事件8.ブラックがブラックであるが所以~夏休み編〜/後篇
「亜樹ちゃん、子供たち見なかった?」
「え?」
そろそろおやつにも遅い時間なのに、宙と真央と、おまけにレフの姿が見えなくなっていた。
もう日は山の向こうで、空はまだ青くても山陰は暗い。
さっきまで庭で遊んでいたはずなのに、いつから姿が見えないのかと、従姉が心配そうに顔を曇らせる。
「従姉ちゃん、私ちょっと周り見てくる」
「うん、川は遠いから大丈夫だと思うんだけど……畑に下りたりしたのかな」
「じゃ、畑と田んぼも念のため見てくるよ」
ちょっと目を離したすきに畑に下りて大目玉を食らうというのは、亜樹にも経験のあることだった。
そこにも見当たらなかったら、改めて皆で探して貰えばいい。
「レフくーん、宙くーん! 真央ちゃーん!」
さすがに暑すぎて人影もあまりない。皆、この季節は夜明けから数時間と日が山陰に入ってからの数時間を農作業にあてるものだ。
ましてやお盆ではなおさらだ。
誰かに聞いてみようにも、誰もいないのではしかたない。
「レフくんなら耳がいいし、呼べば絶対聞こえるはずなんだけどなあ」
聞き分けのいい子だからと、亜樹も油断してしまったのだろうか。
同じくらいの子供と遊ぶのは、レフにとっては滅多にないことだった。つい羽目を外して、遠くまで行ってしまったのかもしれない。
と、そこでいきなりスマホが震えた。
従姉からかと慌てて出てみると――。
「あ、亜樹さんですか」
「白妙さん? 何? 今すっごく忙しいんだよね」
「そうも行きません。非常に緊急度の高い案件なんですよ」
「は? 私今盆休みで、おまけに子供たち探してるとこなんだけど」
電話越しに低く唸る亜樹に対して、白妙の声はどこまでも平然としている。
「そうなんですか。実は亜樹さんが今いるところから近い場所で、しかも、子供喰らいの鬼の封に関する案件なんですよね」
「――ちょっと、詳しく聞かせて」
亜樹の顔がひくりと引き攣った。
まるで図ったかのようなタイミングに、どうにも踊らされてる気分が拭えない。もしやすべてが白妙の陰謀か、とまで考える。
とはいえ、電話口だ。ここで罵るわけにもいかず、あくまでもイライラを抑え、掻い摘まんだ要点のみを聞く。
「ええと……現地で“奥の宮”と呼ばれてる、山中の神社です。そちらの、天千山のある地域の土地神様より依頼なんですよ。その“奥の宮”の封が崩れて現在取り込み中なので、大至急なんとかしてくれと」
「天千山って、まさに爺ちゃん家の裏の山じゃん!」
なんてこった、と亜樹は頭を抱えたくなった。裏山で子供喰らいの鬼と取り込み中って、それ絶対レフたちが関わってる奴じゃないか。
おまけに、“蛇神斬り”なら手元にあるが、蒸着鎧はさすがにない。
「では、亜樹さんに頼めますね。私は今から魔法使いさんとそちらに向かいますので、住所をメールしてください。
応急処置の封は魔法使いさんが到着次第やりますが、万一その鬼の本体が出て来ているようなら、弱らせておいてくださいね」
「ちょっ、なんかさらっと簡単に言うけどさ!」
「問題ありませんよね。勇者なんですし」
「ああああああ、もう、わかった! やってやるよちくしょう!」
亜樹は通話を切るのももどかしく、全力で走り出す。部屋にまっすぐ向かい、“蛇神斬り”を入れた布袋を取って引き返すと、祖父を探した。
「亜樹、どうした。ばたばた走り回って」
「じいちゃん、“奥の宮”って知ってる?」
「知ってるも何も、亜樹も小さい頃肝試しに行ったろうが。大石様のお社だ」
「あ、あ-! あー! あそこか!」
小さい頃、夏になると“肝試しだ”と言われて連れて行かれた、山中の小さな神社を思い出す。
亜樹に幽霊への苦手意識を植え付けた、幼少時の思い出だ。
その社の裏手にある見上げるほどの大岩が“大石様”だ。注連縄がかかっていて大人の身長よりも高さがあって、とにかくでかいから“大石様”、と何のひねりもなく呼ばれている岩のことだ。
謂れは聞いてないからよく知らないが、その大岩の前にお供えの飴玉を置いてくるのが、ここの肝試しの定番だった。
「奥の宮がどうした。あの辺は先月の大雨で地盤が緩んでて危ないぞ。境内の中もちょっと崩れたから、盆明けに直すことになってるんだ」
「マジで……じゃあますますそこかー。あー、ほんと勘弁して欲しいわ。いや、でもまさか呼ばれたって可能性も? どっちにしろ勘弁してってば」
眉間に縦皺を入れて、亜樹はひとしきりブツブツと呟く。
「亜樹? もしかして、子供らがそこに行ったのか?」
「あ、いや、じいちゃん、ありがと! 子供たちは大丈夫だよ。あと、私ちょっと仕事してくるから!」
「仕事って、亜樹!?」
ごまかすように笑って、亜樹はまた家を飛び出した。
石段を昇っていくと、直ぐに前から誰かが来るのがわかった。しゃくりあげながら、よたよたと階段を降りて来る小さな人影は――。
「宙くん?」
涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げて、宙は「あきちゃん!」と叫ぶ。走り降りようとして足をもつれさせる宙に、亜樹は慌てて駆け寄り抱きとめた。
「宙くん、真央ちゃんとレフくんは?」
「あきちゃ……おれ、おれ……」
泣きじゃくって言葉にならない言葉をどうにか汲み取って、亜樹はよしよしと宙を宥める。偉かった偉かったとポンポン背を叩いて、それから、もう大丈夫だよとしっかり抱き締めた。
「もう大丈夫。あとは勇者アキに任せとけ」
「あきちゃん、でも……」
「宙くんは、私を呼びに来たんでしょ? 勇者アキを。
勇者アキは皆の希望だから、すっごく強いし絶対に負けないんだ。真央ちゃんもレフくんも連れてすぐ帰るから、宙くんは先に帰ってお家で待っててよ」
にっと笑う亜樹を宙はじっと見上げて、それからこくりと頷いた。
「よし、じゃあ転ばないように気をつけて降りて行くんだよ。
下に着いたら……そうだね、じいちゃんに、真央ちゃんとレフくんは亜樹が迎えに行ったよって言っといて」
宙はもう一度こくりと頷いた。それからゆっくりと石段を降り始めるのを見届けて、亜樹はまた上へと走り出す。
* * *
尻尾を水平に振りながら、ぐるると喉の奥から唸った。背中の毛も首回りの毛も、これ以上ないくらいもさもさに逆立っている。
母狼は、気持ちで負けてしまえば本当に負けてしまうのだといつも言っていた。だから、レフは絶対に負けないぞという気持ちを込めて、化け物を睨み付けた――牙をむき出しに、金色の目を爛々と輝かせて。
自分は誇り高き森林狼なのだ。こんな化け物に負けやしない。
うねうねとうねるように、黒いもやが形を取って伸びた。レフは鋭い吠え声とともに、その先端めがけてがぶりと牙を立てる。
びくりと怯んだようにレフを振り払い、もやは大岩へと戻る。
レフはぐるぐる唸りながら、油断なく身構える。
ひゅ、と風を切る音がして、レフは咄嗟に横飛びに何かを躱した。
鋭い爪のように尖ったもやが、鞭のようにレフを切り裂こうとしたのだ。着ていたTシャツが裂けて、じわりと血が滲む。
今度はレフが身を躍らせて襲い掛かる。
ちゃんと見えてはいないのか、レフを探してうねる細長いもやに思い切り噛み付いて、ぶんぶんと頭を振る。
肉を持つものであれば一瞬で食い千切られてひどいことになったのだろうが、あいにく相手はもやでしかなく、どうにも分が悪い。
それでもレフは負けじと、何度も何度ももやに噛み付いた。
――いかに人狼は身体が頑健で力も強いとはいっても、レフはまだ子供だ。
何度噛み付いても、致命傷は与えられない。
もやの棘や爪を避けてはいても、完全ではない。
息は上がっているし、身体中にできた細かい傷にもじんわりと血が滲んでいる。どれもこれもかすり傷だが、数が多い。放っておいてもすぐに塞がるとはいえ、次から次へと傷ができてしまっていてはとても回復どころじゃない。
けれど、それでもレフは戦意を失っていない。
ぴくりとレフの耳が揺れた。ずっともやに集中していた耳がぴくぴくと動いて、あたりの音を探り始める。
後ろから、よく知った気配が近づいて来る。
「あきちゃん!」
声に応えるように、剣がしゃりんと鞘走る音が聞こえた。
勇者、と“蛇神斬り”が亜樹を呼ぶ声も聞こえた。
『これはよくないやつですね』
「うん、ちょっと本気出してもいいかな」
『私は問題ないと思いますよ』
ぽふん、と急に頭を撫でられた。ふわりと抱え上げられて、ぽふぽふと背中の毛も叩かれた。
ぶんぶん振り回される尻尾に、亜樹がくすりと笑う。
「レフくん、がんばったね。もう大丈夫だ。あとは勇者アキに任せて」
「あきちゃん!」
「悪い魔物をやっつけるのは、勇者アキの仕事だ」
「うん!」
頭を擦り寄せて、レフはひゅんひゅん鼻を鳴らした。
片手にレフを抱いたまま、亜樹は“蛇神斬り”でもやを振り払う。
「“聖なる女神の祝福と、我が暁の勇者の称号において命ずる。あまねく世を照らす明けの光よ、ここに”」
振り翳した剣からまばゆい光が溢れてもやを怯ませる……が、退けるまではいかないようだ。
「レフくん、真央ちゃんは?」
「おやしろの、かみさまにおねがいしたの」
「なるほど、そっかあ」
さすがレフくん賢い、と亜樹は破顔する。
あまり力のない神でも、社に立て篭もった子供を守るくらいはしてくれたらしい。土地神様の取り込み中って、そういうことだったのか。
「じゃあ、レフくんも真央ちゃんと一緒にお社で待っててくれるかな。私はあれ片付けてくるから」
「わかった!」
人型に戻ったレフの身体は、あちこち擦り傷やら切り傷やらで、服もぼろぼろだった。毛皮がなくなった分、実際以上にぼろぼろに見えてしまう。
だが、降ろされたレフは、元気よくすぐに社に走っていった。パンパンと手を叩いてお辞儀をして、扉を開けてするりと中に入ってしまう。
はっきりとはわからなかったが、誰かに招き入れられたようだった。
あれが、ここの祭神でもある土地神なのだろう。
「ようし、それじゃ“蛇神斬り”、行こうか」
『行きましょうか』
ブン、と、亜樹は 風を切って剣を振り上げる。どうやら“蛇神斬り”もやる気に満ち溢れているようだ。
「鬼だか何だか知らないけど、生きてることを後悔させるくらいにはしばいたって許されるよね」
『許されると思います!』
「二度と娑婆に出たいなんて思わないくらい、お仕置きしてあげようか」
『してあげましょう!』
まるで獲物を見つけた肉食獣のように目を輝かせて、亜樹は斬りかかる。
* * *
うっかり鈍器モードにするのを忘れたままの切った張ったで、大岩の端っこをちょっと削いだりもしてしまったが、もやはすっかり引っ込んで出てこなくなった。
斜めに傾いた大岩を思い切り蹴って、亜樹は「もう終わりか、鬼のくせに」などと毒づいている。
どうやら大岩の根元に小さな穴が空いているのはわかった。おおかたこれが封印かなんかなのだろう。もしかしたら封印なんて上等なものではなく、単に穴に埋めて重石の大岩を乗せただけかもしれない。
とはいえ、あとは白妙たちが来るまでこいつを見張ってれば、仕事は終わりだ。休日手当ては出るんだろうなと確認もしなければ。
「あきちゃん」
振り向くと、社にこもっていたふたりが出てきたところだった。
その背後に目をやれば、白っぽい人影がたちまち気づいて、あたふたとお辞儀をするとすぐ社に引っ込んでしまった。
視線を戻せば、レフの服はぼろぼろのままだが、あちこちにできた傷はきれいにして一応の手当てがされてるようだ。
「真央ちゃんは、怪我とか大丈夫?」
「あのね、ころんでちょっとすりむいちゃったけど、おやしろのおねえさんがばんそうこうはってくれたの」
膝小僧にちょんと貼られた絆創膏は、可愛らしいデザインだった。ここの土地神様は、どうやら可愛いもの好きらしい。
「そっか、よかった。
じゃあ、すぐ迎えが来るから、それまでここで一緒に待っていようか」
「うん」
両手を差し伸べると、真央とレフが片手ずつきゅっと握り締める。
「あとで、ここのお社に手当てありがとうございますってお礼に来ないとね」
「うん」
「あたし、あしたのおやつ、はんぶんもってくる」
「ぼくも、おやつはんぶんもってくる」
「そっか」
ふたりの手を引いて社の前に腰掛けると、もう日が沈むところだった。
閑話にあれこれはみ出ます
 





