろしく」
ぶん、と剣を振る。
蒸着鎧がないのは少し不安だが、なんとかやりくりするしかない。
「“蛇神斬り”、行こうか。でも殺さないから、鈍器モードね」
『はい、勇者!』
不意に暗くなった空を見上げると、黒雲を纏い髪を振り乱す、半人半蛇の百合姫が飛来するところだった。
「蒸着鎧がないと空飛べないってのが不便だよね!」
『勇者、背後から尾が来ます』
『そこをお退き!』
身体を低くしたところを、尾が風を切って振り抜いていく。
元は切れ長で涼やかな目元の美人なんだろうなーとぼんやり考えながら私も負けじと剣を振る――が、それは百合姫の手に止められる。
さっきまできゃあだのなんだの悲鳴をあげてた女子ふたりは、もう声もでないのか、座り込んだまま大人しくなってしまった。
もしかしたら気絶とかしてるのかもしれない。
『妾の泰景を返すのよ!』
「だからあれは風早くんであって泰景氏じゃないんだってば!」
さすが神。そして恋する女の執念も凄まじい。
何度同じやり取りをしてるのかさっぱりだが、百合姫は断固として風早くんを諦める気はないらしい。蛇の鱗が覆った百合姫の腕と“蛇神斬り”が、ギシギシ軋むような音を立てて擦れ合う。
私も百合姫も細かい傷はたくさん負っている。
けれど、百合姫はまったく戦意を衰えさせていない。
もうちょっと隙が作れれば、封じのひとつでもぶちかまして力を削げるんだけど――と、ちらりと目をやれば、白妙さんは白妙さんで近隣住民やら通行人やらの目を逸らすのに必死なようだった。
やっぱり手が足りてない。
ふっと力を抜いてバランスを崩したところを蹴り飛ばし、なんとか距離を取る。
しかし百合姫も負けてない。そのタイミングを狙って私の腕を爪で抉る。
「っ、痛ぅ」
『勇者』
「大丈夫。私、結構頑丈だって、“蛇神斬り”も知ってるでしょ」
シャァッ、と百合姫が威嚇音を上げた。
怒りのあまり、どうやら蛇神の性格が前面に出てきているようだ。
「蛇妖の弱点て、なんだっけ……」
じりじりと間合いをはかりながら考える。
ウワバミ相手はたしか煙草だったっけ? だがしかし、煙草なんて非喫煙者である私が持ってるわけがない。それ以外……八岐大蛇は酒に酔わせて首ひとつずつ切ってたような?
だめだ、さっぱりわからない。
せめて弱点を突ければと思ったけれど、そううまくはいかないようだ。
『勇者、左!』
「う、わっ」
横から振り抜かれた尻尾をまともに受けて吹っ飛ばされた。
百合姫がにいっと目を細め、してやったりと笑う。
「やっ、ばぁ……」
ガシャンと大きな音とともに遊具に当たって身体が止まる。ゲホゲホと咳き込んで、けれど血の味はしなかったことにホッとした。
こりゃ内臓をやられたかとも思ったけれど、うまく受け身を取れたらしい。
身体はあちこち痛むけれど、まだなんとか戦える。
なら問題ない。
「こういうの食らうと、場数踏んでて良かったなって思うよ」
『勇者も強くなりましたしね』
「まあね」
立ち上がり、“蛇神斬り”を思いっ切りひと振りする。百合姫は風早くんを抱えて震える彼女さんに向かっていた。
「百合姫!」
地面を蹴って、百合姫に追い縋る。
『勇者、右!』
叩き付けようと振り抜いた百合姫の尾をどうにか躱す。けれど、そのすぐ後に今度は百合姫の右腕が来た。
咄嗟に“蛇神斬り”を盾に、爪だけは防ぐ。
ガキンと硬い音と衝撃に踏ん張り切れず、また吹っ飛ばされてしまう。
「体重差、ありすぎだもんなあ」
さすがにこう何度も叩きつけられていては、身体にもだいぶガタが来ている。正直言えば、利き腕がもうやばい。力があまり入らない。
百合姫は半人半蛇、人型の上半身から生えてる蛇の下半身だけで体長は十メートル近いんじゃないだろうか。もちろん、蛇の胴の太さは私の腰くらいある。百合姫の体重は、どう考えても私の十倍はいってるはずだ。
頭まで蛇だったら、私くらい軽く丸呑みされていただろう。
「神使になる前の渓さんより、ずっとウワバミっぽいサイズだよねえ。さすがにパワーじゃ不利だなあ」
長ちゃんがここにいれば、筋力の強化かあっちの弱体化を頼めるが……ひとりでここまでガチに戦うのは、考えたら初めてかもしれない。
あの廃工場の付喪神もどきはもっと楽だった。躊躇なく壊していい奴だったし。
私は剣を左手に持ち替える。
風早くんのことより先に、百合姫は、まず私にとどめを刺そうた決めたらしい。ずるずると身体をのたうたせて、こっちへと来る。
「“蛇神斬り”、サポート頼む」
『はい、任せてください』
さすがの勇者でも、逆手じゃそこまでうまくは戦えない。“蛇神斬り”がサポートもできるチート剣じゃなきゃ、詰んでただろう。
「亜樹さん、もう少しだけ凌いでください」
百合姫の周囲をふわふわと青白い鬼火が取り囲んだが、すぐに消されてしまった。ようやく周辺の人間を化かすのに目処が立ったのか、本来の白狐姿になって鬼火をいくつも浮かべた白妙さんが、風早くん達の前に立つ。
「大丈夫。勇者は絶対に倒れないんだよ」
また、爪を振り被る百合姫の腕を掻い潜り、胴目掛けて“蛇神斬り”を叩き込む――が、百合姫は軽く顔を顰めただけだった。
「やっぱ踏み込みが甘いか」
さすがに、これまでのダメージの蓄積のせいか思うように力が出せなかった。おまけに左腕は、筋力も右より劣る。
「帰ったら、逆手のトレーニングもやらないとな」
すぐに飛び退いて間合いを取って……と、そこでいきなり、百合姫の下の地面が水のような液体に変わった。
百合姫の巨体がずぶずぶ沈み……数十センチ沈んだところで硬い地面に戻る。
『やだ何これ、動けない! 気持ち悪い!』
「え、白妙さんなんかした!?」
思わず振り返ると、白妙さんはぶんぶんと首を振っていた。
「お待たせしましたー!
“育むもの、おおいなる母の名において、この者に誅罰を!”」
今度はけたたましい音とともに、どん、という衝撃で空気が震える。
「なんで落雷……?」
『痛い! やだ、わけがわかんない、痛い!』
空はもちろん晴れている。
唖然とする私の横に、ふわりと巫女姿で降り立ったのは……。
「え、イレインさん?」
「はい。二週間ぶり……くらいですか? 亜樹さん、満身創痍ですねえ」
つい最近、左腕のひびを治してくれた新興宗教の人、イレインさんだった。
後篇とか言いながら、あと1話続くんじゃよ
 





