事件7.古民家の怪異?/中篇
築七十年。おまけに、一年以上住まずに定期の掃除だけで放って置かれた家は、かなり荒れていた。
さすがに倒壊などはないが、庭は夏の雑草が勢いよく生い茂ってぼうぼうだし、建物もちょこちょこと直しは必要だろう。
だが、庭は広いし、一軒家というのはやはりいいなと思う。
早朝だというのにこっちを焼き殺しにきているような日差しの中、門の前に仁王立ちしながら考えた。近隣の畑には、ちらほらと農作業の人も来ているし、長ちゃんの準備が終わったらちゃちゃっと片付けてしまおう。
「準備は終わった。あとは仕上げだ」
敷地の周囲に結界に必要な媒体を埋め終わった長ちゃんが戻ってきた。相変わらず、長衣の上に目眩しを掛けているらしい。
だが、今日はその普通の格好にごてごてと派手な杖を持っている。
長ちゃんは杖を片手に構え、もう片手をひらりとひらめかせる。石突でコツコツとリズムを取るように地面を叩きながら、朗々と魔術語を詠唱する。その声の抑揚に合わせるように、地面の数センチ上に複雑な紋様が浮かんで明滅する。
今は明るいからさほどでもないけれど、夜なら相当目立つだろう。
もっとも、長ちゃんの話では、こんな派手なエフェクトが出るのは複雑な術式の時だけだというが。
「完了した」
「よし。じゃ、行くか。“蒸着”」
足元に置いた袋から光が漏れたと思った次の瞬間に、私は鎧姿になっていた。兜のヴァイザーだけは上げた格好だ。
着込んだジャージでものすごく暑かった身体が、たちまち涼しくなる。
「ん、鎧のエアコンもばっちりだ」
「エアコンなんかついてるんですか?」
呆れ顔の白妙さんに、私はにやりと笑い返す。
「いいでしょ。暑さも寒さも平気なんだよ。職場環境は重要だからね」
「勇者アキが、すぐに暑いだ寒いだと騒いでは動かなくなるので」
しみじみと呟く長ちゃんに、白妙さんがどことなく哀れみの漂う視線を向けた。なんだその顔は。人を無理やり呼びつけて魔王と戦えとか無茶ぶりするんだから、そのくらいの待遇改善は当然だと思うんだけど。
「いいじゃん、ほら、行くよ!」
「勇者アキ、その前に感知だ」
「あ、そっか」
長ちゃんに霊体その他を感知する魔法をかけてもらって、改めて結界の中へと踏み込んだ。「よろしくお願いします」とにこやかに手を振る白妙さんと安達さんに手を振り返して、さらに門から一歩庭へと進む。
「なんか、歓迎されてない感じ」
そこら中からびしびしと感じる敵意のようなものは、たぶん、屋敷神に取り憑いただかなんだかという“悪いもの”が醸し出しているんだろう。
「勇者アキの世界は、魔法があるのかないのか今ひとつはっきりしないところがよくない」
「はっきりしないって、どういうこと」
顔を顰めてブツブツ文句を言いながら、長ちゃんがちらりとこちらを見た。「あれだけ教え込んだはずなのに」などと呟いて、小さく溜息を吐く。
「――しゃーないでしょ。こっちに魔法なんてないんだから」
「あれほど時間をかけて、魔力の見方も含めて叩き込んだというのにもう忘れているなどとはありえない。勇者アキの頭はやはりザルか」
「短期記憶は残らないって試験勉強が証明してるんだから、ほっといてよ。だいたい、こっちで魔法使う機会なんてゼロだっての」
じっとり私を見る長ちゃんを負けじと見返して、「それで」と強引に話を戻す。私をものすごーくバカにした……いや、かわいそうなものを見るような目で見て首を振ったことは、絶対に忘れないと誓おう。
「まず、この敷地全体にうっすらと魔力の気配がある。そもそも、こちらの世界の“妖”とは、あちらでいうところの“魔獣”あるいは“魔物”に相当する魔法的な生き物であるから、ここに魔力の気配があってもおかしくはない」
「で? 長ちゃんは話長すぎなんだから、もっと掻い摘んで結論早くしてよ」
チ、と軽く舌打ちをして、長ちゃんは続ける。
「“妖”、もしくは“屋敷神”という高次の存在がいることを考慮に入れても、ここまで広範囲に魔力を感じるのは、おかしいということ……勇者!」
「げ」
庭の一角、小山のように盛り上がった雑草と葛がざわりと動いた。私と長ちゃんを搦め捕ろうと伸ばした蔓を、咄嗟に“蛇神斬り”で叩き斬る。
長ちゃんがカツンと杖を鳴らして詠唱を始める。
……が、いやちょっと待てそれダメなやつ!
「長ちゃん火気厳禁!」
「だが」
「だがもへったくれもない! 日本家屋の燃えやすさ舐めんな!」
ぐ、と思い切り顔を顰めて、長ちゃんは呪文を変える。ここで火炎爆発とかふざけるな。将来の私の社宅を全焼させたりしたら、絶対許さない。
「“風斬”」
長ちゃんの詠唱が完成して、蠢く蔓を雑草ごと切り刻む。ふう、とひと息吐く間も無く、今度は足元からぐちゃりという音がした。
「げー、泥沼! マジか、“飛天”!」
下を見れば、今度は地面がぐずぐずどろどろのぬかるみになっていた。長ちゃんを俵に担いでとっさに飛んだが、さほど重量物ではなくても、人ひとり抱えては動きに支障がありまくる。現に、今ほんの数十センチ程度しか浮いてないし。
「長ちゃん早くなんとかして」
肩の上でしばし考えて、長ちゃんが杖を振るい始める。
ちょっと長めの詠唱を終えたとたん、いきなりぐらりと身体が揺れて、長ちゃんもろともにどさりと落ちた。
「ちょ、“魔力中和”使うなら先に言ってよ」
「早くしろと急かしたのは勇者アキだ」
「だからって、心構えとかあるんだしさ」
「それよりも、勇者アキ」
「何よ」
「ここからどう動く?」
ぐるりと周りを見れば、蔓と泥地にすっかり囲まれていた。包囲完了といったところだろう。敵意しか感じない。
「相手がさっぱりわかんないんだよね。やっぱ屋敷神が堕ちたってことなのかな」
「この家が祀っていたのは祖霊のはずだ。私の聞いたところによれば、人間霊に自然物を変化させる力などないのではなかったか? 人間霊の“祟り”というのは、物を飛ばしたり、あるいは自ら物理的に作用してこちらに不幸を起こしたり、だったように思うのだが」
「そうとも限らないけどさ……でも確かに、地面を沼地みたいにするとかって不自然かも?」
「自然霊か何か……のようにも思えるが、この中からはさすがにわからん」
「じゃ、しかたない。出るか」
「何か方策でも?」
「――あると思う? 前よくやってたようにやるだけだよ」
「勇者アキは変わらない。こちらでは、三つ子の魂と言うのだったか」
長ちゃんは嫌味ったらしくこれ見よがしに大きく溜息を吐いた。ムカつく。この仕事は私のほうが先輩だってのにムカつく。おまけに日本の慣用句まで使ってくるとか、頭の出来が違うとでも言いたいのか。
「ともかく、三つ数えたら魔力中和切ってよ。飛ぶくらいできるよね。周りのはなんとかするから、長ちゃんは見極めに集中して」
「わかった」
長ちゃんが杖を構えるのを待って、私はカウントダウンを始めた。
「――ゼロ」
長ちゃんがパチンと指を鳴らすと同時に、鎧が軽くなる。ふわりと浮力が戻って、“蛇神斬り”の輝きが戻る。
長ちゃんが杖をひとつ打ち付けて空に上がった瞬間、私は“蛇神斬り”を振るった。襲いかかってきた蔓が斬り飛ばされ、宙を舞う。
さすが真夏というか、葛の繁殖力というか。雑草は次から次へとシュルシュル伸びてきては、私に絡み付こうとする。いかにチート聖剣を持っているにしても、絡みつかれて動きを封じられては元も子もない。
『勇者、キリがないですね』
「うん、もしかしてこの仕事終わったら、ここの草刈りやらなくて済むんじゃないかと思ってるとこだよ」
『一石二鳥ですか?』
「どっちかっていうと二度手間かな」
屋根よりも高くに上がった長ちゃんをちらりと見て、私はさらに剣を振るう。“蛇神斬り”の言うとおり、たしかにキリがないのだ。
けれど、元を断つには元を見つけなきゃならないし、元を見つけるのは長ちゃんの役目だ。私はひたすら長ちゃんに蔓が行かないよう斬りまくるのが仕事で、めちゃくちゃ忙しい……が。
「ぐ」
「えっ」
いきなり何かが飛んできた。固い礫のようなこれは……。
「なに、氷?」
ぽたりと滴った赤に、まずいと上を見る。氷の礫は、もちろん長ちゃんの身体にも当たっていた。
私は舌打ちとともに、精神集中する。長ちゃんを庇うようにして、今までにないくらいの早口で祈りの言葉を紡ぐ。
「“彼の者の受けし災いを全て我が身のものとせよ”!」
第二弾を食らう前に、ギリギリ間に合った。
蔓と一緒に、できる限りの礫を剣で払いながら安堵する。
『勇者、大丈夫ですか?』
「この程度ならまだまだいけるって、知ってるでしょ。さんざん一緒にやってきたんだしさ」
『はい』
わかってはいるけど念のため、という調子の“蛇神斬り”に、私も軽い調子で返す。さすがに無傷とは行かないけれど、どれもこれも擦り傷で、擦り傷程度で動けなくなるほど私はヤワじゃない。
「勇者アキ」
「何? わかった?」
未だ集中を解いてはいないのか、長ちゃんの声の調子はやや平板だ。
ちらりと振り仰ぐと、身体に杖を引き寄せ、足下の敷地を睨みつけるようにじっと見つめている。
「疑わしきは三つだ」
「へ? 三つ!?」
「ああ」
「その三つのどれ」
「そこまではわからん」
「ああああ、もう! じゃ、一番手近なやつ教えて!」
さすがに短時間なうえにこの状況では、そこまで検討できないということか。しかも、この後だって、悠長に当たり外れを吟味している余裕はない。全部当たりで仮定して押さえてから考えろ、だ。
「それなら、あの付近に潜むものだな」
「あの付近ね。了解」
とたんに、バラバラと次の氷が飛んでくる。
はっきり言って痛い。車の屋根を凹ますどころか、穴を開けるほどの勢いのどでかい雹に当たってる、とでも言えばいいのか。自分に来る分は最低限避けても、集中を続ける長ちゃんはそうもいかない。しかも、長ちゃんの分まで私が被ってるという状態なのだ。
しばらく前に、工場でゴーレムもどきに殴られた時といい勝負だろう。
「あー、そういや、いっちゃんは出張中だっけ……」
治癒魔法は頼れないと気がついたとたん、痛みが増した気がする。
いっちゃんはいつ帰って来るんだろうか。あとで白妙さんに確認しよう。ついでに、冬のボーナス査定も上乗せしてくれと言っておこう。
ちょっとだけやさぐれながら、長ちゃんの示した場所へと向かう。どうやら蔓と氷はそいつの仕業だったらしく、やたらと私に集中し始めた。
草と泥の影になったそこで、何かがもぞりと動く。
「そこか!」
『勇者、それ生き物です!』
「え、生き……?」
動いた何かに向かって剣を突き出したとたん、“蛇神斬り”が声を上げた。一瞬呆けそうになったものの、私は慌てて剣を引こうとする。
だが、間に合わない。
「あ、ああっ、だめ! だめ! 殺さない!」
制止が間に合ったのか、それとも気を利かせた“蛇神斬り”のおかげか……その何かが剣に貫かれることはなかった。剣先がぶつかった衝撃で、泥の中に深くめり込んだだけで済んでいたのだ。
ほっと息を吐いて、手を突っ込んでその何かを引っ張り上げた。ぐぷっ、と大きな音を立てて泥の中から出てきたのは、ぐったりした固い……。
「亀?」
大人の頭くらいある甲羅の、大きな亀だった。





