事件8.ブラックがブラックであるが所以~夏休み編〜/結
宙が祖父と一緒に神社に戻ったのは、それからすぐだった。
石段がやけに長くて、やたらと時間がかかってしまったのだと首を傾げる祖父に、亜樹は土地神の仕業か、と思う。
「まお!」
「にいちゃん!」
兄と祖父に走り寄り、真央はあれこれと拙い報告を始めた。
亜樹もレフも、笑ってそれを見ている。
それから、レフを見た祖父がぎょっと目を剥いた。
「亜樹、レフはどうした。なんだその格好は」
「え、あ……レフくんは、ちょっと、藪に突っ込んじゃって」
「あ、ぼく、おようふく、えと、ひっかけちゃったの」
祖父は慌ててレフを引き寄せて、あちこち確かめる。服はひどいありさまだが、見える傷はたいしたことがないように思えた。
「どこか痛いところはないか?」
「大丈夫。どれもちょっと擦りむいたり引っ掻いただけだったよ。お風呂はちょっとしみるだろうけど」
「ならいいんだが」
顔をあげた祖父が、亜樹の背後に目をやって唖然とした。
「亜樹……こりゃいったい」
問題の“大石様”は、派手に傾いた上に上部が斜めに切り取られて、横には破片と呼ぶには結構な大きさの塊が転がっていた。
「前に見たときは、こんなことになってなかったぞ」
「え、ああ、きっとさ、傾いた拍子にヒビでも入ってたんだよ」
「それにしても、大根でも切ったみたいに切れてるが……」
「ほら、なんかこう、きれいに割れる石ってあるじゃん? 大石様もそれだったんだよ、たぶん」
顔を顰める祖父に、亜樹はあわあわと言い訳にならない言い訳をする。
「とにかくじいちゃん。子供たち連れて帰ってよ。私、ちょっとここで会社の上司と同僚待たなきゃならないんだわ」
「ここで? 家で待つんじゃだめなのか」
「それが、ここじゃないと都合が悪くて……」
「亜樹はいったい何の仕事をしてるんだね」
「え……ガテン系?」
へらへら笑ってごまかす亜樹に溜息を吐いて、祖父は子供たちを呼んだ。
「わかった。先に帰るが、電話は持ってるな? 何かあったら連絡しなさい。それから、あとで握り飯でも持ってきてやるから」
「ありがとう、じいちゃん。助かる」
しぶしぶといったようすで、祖父は子供たちを連れて石段を降りていく。それを見届けて、亜樹はようやくほっと息を吐いた。
「いたた……やっぱ蒸着鎧無しは厳しいな。さすがに無傷ってわけにはいかないか」
痛みが増してきた腕は、推測するにヒビでも入ったんだろう。
利き腕でなかったのは幸いだ。しかし治癒の魔法が使える樹は相変わらずの長期案件中で、地方に行ってしまったままである。
さすがにこの腕で荒事をこなすのは難しい。
保険に休業手当なんてあっただろうかと考えつつ、亜樹はとりあえず社に向った。入口の前で軽く柏手を打ってぺこりと一礼する。
「土地神様、子供たちをありがとうございました」
その声を聞き届けたのか、きい、と小さな音を立てて社の扉が開いた。隙間からそっと亜樹を覗いたのは、線の細い、どことなく儚げな雰囲気の……。
「真央ちゃん……これ、お姉さんじゃなくてお兄さんじゃん」
亜樹は誰に聞かせるわけでもなく、小さく呟く。どうやら真央は雰囲気でお姉さんと判断したようだが、亜樹が見る限り間違いなくお兄さんだった。
「その、腕……」
「え?」
「痛そうですし、応急手当でよければ……」
どこか自信なさそうな上目遣いに、なんでこの神はこんなに腰が低いのかと亜樹は首を捻る。
自分が知るのは雛倉と綾織姫と雄滝くらいだ。けれど、皆、自分は神なのだぞとそれなりに自信に満ちている。
「ええと……助かります」
「こちらへ、どうぞ」
招き入れられた社の中は、少し埃っぽくて手狭だった。
その片隅の物入れを、神はごそごそと漁る。
すぐに救急箱のようなものを取り出すと、添え木代わりの棒を亜樹の左腕に当てた。少しくたびれた包帯をきれいに巻いて……ずいぶんと手際が良い。
「慣れてるんですね」
「ええ、子供はよく怪我をするものでしょう? ですから……」
境内に遊びに来た子供が怪我をすると、いつもこうして手当をしてやっていたのだと、少し嬉しそうに神は語る。
「子供が好きなんですか」
「はい、食べてしまいたいくらいに……あ、いえ、今は食べたりしませんよ」
ぎょっとする亜樹に、神は慌てて首を振った。
ここで「子供を食べる」と言われて思いつくのは、“子供喰らいの鬼”だ。
「まさか……大石様の封印って……」
どう取り繕おうかとしばし視線を泳がせて、それから神は観念したのか、もじもじと恥ずかしそうに頷いた。
「恥ずかしながら、私の一部です。いえ、私があれの一部と言うべきか……」
困った顔で微笑む神に、さすがの亜樹も絶句した。なんでここに祀られた神と封じられた鬼が同じものなのか。
怪訝な目でじっと見つめる亜樹に、神はぼそぼそと話し始める。
「すでにご存知かもしれませんが、私はもともと、このあたりで“真津”と呼ばれていた鬼なんです」
「はあ――って、真津ってこのあたりの地区名じゃないですか」
「真津に出る鬼でしたから、そう呼ばれていました」
「安直ですね」
亜樹は呆れながら、しかしたしかに昔話などでは、そういういわれで名前が決まることは多かったなと思い返す。
「それがなんで、今、ここの祭神になってるんです?」
「子供がかわいい余りについ食べてしまうということを繰り返していましたら、とうとう強い法力を身につけた修験者殿に見つかってしまったんです。
それで、今のようなことになりました」
「待って。かわいいから食べるって、そもそもがおかしくない? それに、咎められた結果がなんで今なのか、繋がりがわからない」
「でも、かわいい生き物って、食べたくなりませんか?」
「いやいやいや、普通はかわいがっても食べたりしないって。それに、咎められてなんで分裂してるの。話が飛びすぎでしょ」
あまりのツッコミどころに亜樹の口調はすっかり戻ってしまう。
元鬼は不思議そうに首を傾げるが、ああ、とすぐに頷いた。
「修験者殿が“真津”から私を抜き取って、“子供喰らいの真津”だけをあの岩の下に封じたんですよ。その上で、私にあれを見張りながら人を助けて己の業をそそげ、業が小さくなれば私にも“子供喰らいの真津”を抑えられるようになるから、精進するようにと命じたんです」
「はあ……まあ、それで救急箱か」
面倒くさいことをするんだな……と、亜樹は小さく溜息を吐く。
御仏の心とか慈悲とかなんとかで、偉い坊さんほど悪鬼を諭して改心させるというのが大好きだもんな、と。
「そういえば、神使はいないの?」
「ええ……さすがに怖いのか、山の獣はあまりここへ来ないものでして」
「なるほどねえ」
ふわふわと笑う今神の元鬼は、まったく鬼らしくない。
だが、“鬼らしい”ところはすべて“真津”として封じてしまったから、今のような元鬼なんだろう。
「とにかく、あと何時間かしたら再封印の担当が来るから、それまでここでしばらく待たせてね」
「ああ、では、さぽせんの方だったんですね」
「え、あの、他の何だと思ってたの?」
「最近の人間は強いのだなあと感心しておりました」
のんびりと笑いながらのどこかずれた返答に、亜樹はまた溜息を吐いた。
すっかり夜が更けたころ、「亜樹」と声がかかった。
慌てて社から出ると、灯りを持った祖父だった。
「腹減ったろう。晩飯を持ってきたぞ。あと、お前の上司さんたちが来たんで、案内して来たよ」
「大橋さん、わざわざありがとうございました」
「いやいや、こちらこそ、孫がいつもお世話になってますし」
白妙と祖父があいさつの応酬を始める。それをちらりと一瞥して杖を振ると、魔法使いは「現場はあちらか」と呟いて、さっさと社の裏手に向かった。
亜樹も慌ててその後を追う。
「……勇者アキ」
「なに?」
「なぜ、この岩を斬った」
「え、ちょっと触ったら割れちゃっただけだよ。私のせいじゃないよ」
魔法使いはこめかみをぴくぴく震わせて、じろりと亜樹を睨んだ。
ちょっと手が滑って岩の端っこを切り落としただけだというのに、なぜこれほどまで怒るのだ。
「待ってよ。だってただの岩じゃん? 斬ったところでたいして問題ないでしょ。なんで長ちゃんが怒るの」
「勇者アキの雑な処理のせいで、バランスが崩れているからだ」
「え、真球とかでもない、あちこちでこぼこしてる、ただのでかい岩だよ?」
はああああ、とこれ見よがしに盛大な溜息を吐くと、魔法使いは侮蔑に満ちた目で亜樹を見返す。
「あれほど叩き込んだというのに、やはり勇者アキの脳味噌はザルか。獣以下か。少し見れば、魔法的にバランスを取ったうえで封がなされていたことくらい、読み取れるだろうが。封印魔術の初歩の初歩だぞ」
「だーかーらー、魔術なんてこっちじゃ使わないって何度も言ってるじゃん! そんなんで責められても困る!」
「こんな状況になっているのは勇者アキの雑で隙間だらけの脳味噌のせいだろう。これでは封じの術式を組むのに数日かかるではないか。つまり私も休暇を返上せねばならんということになるのだぞ。せっかくのまとまった休暇で新たな術式を組み上げようと考えていたのに、これだから脳味噌までが筋肉でできている輩は!」
「あーあー聞こえなーい!」
結局、魔法使いの休暇も亜樹の盆休みも、新たな“大石様”での再封じに費やされることになった。
白妙も魔法使いもその間、亜樹の祖父家の世話となり……。
「亜樹」
「なに、じいちゃん」
ようやく再封じもカタがついた。
怪我もあって、亜樹とレフのふたりも、白妙の車に便乗して帰ることになっている。亜樹の腕も、帰ったら改めて医者に診てもらう予定だ。
「お前、なんだってそうなってるのか知らんが、神仏などというものに深く関わったらいかんぞ。ほどほどで引いておけ」
「あー……」
心配そうな祖父に、亜樹はぐるりと視線をさまよわせ、それからきまり悪げに頭を掻いた。深く関わるなと言われても、時既に遅し、だ。
「ごめん、じいちゃん。たぶんもう手遅れだわ」
何しろ、亜樹は暁の女神公認勇者であるうえに、現職はサポセンの現場担当職員だ。家に帰れば雛倉たちだっている。手遅れ過ぎもいいとこだろう。
「悪くはならないよう、気をつけるよ。いちおうはご加護なんてものもあるし、じいちゃんには心配かけないようにするって」
「お前は……いいか亜樹。神仏というのは、気に入った者には執着するもんなんだぞ。取り憑かれたらどうする」
ああなるほど、そういう心配か。
亜樹はくすりと笑う。
「そのときは、しかたないから諦めてもらうよ。もちろん神仏側にね」
「お前は……」
祖父はまた溜息を吐いた。
「ほんとうに、婆さんそっくりになって」
「え? そんなことないと思うんだけど」
「まあとにかく、あまり無茶はするんじゃないぞ」
「うん、わかったよ。また遊びに来るから。レフくん連れて」
じゃ、と手を振って車に乗り込む亜樹を、祖父はじっと見送った。
 





