事件7.古民家の怪異?/後篇
「なんで、亀」
「勇者アキ、見つけたのか」
ずっしりと重たい亀を呆然と眺めていると、長ちゃんが降りてきた。
「さっきまでの攻撃は、こいつが元で間違い無いようだ」
「あ、ほんとだ」
言われてあたりを見回せば、うねうね動いてた蔓もどろどろになってた地面も、すっかり元に戻っていた。
なら、やっぱりこいつが元凶ということか。
「あとふたつはどうする。これよりはずっと弱いようだが?」
「あー、いちおう確認しなきゃね。こいつどうしようかな……」
しばし考えて、私はおもむろに亀に向かって手をかざす。じっと集中して、祈りの言葉を呟く。
「“これなる魔を封じよ”……と、これで平らなところにひっくり返しておけば、悪さはできないでしょ」
「なるほど、“封魔”か。先程の術といい、女神の加護は健在というわけだな」
「当たり前よ。私はまだ女神にふさわしい勇者ってことなんでしょ。聖剣だって託されてんだからね」
長ちゃんがじっとりと私を見る。なんでそんな残念そうな顔なんだ。
「何よ。なんか文句ある?」
「いや、“暁の聖なる女神”も趣味が悪いと思ってな」
しみじみ言う長ちゃんは、私の神経を逆撫でにきているのか。
「――前から思ってたんだけどさ」
「なんだ」
「長ちゃんて、討伐のころから死にたくなるくらい塩対応だったし、何が気に入らないの。女神の選択に文句あるわけ?」
「いや。なぜ勇者がアキなのかとは疑問だが」
くっきり眉間に皺を寄せる長ちゃんに、私はそんなことかと吐息を漏らした。そんなの、女神本人に聞けっていうの。
「そりゃ、強いからでしょ。聖剣だって、勇者は強くなきゃだめだって最初から言ってたじゃない」
「剣を振るうことも覚束ず、騎士殿の鍛錬にもすぐに倒れるばかり。魔獣を殺すことすらも躊躇するほどだったのに?」
「あのねえ……無理やり未経験連れてきといて、何贅沢言ってんの。実際魔王倒したのは私なんだから、結果的に私が最強だったってことでしょ。ちゃんと役目は果たしたんだから、今さら文句言うなっての」
「――もっとも、私にお前は、勇者アキではなく魔王アキに見えていたがな」
「はあ?」
長ちゃんは、目を眇めて意外なくらい真面目な顔で私を見ていた。何言い出してるんだこいつと思ったけど……たしかに、とも思う。
「まあ、私、あの他力本願お花畑ワールドって好きじゃなかったし、あのまま帰してもらえなかったらそうなってたかもね」
「やはりか」
長ちゃんはやれやれと小さく首を振る。
こいつは、前から人を見る目のあるやつだと思ってはいたけど……。
「神殿の何とかいう教皇はキモかったし……勇者殿勇者殿なんてチヤホヤされたところで、あの媚び売ってくる笑顔とか意味わかんなくて、ほんとキモいだけだったんだよね。おまけに王様までヘタレ臭漂ってたし、この国ダメなんじゃないかとしか思えなかったし。
そもそも、皆して、“魔王を何とかしてください!”ってひたすら人頼みするだけで、自分じゃ何もしなかったじゃん? お前らの世界じゃないのかよって、何度イラついたと思う? 馬鹿じゃないかこいつらって、ずっと考えてたんだわ」
「勇者アキは容赦ない」
「ハリウッド映画だって、現地人も一緒になんだかんだ頑張るってのに。魔王倒した後まで残されて、まだなんかやれって言われてたら、私、絶対キレてたね。まー、ついでに言っちゃえば、王子様とか騎士殿とか司祭くんとかはすごく頑張ってたなって思うけど。ぼんぼん育ちだってのにさ。
ただ、いきなり問答無用で帰されたときは騙されたって本気で腹立ったわ。今はそうでもないけど」
「ほう?」
長ちゃんはくすりと笑う。
「あのまま城に帰ってたら絶対暴れてただろうし、どうせ、長ちゃんはそれ見越して強制送還したんでしょ? 私としては無駄なパワー使わずに済んだから、結果オーライってとこだね」
「私の行動は間違っていなかったというわけか」
「そうなんじゃない?」
長ちゃんはまた小さく息を吐いて、やれやれと手を挙げた。
「さて、そろそろ次へ行かねばな」
「だね。今さらの話なんかしたところで、不毛感しかないし」
私は母屋を見上げる。
「庭が亀のせいってことは、建物の中に屋敷神と何かがいるってことか」
「そうだな」
鍵を開けて、カラリと玄関の引戸を開けると、どことなく黴臭いような埃っぽい臭いと陰鬱な空気が漂っていた。
「おじゃましまーす」
なんとなくそう声を掛けて一歩入るあたり、私も日本人だなと思う。
「長ちゃん、どうよ」
「あいかわらず気配はぼんやりしたままだ。あまり大した力はなさそうだな」
「――なんか、ジャパニーズホラーショーっていうか、“あなたの知らない世界”っぽいっていうか」
「なんだそれは」
「日本の怪談てさ、精神的に来るから怖いと思うんだよ。あの、物理の効かない感とか得体の知れない感とか」
「魔王を倒した勇者アキとも思えん言葉だな」
「いやだって、日本の幽霊って女神の管轄外って感じするじゃない」
「意味がわからん」
呆れた顔の長ちゃんが「行くぞ」と私を急かす。
いかに元勇者とはいえ、私が日本人である以上、幽霊への得体の知れない恐怖は魂に刷り込まれているのだ。しかたなかろうが。
暗い廊下の先を見据えながら、外側から雨戸を開けておくべきだったと後悔していると、長ちゃんが手早く魔法の灯りをともした。
「ねえ、長ちゃん……ここの家主ってどんな人だったか知ってる?」
「金子ヨネ、享年八十九歳。死因は心不全だ。同居人は無し。倒れてから三日後、訪ねてきた知人により発見とあった」
独居老人の孤独死……ここ、事故物件てやつじゃないかあ!
「長ちゃんさすが……暗記してたんだ?」
「勇者アキはロクに目を通していなかったようだが」
「え、いや、そんなことはないけど」
てことは、もしかして屋敷神なんかじゃなくて、婆ちゃんが死に切れず未だここで迷っているということなのか……などと考えたとたん、奥からカタリと物音が聞こえた。思わず「うぇ」と声を漏らした私を、さらに呆れた顔の長ちゃんがチラ見する。
「あちらか。さっさとしろ、勇者アキ」
「う、わかってるってば!」
くっそ、やはり異世界人にこの情緒というか、魂から湧き上がる恐怖感への理解はないのか。
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけビクビクしながら、物音のした部屋へと向かう。暗い廊下を進んだ先、襖を開けて、そっと中を覗くと……。
「っひ」
有象無象の影がグダグダに集まっていた。
あれだ、心霊写真なんかでよく見るあれだ。真っ黒なのに、なぜか人影だの顔だのに見えるよう浮かび上がったあれが、大量に部屋の中にいるのだ。
引き攣った声を上げて仰け反る私の後ろから、「いったい何ごとだ」と長ちゃんが覗き込む。
「なんだ、ただの死霊ではないか」
「たっ、ただのって」
「たいした力もないだろう。魔王の眷属にすら及ばんぞ。いいところ、瘴気程度か。ずいぶんと数は集まっているようだが」
「いや、もうちょっとさ……」
「ん? 中心に何か他のものも……ああ、あれが“屋敷神”というものか」
「え?」
冷静に中の様子を確認する長ちゃんの言葉に、私もパッと顔を上げる。
入る前に長ちゃんが掛けてくれた感知のおかげか、モヤモヤの黒い影で見づらいものの、中心にうずくまっているような何かはすぐに見つけられた。
「勇者アキ、聖なる女神の光を呼べ」
「へ?」
「魔王の瘴気を払った光だ。この死霊どもは魔王の瘴気のようなものだと、さっきも言っただろう?」
「え、あ、そっか」
長ちゃんに促されて、私は剣を構える。
すうっと息を吸って、祈りの言葉を紡ぐ。
「“聖なる女神の祝福と、我が暁の勇者の称号において命ずる。あまねく世を照らす明けの光よ、ここに”」
とたんに、“蛇神斬り”の刀身が輝き出した。
明けの空に昇る太陽の光のように、だんだんと輝きが強くなっていく。
その光がまた薄れた時には、さっきまで部屋にみっちり詰まっていた影がすべて消えていた。中心に蹲っていた……いや、蹲って泣いている老女を庇うように覆い被さっていた童女が、ほっとしたように立ち上がって一礼し……。
「あ」
いったい何が起こっていたのかを尋ねる間もなく、搔き消えるようにいなくなってしまった。
「いや……ちょっと待って……」
「残りのふたつのうちのひとつは、今消えたもののようだな」
「え、まさかあれ、見えなくなっただけじゃない?」
長ちゃんは少し集中し、確認すると頷いた。
「どうやら完全に消えたらしい。結界の中には見当たらん」
「マジで……どうすんのこれ……」
泣いている老女は半透明の霊体で、どう見ても幽霊だった。
ここは地縛霊付き事故物件てことなのか。
しかも、ただひたすら泣いてるお婆ちゃんの地縛霊、と。
「長ちゃん……この婆ちゃんから話聞ける?」
「人間霊は私の管轄ではないな。どちらかといえば、司祭の受け持ちだ」
「だよねえ……」
はあ、と盛大に溜息を吐く。
お婆ちゃんに、どう声をかけても泣いてるばかりで反応はない。
白妙さんに言って、幽霊の専門家を呼ぶしかないのか。
「とりあえず、婆ちゃんの幽霊をなんとかするのは後回しで、亀の処分を決めればこの案件はおしまい、ってことでいいのかな……」
「そうだな……勇者アキ、少し待て。気休めだが、死霊共がここに戻らないよう、対策をしておく」
「あ、よろしく」
消えてしまったあの童女の代わりにと、長ちゃんが簡単な結界を張った。勇者時代によく見た、瘴気避けの結界だ。本当は司祭くんのほうが専門なのだが、長ちゃんも短時間だけの簡単なものなら張れるのだ。
傷だらけで身体中痛いけど、これでなんとかなったということか。
庭でひっくり返しておいた亀は、目を覚ましてジタバタと暴れていた。だが、妖力を封じられているとあって何もできない。
回収した亀を脇に抱えて庭を出る。
白妙さんと安達さんがほっとした顔で出迎えてくれた。
「だって、あいつが、おばあちゃんの簪を取って行くから」
「は?」
戻って傷の手当てをして、落ち着いたところで亀を尋問すれば、しくしくと泣きながらそんなことを言い出した。
「おじいちゃんに貰った大切な簪なのに、あいつが、金目のものだから寄越せって。おばあちゃんのこと叩いて無理やり取り上げて、持ってっちゃったから」
亀はまだ妖になって日が浅いらしく、話は今ひとつ要領を得なかった。
だが、どうにか辛抱強く聞き出したことによれば、ヨネさんが亡くなった本当の原因はクズ親類の仕打ちだと言うのだ。
金をせびりにきてタンス貯金を根こそぎ持ち出したうえ、大事な簪まで金になるからと取り上げたとか。その心労で一気に身体を壊した婆ちゃんが、ある日心臓発作だかを起こしてしまったと。
独居老人あるある過ぎて辛い。
警察は何やってるんだ。
「とにかく、じゃ、その簪を取り返せれば、婆ちゃんの心残りもなくなって昇天できるってことか」
亀はこくこくと頷く。
婆ちゃんは、死んでからもずっとああして泣き続けているという。
そこへ集まった悪いものが、婆ちゃんの悪霊化を促し、そのまま取り込んでパワーアップをはかろうとしていたと。それを屋敷神の童女が身を削って庇ってて……亀は亀で、婆ちゃんに可愛がられてた恩返しをしなければと思い詰め、あの家に来るものを敵視するあまりに身に付けたばかりの妖力で無茶をしてたと。
なんだそれ。ホラーマンガあるあるまで盛ってるとかありなのか。
頭が痛い。
「白妙さん」
「はい」
「簪探し、白妙さんがやって。依頼者はこの亀で」
「亜樹さんは関わらなくて良いんですか?」
「犯人見つけて犯罪者になりたくない」
「勇者アキが出張っては、取り返すだけでは済まないからな」
黙って聞いていた長ちゃんが、しれっとそんなことを言って追い討ちを掛けるが、否定できない。
「――まあね。たぶん、その場で叩っ斬りたくなるだろうし」
「たしかに、サポセン職員に問題を起こされるのは困りますね。それでは、こちらで手配しておきましょう」
妖の連携は意外に広い範囲にまたがってるし、任せておけば近いうちになんとかなるだろう。あとは……。
「白妙さん、幽霊と話ができる人も呼んでよ。せめて婆ちゃんに、簪取り返してやるからもう泣くなって言ってほしいんだけど」
「魔法使いさんの魔法が切れれば見えなくなるのでしょう? 気にしなければいいじゃないですか」
「夜中にふとすすり泣く声が、とかってほんと勘弁してほしいんだよね」
「そういえば」
くっくっと笑い出しながら、長ちゃんが口を開いた。
「あちらにいるときも、勇者アキは物陰にぼんやり浮かぶ影を見つけてはやたらと怯えていたな」
「ぐっ」
「単なる瘴気だとわかったとたん、威勢良く斬っていたが」
「日本人のDNAには幽霊コワイが刷り込まれてるんだっての。それに、年寄りに泣かれるのってなんか嫌じゃん。年寄りじゃなくても嫌なんだけどさ」
「亜樹さんて、結構そういうとこあるわよね」
安達さんまでが笑い出す。
しかたない、と肩を竦めた白妙さんが、わかりましたと頷いた。
「職員に何人かおりますし、そちらも手配しておきましょう」
「よろしく」
これでこの件は落着、ということか。