閑話:シェアハウスと大掃除
地縛霊付き事故物件ではあるが、案件はいちおう完了。
そういうわけで、築七十年の日本家屋は無事サポセンの社宅ということになった。
さすがに直したり手を入れたりの必要はあるから、正式な引越しは再来月だ。それまでに、私もあれこれと準備しなくてはならない。
「わあ、おにわすごいね」
「確かにこれはすごいな」
「草取りのしがいがありますね……」
「こないだずいぶん禿げたはずなのに、またこんなにか……」
数日ぶりの古民家の庭は、またいっぱいの雑草と葛に侵食されていた。
この、葛という植物は最高にうざいと思う。秋になれば枯れ果ててどこか行ってしまうくせに、暑くなるとどこからともなく現れてあっという間に何もかもを覆っていくのだ。なんなんだ、この繁殖力。魔物か。
「とりあえず、私がおおまかにこの草全部刈るから、渓さんはあとから片付け頼む。それまでは……あの亀のいるとこ、あそこらへんがもともと池らしいんだよね。だから、底の泥さらいお願い」
「ああ……では、あそこが主人様の神域になるんだな」
「雛倉さんが気に入ればだけどね」
渓さんがやる気満々に腕まくりをして、スコップを片手に池へ向かう。
「漣さんとレフくんは、家の中の整理をお願いね。奥の床の間で……あー、その、婆ちゃんが泣いてるかもしれないけど、気にしなくていいから」
「はい……その、気にしなくていいんですか?」
「こっちから話しかけても、聞こえないみたいなんだよね。白妙さんに専門家の派遣お願いしたんだけど少しかかるみたいで、どうしようもなくてさ」
「そうなんですか」
「おばあちゃん、どうして泣いてるの?」
「大事なもの失くしちゃったんだって。今、白妙さんに探してもらってるんだよ」
「ふうん」
じゃ、頼むね、とふたりに手を振って、私はすらりと“蛇神斬り”を抜いた。
ブゥンと刀身が唸りを上げる。
“蛇神斬り”もやる気満々だ。
『勇者、草刈りですね!』
「そう。この葛はマジで手強いから。こいつら根絶やしにしないと、この庭に安寧が訪れないんだよ」
『任せてください!』
「おう、任せた!」
すぱん、と振るだけで、根元から断ち切られた草が舞う。あの、大抵の農家にあるような、エンジンでバリバリ動く専用の電動草刈機でもなきゃ相当に苦労する、頑固で固い葛の蔓も一瞬だ。
「さすが聖剣! めっちゃ切れる!」
『当然です!』
あははははと高笑いをしながら、私はどんどん草を刈る。屈む必要もないし、なんて効率的なんだろうか。
こんな草刈りなら楽しくてしかたないのに。
「勇者アキ。聖剣で何をしているんだ」
「あ、長ちゃん遅かったね。何って、草刈りしてるんだけど」
「……女神手ずから鍛えたと言われる尊い聖剣で、草刈りか」
「いいじゃん、本剣もノリノリで楽しんでるんだし。それにめっちゃ切れるから、めっちゃ効率いいんだって」
はあ、と大袈裟なくらいに溜息を吐く長ちゃんは、今日もふつうの格好だった。ふつうの格好に見えるだけだが。
やった、庭付き一戸建ての広い社宅だ……と喜んだのもつかの間、社宅は社宅でもシェアハウスだった。
長ちゃんもここに住むとは聞いてない。
白妙さんにそう言い募ったら、「部屋数は十分なはずですが」と返された。そんなの聞いてないと言ってるんだ。
「そうは言っても、魔法使いさんの希望なんですよ、十分な広さで、中に手を入れても構わない家屋に住みたいというのが」
なんでも、少し慣れてきたところで長ちゃんの不満が爆発したらしい。
ろくに魔法書を置くこともできないうえに、魔法を使うなんてもってのほかだという日本の住宅事情に。
「ひと言で言えば狭すぎる。それに、“原状回復”だと? 賃貸である限り室内に手を入れることもできないなどとは、不便すぎるだろうが!」
――と、不満が積もりに積もってとうとうキレたのだそうだ。
たしかに、六畳ワンルームで魔法の研究室なんぞ無理だろう。
何かするたびに異臭だ騒音だで警察騒ぎになったうえ、迷惑行為で追い出されるのが関の山だ。だいたい、それ以前に、絶対に必要不可欠な魔法陣を展開するスペースの確保が無理すぎる。
だが、だからといってなんでシェアハウスなのだ。
そんなの、私に不満しかないわ。
「長ちゃんの研究室とやらは、あの納戸兼車庫を使うって聞いてるよ。自分でなんとかするんだよね」
「もちろんだ」
心持ち機嫌よく、長ちゃんは頷いた。
たぶん、アレだ。魔法で好き放題するつもりなんだ。
木造とはいえ、一階部分が車が二台か三台は止められそうなだだっ広い空間の建物で、二階部分にも部屋があるのだ。好きにいじっていいとなれば、魔法使いにはうってつけだろう。どんな魔境にしたてあげるのか、たぶん知らないほうがいい。下手したら異次元と繋がって、一歩踏み込んだら出られなくなるかもしれない。絶対に近づかないほうがいい。
「危険物とか薬品とか、とにかく魔法アイテムも魔法も母屋に持ち込み禁止だからね。子供もいるってこと肝に銘じてよ」
「わかっている」
すたすたと車庫に歩いていく長ちゃんの足取りは軽かった。
やっぱり不安しかない。
それはそれとして、草刈りだ。
庭は広く、その半分以上は未だ葛に覆われている。あと一年遅かったら、建物まで葛にやられていたんじゃないだろうか。とにかく今日中に刈り尽くしてしまわないと、元の木阿弥だろう。
「よし、続きだ」
『はい、勇者!』
私は再び黙々と剣を振るい始めた。
太陽が傾き始めた頃になって、ようやくあらかたの草を刈り終えた。渓さんも泥をさらい終わったようだし、あとは刈った草を片付けて外は終わりか。しばらく通って根の始末もしなきゃならないけれど、これで終わりが見えた気がする。
「渓さんどう?」
「なかなかいい感じになりそうだ。これで水を流せば、主人様も気にいると思う」
「へえ」
底に溜まった泥やゴミを掃除したら池の縁に並べた岩も現れて、いっぱしの日本庭園らしい池になった。もっとも、岩はまだ泥で汚れてるし、池の中も濁った水がちょっと溜まっているだけなのだが。
「おばあちゃんのお池に戻った!」
のそのそと出てきて池を覗き込んだ亀も喜んでいる。この亀はサポセンにしっかり加入させられたそうで、引き続きこの池に住むらしい。
「お前も二足歩行ができるようになったら、池の掃除くらいやるんだよ」
「うん」
亀は神妙な顔で頷いた。
あれから、白妙さんと安達さんのふたり掛かりで妖の心得を説き伏せられたようだし、無茶を反省したんだろう。
「水道の開栓は済んでるから、まずは水流して泥をきれいにしようか。渓さん、水流してる間に、草片付けるの手伝って。明日はゴミの日だから、早いとこまとめないと持ってってもらえなくなっちゃう」
「ああ、わかった」
「亀はホース押さえててね。できそうなら、岩に水掛けて泥を流して」
「はい」
どでかいゴミ袋を片手に、渓さんはさっそく草を集め始めた。私は家の中を覗いて、漣さんに出さなきゃならないゴミを縁側に置いといてくれと声を掛ける。
「あきちゃん」
「ん、どうしたの、レフくん」
私の声を聞きつけてか、奥からレフくんも出てきた。
「おばあちゃんの大事な簪って、いつ戻ってくるの?」
「白妙さんに聞いてみなきゃわからないけど……なんで?」
「おばあちゃんが気にしてるから、ぼく聞いてみるねって」
「――へ?」
おばあちゃんが気にしてるとは、いったいどういうことなのか。
私はごくりと唾を呑んで耳をすませる。
これまでずっと、気を抜くとほんのり聞こえてきたはずのすすり泣きが、なぜか今は聞こえない。
「ええと、レフくん。もしかして、おばあちゃんとお話した?」
「うん。ずっと泣いてたから、どうしたのって聞いたの。ぼくのおやつ半分あげるから泣かないでって」
「……そしたら?」
「おばあちゃんが泣くのやめたから、おやつ食べながらお話したんだよ。おじいちゃんのこととか、お池の亀のこととか、いろんなお話聞いたの」
そういえば、犬とか猫とかが、何もいないはずの部屋の片隅をガン見することはよくあるって話を思い出した。小さな子供もそういうのに敏感で、見えない友達を作って話をすることがあるとも。
レフくんは狼で幼児で、つまりだからそういう才能に溢れているのか。
「あー、他には、どんな話をしたのかな?」
「今日はおうちに帰らなきゃいけないけど、再来月ここに引越してくるねって。そしたら、いっぱいお話しようねって」
「……そっか」
幽霊が相手で心配なのは、うっかり同情だかなんだかしてしまってあっち側、つまり彼岸に引っ張られることだ……と、有名な心霊研究家が言ってた記憶がある。だが、このようすなら、今のところは引っ張られるとかなんとかはなさそうだ。
私は少しだけ安心する。
「うん……このお家をきれいにしたら、皆で引越ししてくるからって伝えてくれるかな。ちょっとうるさくなるけど勘弁してくださいって」
「うん、わかった」
「あと、お饅頭だけじゃ喉が渇くでしょ。漣さんにお茶淹れてもらって、持ってくといいよ。こぼさないよう、気をつけてね」
「うん!」
レフくんはにぱーっと笑うと、すぐに台所へと走っていった。
そこからさらに日が沈むまで動きまくって、ようやく「荒れている」から「手入れが行き届いていない」くらいまでに片付いた庭を眺めて満足する。
一日仕事にしては、上出来すぎるだろう。
この調子だと、明日は筋肉痛か。
「じゃあ、亀、私たちは帰るから」
「はい!」
すっかりきれいになった池の水に浸かりながら、亀が顔を出す。
あとで水草やらも買ってきて植えなきゃいけないだろうな。
戸締りを終えた漣さんとレフくんが出てくるのを待って、帰途に着いた。ここからうちのアパートまでは、歩いて一時間といったところだ。
長ちゃんはどうやら泊まり込むらしい。未だに納戸にこもり続けている。
だから放っておく。
「あのね、あきちゃん。おばあちゃんが、お引越し待ってますねって。また賑やかになるのうれしいですって言ってたよ」
「そっか、それじゃ良かった」
――簪が戻っても、「楽しいから」なんて理由で成仏拒んだりしないよな。
少しだけ不安だなと考えつつ、皆と暗くなった道をのんびりと帰った。