事件6.何かに流されるくらいなら、自ら飛び込んでしまえ/前篇
「つまり家出」
「はい、家出です」
白い男は話し終えてにこやかに微笑むと、ずい、と茶を啜った。
こいつが、話にだけは聞いていた綾織神社の神使、白蛇の銀波か……などと考えながら、続けて私も茶を啜る。
「綾織姫様も、勇者殿であればきっと悪いようにはしないだろうと仰いましたので、こちらに連れてまいりました」
目の前には、私と銀波を見比べて、はらはらしたように眉尻を下げる漣さんと、ふたりの子供が座っていた。
漣さんはエプロンの前に丸盆を抱えたままだ。どうやら、私がそのうちキレて暴れ出すのではないかと心配しているのだろう。
――私、そんなに理不尽に暴れたことないと思うんだけど。
子供はふたりとも縮こまるように正座したまま、じっと私を見つめていた。その頭には、落ち着きのない三角形の耳がぴょこんと突き出して、きょろきょろと動いている。
控えめに言っても、ものすごくかわいい。
しかし、どんなにかわいくても、それとこれとは話が別だ。
「私、渉外とか担当してないんですよね」
「そうでしたか? けれど、わたしの知るもよりの窓口と言えばこちらですので。何より、姫様のお社にはこのような妖の子供が寝泊まりできる場所がございません。ですが、こちらでしたら問題ないようですし」
銀波はにこりと微笑み、漣さんへちらと視線を投げる。
たしかに、あの神社で妖の子供を預かるのは厳しそうだ。
白妙さんから以前聞いたところによれば、ああいう大きな神社で妖のことを知ってるのは、だいたい宮司と一定より上の神職のみだというし、完全な人型も取れない子供じゃ、その他の人間に見つかったら大騒ぎだろう。
この家ならいつでも漣さんがいてくれるし、雛倉さんだってそれなりの役に立ってくれるはずだ。たしかに、銀波の言うとおりかもしれない。
だがしかし、まずそれよりも大きな問題が……いつから、私の部屋はサポセン窓口になったんだ?
イラっとしつつそんなことを考えていると、隣の部屋からカタカタと蛇神斬りが鞘鳴りさせて騒ぐ音が聞こえてきた。ぎくりと銀波が振り向くのを見て、さすがに女神の手作り聖剣は怖いのかと思う。
人が来たからと鞘に入れといてよかった。でなきゃ今頃、『そいつ魔王の手先です!』と白蛇相手に大騒ぎだったに違いない。
「それでは、あとはお任せいたします。綾織姫様は勇者殿をそれはそれは信頼していらっしゃいますし、どうぞよしなに」
すっと立ち上がった銀波は、私の返答などこれっぽっちも待たなかった。
流れるように暇を告げて出ていってしまう銀波の背中を見ながら、へいへいと私は手を振る。皆が言うように、たしかに、銀波は蛇らしい蛇の神使だろう。元うわばみの渓さんとはまた違った意味で……ねちっこそうというか小狡そうというか、そんな印象で。
ま、それはそれだ。今、銀波のことはどうでもいい。
もういちど残された子供ふたりを見て、私ははあっと大きく溜息を吐く。
「で……なんで家出なんかしたの?」
向き直り、おもむろに尋ねる私に、子供たちはびくんと飛び上がった。
ひとりは焦げ茶の大きな三角耳が生えた明らかに日本人の女の子で、もうひとりは明るい灰色のやや小振りの三角耳に薄い琥珀色の目と、明らかに日本人じゃない彫りの深い顔立ちの男の子だ。
見た目通りなら女の子は小学校に上がりたてくらい、男の子は幼稚園の年中さんか年長さんかという年齢だろう。
「だ、だって」
「うん?」
「みんながレフのこといじめるんだもん」
うっ、と涙ぐんでぎゅうっと眉根を寄せる女の子を、レフと呼ばれたほうが心配そうに見つめる。それ、逆じゃないか。
「とりあえず、名前を聞いておこうか」
「おねえさんも、おうちに帰れって言うの?」
「んー……まあ、それは話を聞いてから決める。名前がわからないと何て呼んだらいいか困るから聞いただけだよ」
子供たちが胡乱な顔で私を見上げた。
大人の言うことなんて信じられるものかって顔だ。
「あ、漣さん、白妙さんに電話してもらえるかな。子供のことは黙ってて……そうだな、また私がキレて暴れてるとでも言えば、きっとすっ飛んでくるから」
「あの、勇者殿、そんな言い訳でよろしいのでしょうか」
どうしたもんかなあと考えながら漣さんに連絡をお願いすると、少し驚いたように私を見返す。
何か変なことでも言っただろうか。
「いつものことですよって、ほっとかれるかな?」
「いえ、そういう意味ではなく……」
「白妙さんがなる早で来てくれればいいんだよね。もし、それでほっとかれるようだったら、他の適当な言い訳をお願い」
「はい」
スマホを渡すと、漣さんは小さく吐息を漏らして隣室に行った。
それを確認して、もういちど子供たちのほうを向き直った。すっかり警戒心を露わにして、触れなば切らん……いや、ここは噛み付かん、というべきか。ともかく、そんな顔で毛を逆立てて私を睨んでいる。
「それはともかく、ふたりともお腹空いてない? お昼食べた?」
身構えていたふたりが反射的にお腹を見下ろした。とたんに、ぐぅ、と鳴った大きな音に、つい笑ってしまう。
「じゃ、まずはご飯にしようか」
“ご飯”という単語に反応してぴこんと直立する三角耳は、本当にかわいい。
私は立ち上がり、冷蔵庫を覗いて「オムライスでいいかな?」と訊いた。
「ほたるちゃんと、レフくんね」
食後に甘くした麦茶を出して、落ち着いたところでようやく名前だけを聞けた。
住んでる場所のことは、頑ななまでに黙ったままだが。
「それにしても、どうやってここまで……」
「おうちにあったカードで電車に乗って、来られるところまで来たの」
あ、あれか、改札も通れちゃう電子マネー。昔なら切符を買って改札を抜けるというハードルがあったのに、今ならかざすだけですっと通れちゃうのか。
尻尾は上着の下に隠して、耳は帽子の中に入れて、適当に選んだ駅で降りて入り込んだ神社で、綾織姫と銀波に見咎められたらしい。
「んー……まあ、悪い大人に捕まらなくて良かったよね」
やれやれだなと溜息を吐く私に、子供たちが首を竦める。
それにしても、これからどうしたものか。
親を探すのはなんとかなりそうだけど、大人しく帰るとも思えないし、何より“みんながレフをいじめる”という言葉も気になる。
たぶん、ふたりが家出を決行する原因になったものをどうにかしないことには、帰したところで解決にはならないんじゃないだろうか。
だが……依頼料という対価だけの問題ならどうにかなるが、サポセンは、私という人間の依頼では動いてくれないのだ。
“妖サポートセンター”というのは、平たく言って、この現代日本で妖たちがつつがなく安泰に暮らすための互助組合だ。
だから、サポセンは妖の依頼でないと動いてくれない。
私は、たまたま“異世界帰りの元勇者”というキャリアを買われて現場担当の職員として雇われただけの人間で、妖ではない。
「ほたるちゃんとレフくんとこの妖たちって、サポセンに加入してるのかな」
「さぽせん? わかんない」
「だよねえ」
おまけに、日本に住む妖が全員必ずサポセンに加入してるかというと、そういうわけでもなかったりする。
妖は基本的に保守的で変化を嫌う。
だから、日本に本格的なサポセンができたのも戦後になってからで、未加入の妖も未だに多いらしい。
そういう未加入妖の保守っぷりは筋金入りだから、直接交渉とかにはめちゃくちゃ神経を使うのだと、白妙さんがこぼしていたことがある。
彼らの親たちがサポセンに加入済の妖なら、もう少し話が早いんだけどな。
ほんとうにどうしたものかと大きく息を吐いたところに、ピンポンピンポンうるさく鳴るドアチャイムが聞こえた。
「今開けます!」
慌てて飛びつくように漣さんが鍵を外すと、ばたんと勢いよく扉が開いた。
「亜樹さん! また暴れてると聞きましたが! 職員に問題起こされるのは困りますと何度言えば……!」
「え、待って。そんなに言うほど私暴れてないと思うんだけど!?」
すごい剣幕の白妙さんが入ってきた。
白妙さんは私を猛獣だとでも思っているのか。
「待って、待ってよ白妙さん。暴れてないから! 私じゃないから! それよりこっちだから!」
食卓にポカンと座ったままの子供を示すと、白妙さんが驚きに目を瞠る。子供たちは、白妙さんの剣幕に驚き固まったままだ。
白妙さんはふたりを確認すると、みるみる表情を曇らせた。怒りを通り越したのか何なのかよくわからない顔色で、真剣な表情で私に向き直る。
「――事情は深くは聞きません。亜樹さん、どちらから攫ってきたんですか」
「え、待って白妙さん。私が子供を攫うように見えるの? 私、勇者だよ? 元がつくけど勇者なんだよ?」
「亜樹さんなら、今さら子供のひとりやふたり攫ったところで驚きませんから、正直に仰ってください。たとえ妖相手でも誘拐は犯罪です。出頭するならお付き合いしてあげますから、正直に」
「なんで犯罪者扱い!?」
白妙さんが普段私をどう考えているのかものすごく気にはなった。だがそれは今関係ないことだからと横に置いておき、経緯を掻い摘んで説明した。
白妙さんが、はああと大きく嘆息する。
仔狐と仔狼はビクビクと身体を縮こまらせてこちらを伺っている。
「人狼であれば、この近辺にも幾人か住んでいるはずですし、サポセンの職員にもおりますよ。彼らを通して同族の元へ送ることもできますが」
「え、人狼ってそんなにいるの?」
「ええ。東西でメジャーな妖ですし、寿命も人間並とあって、ちょっとした少数民族並の数はいますね」
「マジか……」
「彼らは同族への情が厚いですし、仔狼なら無条件で庇護するものと考えてる節があります。だから、この仔がはぐれならそちらに紹介することもできますし、親がいるならすぐに見つかりますよ」
「そういうものなの?」
「そうですよ」
白妙さんは頷いてスマホを取り出すと、問答無用で電話をかけ始めた。
子供を見るとやっぱりふるふるしながら白妙さんを見ていて……「大丈夫、何とかするから」と私は苦笑する。
「それより、ふたりがこれからどうしたいか、教えてくれないかな?」
「どうって……おうちに帰されたら、またレフがいじめられちゃう」
ぐす、とほたるちゃんが涙ぐむ。
レフくんはほたるちゃんにそっと手を伸ばして、慰めようとしてか、よしよしと頭を撫でる。
「その……いじめられるってどういうことなのか、教えてくれないかな?」
潤んだ目でじっとり見上げるほたるちゃんに、私はにっこり笑ってみせた。
「あのね、里のおとなが、みんなで寄ってたかってレフを遠くに連れて行こうとするの。ずっと、よそ者はじゃまだいなくなればいいのにって言ってたから、きっとどこかにレフを捨てに行くつもりなんだよ……レフのお母さんが死んじゃったからって、捨てるつもりなんだ」
子供を捨てる? 親が亡くなったから? と、私の眉根が寄る。
「それは……」
「え? ちょっと……え?」
口を開きかけたところに、白妙さんの困惑する声が割って入った。パッと振り向いて、私を押し留めるように手を上げて、通話口から口を離す。
「待ってください。亜樹さん、ストップです」
「は?」
「ストップはストップですよ。その人狼の子、雄滝山の山神様がお手付きを主張なさってるらしいです」
「は? お手付き? お手付きって?」
「つまり、その子をお召しになるのだと主張なさってるみたいなんです」
「子供を?」
さすがの白妙さんも、困惑しきりという顔をしていた。