事件6.何かに流されるくらいなら、自ら飛び込んでしまえ/中篇
「その、“お召しになる”って何?」
「言葉のとおりですよ。この仔狼を、雄滝山の山神様が己が眷属として迎えるのだと主張しているんだそうです」
「は? だってまだ子供だよ? 神使って大人になった生き物の合意のもとに召し上げるとかじゃなかったっけ? この仔どう見てもまだ幼児だよ!?」
「私に募られても困ります。
――そもそも仕事でもないのに、なんだってこんな面倒なことに首突っ込んでるんですかあなたは」
「そんなこと言ったって、文句は蛇に言ってよ!」
ぶつぶつ文句を言う白妙さんの襟を掴んでガクガクと揺さぶるが、白妙さんは私が神とコトを構える未来を危惧するばかりだ。
最悪、勇者を封印するか……などと口走り始めている。
あの蛇神使は、“蛇神斬り”の言うとおり魔王の手先だと言うのか。厄介ごとを押し付けて、勇者を潰そうという魂胆か。
「のう、勇者よ。誰かが来るぞ」
奥の引き戸ががらりと開いて、雛倉さんが顔を覗かせた。“蛇神斬り”も何かを感じているのか、カタカタと激しく鞘を鳴らしている。
「何か?」
「うむ。どこぞに祀られた祭神であろうな。話から察するに、その子供らを追って参ったところか。まっすぐここを目指しておるわ」
「え。もう来るの!?」
「漣、出迎えの準備をしておけ」
「はい、主人さま」
漣さんがいそいそと食卓を片付けて、茶を沸かし始めた。念のため、と言いながら、徳利やお猪口も盆に並べだす。
白妙さんは、「ああ、もう」と嘆息ばかりで役に立たない。
「あの、雛倉さん。神って、ふらふら外を出歩くものなの?」
「滅多にないことではあるが、皆無ではないぞ。それに、分社をいくつも持っているような神なら、気分に任せてあちこち渡り歩くものでもある」
「そういうものなんだ」
基本的に、神は自分の神域に引きこもって外には出ないものだとばかり思っていたけど、そうでもないのか。
たしかに、雛倉さんも割にあっさりここへ移動して来たような――。
意外でもなんでもなく、皆、適当なんだろうか。
やかんの水がしゅんしゅんという音を立てて沸き上がる頃、「たのもう」と、やや芝居掛かったような声が玄関の向こう側から響いた。朗々とよく通るがやや高めの声は、なんとなくヒョロそうな印象だ。
「はい、ただいま」
漣さんが目配せをしてから、玄関へ向かった。私がほたるちゃんとレフくんを奥の部屋へ押し込むのを確認して、かちゃりと鍵を外す。
扉が開くなり、ぬうっと入って来たのは……なんというか、とてつもなくもっさりとムサいおっさんだった。
渓さんほど身長はないが、横幅とむさ臭さは渓さんを遥かに超えている。横幅といっても体脂肪ではない。ゴリマッチョという方向の横幅だ。
頭はもちろんもさもさで、顔の下半分ももさもさとした髭に覆われている。これはアレだ、“益荒男”とか“偉丈夫”とかいう奴だ。絵に描いたような典型的な山男の。
山神だから益荒男なのか。
その後ろに蛟二匹を従えて、むさいおっさん山神は入ってくるなりひくひくと鼻をヒクつかせた。
「やはりここにおったか」
「あ、ちょっと」
にかっと笑い、いそいそとレフくんたちのいる部屋へ直行しようとするその前に、私はすっと立ち塞がる。
が、今度は私から山神を庇うように、蛟たちが歩み出た。ひょろりとした、男とも女ともつかない人型に変わってだ。私に向かって、まるで犬か猫でも追いやるかのように、しっしっと手を振る。
「これ、人間。雄滝様に無礼であろう」
「そこを退け。雄滝様はこの奥に隠れている仔狼を所望じゃ」
ひくりと私の顔が引き攣った。
誰の家だと思ってる。
「人ん家に勝手に上がり込んどいて何しようって言うんですか。いくら神でも自重してくれませんかね」
「人間の分際で、雄滝様に向けてなんという暴言」
「無礼打ちにしてくれようか」
うむうむとふたりの背後で頷く山神に、私はイラっとする。何がうむうむか、この幼児ストーカー神が。
蛟たちが威嚇するかのように、蛇めいた顔でシューッと息を吐く。黄色い目を爛々と輝かせ、ちろりと先の割れた舌を見せつけるように覗かせて……。
「待たぬか。ここは我の神域だというに、いきなり押し掛けてのこの振る舞いとは、北の野蛮な神めが礼儀も知らぬと申すか?
勇者も、おぬしの気性が荒いのは存じておるが、少し堪えてはどうか」
呆れたようにひとつ溜息を吐いて、雛倉さんがのそりと割って入った。
「雄滝様に何を!」
「雛倉さん?」
思わず詰め寄ろうとした私を押し留め、今度は漣さんが、雛倉さんを背に庇うように歩み出る。
「我が主人の神域で、我が主人に無礼を働くつもりですか。
水を治める龍神たる雛倉様は、お前たちのような使い風情が無礼を働いて良い相手ではありませんよ」
雛倉さんに続いて、いつもほんわか癒し系な漣さんまでもがきっぱりと啖呵を切ってのけたことに、私は驚いてしまう。
本当ならあんなに小さなかわいい雀なのに、まったく負けていない。すごい顔で睨み付ける蛟相手に、キリッと目を逸らさずにじっと見合っている。
ふと、白妙さんが視線を泳がせながら、この場をどう収めようかと必死になって考えているのが目に入った。
私も、落ち着くために大きく深呼吸をする。
たしかに、ここで怪獣大決戦を起こされても困るよな。
アパートを追い出されたりしたら、雛倉さんは神域失くすことになるし、私も路頭に迷ってしまう。
「――ともかく、いきなり幼児拐かすとか、いくら神でも今の時代は犯罪ですよ。せめて当人が大きくなって、同意してからにしませんか」
「何を言うか人間。雄滝様のお召しなのだぞ!」
「あんたには言ってない」
シューシュー息を鳴らしてうるさい蛟をするっとかわすと、山神がイラついたように目を眇めて私をじろじろと眺め回す。
「こやつが勇者とかいう女子か。勇ましいものだが、口の利き方を知らん」
「元が付くけど確かに私が勇者だよ。現代っ子だし、大学中退で敬語とかよく知らないんだ。悪かったね。
それはともかく、こんなケンカ腰に睨み合うのはやめて、座りましょう」
適当に返答してとりあえず食卓の椅子を勧めると、うむ、と山神が腰を下ろした。みしりと派手に軋む音が聞こえて、一瞬、大丈夫かなと心配になる。
勇者時代は、言ってしまえば、人外など全部斬って捨てれば終わりだった。
けれどここは日本で、日本の神々のスタンスは“事なかれ主義”だ。
宗教的な事情やら何やら、いろんな理由で日本に流れ込む人外は結構多い。その、流れ込んで来た人外たちも、宗教的な事情やら何やらで反目しあっていることは多い。
そういう人外たちが問題を起こして大騒ぎになるのを厭った日本の神々は、出雲の年一の神様会議で「人外は皆争いを起こさず、人に紛れること」を決めた。
ちょうど、日本が鎖国を止めたあたりに前後して、の頃らしい。
よって、今のこの国では、聖だろうが魔だろうが、人を害さず、諍いを起こさず、人間に紛れてうまくおとなしくしている限り、人外は皆平和に暮らせる……ということになってるのだとか。
実際はそうもいかない、というのが正直なところだけど。
「雄滝様は、もともとが大神……つまり狼筋の神とのことですから、狼には思い入れがあるんですよ」
漣さんが出してくれたお茶を啜りながら、白妙さんが小さく耳打ちする。
どうにか落ち着いて席に着いたところで、まずは事情を把握するために話し合い……ということになった。山神の雄滝さんがとにかくかさばって部屋が狭くなるので、蛟二匹には蛇になってとぐろを巻いてもらっているが。
それはともかく、これってサポセンからの正式依頼になるんだろうか。タダ働きだったら嫌だな。
白妙さんが電話で聞き出せた情報にうんうんと相槌を打ちながら、漣さんにはほたるちゃんとレフくんに付いててくれと頼んで、奥の部屋に行ってもらう。
「日本じゃ絶滅してしまった動物ですし、毛色は違っても久しぶりに見つけて我慢できなくなったんでしょう、とのことらしいですね」
困ったもんだと言外に漂わせて、白妙さんが眉間にくっきり皺を寄せた。珍獣発見でテンション上がったってことなのか。
「ええと、雄滝様」
「うむ」
口を開く私に、雄滝さんが鷹揚に頷く。
「まずは、どうしてまだ幼い子供を召し上げようなんて考えたんですか」
「群れからはぐれて泣いておったからの」
「は?」
――要点をまとめると、雄滝さんが自分の山にレフくん親子が移り住んできたことに気づいたのが、三年ほど前だったらしい。
母狼と仔狼だけで父狼の姿は無く、山の狐たちの里……つまり、ほたるちゃんの里で世話になっているのに気づいたのが始まりだったとか。
とは言っても、狐の里からすれば、余所者で種族も違う。
単に、子連れの母を無碍にして、この辺りでのたれ死なれても気分が悪いという理由で世話をしていただけだ。厚遇されてたわけでもない。
レフくん親子がなんで日本の、しかもど田舎の山の中に移って来たかはわからない。ただ、もともと大陸で暮らしていたところを追われてここまで逃げて来たんじゃないかと、里の狐たちが噂していたそうだ。
大陸出身ってことなら、種族がバレたか教会の聖なるものに見つかったかで、狩られる前に逃げて来たんだろうか。
とにかく、雄滝さんは、ひさびさに見つけた狼に相当うれしくなって、毎日うきうきと見守っていたらしい。
だが、季節が巡り、母狼が病で亡くなってしまうと、仔狼を引き受けようという者は狐の中に誰もいなかった。このままでは、仔狼が路頭に迷ってしまう。
これはいかんと慌てて里の狐たちに使いを送り、仔狼を寄越すようにと告げた結果が、この現状であると。
「――あのさ、雄滝さん」
「うむ」
雄滝さんの前にとぐろを巻いてシューシュー威嚇する蛇をまるっと無視して、私は小さく溜息を吐いた。
「うむじゃなくって、そこはまずレフくんの意思を確認しようよ。せめて、レフくんがちゃんと大人になって、いろいろ自分で考えて決められるようになってから、確認するところじゃないの? 神使として召し上げるならそうするものじゃなかったっけ?」
「何故じゃ」
「何故って、合意が無きゃ、ただの神隠しじゃない。もう平成なんだよ? 神々の間でも、神隠しはなるべく無しでってことに決まったんだよね」
「だが、もたもたしてあの子供まで死んでしまってはどうなる。であれば、我の元に召し抱えるがよかろう」
そんなドヤ顔で言うことか。
そこで一足飛びに召し上げるって、なんでだ。
「いや、そこはもうちょっと別なやり方がさあ……」
「雄滝殿と申したか」
「雛倉さん」
何と言おうか考えていると、急に雛倉さんが口を挟んできた。
「おぬしは深山の神のようだが、あまり人馴れしておらぬのか」
茶を啜って、ふう、と息を吐く雛倉さんを、雄滝さんがじろりと見やった。
「人間にしろ妖にしろ、むやみに手を出しては恐れられるばかりであろうが。おぬしがそのような言伝をするから、狐どもが子供を捕らえようとしたし、怯えた子供らが逃げ出すことになったのだぞ」
「逃げた、だと?」
「いかにも。そもそも、召し抱えるにしろなんにしろ、相手が嫌がって無理やりではただの神隠しにしかならぬ。
そのうえ、我の知る限りでは、神隠しで攫ってうまくいくことなどごくごく稀だ。たいてい祟り神などと呼ばれるはめになるが……おぬし、そのような話を聞いたことはないと申すのか? あまりにやらかせば、たとえ神であっても封じられて終わりとなるぞ?
今どき、この勇者といい、人間のくせになかなか侮れぬ者も多いでな」
むむむ、と雄滝さんの眉が寄る。もさもさの毛虫みたいな極太の眉をおもしろくなさそうにぐっと寄せて、口をへの字に曲げる。
「懐かしいものを見つけてはやる気持ちは理解できぬでもない。だが少し落ち着け。まずは子供ときちんと話してみてはどうだ」
「話?」
雄滝さんが、驚いたように軽く目を瞠った。
案の定、ちゃんと話をしようという発想もなかったのか。
「子供が納得ずくでおぬしに召し上げられたいと望むなら、そこな勇者も文句はないであろうよ」
「まあ、たしかに、レフくんが行きたいって言うならいいけど……」
「ほれ。ならば、まずきちんと話をするのが先決だな」
雛倉さんがドヤ顔で頷いた。
とてもじゃないが、湖で暴れてた龍神と同一神とは思えない。が、もともと人々と密接に関わってきた神だから、山神の雄滝さんより人付き合いは慣れてるし得意だということなんだろう。
「でも、どう見ても四つか五つの子供が、こんな厳ついおっさん相手にノーって言うのは難しいんじゃない?」
「ならば、脅さぬと、ここで約束を取り付ければよかろうが。
のう、雄滝殿。おぬしも、嫌がる子供を連れ去るのは本意ではあるまい?」
「うむ……」
渋々と頷く雄滝さんに雛倉さんも頷いた。
「では勇者よ、子供らをここへ連れて参れ」
――雛倉さんに仕切られてしまったのは仕方ないが、どことなく納得がいかなかった。だが、白妙さんはどことなくほっとしているようだ。
私より雛倉さんのほうが信用できるのか。
解せない。