事件1.元勇者と妖サポセン/後篇
自宅に帰りついたのは、明け方近くだった。
白妙さんの車から降りて部屋に入ると、ソファの上にパタリと倒れこむ。山の中で走り回ったからこのまま寝るわけにもいかない。
まあ、確かに勇者時代は夜討ち朝駆けありありの生活してたし、ちょっと毎日夜中活動してたからって動けなくなるような体力じゃないけど、ニート生活の怠惰を知った後だときつい。
「もうちょっと仕事の実態を知ってから就職活動すべきだったかなあ」
そんなことを考えながらゆるゆる起き上がって、どうにかシャワーを浴びてさっぱりする。
しかし、そんなこと言いつつも、実はこれ結構天職なんじゃないかなんて考える自分もいるわけで。
やっぱり白妙さんにうまいこと乗せられてしまった感は半端ない。
ま、就職できたことには変わりない。
幸い手当の類は充実してるんだから、この調子で若いうちに貯金して、もうちょっと落ち着いた仕事が良くなってから転職とか考えればいいし、もしかしたら彼氏見つけて結婚なんてことにもなるかもしれないし……。
ベッドに入ってうとうとしながら、この先のことをちらりと考えてみた。
だが、枕元のスマホがぶるぶる震える音で目が覚める。うう、と唸りながら表示を見ると、案の定白妙さんで……。
「あ……もしもし」
「亜樹さんですか。白妙です。実は先ほど緊急の案件が入ってしまいまして、大至急出張をお願いします」
「ええ? まだ2時間くらいしか寝てないのに……」
「申し訳ありません。ですが、少々どころではなく厄介な事案でして。すぐそちらへ迎えに上がりますので、それまでに用意をお願いします」
「はあい」
白妙さんがわざわざ迎えに来るとか、確かにおおごとかもなあ。しかたないのでどうにか起き出して顔を洗う。やっぱりいいように使われてる。
少々どころじゃなく厄介だ、なんてわざわざ電話で言うんだから相当だろう。なら、今回は木刀じゃないほうがいいかな……と考えて、部屋の片隅に置いた包みをちらっと見た。
* * *
「亜樹さん、すみませんが宜しくお願いします」
「うん」
アパートの前に止められたいつもの白妙さんの車に、部屋から持ち出した荷物を積みながら頷いた。
「念のため、勇者セット持ってくね」
「それは助かります。なにぶん、妖からの連絡では規模がどうにも読めず、現地で直接確認するしかないようでして」
助手席に座り、シートベルトを締めたところで、白妙さんが車を出した。
信号待ちで「そうでした、これを」とドアポケットから紙束を出して、私の膝にぽいっと載せる。
「今回の案件に関わる資料です。急いで用意できたものだけですが、目を通していただけますか」
「うん」
今回は日本アルプスに近い山中の小さな湖か、と地図を見る。
そのほとりのごくごく小さな神社が問題らしい。もともとすぐ近くに小さな村があったのだが、そこはずいぶん昔に廃村になってしまったのだ。
なるほど、なら、祀るものがいなくなった何かが荒ぶったのかな……と考えながらぺらりと紙をめくると。
「え、竜神?」
「はい。竜神なんです」
竜。ドラゴン。
あっちにもドラゴンと呼ばれる生き物はいたが、どっちかっていえば知能なんてない、ただのどでかい体力とパワー勝負の頑丈なトカゲだった。間違っても神なんかじゃなかったぞ。
「竜神てことは、神通力もあるんだよね、もちろん」
「はい、もちろん。もともと水神として、その湖を神格化して祀られていた神なのですが、つい先日の荒天でとうとうお社が崩れてしまったらしく」
「うわあ」
「近隣の妖がどうにか取りなそうとしたものの、聞く耳持たずといった怒りっぷりだそうでして」
「それはまた……」
「このままでは付近の山を軒並み崩しに掛かるのではないかと、妖たちが困り果てて連絡してきたんですよ」
白妙さんは眉尻を下げ、「本当に、困ったものです」と溜息を吐く。
この場合、怒って暴れる竜神と、竜神を放置していなくなった人間のどっちに対して困っているのだろうか。
聞いてると「最後まで責任持てないなら、神なんて祀るんじゃありません!」というお叱りの言葉を食らいそうだ。
「……勇者セット、用意してきて良かったかな。で、今回はどうするの?」
「今後は妖たちが祭事を引き受けるとのことですし、いちど落ち着いて、現状に納得していただく方向でなんとかできないかと考えております」
「わかった、努力する。んじゃ、少し寝るね。さすがにちょっと眠くて」
「はい、着いたら起こしますから、どうぞ」
ちょっとだけシートを倒して、私はたちまち眠ってしまった。
* * *
「亜樹さん、着きました」
そろそろ西の空が赤くなる頃、ようやく目的地に到着した。ここも相当な山の中らしい。四方に山しか見えない。
車を停めた場所は、どうやら資料にもあった廃村のようだ。雑草だらけの細い道の横に、朽ちた家がまばらに並んでいる。
「はいはい。問題のお社は……あっちか」
おどろ線が見えるような雰囲気を感じて目をやると、村から少し離れた湖のほとりに、半分腐り落ちた鳥居があった。
「うわあ」
あれは、まあ、怒るかなと思う。確かに。
資料によれば、この村は今ほど社会問題化する以前に高齢化と過疎の波に襲われ、廃れてしまった村だった。
まず、若者が学校へ通うために村を出て、それきり戻ってこなくなった。そうこうするうち、年寄りたちもだんだんと身体が弱り、生活のためにもっと便利な場所へと移っていった。
そうやって少しずつ、ひとり減りふたり減りしていったんだろう。だから神社をどうするなんて話が出る以前に、気づいた時には村に人がいなかったというわけだ。
「なんか、ほんと聞く耳持たない雰囲気びんびんだね。これはちょっと」
本気でいかないと無理かも、と言いかけたどころに、湖の上を走るようにして何かが来た。
まるで衝撃波か何かのようなそれを、私は慌てて飛びのいて避ける。
この感じ、久しぶりだ。
「うわいきなり来たよ」
「亜樹さん、お手柔らかにお願いします」
「うん……“蒸着”」
私の声で、車から降ろしたまま置いてあった包みの中からパッと光が溢れ出る。溢れ出た光は私の周りをくるくると回り……ほんの瞬きするくらいの間に私は全身を銀色に輝く鎧に覆われていた。
「いつ見ても昭和だなと思いますね」
「いいじゃん、宇宙刑事かっこいいんだもん! こういう機能付けてくれるって言われたら、キーワード絶対これじゃなきゃ嘘でしょ!」
「はいはい。ほら、また来ますよ」
苦笑する白妙さんの言葉に、私は慌ててまた飛びのいた。
通り過ぎたそれは、また空中で向きを変える。
「“飛天”」
ふわりと身体が浮き上がる。
ちょっと魔法の詰め込み過ぎですとか言われたけど、無理矢理あれこれ付けてもらっておいて良かった。
空中の“ソレ”を認めてうんと頷き、私はすらりと腰の勇者ソードを抜く。「じゃ、行ってきます!」と白妙さんに声をかける。
「くれぐれも、実際斬るのは最終手段ですからね!」
「わかってまーす!」
ふわりと夜空を舞うように飛んで、私は両手で剣を構えた。
『ねえ勇者、今回はどうするの?』
握った柄を通して、剣から意思が伝わってきた。最初はいきなり話しかけられて、死ぬかと思うくらい驚いたんだっけ。
「死なせちゃまずいから、鈍器モードね。刃を立てないように」
『はあい』
私がああいう神だの怨霊だのを相手にできるのは、この勇者セットのお陰だろう。なんせ、相手が実体だろうが非実体だろうがお構い無しなのだ。
ふわふわ浮かびながらまるでバットのように剣を構え、向かってくる何かをひたすらフルボッコにするという仕事が始まった。
「……こ、降参だ」
何度も何度もすれ違いざまに向かってくる竜神をひたすら殴り続けて夜が白み始める頃、ようやく竜神は音をあげたらしい。
よろよろとよろめくように近づいて、私の足元にぱたりと倒れ込んだ。
すかさず白妙さんがするすると近寄って、竜神に声をかける。
「雛倉様、落ち着かれましたか」
「我の負けだ。好きにしろ」
身の丈1.5mくらいだろうか。地面に長々と身体を伸ばして転がった蛇のような竜神を見下ろしながら、思ったより小さいんだなと考えた。
白妙さんは雛倉様と呼んだ竜神にあれこれと尋ねたりしつつ、いつものような後始末を始めた。
ああ、それにしても眠い。
このまま3日くらい有休取りたい。だらだらして寝たおしたい。
「そういうわけで、亜樹さん、雛倉様を宜しくお願いします」
「……は?」
にっこりと笑う白妙さんと、目をキラキラ輝かせた竜神が、ふたりして私を見上げていた。
「え、何の話?」
「ですから、雛倉様をお願いします。雛倉様は、ご自分を負かした亜樹さんに処遇を委ねたいとお望みですので」
「……はあ?」
白妙さんは立ち上がるとすたすたお社へと歩いていった。その後ろにふわふわ漂うように竜神が付いて行き、私はさらにその後を慌ててガチャガチャ鎧を鳴らしながら追いかける。
白妙さんは、すっかり崩れてボロボロになった小さなお社の残骸の中から、ひょいと何かを拾い上げた。
「こちらが雛倉様のご神体ですね?」
「おお、そうだ」
埃まみれ泥だらけであっても、なおもピカピカな、まん丸の綺麗な石だった。大きさは両手の拳を合わせたくらいか。
「方角は、やはり北がよろしいでしょうか」
「うむ」
「ね、待って。お願いしますとか方角とかどういうことなの」
「ですから、雛倉様が亜樹さんに祀られたいとお望みですから、亜樹さんの部屋に神棚を設えて雛倉様のご神体をお祀り申し上げるんですよ」
「はああ?」
「これも、神を負かした者の宿命ですから、よろしくおねがいします」
「そんなの聞いてない!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ私に、白妙さんはもう一度「神の思し召しです」とにっこり微笑み、ご神体の玉石を大事に車に積み込んだ。
「ねえ、白妙さん。私みたいな“異世界帰り”をスカウトする理由って、物理とか魔法とか、そういうの以外に理由があるんでしょ、本当は」
ぶう、と剥れた私は、後部座席にうずくまるようにして寝ている竜神をちらりと眺めてから白妙さんにぼそりと尋ねた。
「……なぜ、そう思うのですか?」
白妙さんはちらりと私を見返した。
深夜の高速道路はかっ飛ばす大型車ばかりで、なんだか怖いなと思う。
「だって、説明つかないよ。白妙さんだって十分強いしさ。
それに、言うほど“異世界帰り”が多いとも思えないんだよね。そういう私みたいなのわざわざ探し出してスカウトするより、強い妖がなんかするほうがよっぽど手っ取り早いじゃない」
「妙なところで勘の働きがよいですよね、亜樹さんは」
やっぱり笑みを浮かべた白妙さんが、目を細める。
こういう表情を見ると、このひとは狐なんだなあと思う。
「……亜樹さんは、神となる資格についてどう考えておりますか?」
「は? 神の資格?」
いったい今の話のどこからそんな話が出てくるのか。
新たな神の登用に、資格試験でもあるというのか。
「異世界帰りの方というのは、その異世界での祈りを一身に浴び、受け取ってきた方が多いのです。
亜樹さんも、“勇者”の仕事をなさっていたのでしょう? 思い出してみてください。異世界で、あなたは多くの方の祈りを受け取っていたはずです」
“勇者様、どうか私たちを、世界を救ってください”
あの不思議な世界で、何度も何度も繰り返し聞いた言葉を思い出す。最初に降り立った神殿で、旅の途中立ち寄った町や村で、魔物から誰かを助けた場所で……何度も何度も、拝むように手を合わせて繰り返された言葉だ。
「古来より、人から神となるものは少なからずおりました。
その彼らが神となる際に求められたいちばんの条件とは、人々の祈りをその身に受け取ったか否かなのですよ」
「祈り……」
「はい」
そうか、あれは祈りだったのか。だから、私はあの人たちを助けたいと、勇者と呼ばれてやろうと思ったのか。
「確かに、化生や妖が相手であれば、我々でも苦なく滅することはできます。ですが、怨霊や、神にも匹敵するようなもの、ましてや神と祀られていたものに対することができるのは、神か、神に等しいものでなくてはなりません。
我々のような妖では無理なのです」
穏やかに微笑むだけの白妙さんの横顔を眺めながら聞く。
「昔は、神職にあるものが神の意を得て、神の代理としてその役割を為しておりました。ですが、現代にそれをこなせる者は非常に少なく……今ではなかなか目にかかることもできなくなってしまったのです。
なのに、神事や祭事は減らされたり、あるいは曲げられたりということも増えてしまいました」
「曲げられるって?」
減るのはわかるけど、曲げられるというのはどういうことなのか。
「……たとえば、祭です。
いちばん多いのは、その日に行うことに意味があるのに、現代の風習には合わないからと週末や祭日にずらして行われるようになることでしょうか」
白妙さんは、やっぱり困ったような微笑みを浮かべている。
昔のように、祭に合わせて仕事を休めるような時代じゃない。
だから、多くの人間が休みを取れる週末や祝日に合わせて、祭を行う日が変えられてしまった。
特にここ数十年でそういう変化はどんどん進んでいる。
「人間たちの変化は急激ですから、我々のような妖ですら付いて行くのに必死です。変化のもっと緩やかな神々がそこから取り残されてしまうのは、仕方がないことではあります」
白妙さんは、はあ、と小さく溜息を吐く。
「穏やかな神であれば、そういう変化もしかたないと受け入れてくださるのですが、元が荒御霊や怨霊であったりすると、なかなかそうもいかず……その結果、封印が緩んだり土地の悪いものが溜まってしまったりと、そういうことが多くなってしまうのですよ。
そうなると、真っ先に影響を受けてしまうのは我々妖です」
「……たしかに、とばっちりは弱くて敏感なとこに出てくるものだね」
「はい、実際、溜まった悪い気の影響を受け、穢れておかしくなってしまったものも少なくありませんし」
世知辛いのは人間社会ばかりでなく、妖社会もなのか。
「うん、お互い大変なんだね」
深夜の高速道路を飛ばす車の中、どことなく重くなった空気に、竜神のいびきが高らかに響いた。
いろいろ台無しだ。
* * *
「なんだか見すぼらしいな」
部屋の北側に置かれたカラーボックスの一段に、小さな座布団を敷いて据えられたご神体を眺めて、竜神が顔を顰めた。
ジオラマ用の小さな鳥居と賽銭箱で体裁を整えてワンカップを置いて、私はじろりと竜神を見下ろす。
「贅沢言わないでください。このアパート、釘打つの禁止なんですよ。だから上に棚とか作れません。さらに言えば、外に勝手に祠置くなんてのは言語道断だし、これで精一杯です」
どことなく不満そうな竜神雛倉が、玉石の上にとぐろを巻く。
やっと収まってくれたかとホッとしたところで、今度はそのカラーボックスに立て掛けてあった勇者ソードがいきなりカタカタ揺れた。
「そこな剣も、何か不満があるようだが」
「ええ?」
たしかに、日本に戻ってからずっと、この剣がこんな風に何かを主張したことはなかった。部屋に転がしっぱなしでもこんなことはなかったのに、いきなりどうしたんだろうと首を傾げながら柄を取ると、途端に意思が流れ込んでくる。
『そいつだけ優遇されてずるい。私はずっと一緒についてきてるのになんで』
「は?」
「おお、なんという心意気の付喪神だ」
「つくもがみ」
ああなるほど。付喪神か。なるほど。
「それで、その剣のための棚も設えたのですか」
「そ。あとね、“勇者ソード”じゃなくて、“蛇神斬り”だってさ」
「“蛇神斬り”、ですか?」
給与明細を届けに来た白妙さんが、ついでに竜神雛倉の様子伺いをすると部屋に上がった。
“蛇神斬り”というのは、竜神が命名した勇者ソードの名前だ。“勇者ソード”なんてダサい名前では恥ずかしかろうと、弱っていたとはいえ竜神を叩きのめしたたいそうな剣なのだから、そのくらい名乗っていいと言われて、勇者ソードがその気になってしまったのだ。
お茶を出しながら説明すると、竜神雛倉がドヤ顔し、勇者ソード改め蛇神斬りも得意げにカタカタと鳴る。
「竜神が変なことばかり教えるから、最近ふたりであれこれ御供えしろってうるさいんだよね」
「はあ」
くっくっと笑う白妙さんに、「まあ、にぎやかなのは嫌いじゃないんだけどさ」と、私は肩を竦めた。
肩を竦めながら、当分、私はこの仕事から抜けられないんだろうなと考えて、小さく溜息を吐いた。